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夜明け

 倒れたムバータの巨体からは、もう一切の気配が感じられない。あの異形と化した巨躯が、まるで嘘のように静かに横たわっている。腹部に空いた大穴からはまだ熱気の余韻がぼうっと揺らめいていた。


「……やったわね」


 リーナさんがエリスさんにそっと歩み寄る。


「あれが癒掌術の効果なんですね」


 ユノンちゃんも感服していた。

 芝生の焦げ跡を踏み越えながら、僕もエリスさんのもとへ向かった。


「エリスさん、すごかったよ……!」


 口にした言葉は、それしか出てこなかった。

 リーナさんのときもそうだったが、いかなる強大な怪物でも一撃で屠る強化版身肌集中の技の威力には絶句せざるを得ない。


 エリスさんは僕の言葉に優しく笑って、肩の力を抜いた。


「お兄さんのおかげだよ。やっぱりお兄さんがいてくれてよかった」


 僕は微笑み返した。


「どっちかが欠けてもだめなんだよ、きっと」


「ふふっ……だね」


 あの驚異的な技は、僕の癒掌術と踊り子の身肌集中が組み合わさることで実現できている。けれど今回はそれだけじゃない。僕はリーナさんとユノンちゃんにも目を向けた。


「リーナさんとユノンちゃんもありがとう。二人が来てくれなかったらもうだめだった」


「事情はよくわからないけど、とりあえずムバータはあたしたちに隠れて良からぬことを企んでたってわけね」


「うん。ガノヴァスっていう邪神を降臨させるために、君たち踊り子を戦わせてたんだ。ガノヴァスは今は実体のない意識体だけど、アムルアっていう人間の感情的なエネルギーを吸収することで実体化を遂げるらしい」


 僕はなるべく簡潔に二人に状況を話す。


「踊り子は戦う時にアムルアを人一倍多く発生させるみたいで、更にそこに僕の癒掌術が加わると更にアムルアの量が増加するんだ。しかもガノヴァスと手を組んだムバータにもアムルアの一部が与えられるらしくて、その結果ムバータもモンスター化したってわけ」


「なるほど、まさにあたしたちはムバータの目的のために集められた駒ってわけね」


 不愉快そうにリーナさんが眉間を寄せた。

 リーナさんの横でユノンちゃんも顔を曇らせる。


「しかも、人々のためにモンスターと戦えば戦うほどガノヴァスの降臨に貢献してしまうとは、この先一体どうすれば……」


 エリスさんが一歩前に出た。そして明瞭な声でリーナさんとユノンちゃんに呼びかける。


「倒そうよ。みんなで一緒に。普通の人たちからもアムルアは生じているから、放っておいてもガノヴァスはいつか必ず現れる。だからエリスたちがもっと強くなって、ガノヴァスを引きずり出して、やっつけよう。エリスたちと、お兄さんなら、きっとできる」


 ユノンちゃんは面食らったように目を丸くし――そして笑顔で頷いた。


「エリスお姉様がそう言うなら、私はどこまでも」


 リーナさんは当然といった様子で鼻を鳴らし、「ぶっ飛ばしてやりましょ」と自信満々で言った。


「ところでエリス、あのことはお兄さんに……?」


 リーナさんがエリスさんに目配せする。何となく察して僕が代わりに答えた。


「うん、エリスさんから聞いたよ。みんなが僕と同じ世界から飛ばされてきた人間だって。驚いたけど、もう気にしてないよ。僕もこの世界で生まれ変わったんだ。だからみんなと一緒に、この世界の住人として生きていくよ。過去のことはなしにしよう」


 リーナさんは意外そうな顔を見せたが、すぐに口の端を上げて、


「そう」


とだけ答えた。


 過去に目を向けている場合ではない。大事なのはこれからだ。


 ムバータはあくまでガノヴァスの手先に過ぎない。踊り子たちのアムルアを利用して、ガノヴァスを実体化させるための手駒。


 本当の戦いはこれからだ。


 だけど、今は――


 目の前のこの勝利を、ただ純粋に讃えてもいいはずだ。


 そう思った矢先――


「……朝だね」


 ぽつりと、エリスさんが呟いた。


 空の彼方が、明るみを帯び始めていた。漆黒の夜が、まるで希望に塗り替えられるように溶けていく。夜の終わり。新しい一日の始まり。


 僕たちは誰もが無言で、夜明けの空を見上げた。


 リーナさんは腰に手を当てながら、「ふーっ」と肩を揺らして大きく息を吐いた。いつもの調子を取り戻しつつあるその姿に、安堵が広がる。


 ユノンちゃんは相変わらず表情を崩さず、でもしっかりとした佇まいで朝日に褐色の頰を向けていた。


 そしてエリスさんは、僕の隣で顔を上げ――


「お兄さん……これからもよろしく、ね?」


 ほんの少し前まで、あんなにも激しい戦いを繰り広げていたとは思えないくらい、今のエリスさんは穏やかで、清らかで、そしてなにより、美しかった。


 彼女が口にしたその言葉が、まるで何かを締めくくるような、静かな余韻を残して、胸に沁みていった。


「もちろん……!」


 僕は力強く頷く。共通の目的を持てていることに嬉しさを感じ、僕も空へ目を向けた。


 ゆっくりと空の色が変わっていく。


 ――今はまだ、ほんの束の間の平穏かもしれない。

 でも、どんなことがあっても、彼女たち――勇敢な踊り子たちとなら乗り越えられそうな気がした。


 一度手放した安い命を、ここでなら意味のあるものとして燃やせるかもしれない。

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