交際3
「はい?」
「だから、口開けて。はい、アーン」
間接キス攻撃を耐え切ったと思ったら、今度はアーンときたものだ。誘惑の波状攻撃、マジで籠絡されるんじゃないの俺。どうか、どうか千曲が頂き女子ではありませんように。俺の財力では速攻で破産してしまうから。
「そう簡単に籠絡されてたまるか!俺はギバーおぢじゃねえぞ!」
「はい?ちょっとよくわからないけど、口開けないと食べれないよ?アーン、ね?」
「自分で食べる自分で食べれるから!てか、それ千曲の箸だし、めっちゃ間接キスだし!」
「もうさっき間接キスはお互いしちゃったじゃん!別に私は雄太くんなら箸くらい良いよ?」
女の子が使った箸で、女の子の作った卵焼きを、女の子にアーンしてもらう。なんて甘美な響きなのだろうか、全ての条件が最高ではないか。もうそのまま息を引き取りたいレベル。
「いやいや!さすがに照れちゃうって!恋愛経験のない16歳には刺激強すぎるって!」
「でもせっかく作ってきたんだから食べてほしいの!」
「自分で食べるって!」
「アーンじゃなきゃあげない!」
「なんでだよ!」
千曲はむくれながら肘でグイグイと俺の体を押し、口を開けるように催促する。
「ほら、食べて?サンドウィッチだけだと栄養偏っちゃうよ?」
「俺が食ってたのは卵サンド!それ卵焼き!栄養まったく一緒だろ!」
「もー!アーンさせてくれても良いじゃん!仮交際なんじゃないの?」
俺との押し問答の中で、千曲は口を尖らせてそう言った。自分から仮交際を提案した手前、それを言われると弱る。確かに、仮とはいえ交際関係を結んだ以上、カップルならやってもおかしくない事を拒むのも忍びない話ではある。
「……まぁ、そうだな。わかった」
俺が白旗を振って降参すると、千曲はパッと表情を明るくし、ニコニコ笑顔で卵を差し出してくる。
「へへへ、好きな人とコレ、やってみたかったんだー、はい、アーン」
「あ、あーん……」
俺は恥ずかしさを抑えながら口を開け、千曲の箸に挟まれた卵焼きを頬張った。もぐもぐ咀嚼していると、千曲が顔を覗き込んでくる。
「どう?美味しい、かな?」
うん、正直ドキドキしすぎて全然味とかわからん。ただ、控えめに言って至福のひとときであることだけは確かだった。
「……ウマい」
「へへ、良かった!」
千曲は少し安堵したような表情を浮かべた。この子、ユナたそと瓜二つかと思えば、随所で少し人間味のある反応をする。
「明日も明後日も作ってきちゃおっと!あ、なんなら雄太くんの分も作ってこよっか?」
「え、さすがに悪いよ。そんな大したお返しできないし、QUOカードとか?」
「なにその商店街の祭りの景品みたいなお返し!別にお返しなんて良いよ、私が作りたいから作るの!」
この世に本当にお弁当を作ってきてくれる女の子なんて存在したのか。てっきりドラゴンとかエルフとか、そういう空想上の生物の類いだとばかり思っていた。
「雄太くんってどういうのが好み?何か食べたいものとかある?」
「……え、本当に作ってくるつもりなの?」
「そうだよ?ね、おにぎりとかなら具は何が良いとかある?」
俺はおにぎりの具なら断然イクラが好きなのだが、さすがに家庭で作ってくるおにぎりの具だと考えると要求が高すぎるだろうなぁ。
「いや、マジでお返しとかホントできないぞ?ちょっとさすがにお弁当作ってきて貰うのは気が引けるわ」
「仮交際!」
「いくら仮交際とはいってもそこまで厚かましくなれないよ俺は!てか、普通のカップルでもそこまでやってるやつはあんまいないだろ!」
「でも夫婦ならやってるじゃん!」
「それ段階飛ばしてるって!急にカップルの向こう側行くな!」
女の子にお弁当を作ってもらえるなんてまたとないチャンスであることはわかるのだが、さすがに忍びなさが勝ってしまう部分があった。
「私が作ってあげたいの!」
「この資本主義社会においてなんの返礼もなしにそんな施し受けられる道理がないだろ!NPO法人かアンタは!」
「うー、じゃあそっちからのお返しがあれば良いってこと?」
確かに、ギブアンドテイクの原理でお弁当を作ってきてもらうのが気が引けるのであれば、こちら側からのギブさえあれば甘んじてテイクしても心痛まないかもしれない。
「ま、まぁ、肝臓くらいなら……」
「返しすぎ返しすぎ!一生お弁当作ってあげても成立しないってその交渉は!あと肝臓別にいらないし!貰っても困るし!」
「うーん、とりあえず困ったら土下座するか臓器売るか治験するかで考えてたから、他になんにも返せるものが思いつかない……」
「発想が全部不穏すぎる!」
「まぁ、労働よりマシなもの考えたら、これくらいしか思いつかないからな、資本主義社会は辛いぜまったく」
「働くの嫌いすぎるでしょ!」
当たり前だろ、労働が好きなやつなんているのか?もうそれ変態とかだろ。
「するならもっと他のお返しして!」
「うーん、逆に千曲はして欲しいことある?」
「そうだなー、じゃあ結婚してほしい!」
「ちょっと早すぎるわ!俺16歳だから結婚できないし!他ので頼む!」
「うーん、そうだなー……」
千曲は目を瞑り、ウーンと考えてから少し照れくさそうにこちらを見た。
「で、デート、とか、してみたいですけど……」
「な、なるほど……」
デート。またの名をあいびきとも言ったりする。つまり、好ましく思い合う男女が一緒にお出かけをするという、なんとも羨ましくも妬ましい行為である。
「デートくらいでお弁当のお返しになり得るのか?」
「なる!デートしてくれるならいくらでもお弁当作ってあげる!」
「言っておくけど俺恋愛経験とかないからリードとかできないよ?スマートさのかけらもないよ?」
「そんなこと言ったら私だって全部はじめてだし!2人とも分からないなら、2人で一緒に考えれば良いでしょ?不慣れなところは、一緒に成長できたらなって」
なーんて良いことを言うんだこの子は。えー、リードしてくれない男むり笑、とか言ってるネットによくいる高飛車女とは比較するのも烏滸がましい高尚さである。あれ?もしかしてアイツらってネットにしかいない?
「まぁ、お返しとして釣り合ってるかには疑問の余地があるとしても、それくらいならするぞ、その、デートくらいなら……」
「ホントに!?やった!いつにするいつにする!?」
眉を上げてパッと喜びの表情を浮かべると、千曲は食い気味に予定組みをしようと身を乗り出してくる。顔近いやめて自分が可愛いことを自覚してくれ。
「え、えー、今週末、とか……」
「今週末ね!土日どっちが良い?私はどっちも空いてると思う!というか空いてなかったら空ける!」
「いや良いよ無理しなくて、俺は暇だからいつでもできるし」
「雄太くんそう言っていつ乗り気じゃなくなるか分からないもん!冠婚葬祭くらいならキャンセルするよ!」
「いや1番キャンセルしちゃダメなやつそれ!特に葬式!会社員だとしても有給使って行くべきやつだろそれだけは!」
どうすんだよ、もし千曲が俺とのデートを優先して身内の葬式に出席しなかったら。千曲と結婚するってなった時に千曲側の身内にその話バレたら気まずくなるだろ。あれ、そもそもなんで千曲と結婚する想定のこと考えてるんだ俺、いかんいかんしっかりしろ。
「とりあえず、冠婚葬祭の予定もないし土日空いてるから!どっちが良い?」
「うーん、じゃあ土曜日で」
女の子とのデートとか人生ではじめてだからな。きっと神経すり減らして帰宅する頃にはHP0になってるから、次の日休みじゃないと多分死んじゃう俺。
「わかった!土曜ね!やった!へへへ、楽しみ」
千曲は即座にスマホを取り出して、ニマニマしながらカレンダーに予定を打ち込む。急に決まった人生初デートに怖気付いている自分もいるが、いまさら引き返せないだろう。
まさか昨日の今日で休日デートまで決まってしまうとは。一昨日までの俺にこのことを言ったら全部信じてもらえないんだろうなぁ。急転直下の展開に、しかして食らいついていくしかあるまい。人生の転機とは、得てして予想だにしない時に信じられない早さでやってくるものなのだ。
「デートどこ行こっかなー、あ!私の家は?土曜日はお父さんとお母さんいるよ!」
「すいません、さすがにまだそれは勘弁してください」