表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

◇2

 瑠梨の注文でマグカップにインスタントココアの粉をさっきより多めに入れながら、私たちは電気ケトルのお湯が沸くのを待っていた。別にココアを飲んでる間だけしか話せないわけでもないのに彼女は律儀に待っていて、少し面白い。顔には出していないつもりだけど、妹がじっと見つめてくるから、もしかしたら笑みが零れていたのかも。ケトルの音が鳴って、熱々のお湯をマグカップに注ぐと、湯気と共に甘い香りが辺りに漂う。瑠梨は待ちわびた二杯目のマグカップを手に取り、ふぅーと息を吹きかけながらローディングでも入ったみたいに動きを止めた。


「えっと、どこまで話したんだっけ?」


「あんたが好きな人の影響で色んな本とか映画、観始める事になったって所までかな」


 彼女は小さな子犬が威嚇するみたいに私をにらむ。


「だから、違うってのに。……まぁ、いいか。それで、学校が終わってからの時間は小説を読み漁るのが私の日課になったの。『無きページに恋焦がれ』は四部作の大長編で完結までに三年くらいの月日がかかるんだけど。連載中は毎日彼の小説を読んで、章と章の間の休載期間は彼が影響を受けた作家さんの本とかを読み漁っていく日々でさ。たまに、彼がSNSで呟く何気ない日常の話を読んでるだけでも嬉しくて。女子校で彼氏どころか出会いも何もない灰色の青春だった毎日が急に楽しくなったんだ。……『無きページに恋焦がれ』の最後の章は、これまで主人公が作中で築き上げてきたものが全てリセットされて、読者である私も、たぶん書いている彼もずっと辛い展開が続いたんだけど、最後は主要人物全員が報われる本当の意味での大団円で終わる事が出来てさ。私、最後のページ読み終わった時、パソコンの画面の前で泣きながら一人で拍手したの、今でも覚えてるよ。


『お疲れさまでした! この作品を世に生み出してくれて、本当ありがとうございます!』って、感謝の気持ちを込めて長文の感想も送った。それも今思えば、ちょっと痛かったかもしれないけど。『無きページに恋焦がれ』の連載が終わった後は彼も燃え尽きたのか、ブログにはしばらく短い掌編小説とか、のんびりとした日々が綴られてたよ。『車の運転中、片目の視力が急に悪くなったかと焦ったけど、眼鏡のレンズが片方取れてるだけでした』とか、『公園でお弁当食べてたら、カラスに唐揚げ奪われた』とか。ほら、結構可愛い人でしょ?」


「ノーコメント」


 瑠梨はまた私にその内容を見せようとスマートフォンの画面を操作しかけて、サービス終了でもうブログが全て見れない事を思い出し、静かにこうべを垂らす。


「まぁ、そんな緩い日常は続かなかったんだけどね。ある日、ブログのコメント欄に馴染みの読者さんが『これ、盗作されてませんか?』ってメッセージとURLを貼ったんだよ。そのURLを踏むと、私や彼が普段使ってるのとは別の小説投稿サイトでさ。全然違う長文タイトルだけど、あらすじは『無きページに恋焦がれ』と全く一緒。小説の投稿日は彼の方が全然早いから、それが完全に偽物なのは一目瞭然で。……小賢しい事に、タイトルと主人公、それに登場人物の名前だけは変えてるの。ブログのコメント欄にすぐ気付いた彼が『僕が対処しますので、皆さんは感情的にならないで静観していてください。経過は随時報告します』って内容の文章を出して、その時私には見守る事しか出来なかったけど。


 待ってる間、その盗作者側の小説投稿サイトの感想欄見たら本当に眩暈したよ。何も知らない読者からの質問に、『実は子供の時からグリム童話に愛着があって』とか、『主人公は、実はドイツ文献学者だった自分の祖母がモデルなんです』とか、『お姫様が飼ってるネズミの名前は、昔飼ってたハムスターが由来なんですよ』みたいな、それっぽい出まかせを我が物顔でペラペラ語ってて。あの時だって相当気持ち悪いと思ったけど、自分で創作するようになってからは本当に反吐が出る行為だと思うよ。子供をさらわれた挙句、誘拐犯に『ウチの子は実はこうなんですよ』って嘘八百を大々的に発表されてるんだから。本当、どんな顔でアレ書いてたんだろ。私には一生理解できないし、一ミリだって理解したくもないけど」


 彼女はそこまで話すと、あからさまに大きなため息を吐いた。


「彼のブログに後日、騒動の報告として書かれた事だけど、彼が実際に出来た事はすごく少なかったんだよ。著作権関連に詳しい弁護士の人にも相談に行ったみたいだけど、出版されている本の中身ならまだしも、今回みたいにインターネット上に無料で公開されている作品に対しての盗用は、彼個人に経済的損失が生じていない、相手側も利益を得ている訳では無いって推測されて、厳罰を求めるには費用も時間も彼側の負担が大きすぎるみたいでさ。結局、彼も盗作者を訴える事は断念して、盗作改変された小説が載っているサイトの管理者に連絡して公開停止後、本物の『無きページに恋焦がれ』のURLに誘導してもらうくらいしか出来なかった。盗作が発覚してから一週間足らずで問題の小説はサイト上から全て削除されたけど、盗作者からは最後まで一言の謝罪も申し開きも無かったって……。私、高校生のその時まで世の中に悲観的な感情って、全然持ってなかったんだけどさ。相手は完全な悪なのに、法律とか社会秩序は無力で、個人を守ってくれないし。結局彼が全て一人で対応せざるを得なかったって聞いて、すごいやるせない気持ちになったよ」


 瑠梨はそう言うけど、素人の作品を盗作するのなんて、世間的にはニュースにもならない本当些細な事だ。妹の話はもう随分昔の出来事だけど、時間が経過して改善したとは私も思わない。ありふれるくらい今も行われていて、むしろ悪化し続けているのかも。最近はネット小説に限らず、プロが世に出した小説や漫画、映画、テレビ番組やゲームだって、インターネット上には違法アップロードされたもので溢れてしまっている。そんな事をする相手がどんな人なのか、男性か女性か、子供か大人なのか、私にも分からないけど。おそらくは社会に溶け込んで普通に生活している人で。バレたからと言って大したダメージにもならないし、明確な罪悪感すら抱いていない。そんな人間が一人二人どころじゃなく大量にいる。そう考えると、なんとも救えない。


「全部が終わった後も、彼は盗作側の小説を読んでくれていた人に対して、もっとフォローの仕方があったんじゃないかってブログで悔やんでたよ。だから、たぶん誘導できた数少ない盗作側の小説の読者さんが読み終わるのを待っていたんだろうね。半年くらい経ってから、彼は代表作の『無きページに恋焦がれ』シリーズを全て非公開にしたの。理由はやっぱり盗作されたからで。ブログのコメント欄も閉鎖されて、私は彼に言葉を送る事も出来なくなった。それからは、次第にブログの更新頻度も落ちて、SNSのプロフィールに追加された『ごめんなさい。しばらく何も書けないと思います』って一文を最後に、彼はネット上から完全にその姿を消したの」


 妹はマグカップに口を付けながら、ブクブクと小さな泡を立てる。瑠梨が作った茶色のあぶくは簡単に壊れて、やがて静かな液面に戻っていく。私が「行儀悪いよ」って言っても、拗ねた視線を返すだけだ。


「私はさぁ、悔しかったよ! 彼みたいな才能ある人が、盗作なんてするゴミみたいなヤツに心を折られるのが。盗作した側の承認欲求を満たしたいってそれだけの理由で、作品にかけた時間や労力、想いや愛着を全部踏みにじられるのが。……ここからは私のエゴだけど。このまま彼の存在や彼の作品が何も無かったかのように、世の中から消えて誰からも忘れられてしまうのがどうしても嫌だった。だから、私は自分で創作を始めたの。彼が色々な作品から影響を受けて、物語を書き始めたみたいに。……正直言って、彼と私の書く小説は全然違うよ。私には才能無かったから、書き始めてから人に見せれるレベルになるまで何年もかかったし。好きな内容と書ける内容は完全に一緒じゃないし、どうしても強く影響を受けすぎてしまうから書くジャンルだって変えた。それでも、私の文章の中に彼は息づいてるって思うよ。


 それに、いつか私も『無きページに恋焦がれ』みたいな面白い小説を書いて、プロとしてデビューしてあの人に影響を受けましたって公言すれば。いつか彼が気付いて、もう一度筆を取ってくれるかもって思ってた……。でも、もう彼が消えてから十年だよ! 十年……。私の書いた小説なんか投稿サイトにあげても、完結後数か月もすれば埋もれて誰からも読まれなくなるし、デビューなんて夢のまた夢で。十年の間に色んな場所で大きな災害もあったし、疫病だって流行った。もう、彼が生きてるのかすら分かんないよ。心が折れそうになる度に目を通してたブログも全部無くなっちゃった。……無くなっちゃったんだよ、お姉ちゃん」


 段々また涙声になりながら話す瑠梨からマグカップを取り上げて、落ち着くまで胸を貸しながら、私は初めて妹が話してくれた内容について改めて考えていた。彼女が小説を書き始めた理由も、社会人をしながら創作を続けてる理由も、私は全然知らなかった。瑠梨が疲れて寝落ちしてしまうと、起こさないよう静かに彼女をベッドに寝かしつけた。部屋に置いてある姿見を見ると、タートルネックの胸元がもうべちょべちょになっていて苦笑いしてしまう。マグカップを綺麗に洗ってから、お節介だとは知りつつもゴミ袋の中のくちゃくちゃになったメモ書きや資料、プロットが書かれたルーズリーフの皺を伸ばして、作業用デスクの上に戻しておいた。部屋を去る前に何か書き残そうかとも思ったけど、瑠梨に今必要なのはおそらく私からの言葉じゃない。それに守れるか分からない約束をするべきでもないだろう。静かに玄関の扉を閉めて瑠梨のアパートを出ると、深い藍色だった空は夜の向こう側から淡いオレンジ色が混じり始めていた。


 自宅のマンションの一室に帰って、私はずっと押し入れにしまっていた思い出の品を取り出していく。SNSのアイコン用に買ったメンズの帽子に、片方のレンズが外れた眼鏡、それから、十年間の月日を被って真っ白になったノートパソコン。ゴミ箱の上で埃を払い、電源ボタンを押すとゆっくりとデスクトップ画面が立ちあがる。目に入る全てが酷く懐かしく思えて、涙腺が緩んだ。私はホームページの『お気に入り』に保存していたURLから小説投稿サイトに飛んで、妹のペンネームで検索をかけてみる。あんな事があったから、『無きページに恋焦がれ』を削除してから、小説投稿サイトに足を運ぶことは一度も無かった。小説を読む事も、書くことも、もう遠ざかって随分になる。……そこには、『僕』が書くのを辞めてから、妹が歩んできた軌跡が並んでる。瑠梨の小説を読むのは、彼女が高校生の時に見せてくれた以来だ。


 深く深呼吸して、私は一番古い作品から読み始める。かつて瑠梨がしたように、私も彼女と同じ線をなぞっていく。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ