想い
離れたところでリーナさんとユノンちゃんがムバータと激戦を繰り広げている。
二人の勇ましい叫びとムバータの荒々しい咆哮は、しかし耳に小さく聞こえるほど僕の意識は腕の中のエリスさんに集中していた。
「う、嘘……でしょ……? エリスさんは……いいや、エリスさんだけじゃなく、リーナさんもユノンちゃんも……僕と同じ世界の人間だったの……?」
エリスさんは明確に頷く。
「うん、そう……三年前くらいにみんな一緒に、別々の場所からこっちに飛ばされてきたの。飛ばされてきた先もみんな一緒で、ここディラメル館。そのときに体が踊り子としての体質に変化して……身肌集中とか、不老不死や傷つかない体を得たのはそのときなんだよ」
僕は言葉を返せない。
代わりに脳裏で思い返していた。
僕がエリスさんと初めて出会って、異世界転生でこの世界に来たことを告げた時、エリスさんはこう言っていた。
『ううん、そういうこともあるんじゃない? 世界ってほら、色々起こるから』
それに――リーナさんと初めて会ったときの彼女の反応も、今なら辻褄が合う。
『別の世界から……?』『そんなことはどうでもいいわ。あたしが言いたいのは……』
僕の異世界転生に対してほとんど詮索してこなかったのは、つまりそういうことだったのだ。
自分たちも同じ経験をしてきたから。
極めつけは、二人の家族について尋ねたときの受け答え。
リーナさんは『家族なんて、いるようでいないようなものだから』と言い、エリスさんは『遠くにいるからさ』と言っていた。
そう、嘘はついていない。踊り子たちの家族は現実世界にいるのだ。エリスさんたちだけが、こっちの世界に飛ばされてきたのだ。
一体なぜこの世界に?
どうやってこの世界に?
僕のように死を経て飛ばされたわけではなさそうだけど……。
疑問は次々と溢れ出て止まらない。
「今思えば、エリスたちが都合よくディラメル館に飛ばされてきたのは、全てムバータの――ガノヴァスの仕業だったってことだね……アムルアを多く生み出せる踊り子に変化させて、なおかつアムルアの供給を途絶えさせないために、エリスたちを死なない体にしたんだ……確かに、エリスたちは奴らの都合の良い供給器として選ばれただけってことか……」
エリスさんは自らに言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
エリスさんたちは――ガノヴァスに勝手に選ばれたのだ。踊り子としての適性があったのだろう。以前リーナさんが言っていた『素質』のようなものだ。
だとしたら僕の異世界転生も全てガノヴァスに仕組まれたものかもしれない。都合よく癒掌術を得たのも、アムルアを増幅させるため。
全てはガノヴァスの計画通り。凶星の導きというやつだ。
僕はまだいい。けれどエリスさんたちはこの世界で頑張ってきた時間があまりに長い。
残酷な境遇だ。受け入れるのは辛すぎるだろうし――それ故に僕は思う。
「なんで……どうして僕に黙ってたの?」
知っていれば、こんな状況でももう少し落ち着いて寄り添えたかもしれない。
エリスさんは少し目を伏せてから、再び僕を見つめ返した。
「――エリスはもう、こっちの世界の人間だから……こっちの世界で踊り子として生きていくって決めたから……。元の世界のことを口に出すと、踊り子として培ってきた意志や精神が、一気に崩れてしまいそうで……だから、その話題を避けてたの」
気持ちは――理解できた。
僕にとっては数日前だが、エリスさんたちにとって異世界転生はもう三年も前のことだ。今ではすっかりこっちの世界に馴染んでおり、人生観も変わっているはずだ。
今更当時のことを自ら話す必要は、確かにないのかもしれない。
エリスさんたちは過去を捨て、今はこの世界で前を向いて生きているのだ。
「それに……お兄さんに知られたら、どう思われるかって、心配だったの……。お兄さんはこっちに来たばかりだったから、言うと余計混乱させちゃいそうで……。それに、エリスたちを見る目も変わっちゃいそうで……そうこうしているうちに、言うタイミングもなくなっちゃって……」
エリスさんの声がかすれ、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
エリスさんなりの葛藤――。
エリスさんは今の自分を認識してほしかったのだろう。異世界転生して踊り子になったエリスではなく、この世界の踊り子として活躍しているエリスという人物像を、揺るがされたくなかったのだろう。
「――分かったよ、エリスさん。納得した。話してくれてありがとう」
「お兄さん……」
唇を噛みしめながら、エリスさんは涙を流す。喜びの涙と捉えてもいい、綺麗な涙だった。
「――でも、踊り子として戦っても、ムバータやガノヴァスの力を増幅させるだけなんだよね……。戦えば戦うほど、この世界を危険に晒すことになるなんて……もうどうしたらいいか分かんないよ……」
エリスさんの言葉が胸に刺さる。
戦えば戦うほど、ガノヴァスの実体化に貢献してしまうという、ジレンマ。
でもこの世界にはモンスターと戦える者は踊り子しかいなくて、踊り子が戦わなければ人々にモンスターの手が及んでしまう。
そして何より――踊り子たちを癒掌術で助けると、一層ガノヴァスの実体化に一役買ってしまう。
どうすれば――。
(いや、どうもこうもない……!)
僕は彼女の手を取った。
エリスさんの肩がぴくりと震えた。
「お兄さん……?」
「ムバータが言っていたように――エリスさんたち踊り子からだけでなく、普通の人たちからも常にアムルアは出ているんだよ。だからエリスさんたちが何もしなくても、いつか必ずガノヴァスは現れる。だったら倒そう、ガノヴァスを。出てきた瞬間に叩いてしまえばいい」
「でも……エリスたちが戦えば戦うほど、ガノヴァスは強くなるんだよ……? 正直、勝てるかどうか……」
僕はエリスさんの手を強く握る。
「大丈夫。僕がエリスさんをどこまでも強くするから」
僕は微笑みながら、彼女の目をまっすぐに見つめた。
そう――それが僕のこの世界での役目。
僕だって人生観が変わることもある。
「……っ」
エリスさんは驚いたように目を見開き――それからゆっくりと笑みを浮かべた。いつもどおりの優しい笑顔だ。しかしどこか吹っ切れたような、迷いの消えた表情をしていた。
「……ありがと」
エリスさんは短くそうとだけ言い、ゆっくりと僕の腕から身を起こす。素肌に浮かぶ汗が、月の光を帯びてきらめいた。細く、しなやかな足に力を込め、しっかりと立ち上がる。
その様子に、僕はただ息を呑むしかなかった。
――綺麗だ。けれどそれ以上に、強い。
お尻の下ぎりぎりで揺れる腰布、汗に貼りついた胸布、むき出しの素足や太もも。それら全てが、今のエリスさんらしさ。異世界転生してこの世界で生き始めた、彼女の姿。
裸足で地面を踏みしめ、夜風にツインテールがふわりと揺れる。
エリスさんはもう、僕に背を向けていた。堂々と、まっすぐと。
視線の先には、暴れまわるムバータがリーナさんとユノンちゃんに翻弄されている。
エリスさんの白い背中からは、確かな闘志、そして熱気が伝わってきていた。小さな肩が震えもせず、ただ強い眼差しをムバータに突きつけている。
その幼くも凛々しい横顔に、激闘の場所から吹いてきた芝生が降りかかり――頬に触れる前に燃えて塵になった。
それを見ても僕は驚かない。
癒掌術は――もうかけた。




