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◇1

「小説を書くのをね、もうやめようと思って」


 目を赤く腫らす瑠梨(るり)の口から零れ出た言葉は、私を少なからず動揺させる。深夜に電話口ですすり泣く妹のアパートに車で駆け付けたはいいものの、瑠梨の話は未だ要領を得ない。水を並々注いだ電気ケトルのスイッチを押し、ローテーブルの上に置いた二つのマグカップにインスタントココアの粉を入れながら、私は言葉を返した。


「それはちょっと休むって意味? それとも、完全に筆を折っちゃうの?」


「後者かな。……もう書いても意味ないだろうし」


 周りを見渡しながら、何と声をかけるべきか迷ってしまう。作業用デスクの横に無造作に置かれた真新しいゴミ袋には、彼女が小説を書くためにまとめたメモ書きやプリントアウトされた資料、ルーズリーフに手書きのプロットなんかが無造作に詰め込まれていた。そういうのを見ると心が痛む。趣味の創作活動なんて、誰かに言われて続けるものじゃない。それは分かってる。でも、七年前当時高三で受験生だったはずの瑠梨に「実は小説を書いてて……」と読ませてもらったあの時から、普段口には出さないけど私は心の中でずっと応援してきた。妹が就職して夜遅くまで残業するようになっても、時間を割いて創作活動を続けていたのも知っている。だから。


「あんた確か小説投稿サイト使ってたよね。そこで、何か嫌な事でもあったの? その、コメントで変な感想貰ったり、誹謗中傷されたり、とか」


 目の前の乳白色のローテーブルに視線を下ろしながら、妹は静かに首を横に振る。


「そういうのじゃないよ。……お姉ちゃんには、今まで話した事無いっけ。私が創作を始めた理由」


 瑠梨は寝間着のポケットからスマートフォンを取り出して、その画面を私に見せる。そこには、とあるブログサービス終了のお知らせが表示されていた。懐かしい。確かに私が学生の頃は日記とかエッセイとか、色々な文章や写真を個人のブログに載せるが流行っていた。当時からSNSもあったけど、その頃は併用している人が多かった印象だ。ただ、今はすっかり廃れてしまった感じがする。私も周りの友達に影響されてやっていたけれど。最近は、閲覧はおろかログインすらしていない。


「そういえば、聞いた事無かったね。これが、瑠梨が筆を折る事と関係あるの?」


「お気に入りのブログがね。サービス終了で、もう全部見れなくなっちゃった。プロでも何でもない素人の人が書いた小説がここに載っていたんだけど。私は無名の彼の作品を読んで憧れて、彼を追いかけてここまで来たんだよ」


 彼女はそこまで言って、私を見つめたまましばらく黙っていた。ケトルの沸いた音が鳴る。熱いココアを淹れたマグカップの片方を瑠梨に渡して、形の崩れたソファーに座る彼女の隣に腰を下ろした。花柄のカーテンの隙間から垣間見える外は、まだまだ深い藍色だ。


「聞かせてよ」

 長い夜になりそうな気配がする。



 瑠梨が本格的に小説を読み始めたのは、中学生の頃だ。当時彼女のクラスメイトが書き始めた小説の感想を求めていて、友達の中で比較的国語の成績が良かった瑠梨に白羽の矢が刺さった。瑠梨が自分自身で小説を書き始めるのはその数年後になるわけだけど、創作に興味がある子なんかは小学生とか中学生くらいから始めている気がする。読ませてもらった小説は、技術的にはプロの小説には敵わないし拙い部分もあるけど、自分と同い年の女の子が書いていると思うと凄いなぁって思ってしまうし、妹も応援したくなったそうだ。その子の作品は小説投稿サイトに不定期に投稿されていて、瑠梨は最新話を読む度に学校で感想を伝えて、次の更新を楽しみにしていた。だけど、学業や部活動が忙しくなるにつれ、段々と投稿されなくなり、ついには更新が途絶えた。クラスメイトに続きを聞いても「えっと、飽きちゃった」と気まずそうに返されるだけで、瑠梨は何ともいえない気持ちにさせられる。まぁ、それ自体はよくある事なのかもしれない。


「じゃあ、そのクラスメイトの子が、あんたの憧れの人って事?」


 マグカップで指先の暖を取りながら、私は口を挟む。ココアを一口飲んだ瑠梨は少し落ち着いたのか、いつの間にか泣き止んでいた。


「まだ出会ってすらないよ。お姉ちゃん、せっかちすぎ。……それでさ。友達が小説の投稿を辞めてから、暇だし小説投稿サイトに載っている他の人の作品をぽつぽつ読み始めたの。私の場合は総合ランキングを見て、興味の沸いた作品を読む事が多かったかな。その頃は異世界ファンタジーとか転生物とかがランキングを席巻していて、長めのタイトルがずらっと並んでいたの。主人公が高校生の男の子で現代日本とは違うRPGみたいな剣や魔法の世界に行って、可愛い女の子達を仲間にして旅をするみたいな。今みたいな悪役令嬢とかのジャンルは生まれてないし、中学生くらいの女の子が主人公の物語は殆ど無かったかな。実は、私が見てたのは男性向けのサイトだったみたいで、ボーイズラブとかが主流の女性向け小説投稿サイトも色々あったらしいんだけど、当時はその辺りの棲み分けも全然気付かなくて。それで、ランキングをぼぉーと眺めながら、あんまりしっくりくる小説無いなぁ……って思ってたんだけど。一つだけ気になる作品を見つけたの。


 それは数多くある長文タイトルの中では、古風というか随分質素な付け方で。タイトルは『無きページに恋焦がれ』。それだけだと、主人公はおろかジャンルすら全く分からないんだけど、それが逆に興味を引いてさ。あらすじを読んでみると内容も流行りとは無縁で、『グリム童話の幾つかの話は辻褄の合わない展開から、編纂(へんさん)の過程で複数の昔話が継ぎ接ぎされて出来たと言われていて、文学者の女性主人公が現地ドイツを旅しながら、その隠された本当の結末を解き明かしていく』みたいなストーリーだったの! ファンタジーな世界のお姫様たちの視点と、現代の文学者のお姉さんによる謎解きパートが交互に進行しながら交わっていく変わった形式でさ……。


 本当、頭を大きなハンマーでスパーンって思いっきり叩かれた様な衝撃だったな。私がそれまで読んだネット小説はある種のテンプレをなぞっていて、ライトな世界観に馴染みのある展開でストレスもなくスラスラ読めるんだけど。その人の小説は重いテーマも扱っていて全然先の展開が分からないのに、文字を追うのが苦痛じゃなくて、どんどん読み進めたくなる感じでさ。一気にファンになっちゃった。どんな人なんだろうって、作者プロフィールを見ると、意外にも若い男性っぽくて。SNSもブログもやってるみたいで、過去の作品から、日記、呟きまで全部読んでいったんだ。えっとね、これが彼のSNSのアカウント。こっちは呟きだけで、小説は載ってないんだけど。……ほら、男の人っぽいでしょ?」


 瑠梨はまたスマートフォンの画面を私に見せてくる。確かにアイコンはメンズの帽子だし、呟きの一人称も『僕』だけど。身バレ防止で男のフリをする人も居るだろう。これだけで男性と決めつけるのはどうなんだろうか。そういえば瑠梨のSNSのアカウントも似たような帽子のアイコンだった気がする。思い返せば、構図までそっくりだ。恋する乙女の顔で饒舌に語る妹を尻目に、私は異様にむず痒くなってしまう。


「ネットストーカーに片足突っ込んでるじゃん。怖っ……」


「いやいや、作者さん自身がSNSのアカウントをプロフィールに載せてるんだし合法だって。ファンとしては公開されてる情報全部を知りたいわけよ。お姉ちゃんも昔オタクだったんだし、分かるでしょ?」


 何個か思い当たる節があるにはあるけど、正直認めたくはない。


「あんた、その人のブログとか小説のコメントに痛い書き込みとかしてないでしょうね」


 瑠梨は反射的に否定しかけて、何かに気付いたのか言葉を飲み込んだ。


「そんな事するわけ……。あっ、その、作者さんがブログで好きなロックバンド挙げててさ。私も影響されて聴くようになったんだけど。新しい短編が公開された時に、コメントで『例のロックバンドのアルバムの、あの曲の歌詞に影響受けてません? (笑)』って、書いたことあるなぁ……。作者さんは確か『いつも感想ありがとうございます! そうですね。無意識の内に影響を受けたのかもしれません』って、すっごい大人の対応してくれたけど……。まぁ、それは若気の至りって事で」


「うわっ、うわぁ。あいたたたたた」


 粟立った二の腕をマグカップの持っていない左手でごしごし擦りながら、私は墓穴を掘らないように耐えるしかない。


「あんたねぇ。その人が若い男の人だと思って、恋愛感情みたいなの持ってたでしょ。良い機会だから言うけど、今後はそういうの止めときなよ。ネット上の人格なんて何のあてにもならないんだから。文章だけのやり取りなんて、年齢も性別も性格も偽り放題なんだし。相手がめちゃくちゃキモイ下心アリアリのおっさんとか、浮気したがってる既婚者とかで『会いたい』って言ってきたらどうすんのよ。何か嫌な事あったら、傷付くのは瑠梨なんだよ」


 でも、妹は納得出来てなさそうな顔で唇を尖らせる。


「別にそういうんじゃないんだけどなぁ。その人の触れてきた物や観てきた景色、歩んできた道の何が、その作品を書くに至らせたかを理解したいというか。私も同じ線をなぞってみたいんだよね。それに、別に痛い書き込みしてただけじゃなくて。ブログでその人が影響されたって公言してるプロの小説家や漫画家、映画監督が何人かいてさ。私もそれに触れてみたんだけど、確かに同じ血が流れてるというか似た雰囲気を感じるし、世の中には私が知らないだけで面白い物がまだまだ沢山あるんだって、その時気付かされたの。そこからだよ。私が積極的に本読んだり映画観始めたの。それから色んな作品に出会ったけど、今でも創作において私を形作る樹形図の根本には彼がいてさ。……いや、考え方とか趣味嗜好にも影響受けてるから、もはや創作ってくくりじゃ収まらないか。まぁ、とにかく本当、感謝してもしきれない存在というか」


 そこまで言うと、瑠梨は半分くらい残っていたココアをくぃと飲み干した。そして、意味ありげに私を見つめてくる。


「お姉ちゃん。おかわり」


「はいはい」


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