ディラメル館
リュシーラ――異名を付けるなら、交易と歓楽の都。
石畳の道を無数の馬車と人の波が行き交い、商人の声と楽団の旋律、食べ物の匂いがひしめき合っている。日差しが街路に降り注ぎ、黄金の光に包まれたこの都市は、まさに人と物欲の坩堝だった。
長い街道を経てエリスさんと共にリュシーラへ到着した僕は、街の入り口で呆然と立ち尽くしていた。
「すごい人の多さ……これが、異世界の街か……」
まんまだな……と僕は思った。
目の前に広がる光景は、まさにゲームやファンタジー小説で描かれる世界そのものだった。木造と煉瓦造りの建物が立ち並び、どこを見ても中世ヨーロッパをベースにしたような風景だ。
美しく、それでいて誘惑や欲望の匂いも漂っている。
圧倒されていた僕は、次いで隣に並ぶ少女を見やった。
(それにしても……)
僕の困惑は加速する。
こんな街にいるからこそ、エリスさんの服装はなお一層現実離れしていた。
腰の低い位置に巻かれた細いチェーンに吊られ、前後にひらひらと揺れる布だけが下半身を覆っている。胸には細長い布を一回ねじっただけのような胸布のみが巻かれ、背筋やお腹や両足はむき出し。
いつ何度見ても過激すぎる踊り子の衣装だ。いや、ステージの上ならまだ違和感はない。しかしここは人が行き交う雑踏のただ中だ、素肌を全開にさらした肌色のシルエットが浮きに浮きまくっている。
早くも近くの人が何人かちらちらとエリスさんを見ている。やはりこの世界の住人でもエリスさんの格好には目を引かれてしまうのだろう。よかった、僕だけではなかった。
「やっと着いたね。さ、行こう。はぐれないでね」
エリスさんは人目を全く気にすることなく歩き出す。街の人たちは当然みんな靴を履いている中、エリスさんだけが裸足だ。コツコツという周りの足音に混じって、ぺたぺたというエリスさんの足の裏の音が妙に色っぽく聞こえる。
その点も全てひっくるめて、僕はエリスさんに小さく尋ねた。
「あ、あの、エリスさん……その格好……恥ずかしくないの……? 結構みんなじろじろ見てくるけど……」
周囲からの視線が集まる中、エリスさんはまるで気にする様子もなく前を向きながら答えた。
「んー、別に平気だよ? 慣れてるから」
エリスさんのしなやかなつま先が、石畳の感触を確かめるようにして道の上を進んでいく。どこか可憐で、どこか堂々ともしている彼女の足先に見惚れながら、僕もはぐれないようについて行く。
「でも、足を踏まれないように気をつけて歩かなきゃいけないけどねー」
半分冗談みたいな調子でころころと笑うエリスさん。歩くたびに大きなお尻が左右に振られ、それに引っ張られるようにして薄い腰布も軽快に揺れる。前からやってくる人はエリスさんの胸元や腰の下に釘付けになり、後ろへ通り過ぎていく人は振り返ってエリスさんのお尻や背中を見送っていく。
歩いているだけで注目を浴びている。エリスさんは慣れていると言っていたけど、街の人たちの方は全然慣れていないようだった。
エリスさんは長くこの街で暮らしているのだろうが、やはりこの格好への慣れは時間で解決できるものではないらしい。
そうなると、次に気になるのは――。
「あ、あのさ……だったらその……ち、痴漢とかには遭わないの?」
雑踏の中を分け入るように進んでいくエリスさんの無防備な背中。僕はセクハラギリギリな質問をしてしまったと気付いたが、エリスさんは平然と答えた。
「痴漢? あー、最初の頃はちょっとあったかな。でも今じゃ全然そういうのはないよ。なんていうか……踊り子のことを知っている人なら、踊り子に手なんて出してこないと思う」
「はは……たしかにそうだね」
柔和な口調とは裏腹にその内容は割と威圧的なものだったので、僕は思わず苦笑したが――なるほど、一番納得できる回答だ。
この世界での踊り子は――強い。
とても強いのだ。大きな化け物を素手で倒してしまうほどに。
そうと知っていたらまず踊り子には目をつけない。
不用意に踊り子に手を出そうものなら、触れるより先にあっという間に地面に叩き伏せられてしまうだろう。
周囲からの視線は、確かに邪な類のものもあったが、中にはそれとは別の、ある種の尊敬の眼差しみたいなものも混じっていた。エリスさんは酒場の踊り子でもあるのだ、この街ではちょっとは顔が知れているのかもしれない。
やがて大通りに面した一角で立ち止まり、エリスさんはそこに建つ建物を見上げた。
「ここだよ。ディラメル館」
「ここが――」
踊り子たちが集うギルド兼酒場――ディラメル館。
僕の首はかなり上に傾いていた。
まず外観だが――酒場と聞くとこじんまりとしていてちょっと小汚そうなイメージが思い浮かぶが、ディラメル館は全く違った。
とても大きな三階建ての屋敷だ。壁は黒いレンガで重厚感があり、玄関前に構える二本の黒鉄の外灯がミステリアスな雰囲気を醸している。木製の両開きの扉が酒場っぽい面影をたたえているが、本体はその奥に腰を据える洋館部分といった感じ。
エリスさんはここに住んでいると言っていたので、酒場部分だけでなく住居部分も多く設けられているのだろう。
「今は昼間だからお店はまだやってないけどね。さ、入ろう」
エリスさんは両開きの扉を押し開けて中に入った。僕もあとに続く。
店内は、それこそゲームとかで登場する酒場のイメージの通りだった。木を基調とした、温かみのある作り。
外観とは裏腹にそれほど広くはなかったが、しかし物足りなさのようなものは感じず、むしろ落ち着ける空間となっていた。入口から数歩階段を降りたところが客席のフロアになっており、艶のある板張りの床の上に、同じく艶のある木製の丸テーブルと椅子が並んでいる。隅の方には目立たぬようにバーカウンターがあった。
開店前ということで店内には誰もおらず、照明も点いていなかったが、高いところに空いた複数の窓から外の光が差し込んでいて中は十分に明るかった。
そして――客席の正面奥に木製の大きなステージがあった。背中側の壁には真紅のカーテンが掛けられており、舞台を彩っている。
「あれが踊り子の立つステージだよ」
とんとんと入口の階段を降りてフロアに立ち、ステージを指差すエリスさん。
「ああ、あそこで……」
踊っているのか……その衣装で……大勢の目の前で……布を翻しながら……汗だくで……。
早くも妄想が回転し始める、無駄に高性能な僕の想像力。
エリスさんはそんなことつゆ知らず、「こっちこっち」と言って脇にあった小さな扉に入っていく。従業員専用のドアのようだ。
見知らぬ場所に戸惑いつつエリスさんの後をくっついていくと、飾り気のない細い廊下に出た。
今のところ誰の姿も見ていなかったが、ついに廊下の奥の曲がり角から人影が現れた。
エリスさんと同じ――肌色のシルエット。
「――!?」
僕は目を見開いた。
その少女はエリスさんと全く同じ服装をしていた。
つまり――豊満な胸に細い布を巻き付け、腰に回したチェーンから股の前後に二枚の布切れをぶら下げただけの装い。
もちろん裸足で、両の手首と足首にはそれぞれシンプルな腕輪と足輪が。
しかし、エリスさんの身につけている布が水色であるのに対し、この少女の布は緑色だった。
レモン色の短めの髪を頭の高い位置でポニーテールにして結い上げ、エリスさんとは対照的に目尻はつんと上がっている。
新たな踊り子だ――!
僕はドキッとしたが、僕よりも遥かに驚いていたのは、ポーニーテールのその踊り子の方だった。
「ちょッ……!? あんた何エリスとくっついて歩いてんのよォッ!!」
言葉の意味を理解する前に、その少女は廊下の向こうから僕に向かって疾走してきていた。