誘い
昼下がり、俺はいつも通り体育館裏の小さな階段の上に座って、目の前の山々を眺めていた。流石にこの季節になるとかなり暑く、ちょうど太陽光が倉庫によって遮られている日陰の階段にポジションを移す。
右手で顔を仰ぐ俺の身には、特に何も携えられていない。何故なら、今日は金曜だからである。
「ごめんね!お待たせ!」
ふと顔を上げると、満面の笑みで俺の顔を覗き込んでいる栗毛の美少女が立っていた。あいも変わらず2次元から出てきたのかと思われるほどに美麗で、思わず推しキャラのユナたそと重ねてしまいそうになる。この暑さで若干朦朧とした脳みそでは、もはや本当にユナたそだと思い込んでしまいかねない、いかんいかん。
「おー、悪いな毎度毎度こんなとこ来させて」
「私が雄太くんに会いたくて来てるから良いの!」
千曲はそう言って、俺のすぐそばに座った。ちょっと、二の腕当たってます。
俺が少しお尻をずらして距離を取ると、千曲は頬を膨らませて余計に俺に身を寄せる。
「ちょ、暑いだろ、熱中症になるって」
「むー!だって雄太くんとくっ付きたいんだもん!それに、ちょっと人体が触れ合うくらいの熱伝導で、熱中症の有無に致命的な差異はないもん!」
「いや、仮にそれで生死を分けたらどうする」
「うーん、あ!じゃあもうちょっと涼しいところ見つけて、もっと密着しよ?」
おいそれもっとマズイだろ。俺の心拍数が上昇しすぎて死ぬか、もしくは俺の理性が吹っ飛んで社会的に死ぬか、いずれにせよ死しか待ってないぞそんなことしたら。
「いや、それはダメだろ、倫理的にも」
「別に、双方の合意があれば、性的な接触は合法だよ?私は、雄太くんが求めてくれるなら何だって出来るけど?その……猫耳と尻尾つけて、とか」
「おいなんで俺がそんな変態的なプレイを好んですると思われてんの?やらねえよ」
まったく、この子はちょっと危険だぞ。あまりにも俺に都合が良すぎて、なんか本当にド派手な詐欺に引っかかってる気分になる。くそぉ、俺が後先考えずに行動するタイプだったら、今すぐ猫耳と尻尾つけて貰ってるのになぁ。あと語尾にニャンってつけて貰う。
俺がそんなことを妄想していると、千曲は持っていた巾着の1つをこちらに差し出した。
「はい!今日は、雄太くんが前に好きって言ってた唐揚げを入れて作って来ました!」
「え、マジで?ありがとう。てか俺そんなこと言ったか?」
「言ってたよ!人間なんて結局糖と油が好きなだけだから、肉を油で揚げたモノが不味いわけないって言ってたよ!」
「その発言改めて聞くと我ながら相当頭悪いな。まぁ俺繊細な味とかよく分かんないからなぁ、ちょっと高い店の小ちゃい小鉢より、山盛りのポテトの方が絶対良いし。てか、よく俺の言ったことなんて覚えてるな、存在すら忘れられてることあるのに」
「どんだけ影薄いの!というか、私は雄太くんの言ってたことは全部覚えてるよ!オタク文化を陽キャが消費するのは先人のオタクたちへの略奪行為だとか、彼女持ちの人間が陰キャを自称するのは弱者の苦悩へのフリーライドだとか、あと休日に行われる半強制的な模試は休息という権利の侵害だとかね!」
「おい普段の俺呪詛しか吐いてねえじゃん、どんだけこの世を憎んでんだよ。あと、俺が言うのもなんだけど、それ覚えてなくて良いぞ、癇癪みたいなモンだから」
「自覚はあるんだ……」
そう言って苦笑いする千曲を横目に、俺はお弁当を開いた。
いつも手の込んだお弁当である。女の子が朝の時間を削って俺にコレを作って来ているというのが未だに信じられないワケだが、とはいえ金曜日になると何も買わずに登校するようになってしまった俺は、明らかに彼女の優しさに甘え始めてしまっている。
これ、金曜日の生殺与奪を千曲に握られていると言っても過言ではないのかもしれない。やはり自衛の観点から、何かしらのエネルギー補給は常備すべきだろうか。
「いただきます……」
「うん!いただきます!」
完全に餌付けされてしまって、家畜化してる可能性への危機感などどうでも良くなるほど、唐揚げが美味い。コレを隣のこの美少女が作って来てくれたという多幸感が、より一層俺の脳みそに快楽物質を分泌させる。もう幸せなら家畜で良いです、ブーブー。
「どう?美味しい?」
「うん、世界一美味い」
俺が目を瞑りながら恍惚とそう言うと、千曲は急に顔を赤らめて、俺から目を逸らしてお弁当を箸でつついた。
「……雄太くんって、いっつもは素直じゃないのに、不意打ちでそういうこと言うよね、調子崩れるかも」
「へ、そう言うこと?」
「……なんでもない」
千曲は呼吸を整えるようにため息をつくと、箸で唐揚げを掴んでモグモグと頬張った。
「しかし、いっつもお弁当作って貰って悪いな」
「だから、私が作ってあげたくて作ってるの!」
「いやー、けどこうも毎週作って貰ってると、こっちも居た堪れなくなるというか、なんのお返しもしないとバチが当たりそうで……これ実は負債になってるみたいなシステムじゃないよね?リボ払いじゃないよね?」
「そんな悪徳なことしないよ!私たち高校生だからクレジットカードなんて契約できないよ!」
確かに、そもそも何か俺がとんでもない詐欺に引っかかった場合、未成年ということで全部無しに出来そうだもんな、過払金とか。
未成年という特権を何かに使えないものかと、俺が姑息な悪巧みをしながら唐揚げをモグモグしていると、千曲はモジモジと身を捩りながら俺を上目遣いで覗き込んできた。
「まぁ、もし雄太くんがお返ししてくれるって言うなら、それは大歓迎ですけど……」
「お返しねぇ……」
俺は少し水気のあるお弁当のご飯を咀嚼しながら、ため息混じりに呟いた。俺に返せるような価値あるモノなんて当然ながら手元になく、人材として大したレバレッジもかかりそうにない。つくづく何もない男だなぁなどと思うのは、些か自虐がすぎるだろうか。
「うーん……」
「そんな考え込む必要ないと思うんだけど……」
腕を組んで唸る俺を見て、千曲は困ったように、しかしそこはかとなく嬉しそうに苦笑いを浮かべた。
「……やはり、いらない臓器を」
「なんで毎回その結論に辿り着くのかな!?いらないって言ってるよね臓器!」
「だって、すぐに渡せるモノなんてそれくらいしか無いからなぁ。仮に千曲にお金を返すってなったら働かなきゃいけないワケだろ?それは嫌だ」
「どれだけ働きたく無いのかな!?もー、私が養ってあげるから良いようなモノで、もしそうじゃなかったらどう生きていくつもりなの?」
養ってくれるのは確定してるんだ、どんだけ献身的なんだよこの子。
「……そう簡単に養うとか言わない方が良いぞ、俺みたいな怠惰な人間は、そういう甘言にすぐ縋りついて騙されちゃうんだから」
「え?私は結構本気で養うつもりだけど?」
「い、いやいや、ヒトを1人養うって相当大変なことだぞ?軽口でそう宣ってるカップルの彼女は数多いるけどな、実際ヒモを養ってたらすぐ限界来るって」
まぁ、仮にそれが軽口であれ、女の子から養ってあげるなんて言われるのは男冥利に尽きるワケだが。私を養って!という姿勢の女の子よりも、私が養ってあげるね!という姿勢の女の子の方がむしろ養ってあげたくなるというのは、パラドックスじみた男の性なのだ。
「私のこれは軽口じゃないよ。長期的に見て、雄太くんが加齢臭まみれのオジサンになっていくことを踏まえた上で、一生面倒見てあげる」
「俺が加齢臭まみれになってしまうことへの絶望はさておき、そんな心意気だけで経済的に2人分を支えられるほど、現実は甘くないだろ」
「働かないと豪語してる雄太くんが現実の厳しさを語っているという食い違いには目を瞑るとして、ちゃんと経済的な、あるいは物質的な豊かさも計算には入れてるよ?」
箸を持った手の人差し指をピンと立てながら、千曲は真顔で俺を見つめて語る。
「まず、雄太くんが穀潰しであることを踏まえると、支出を如何に減らすかが重要なのね?なんでかって言うと、日本は税制上、支出と所得は課税される一方で、貯金は課税対象じゃないから。つまりね、所得を増やすことよりも、如何に支出を減らして貯金するかが重要なのね?ここから考えると、まずは地価物価が高い都会には住まないこと。これは、都会の構造が田舎に比べて、高所得高支出を強いられる環境であるということに立脚していて……」
「あー分かった!とりあえず本気度の高さは十分伝わった!」
淡々とニート培養計画白書を読み上げる千曲に、俺はストップをかけた。あー、俺の理論を聞いている時の他の人ってこんな気持ちだったんだ、確かに遮るわコレは。
「むー!心意気だけで出来るほど現実は甘くないって雄太くんが言ったから、丁寧に説明してあげてるのに!」
「いやここまでガチだとは……まぁ、概略はなんとなく理解したけどな、支出のセーブを極限までやった帰結って、つまり貧乏暮らしだろ?俺は耐えられる自信あるけど、千曲はそれで良いのか?」
「私は所得を高くしないなんて言ってないよ。あくまで、最重要事項はコスパの悪い支出を極限まで削ぎ落とすことであるって話だよ」
「いや、所得ってそんなに簡単に上がるか?言っちゃ悪いけどな、この高校の偏差値は50、もちろん上振れ下振れが発生することまで加味しても、生涯収入の期待値はあまり高くないのが実情だぞ?」
「……そっか、雄太くんって理系クラスだから、私の成績知らないんだ」
何か腑に落ちたように、千曲が手で膝を打ったので、俺は眉を顰めて首を傾げる。
「え、どういうこと?」
「この前の土曜日、予備校の模試あったでしょ?」
「あー、俺がサボったヤツな」
「ちょっとは悪びれた方が良いんじゃないかなソレ……」
なんでだよ、休日に行われる半強制的な模試は休息という権利の侵害だろ。あ、コレを覚えてたんですねこの子。
俺が苦笑いを浮かべると、千曲はニヤニヤと目を細めて、自らを指さして俺に質問する。
「いくつに見える?私の偏差値」
「年齢以外でソレ言うことあるんだな……60?とか?」
「ううん、79」
「は?マジで?高すぎるだろおい、それもう学年1位2位を争うレベルだろ」
俺が驚きのあまり口をポカンと開けて唖然とすると、千曲は少し顔を傾けたあと、なぜかクスクスと小さく笑い始めた。
「え、なに?俺の顔そんなにみっともなかった?」
「いやいや、学年1位って当たり前じゃん!」
「ん、そりゃ偏差値79だからな、分布的に相当上位に位置してるワケで……」
「多分勘違いしてるよ雄太くん、これ校内偏差値じゃないよ」
「……え?」
「私、全国偏差値79なの」
意味がわからない、彼女は一体何を言っているのだろうか。この高校に、そんなバケモノじみた人材がいるわけがないのだが。しかし、そんな嘘を彼女がつく必要があるはずもなく。
「ま、マジで?」
「私、県外からの転入生なんだよ?仮に地域トップ校に行こうとしても、そもそも枠がないの」
この高校は長野県北部の中でも比較的田舎に位置しており、昨今の情勢も相まってか数人の定員割れが常態化していた。確かに、定員が完全に充足されている地域トップ校よりも、途中から入りやすそうではある。
「え、それでこんな田舎の高校選んだのか?なんかその、キツいだろ色々」
「良いじゃん田舎!私の家は転勤族なんだけど、どちらかというと都会に住む機会の方が多かったから、こういう田園風景のどかで良いなって思うよ!」
「そうか?生まれてこのかた田舎の民としては、東京への憧れは拭いきれないんだけど、実際東京と比べて長野ってどうなんだ?」
「うーん、小さい頃しか東京にいなかったからなぁ、そこの比較は難しいかも」
「え、都会に住んでたんじゃないのか?」
「うん!ニューヨークとドバイ、あとシンガポールにいたよ!」
次元が違いましたこの子、まさかの世界スケールでした。長野県生まれラノベ育ち、暗そうなヤツも大体友達じゃない俺にとって、都会のイメージは東京が限度であり、海外ともなるともはや考えすら及ばない。ごめんねスケールの小さい男で。
「……親御さんは何をされてる方なの?」
「両親共に外資系コンサルだよ!お母さんは今は専業主婦だけどね」
「そんな世界があるんですね……」
なんでそんな子がこんな何もない街にいるのやら。タワマンの夜景の中で生まれ育った彼女は、街灯すらない田舎道を果たしてどう思っているのだろうか。
などと田舎のルサンチマン丸出しの僻みは、余計に惨めさを際立たせるからやめておこう。
「だから、まぁ雄太くんと子供を養うくらいの能力は、私にはあるのかなって」
「ちょっと?家族が出来ちゃってますけど?母親の稼ぎで飯を食うニートの父親って、俺立つ瀬なさすぎない?プライドぐちゃぐちゃになっちゃうよ」
「だったら働けば良いと思うんだけど……」
千曲は器用に箸でミニトマトを掴みながら、俺を見て苦笑いを浮かべた。
「てか、千曲のとんでもスペック聞いた後だと、いよいよ返せるものが何もないな。外資系コンサルなら臓器くらい簡単に手に入りそうだし」
「外資系コンサルをなんだと思ってるのかな!?」
「虚業」
「そんなハッキリと!?いちおう私の両親なんだけどね!?」
千曲は俺にツッコミを入れながら、お弁当箱を太ももの上において口を尖らせた。
「……そんなに難しくないよ、お返し」
「そうか?」
「そうだよ、その、一緒に過ごす時間を、そっちから提案してくれる、とか……」
未だに、それがお返しになるというのが、甚だ実感を伴わないワケだが。千曲にお弁当を作ってもらったお礼に、千曲と遊ぶ。やはり俺しか得をしていないように感じられて、罪悪感に似たむず痒さを覚える。
しかし、相手の欲しているものを勝手に推し量るのは、俺のエゴだろうか。
「……明後日の日曜日って、暇か?」
「……え?」
「いや、急に悪い、都合がつかないなら良いんだ」
俺が遠慮がちにそう言うと、千曲は勢いよく身を乗り出して俺の太ももに手をついた。
「ううん!暇だよ!暇暇!どこに誘ってくれるの!?私のお家は、あーでもお母さんいるのか……ううん、どうにかしてあけるよ!」
「あー違う違う!千曲の家に押しかけるつもりはない!」
俺は慌ててのけぞって千曲と距離を取る。この子いい匂いするからホント不用意に近づかないでくれ、ドキドキしすぎて高血圧で死ぬから。
「その、俺の近所でさ、お祭りがあるらしいんだ。だから、一緒にどうかと……」
「お祭り!?雄太くんと!?行くよ!絶対行く!死んでも行く!」
「死んだら無理だろ」
「死んでもだよ!」
もし死んだ状態で来られたら困るんだが。お祭りがバイオハザードになっちゃうから死なないで来てね。
「雄太くんと2人でお祭り……えへへ、何しようかな、私金魚すくいって、創作物でしか見たことないんだよね!」
「あー、2人で回るって感じじゃないんだ」
俺が頭をかきながらそう言うと、千曲はキョトンと首を傾げる。
「その、俺はいちおう運営をやることになってて、まぁ何やるのか未だによく分かってないけど、その空き時間とかで遊べたらなと」
「2人で遊びに行くワケじゃないってこと?」
「あぁ、俺の姉と近所の人たちと、あと多分だけど立科が来るかな……」
そう言った瞬間、千曲は不満そうに口を尖らせて、両手で膝を抱えてそっぽを向いた。
「……へー、立科さん来るんだね」
「まだ誘ってないけどな」
「けど、どうせ誘うんだよね。へー、2人っきりで遊ぶ約束じゃないだ、へー、ふーん」
明らかに不機嫌になってしまった千曲に、俺はあたふたと弁明する。
「い、いやぁ、俺もお祭りなんて行きたいワケじゃないんだけど、なんかなし崩し的に結局行くことになって……」
「弁明するところ、そこじゃないかも」
「い、嫌なら大丈夫なんだ、変なことに急に誘ってすまん……」
俺が千曲の機嫌を取るのが不可能だと悟って意気消沈すると、千曲はそっぽを向きながらポツリと言った。
「……行く」
「え?」
「だから、お祭り、行く」
「その、無理しなくても……」
俺が様子を伺うように言葉をかけると、相変わらず千曲は俺と目を合わせないまま、いつもより1トーン低い声色で続ける。
「立科さんが行くなら、余計に行く」
「そ、そうなのか?」
「行きたいとかじゃなくて、行かなきゃダメになった」
千曲はそう言うと、お弁当箱の中身を乱暴に口の中に放り込んで、飲み込むや否やすぐに立ち上がり、目も合わせないまま歩いていく。
「集合場所は、メッセで送って」
「あ、ああ、分かった……」
俺は振り向かずに去っていった千曲を見送って、残り1つの唐揚げを頬張った。いやはや、お返しをしようと試みた結果不愉快にさせてしまうとは、なんとも女性の扱いに不得手らしい。
ここまで不用意に女の子を怒らせてしまうのならば、結婚は諦めた方が良いかもなぁ。




