交際2
仮交際、という言葉をご存知だろうか。主に結婚相談所において使われている言葉なのだが、真剣交際と対置されており、特定の相手以外とも同時並行でデートできる状態のことを指すらしい。まぁコレはあくまで結婚相談所内における制度設計上の定義だ。字義でいえば『仮』の『交際』のことである。
「か、仮交際……?」
「そう!仮交際してほしい!」
無論だが、俺は結婚相談所と同じ定義でこの言葉を使っているわけではない。まだ16歳で結婚なんか意識してるわけないし、高校生がそんなシステマティックな現実思考恋愛したいわけない。そもそも、同時並行でデートする相手もいないし。仮の交際、読んで字の如くの意味合いで使ったに過ぎない。
「仮交際ってなに……?」
「え、だから、仮の交際!仮の、交際!仮交際!」
「え、うん、それはその、交際と何が違うの?」
「え?それは、仮の、ってところが違うだろ」
「えーと、仮ってなに?」
はて、この場合仮って一体なんだろうか。定義付けとしては一時的な、とか代替え的な、とかいう意味らしいのだが、別に一時的に付き合いたいわけでも、何かの代替え案として付き合いたいわけでもない。すると俺の言う仮交際と交際に一体なんの違いがあるのだろうか。
明け透けに言おう。俺は告白するのを日和ったのである。俺と付き合ってください、の言葉が恥ずかしくて言えず、なんとか言葉の逃げ道を作ったのだ。仮、という言葉を使うことで感情の表明を避け、意思を隠匿したのである。『仮の話なんだけど』と前置きをしてから話し始めることで予防線を張る手法と一緒だ。
しかし、もう言ってしまったものを引っ込めることは出来ない。自分ですらよくわかってない『仮交際』という形で話を進めるしかあるまい。
「いや、やっぱ急に付き合うってのはなかなか難しいというか、お互いまだあまりにも知らなさすぎるというか、俺はまだ千曲の好きな色すら知らないし」
「オレンジ」
「へーそうなんだ、俺は黒、いやそういう話じゃなくて」
「そういうこともこれからお互い徐々に知っていけば良いと思わない?私はもっと雄太くんのこと知りたいし、もっと私のこと知ってほしいよ?」
千曲は人差し指で自分の顎を指し、小首を傾げて俺を見つめた。
「俺もそのつもりではあるんだけど、なんつーか、現状あまりに互いが知ってる情報が少ないから。これで付き合うのってむしろ千曲が大丈夫なのかなって」
「私は別に大丈夫だよ?」
「いやぁ、大丈夫じゃないかもよ?俺がもしめちゃくちゃ変態だったらどうすんの?」
「変態なの?」
「いやわからん、その可能性もある」
「そこは否定した方がいいと思うけど!」
俺も沽券に関わる話なので出来れば強く否定したいところだったのだが、自分の変態性を否定できないのが口惜しいところである。というか、男は誰だってどっかしら変態なのだ。俺も御多分に洩れずSNSのサジェストは豊満な胸部を露出した2次元の女性で溢れかえっている。え、あれ俺だけじゃないよね?みんなそうだよね?言わないだけだよね?
「まぁ、雄太くんが変態だったら、その、善処はしますけど……」
「ちょ、あんまそういうこと言わない方がいいぞ男に。危険な世の中なんだから」
まったく、なんなんだこの子は、俺に理性がなかったらあんなことやこんなことをしてしまうではないか。うわーマジでしたいホントは。
「とにかくだ、一旦仮交際って形でお互いを知っていくってのはアリだと思うんだが、どうだろう?」
「うーん、まぁ確かに雄太くんが私を好きになってくれるチャンスって考えたら、悪くないかも」
「俺も君を探る、じゃない君を知っていきたいと思ってるんだ、だから、俺と仮交際して欲しい」
思春期真っ盛りでリスクヘッジ思考の俺ができる、最大限の告白だった。世の中のリア充ってこんな緊張や恐怖を潜り抜けて告白して付き合ってんのか。今までは嫉妬ばかりしていたが、少しだけ彼らに対しての尊敬の念が募った。
「うん!わかった!じゃあ仮交際でよろしくお願いします!」
「ありがとう、よろしくお願いします」
「絶対に好きにさせるから!みててね!」
「俺も理性を失わないように頑張るわ」
「頑張る方向そっちなんだ!まぁ、じゃあこっちは雄太くんに理性を失わせたら勝ちだね!」
「あのな、男には自らを律する最強の技があってな、それを人は自家発電などと比喩したりするんだけども、まずはティッシュを用意して…」
「あ、わかんないけどそれ以上は言わなくて良いかも!」
さて、計画の第一フェーズはクリアである。まぁ、当初の予定とは違い仮交際という形になってしまったが、存外これも悪くない気がする。協力者の姉はごちゃごちゃ文句つけてきそうだなぁ。
「じゃあダーリンって呼んでも良い?」
「いやだ」
「えー!付き合ったのに!」
「仮だから!あくまで仮な!てか、仮じゃなかったとしても嫌だそれは、恥ずい」
「むー!まぁ、結婚してからでいっかそれは」
「だいぶ段階飛ばしてないですかそれ?早とちりすぎでは?」
「だって私雄太くん以外と結婚する気ないし、いずれ結婚してもらうもん!」
千曲は膨れっ面を浮かべながら太ももの上に乗っているお弁当箱を開いた。中身は随分凝っておりカラフルな色合いだ。
「なんだこれ、犬のキャラクター?」
「そう!田中さんのキャラ弁なんだ!」
「え、犬じゃないの?田中さんどれ?」
「この犬のキャラクターの名前が田中さんなの!知らない?夕方の10分の番組のマスコットキャラクター」
「いやー、すまん、世俗には疎くて…アイドルグループとかみんな同じ顔に見えるんだよなー」
「お父さんみたいなこと言ってる!私と同じ高校生でしょ!」
現代は趣味を同じくする人間とネットで繋がれてしまう時代である。あまつさえ、AIのサジェストによってネット空間が自分の興味の矛先のみになることもしばしばだ。いくら同じ学校空間にいるからといって、JK事情に詳しいわけではないのが実情である。
「お弁当作りって結構楽しいんだよね、ついつい色々作っちゃう」
「え、なにこれ千曲が作ったの?」
「そうだよ?でも今日のは力作だから、雄太くんに見せられて良かったー!」
この美貌にして料理まで出来るのかよこの子、ますます非の打ち所がないではないか。なんか異性ではあるが悔しくなってくる。
「まぁ、俺もカップラーメンはよく作ってるけどな!」
「それ料理って言わないから!お湯入れてるだけでしょ!」
「いや入れてるだけじゃなくて沸かしてるし!てか、それ言い出したら野菜だって切ってるだけだし麺だって打ってないだろ!一部の工程しか関わってないって話ならカップ麺も弁当も同じだし!何をもって料理なんだ!」
「あーもう屁理屈!それ私以外の女の子に言っちゃダメだよ嫌われちゃうから!」
俺はサンドウィッチを頬張りながら辺りを見渡した。空にはポツリポツリと雲が穏やかに浮かんでおり、草花の周りをモンシロチョウが舞う。なんて素晴らしい陽気だろうか、四季最高、俺が芭蕉なら一句詠んでる絶対。
「それなに?」
「ん?サンドウィッチ」
「中身は?」
「たまご」
「へー、美味しい?」
「うん、ウマイ」
千曲は少し前屈みになって俺の手のサンドウィッチを覗き込む。あーもう距離近いな体温感じるな。
「ねー、一口ちょうだい?」
「え、いや、まぁいいけど……」
俺が許可したその瞬間、千曲は無邪気に俺が手に持ったサンドウィッチをパクッと頬張った。大袈裟にモグモグと咀嚼する。
「……それ俺が食べた部分なんだけど、間接キスなんだけど」
「うん、狙って食べた、美味しい」
千曲はサンドウィッチを飲み込むと、目を細めてイタズラっぽく俺に笑いかけた。
「ごちそうさま」
「含みがある言い方やめてね」
まったく、うぶな男子高校生を弄ぶのも大概にして欲しいものである。うわぁ、じゃあ次このサンドウィッチに口つける時には俺も間接キスになっちゃうのか、ヤバいドキドキする。
「でも、初めてかも私」
「何が?」
「間接キスしたの、雄太くんが初めてかもしれない」
千曲は俺の太ももに両手をちょこんと乗せて身を乗り出してきた。上目遣いでニヤッとほくそ笑む。
「私のはじめて、雄太くんに奪われちゃった」
え、すいません、これ合法ですか?R18じゃないのこれ、本屋とかの黒い垂れ幕の向こう側の景色じゃないのこれ。
「……ただならぬ響きの表現やめてね、たかが間接キスだから」
「でも、間接キスだって初めては初めてだもん。女の子の初めては重いんだよ?」
確かに、たかが間接キス、されど間接キスである。初めてならなおドキドキするような事柄だ。それの初めてを頂いたなんて、男冥利に尽きるではないか。男は女の子の初めてに非常に弱い。
「でも、雄太くんが初めてでよかった!雄太くんに私の初めてもらってもらえるの嬉しい」
「もっと大切にとっておいても良いんじゃないか?そんなに簡単に渡して後悔しても知らんぞ」
「別に簡単になんて渡してないし!私こう見えて結構はじめて大切にしてるんだからね!」
「そうか?その割には随分簡単に貰ってしまった感じがするんだが」
俺がそう言うと、千曲は顔を目の前の草花に向けながら、視線だけを俺に向けてジトっと見てきた。
「……雄太くんだからあげたの。これから先も、全部、雄太くんだからあげるの」
「……そ、そりゃまぁ嬉しいことだけど」
男が言われて嬉しい言葉ランキングTOP10には入りそうな千曲の言葉に、俺はなんだか気恥ずかしくなってしまって誤魔化すように手に持っていたサンドウィッチを頬張った。
…あ、間接キス。
「……エッチ」
「な!?違う違う!先にやったのは千曲だろ!今のは不可抗力だろ!」
「ふーん、まぁ、これで雄太くんが少しでも私を意識してくれれば良いし」
千曲は少し口角を上げながらそう言いつつ、箸でお弁当箱の中の卵焼きを掴んで口に運んだ。
「これ全部千曲が作ったのか?」
「うん!まぁミートボールは冷凍のやつだけど、卵焼きとかは自分で作ってるよ」
「へー、これは素直にすごいわ」
俺は感心してお弁当箱の中を覗き込む。よくこれを朝作ってくるなぁ。俺なんて二度寝常習犯だから酷い時には時間なくて顔も洗わず荷物だけ持って家を飛び出すものだが。まぁ、日本人は世界的にも寝てなさすぎると啓発されるくらいだ、二度寝はそんな不眠社会日本へのアンチテーゼと言っても過言ではないだろう。いや、過言かも。
「……食べる?」
「え、良いの?」
「もともと雄太くんと食べようと思って作ってきたし、むしろ頑張って作ってきたから食べてほしい」
そう言うと、千曲はもう一つの卵焼きを箸で挟んで持ち上げ、落ちないように左手を添えながら俺に差し出してきた。
「はい」