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スリムシェイプウォーター"本当に痩せたいあなたへ"

作者: 魅凛未


夏の終わり、午後の蒸し暑さが

部屋のカーテンを静かに揺らしていた。

真理子は冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、

一口飲んだ。

それは、訪問販売で手に入れた

“ダイエット用の特別な水”だった。


━━━━━━━━━━━━━━━


数週間前のこと。


ピンポーン。


玄関のチャイムが鳴り、

真理子はインターホン越しに「どなたですか?」と

声をかけた。

返ってきたのは、落ち着いた、女性の声だった。


「ダイエットに特化した新しいお水のご案内です。

少しだけお時間、いただけませんか?」


…ガチャリ


迷いながらも、真理子はドアを開けた。

ここ最近、ダイエットに神経質になっていた。

それもそのはず――

昨年から体重が10kgも増えてしまっていたのだ。

理由は、失恋と在宅ワーク。

外に出る気力も減り、

つい甘いものに手が伸びてしまう日々が続いていた。


玄関先に立っていた女性はスーツ姿だったが、

どこか古びた印象を与えた。

手渡された名刺には聞き慣れない会社名。

添えられたチラシも、紙質が薄く、

文字の一部が滲んで読みにくい箇所があった。

特に使用方法や成分表のあたりがかすれていて、

目を凝らしてもはっきりとは読めない。


「この水には、特殊なミネラルと酵素が

含まれていて、体の代謝を活発にします。

多くの方が、飲み始めてから体重の減少を

実感されているんです」


女性の説明に、真理子は半信半疑だった。

けれど、試飲させてもらったその水は、

ほんのり甘く、喉ごしが滑らかで不思議と

身体に染み渡るような感覚があった。


「2本、無料で差し上げます。お試しください。

継続することで、より効果が期待できますよ」


女性の笑顔はどこかぎこちなく、

口元だけが妙に動いているようだった。

だが、無料ということもあり、

真理子はその言葉に甘えることにした。


最初の一本を飲み干した日、

特に体に変化はなかった。

「まあ、そんなもんだよね」そう思いながら、

その夜は早めに床についた。


――翌朝。


妙にすっきりとした目覚めだった。

ふと体重計に乗ってみると、1.3kg減っていた。


「えっ……嘘……」


驚きながらも、昨日の水を思い出す。

まさか、本当に効果があるのかも――

そんな期待が胸に広がった。


残りの一本を飲み、次の日も同じように

体重計に乗ってみた。

また、減っていた。今度は0.8kg。


信じたい気持ちと、戸惑いと。

それでも真理子は、信じ始めていた。

彼女は「変わりたい」と、ずっと思っていたのだ。


その日のうちに、

真理子はチラシに記載された番号に電話をかけ、

定期購入の契約を結んだ。


━━━━━━━━━━━━━━━


定期購入に申し込んでから数日後、

14本入りの箱が届いた。

透明なボトルの中には、

あの“ほんのり甘い水”がきらきらと光って見えた。


「これが、私を変えてくれるんだ……」


チラシには「1日1本を目安に」と記載されていた。

“継続が大切”という言葉も添えられていたので、

真理子は毎朝、起きてすぐに1本を飲むのを

日課にした。


飲み始めて2週間が経った頃、

体重は見事に10.3kg減っていた。

去年の失恋前の体重に戻り、それどころか、

もっと細くなっていた。


肌の調子も良くなって、

鏡を見るたびに「いいかも」とつぶやいた。

久しぶりにメイクをして外に出た時、

友人に「痩せたね!すごいじゃん」と

声をかけられた。

その言葉が、胸の奥に、じわりとしみた。


でも――

「もう少しだけ痩せたら、もっと綺麗になるかも」

そんな気持ちが、頭から離れなくなっていた。


━━━━━━━━━━━━━━━


…けれど、次の週。

同じように飲んでいるのに、

体重はほとんど変わらなかった。

前ほどスッキリした目覚めもなくなった気がする。


「……慣れてきたのかな?」


そう思ったとき、ふとよぎったのは――

“1日1本”という目安の言葉だった。


「これ、2本飲んだら、もっと効くのかも」


気づけば、次の日から朝と夜に1本ずつ飲むように

なっていた。


すると、また体重が落ち始めた。

その瞬間、真理子の中で何かが切り替わった。


「やっぱり、この水のおかげだったんだ……!」


それから数日、真理子は1日2本、

時には3本飲むようになっていった。

冷蔵庫の中はその水でいっぱいになり、

ほかの飲み物はどんどん減っていった。


ある朝――

ふと、朝食に用意したパンが、喉を通らなかった。


「……なんか、重たい……」


昼にはサラダを口にしたが、

噛むたびに気持ち悪くなり、すぐに箸を置いた。


夜になっても何も食べられず、

けれど喉は渇いて仕方がなかった。

水道の水を飲もうとしたが――

口に含んだ瞬間、えづいた。


「……まずい。なにこれ……」


慌てて冷蔵庫を開け、

スリムシェイプウォーターを1本手に取って

一気に飲み干す。

その瞬間、体中に染み渡るような快感が広がった。


――これしか、飲めない。


その日から、ご飯は食べられなくなった。

他の飲み物も、全て吐き気がして無理だった。

唯一、喉を潤してくれるのは

「スリムシェイプウォーター」だけだった。


━━━━━━━━━━━━━━━


飲む量が増えるにつれて、真理子の身体に、

ある“異変”が起き始めた。


最初は、頭がぼんやりする感覚だった。

「寝不足かな」と思っていたけど、

眠っても回復しない。

いつの間にか、めまいがひどくなっていた。


階段を降りるとき、

バランスを崩して尻もちをついた。

「あれ? なんか、力が入らない……?」


両手がぷるぷると震えていた。

指先の感覚が鈍く、携帯を持っても、

すぐに落としてしまう。


体は日に日に軽くなり、顔はげっそりとこけてきた。

けれど、その一方で、

喉の渇きは異常なほど増していた。


「もっと飲まなきゃ……足りない……!」


水を飲んでも飲んでも、乾きは消えなかった。


その頃から、真理子は鏡を見るのが

好きになっていた。

そこに映るのは、透き通るような肌と

シャープな輪郭。

まつ毛は長く、頬はほんのり紅潮していて、

まるでモデルのようだった。


「すごい……本当に、綺麗になってきた……」


頬を指先でなぞると、骨ばった感触がしたけれど、

それすらも「華奢で女性らしい」と感じた。


外に出ると、すれ違う人々が

振り返っている気がした。

目が合うたびに、「綺麗……」と誰かがつぶやく。

コンビニのガラスに映った自分も、

まるで雑誌の中から飛び出してきたみたいに

整っていた。


友人に会ったとき、驚いた顔で言われた。


「真理子、どうしたの? 

すごい…痩せたね…

まるで別人みたい…」


その言葉に、真理子は笑ってうなずいた。

(やっぱり、この水は、すごいんだよ……)


けれどその友人は、実際には言葉を詰まらせていた。

「……大丈夫? 何かあったら言ってね」

震える声で、そう言った。


真理子の瞳は焦点が定まらず、

唇はかさついて青みがかっていた。

けれど真理子の耳には、

そんな声は届いていなかった。


(もっと綺麗になれる……まだ、飲まなきゃ……)


……気づけば、冷蔵庫のストックは、

常に残りを気にするようになっていた。

夜中でも、ふと喉が渇けば1本開ける。

そうしないと眠れない。


それはもはや“習慣”ではなく、“依存”だった。


━━━━━━━━━━━━━━━


今日は、定期購入した水が届く日だった。

それがないと、生きていけない。

朝から何度も玄関を確認し、

チャイムの音に耳を澄ませた。


でも――


いつまで経っても、届かない。


「おかしい……なんで……」


不安に駆られて、

真理子はチラシに書かれていた番号に電話をかけた。

何度かけても、

無機質なアナウンスが流れるばかりで、繋がらない。


冷蔵庫の中を見ても、残っているのは、

たったの3本。


「……ウソ、そんな……」


その瞬間、真理子の中で何かがはじけた。


「なんで来ないの!!? 早く届けてよ!!!」


壁を叩き、床を蹴り、泣き叫んだ。

細くなりすぎた体は耐えきれず、

あちこちに痣や擦り傷をつくった。

痛みよりも、乾きの方がつらかった。


喉が焼けるように渇いていた。

とにかく、飲まなきゃ。

水を――あの水を。


1本目を、飲み干した。

けれど、乾きは癒えなかった。


2本目。3本目。

最後の1本も、喉を通った。

でも……まだ、渇いていた。


冷蔵庫は空っぽだった。

水道の蛇口をひねり、コップに水を注いだ。


――まずい。

吐きそうになる。

これは、水じゃない。


「ちがう……ちがう……!」


あの水じゃなきゃ、ダメなのに。

あの甘くて、

すべてを潤してくれた水じゃなきゃ――


「みず……みず……みずみずみずみず

みずみずみずみず……」


部屋の中で、真理子はただ乾いていた。

骨と皮だけになった体で、床を這い、

冷蔵庫を開けては閉め、また開けた。

何もないのに…。


━━━━━━━━━━━━━━━


…数日後。


異臭に気づいた隣人の通報で、真理子の遺体が

発見された。

骨と皮のように痩せこけた姿で、倒れていた。


部屋の中には、からになったペットボトルが

無数に転がっていた。


死因は、水中毒――

「低ナトリウム血症」と診断された。


警察が、商品の販売元を調べたが、

どこにも情報はなかった。


会社名も、連絡先も、実体が

一切見つからなかった。


━━━━━━━━━━━━━━━


ピンポーン。


「ダイエットに特化した新しいお水、

スリムシェイプウォーター。

本当に痩せたいあなたへの商品です。

少しだけお時間、いただけませんか?」


インターフォン越しに聞こえた女性の声は、

どこまでも丁寧で、柔らかく――

そしてどこか、うれしそうだった。


…ガチャリ


玄関が開いた瞬間、

その女性は、ニヤリと笑った。

その笑みは、

乾いた唇が裂けるように開いていた…。


※本作に登場する商品名・団体名・人物名は

すべてフィクションであり、実在のものとは

一切関係ありません。




最近、暑い日が続いていますね。

皆さん、水分補給はちゃんとできていますか?


水って、飲まないと体に悪いけれど、

飲みすぎても良くないんだそうです。


何事も、“適量”って大事なんですね。

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