支配人ムバータ
階段を上がり、三階に支配人がいるという執務室があった。
エリスさんは黒光りしている高級そうな扉をノックする。
「入れ」
奥から返ってきたのは高圧的な低い声だ。
「失礼します」
入室するエリスさんに続いて僕も中に入る。
そこは赤いカーペットが敷かれ、四方を本棚に囲まれた、豪華な書斎のような部屋だった。
中央奥に構えた大きなデスクには丸々と太った初老の男が鎮座していた。貴族が着るような派手な服を着ていたが、太った体格に押し負けるように首周りとか腹周りがぎゅうぎゅうになっている。大きな宝石のついた指輪を指にいくつもはめ、頭はスキンヘッド。口には太い葉巻をくわえ、目つきからは性格の悪さを感じ取れる。
これでもかと言うほど分かりやすい、強欲な富豪といった面持ちだ。
(ひと目見て悪そうな人なんですけど……! こんな人のところで暮らしているのか……エリスさんたちは……)
「ムバータ様」
エリスさんの声音はいくらか硬かったが、次に僕の意識を引いたのはムバータの隣に銅像のように佇んでいる筋骨隆々の大男だ。唇を固く結び、茶色い革製の鎧を上半身に纏っている。むき出しになっている両腕を胸の前で組んでこちらを睨みつけているその姿は、さながらムバータさんのボディーガードといった感じだ。
「エリスか。帰ったのか。……ん? その男は誰だ」
酒と煙草に焼けたような低いガラガラ声を鳴らしながら、ムバータの悪そうな目つきが僕に向けられた。
「この人はヒロクさん。森の中で、今回のクエストターゲットのオーガに襲われているところをエリスが助けたんです。その……ヒロクさんは別の世界から来たそうで、行く宛がないんです。だから……よければディラメルに住まわせてあげられないでしょうか?」
緊張した調子のエリスさん。
別の世界とかいうワードを出して大丈夫だろうか。リーナさんのときはさらっと流されたが、この人はもう見た目から容赦なさそうだ。
「なにィ……?」
ムバータがぎろりと睨んでくる。
「若造よ。本当なのか?」
僕は完全にビビりながらも、なんとか弁明を図る。
「は、はいっ! 自分でも信じられないんですが、本当に僕は別の世界からいきなり飛ばされてきたんです。それからこちらのエリスさんに色々と助けてもらいまして」
ムバータは片肘を突きながら僕を睨み続けている。
だめだ、異世界転生の話題をしても疑われるばかりだ。長所をアピールしていかないと。
「そ、それと僕、触った人を回復させたり強くさせたりできる力を持っているんです! 癒掌術っていうんですけど、オーガと戦っているときのエリスさんを、その能力で強化したんですよ!」
完全に僕は舞い上がっていたが、ムバータの表情が僅かに動いた。いい反応だと捉え、僕は続ける。
「だから、もし僕をここに置いて頂けるなら、踊り子さんたちをこの癒掌術でサポートして、クエストをこなしやすくさせてあげれるかなと! あ、良ければ試してみます?」
言うと、ムバータは片肘を突きながら、もう片方の手を気だるそうに持ち上げた。
「……いいだろう。やってみせろ」
手の甲を上にしてムバータは顎をしゃくる。
「はいっ! ただいま!」
癒掌術は元気な人には効果がないが、支配人なら少しくらい疲労は溜まっているだろう。
僕はデスクに近寄り、ムバータの分厚い手を恐る恐る両手で握った。
「失礼しま~す……」
手もみする感じで、両手の親指でムバータの手の甲を撫でる。
もしムバータもエリスさんのようなああいう反応を示すとかなり画的にキツいが、今は仕方ない。
「……若造よ、ワシをバカにしているのか?」
――しかし、ムバータはなんの反応も見せず、怒りの眼差しを向けてきた。
「あ、あれ~……? おっかしいなぁ~……」
笑って誤魔化しながら必死に手もみをするが、癒掌術の効果は全く生じなかった。
おいおいどうした癒掌術――!
ここぞというときに消えてしまったのか――!?
背中にエリスさんの心配そうな視線を感じる。
これはもうだめだ、終わった……。
さよならディラメル館、さよならエリスさん……。
「キシシシ……! 恐らくその力は、踊り子にしか通用しないのでしょうな」
どこからともなく男の高い声が聞こえた。
僕が驚いて周囲を見回すと――部屋の隅に、紫色のローブを着てフードを目深に被った小柄な男が立っていた。最初からそこにいたのだろうが、今まで全く気が付かなかった。
「どういうことだ、シュベリよ」
シュベリと呼ばれたその男は音もなくデスクに近づいてきた。青白い肌と唇、そして全身を覆うローブ――まるで悪の魔術師みたいな男だ。
ずっと黙って立っている筋肉の大男と、強欲そうな富豪と、魔術師風の小男――
どう見てもヤバそうな三人を順に見やり、僕は再度心配になる。
(エリスさん……! 君たちは本当にこんな人たちのところにいて平気なのかい……!?)