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久しぶりに瑠梨のアパートに遊びに行くと、彼女はまた作業用デスクのパソコンに向かって、もくもくと小説を書いていた。この前、ゴミ袋から拾い上げたものも、捨てられずデスクの上にそのままで自然と頬が緩んでしまう。私は部屋に来てから邪魔しないよう形が崩れたソファーに座って、作業が終わるまでスマートフォンを弄っていたかったけど。先に口を開いたのは、彼女のほうだった。
「何でまた小説書いてるのか、興味ないの?」
「私がとやかく言う事でも無いでしょ」
瑠梨は私の言葉に何も返さないけど、背中から分かりやすい『聞いてよ!』オーラを発しながらタイピングの音をわざとらしく響かせる。このままずっと黙っていたら怒るだろうから、私は笑いをこらえつつ質問をしてあげた。
「何か良い事でもあった?」
瑠梨のタイピングの手があからさまにピタリと止まる。
「一ヶ月くらい前、深夜にお姉ちゃんが来て話聞いてくれた日あったでしょ。あれから、しばらくはやる気出ないままだったんだ。でも、最近、私の小説を全部、順に読んで感想くれる人がいてさ。それも珍しいくらい感情のこもった文章なの。昔の自分を見てるみたいですごい恥ずかしいんだけど、やっぱり嬉しくて。それを機に、今まで色んな人がくれた感想を読み返したの。忘れていたわけじゃないけどさ、改めて創作を始めて色んな人と接してきたなって。嬉しい感想貰ってパソコンの画面の前で小躍りする事もあれば、けちょんけちょんに貶されてナニクソって発奮する事もあったし。全然想定してないカップリングを推しって言われて、困惑したのも今では良い思い出だよ。
……小説投稿サイトは創作側の人も読んだりするから、自分の作品を読んでくれた作者さんの小説を私も読みに行って、それがきっかけで仲良くなった人もいて。生活環境の変化とかで辞めちゃう人も多かったけど、今も交流が続いている人もいるし。私の創作は彼の存在がスタートだけど、小説を書く事自体やっぱり好きで、今は自分の書きたいものだってある。私の小説を好きって言ってくれた人がいて。それに、次の作品をまだ待ってくれてる人も。なら、ここで筆を折る選択肢は無いなって思ったの」
「そっか」
私が静かに嬉しさを噛みしめていると、少しの沈黙をおいて後ろ姿のまま瑠梨は言葉を続けた。
「でもね、……それだけじゃないんだよ。私の使ってる小説投稿サイトって、ログインしなくてもハンドルネームで感想を書き込める機能があるんだけど。最近、私の小説を全部読んでくれた人もその機能を使ってて。そのハンドルネームが、……昔私が彼の小説の感想を書くときに使ってたやつで。当たり障りのないハンドルネームだから、ただの偶然かも、しれないけど。……それから、彼のブログが全部消えてからは、寝る前に唯一残った彼のSNSをぼぉーと眺めてて。もちろん新しい投稿なんて無いんだけど。ある日、いつもみたいにベッドで寝ながらSNSを巡回してたら、彼のプロフィールの『ごめんなさい。しばらく何も書けないと思います』って、最後の一文が消えてて。……お姉ちゃんにも、この前見せたでしょ?」
「そうだっけ?」
あえて白を切る私に、彼女は言葉を震わせる。
「間違えるわけないって。知らない人からすれば何の意味も持たないほんの小さな変化だろうけど、私にとってはさ。ベッドから飛び起きて二度見どころか三度見して、隣の部屋の人には悪いけど夜遅くに叫んだよ。もう亡くなってるかもって覚悟してたし、……ずっとずっと待ってたんだから。……十年間も何の音沙汰も無かったのに。それがお姉ちゃんに彼の事を話してから、全部起こったんだよ? あの、あのさ、もしかしてお姉ちゃんが」
「プロとしてデビューできたら、公言するんでしょ?」
妹はしばらく押し黙った後、「いじわる!」と吐き捨てるように言って、またタイピングを再開させた。
瑠梨には悪いけど、ここまで来てしまったのなら、私だって正体を明かすタイミングはこだわりたい。それに、もう少しだけ妹の憧れの存在で居たかった。瑠梨の小説を読んで、彼女はもう昔の『僕』なんか超えて、随分先に進んでしまっていたけれど。私だって、ただ待っているつもりも無い。今度は私が瑠梨の背中を追いかけたい。そう思いながら、私は彼女の後ろで新しい小説を書き始めてる。