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買い物


 夏の西陽が体を照り付け、焼け爛れそうになる7月の夕方。俺がトボトボと学校からの帰路につき、玄関先に向かっていると、ちょうど車に乗り込もうとしている姉の姿を見つけた。


 「おお、弟よ、今帰りかね」


 「あぁ。そう言うアンタはどっか行くのか?」


 「うん、お母さんに買い出し頼まれちゃってさ。あ、てかちょうど良かった、雄太も来てよ、荷物持ちとして」


 「清々しいほど雑用として使う気だな……まぁ良いけど」


 姉の手招きを受けて、俺が助手席に乗り込もうとしたところで、エンジンのかかった車の前をヨロヨロと自転車が横切った。


 「こら!りっくん!あんまり動かないの!ちゃんとお行儀良くしなさい!」


 「ふー!風が気持ち良いぜ!ブーンブーン!」


 「ちょ、危ないでしょ!ジッとしてなさい!」


 俺たちの前を自転車で走っていくのは、必死に自転車を漕ぐ制服姿の女の子と、後ろに備え付けられた幼児用の椅子に腰掛ける小さな男の子。女子高生はその男の子の姉なのか、落ち着かない男の子を焦ったように嗜めている。


 「あ!あやめ姉ちゃん!」


 ふと、その男の子がこちらを見るや、ハンドルを握っている姉を指差して大声を上げた。


 「ちょ、りっくん!急に動かないで!」


 自転車を漕いでいた女子高生は思わずバランスを崩し、漕ぐのをやめて右足を地面におろし弟の方に振り返った。


 「ほら!あやめ姉ちゃん!」


 「ええ?あ……」


 弟の指差す方を見た姉は、そこにいる俺たち2人を見て思わず硬直した。

 しかして、俺も俺で硬直していた。なぜなら、それが安曇野琴音だったからである。


 「ご、ご無沙汰してます!あやめさん!」


 「おー!琴音ちゃんじゃん!やっほー!」


 姉は一度車から出て、自転車に跨っている安曇野に駆け寄って行った。なお、俺にはそんな突発的な社交性など皆無なので、黙って助手席に乗り込む。


 「あ!りっくんも一緒なんだ!イェーイ!」


 「イェーイ!」


 「ちょ、こら!イェーイじゃなくて、ちゃんと挨拶しなさい!」


 「あ、本日はお足元の悪い中お集まり頂きまして……」


 「あ、あやめさんに言ったんじゃないです、あと今日めっちゃ晴れてます」


 身内ながらあのヒトやっぱ凄ぇな。誰にでもあんな感じなのかよ、どんだけファニーでハッピーなヒトなんだ。


 「何してんの2人で?どっか行くの?」


 「あー、ちょっとスーパーまで買い出しに……」


 「え、自転車で?遠くない?しかもりっくん乗せて行くの?」


 「今日両親が帰り遅くて、陸を1人で家に置いて行くのも心配だったので、連れてこうかなって……」


 「うん!お姉ちゃんにお菓子買ってもらうんだ!」


 「百円までだからね!あと、晩御飯の前に食べちゃダメだからね!ご飯食べられなくなっちゃうでしょ!」


 「うーん!幼い弟の世話って大変だよねー!経験者だから分かる分かる!」


 姉は眉間に皺を寄せて、腕を組んで深々と頷いた。

 ちなみに、親から聞いた話と俺の記憶を交えて我々姉弟の幼少期のエピソードを話すと、この姉は俺の分のお菓子を勝手に食べて泣かせたり、宿題の答えで嘘を教えたりしていたらしい。何が弟の世話は大変だよ、ロクでもないお世話エピソードしか無いだろアンタの場合。


 「けど、りっくんのお世話しながら自転車でスーパーまで行って帰ってって大変でしょ?帰りなんて荷物あるわけだし」


 「まぁ、そうですけど、食材切らしちゃってたんで、買い出しに行かないわけにもという感じで……」


 その言葉を聞いた姉は、背中越しに親指でコチラを指差して、車の鍵をジャラジャラと鳴らした。


 「え、じゃあウチの車乗っていきなよ」


 「そんなそんな!悪いですよ!」


 「いや、私たちもちょうどスーパー行くところだったのよ!ついでだし、乗ってっちゃいなよ!」


 「え、その、じゃあ、お言葉に甘えても良いですか?」


 「ろん!」


 「……はい?」


 「いやそれを言うならもちだろ!」


 安曇野が姉の言葉を理解できずに聞き返すと、弟がニコニコ嬉しそうにそう言った。


 「あ、今のは勿論の論の方を取っちゃうってボケに、りっくんがツッコむっていう、前にりっくんと私で作ったお決まりのくだりね、イェーイ!」


 「イェーイ!」


 そう言って、姉は安曇野の弟とハイタッチした。

 おいこのヒト幼児に何教えてんだよ。有害かどうかはともかく、知育として絶対に間違ってんだろ、くだらなすぎる。


 「あ、琴音ちゃんも使って良いよ!」


 「えっと、遠慮しておきます……」


 苦笑いを浮かべる安曇野をよそに、姉は車の運転席のドアに手をかけて、安曇野たちを手招きした。


 「ほら、乗っていいよ!」


 「すいません!自転車だけ置いてきて良いですか?すぐ行きます!」


 「ガッテン承知の海!」


 なんだそのふざけた力士は、角界追放だよそんなヤツ。

 そそくさと自転車を引いて行く安曇野を見ながら、姉は運転席に乗り込んで俺にニンマリと笑った。


 「てなわけで、よろしく!」


 「何をだよ」


 俺が背もたれに体を預けてため息をつくと、姉は両手を合わせてヘコヘコと謝罪のポーズを取ってみせた。


 「いやぁ、雄太があんまり琴音ちゃんと上手くいってないのは分かるんだけどさ、ここでバイバイってのは流石に薄情すぎると言いますか、なんと言いますか……」


 確かに、姉の言い分はごもっともだった。あんな四苦八苦した姿を見せられて、我々だけ車で快適にスーパーに向かおうというのはかなり心苦しいところではある。流石の俺も、くだらない私怨で彼女らの同乗を拒絶するほど矮小ではなかった。


 「まぁ、別にスーパーに一緒に行くくらい、なんてことねえよ」


 「そかそか、なら良かった」


 姉はそう言ってハンドルに両腕を乗せてもたれかかると、ふと首を傾げて尋ねてきた。


 「けど、やっぱそんな気まずいんだ。琴音ちゃん昔から可愛かったけど、今やとんでもない美少女になってるし、あんな子が幼馴染なんて相当ラッキーな気がするけど」


 「本当にただ幼馴染ってだけだからな。現状ほとんど関わりもないし、それじゃいくら可愛かろうが昔から知ってようが、意味ないだろ」


 「ふーん」


 「それに、あっちは俺のこと目の敵にしてるみたいだしな。なんかよく分からんけど、相当俺のことが気に食わないみたいだぞ。ならお互いのためにも、出来る限り関わらない方が良いだろ」


 「え?そんなふうにはとても見えなかったけど?」


 「え?」


 姉のその言葉を俺が聞き返したタイミングで、安曇野が弟の手を引いて歩いてきた。


 「すいませんお待たせして!」


 「わー!ドライブドライブ!ゴーゴー!」


 「こら!乗せてもらうんだから、ちゃんとお願いしますしなさい!」


 安曇野ははしゃぐ弟に目線を合わせるように屈んで嗜め、頭を下げるように優しく後頭部を撫でつけた。


 「あやめ姉ちゃん!お願いします!」


 「さぁ乗りな!峠越えするよ!」


 「アンタそんなに運転上手くないだろ、調子乗って事故られると困るから安全運転してくれ」


 俺が訝しげにそう言うと、安曇野の弟が大きく首を傾げて安曇野に尋ねる。


 「この男の人だれ?」


 「あれ、りっくん知らなかったっけ?」


 「うん!あやめ姉ちゃんは知ってるけど、こんな人知らない!」


 こ、こんな人って。おい幼児よ、無垢な疑問で人の心を抉るのはやめような。その発言は、俺の社交性の無さや交友関係の狭さを、姉と対比して示唆されているようではないか。そこに悪意がないのが、余計に心臓がキュッとなるぞ。


 「ねーねーお姉ちゃん、この人だれ?」


 「え、えっとコイツは……」


 「このパッとしないのは、私の弟、須坂雄太くんでーす!」


 安曇野が解答に窮していると、姉が両手で俺を指し示したので、軽く会釈をした。子供と普段接してないからどうやって振る舞って良いか分からんぞ、手を振ってあげるような愛嬌は俺にはないしなぁ。


 「気軽に雄太って呼んであげて!」


 「うん!よろしく雄太!」


 「ど、どうも……」


 おいいきなり呼び捨てかよ、せめて雄太兄ちゃんとか呼んで欲しかったんだけど。まぁ良いや。


 「さ!乗ってって!後部座席を広々使っちゃって下さい!」


 「ありがとうございます!ほら、りっくん乗るよ!」


 そう言って頭を下げる安曇野を尻目に、安曇野弟は俺のことをジーっと見つめてきた。な、なんですか?俺そんなに不審ですか?無垢な子供の眼に査定されるのは、大人に見定められるのとはまた違った緊張感があるもので、一度子供から邪悪を認定されてしまうと、まるでそれが事実かのように罷り通ってしまう怖さがある。


 「えっと……怖くてすみません……」


 「は?何言ってんの雄太?」


 俺がその幼児の曇りなき視線に耐えきれずに謎の謝罪を繰り出すと、安曇野弟はまたも大きく首を傾げて声を上げた。


 「僕後ろなの?」


 「ん?りっくん前座りたいの?」


 「うん!雄太のところ座りたい!」


 安曇野弟はそう言って、ニコニコと俺を指差した。良いなぁ、俺もこんくらい小さくて可愛かったら、こんくらいのワガママ言えたのになぁ。はて、お姉さんたちから可愛がられている男の幼児を見ていると、つい嫉妬してしまう俺は末期だろうか。


 「いいよいいよ!前座っちゃえ!」


 「ど、どうぞどうぞ……」


 俺はまるで大名が前からやってきた下級武士のように、そそくさと席を譲り渡した。いやはや、こういう小さな子供の特権を昔は俺も享受してたはずなのに、あんまり覚えてないんだよなぁ。


 「じゃあ、雄太と琴音ちゃんは後部座席で良い?」


 「え!私が、雄太と隣、ですか!?」


 「嫌だってよ。どうする?俺は自宅待機でも良いけど」


 「ちょ、私何も言ってないでしょ!」


 安曇野弟が助手席を指定した結果、必然的に俺と安曇野は後部座席で隣り合わせるしか選択肢が無くなってしまったので、俺が気怠げにそんな提案をすると、安曇野は前屈みに俺を睨んだ。


 「え、琴音ちゃん雄太と隣、嫌かな?」


 「え、いや、その……嫌じゃない、ですけど」


 絶対嫌じゃんその反応。姉の前だからそう言うしかないヤツじゃん。気を使わせてごめんなさい。


 「いや、別に無理しなくて良いぞ。3人で行ってきてくれ」


 「無理なんて言ってないでしょ!別に、アンタが隣に乗りたいって言うなら、しょうがないから許してあげるけど!嫌だけど!嫌だけどね!?


 「やっぱ嫌なんじゃねえか。良いよ自宅待機で」


 なんなら自宅待機でゲームしたいまである。

 しかし、俺のそんな魂胆を見破ったのか、姉は呆れた表情で口を開いた。


 「そう言って雄太は家出たくないだけでしょ。ごめんね琴音ちゃん、雄太に全部荷物持たせるから、連れてっても良い?」


 「そ、そうですね!それなら、アンタが隣に座るのもやむを得ないわね!」


 「おいそれ俺の得がゼロだぞ。勝手にそっちで協定結ぶな列強ども、分割前のポーランドの気分だぞ今」


 「意味わかんないこと言ってないで後ろ乗りなさい。琴音ちゃんはりっくんのこと乗せてあげて!」


 結局話は俺の意見など全く反映されず、安曇野と俺が後部座席の乗り込むことで妥結してしまった。帝国主義の残忍さを学んでほしいものである。

 安曇野は弟を助手席に座らせると、既に後部座席に座った俺の隣に乗り込んでくる。どうやら、隣の俺をジーッと睨みつけているようだが、俺は気が付かないフリをして前を見続けた。


 「ではでは、みなさんご唱和ください!エビバディセイ!しゅっぱーつ!」


 「しゅっぱーつ!」


 姉の号令に安曇野弟が元気よく呼応して、車がゆっくりと発進する。

 住宅街を進んでいる道中で、仏頂面の安曇野が俺に話しかけてくる。


 「あんまり近づいてこないでよね!」


 「あー、うん」


 「ま、まぁ?車が揺れちゃって、それで肩がぶつかっちゃったり、どっちかにもたれかかっちゃうのは仕方ないけどね!それは不可抗力だから!」


 「そんな激しい道通らないだろ。スーパー行くだけなんだから」


 「か、可能性の話よ!このバカ!」


 なぜに俺はいま知性を否定されたのだろうか。釈然としないが、反応すると面倒そうなので、俺はただ黙って座っていた。


 「……ていうか、子供に対してもうちょっと愛想とかないわけ?なにさっきの、子供相手にどうもって」


 「普段ちっちゃい子と接しないから、振る舞い方が分かんないんだよ、すまんな」


 「にしてももうちょっとなんかあるでしょ。アンタが父親になった時が思いやられるんだけど」


 なんでお前が俺の子育てを憂いてんだよ、関係ないだろ。


 「……まぁ、この生涯未婚率が上昇してる世の中だからな、父親になる可能性が社会全体で減ってる以上、対策の必要性も相対的に減ってるからなぁ」


 「アンタそんな変なことばっか言ってるから女の子に相手にされないのよ」


 「だろ?だから、個人の特性と社会の状況という二つの要因で、俺は子供に対してのコミュニケーション能力を上げる必要がないわけだ。俺のさっきの弟さんへの対応も、合理化の帰結による不要な能力の削ぎ落としであって……」


 「ただの無愛想を良いように言わないでよ!この陰キャ!」


 コイツ攻撃力高すぎだろ。傷つけるための言葉選びだったろ確実に。

 俺がその言葉に苦笑いを浮かべていると、安曇野は髪の毛を耳にかけて俺をジトっと見る。その美貌ゆえに、こういう仕草は絵になるのだが。


 「その暗い性格とか、屁理屈ばっか言うところとか、治して貰わないと困るんだけど」


 「はぁ、ごめんなさい」


 「けど、その矯正に付き合ってあげるほどアンタのことを理解してる女の子なんて、ほとんど居ないわよ?アンタのことをよく知ってて、根気よくそれに付き合ってあげられる女の子じゃないと、アンタの教育なんて出来っこないんだから」


 「はぁ、そうなんですね」


 「そんな子がもし近くにいたら、絶対に大切にしなきゃダメなんだから。アンタみたいなウスノロに接してくれる女の子なんて絶対に居ないけど、もし居たら、頼み込んででも一緒にいて貰わなきゃダメなんだからね!」


 俺は脳みそを完全にシャットダウンした。なぜにここまで一方的に罵倒されねばならないのだろうか。俺は無用なプライドは持たないという矜持があるが、とはいえここまでボロカスに言われてしまえば、少しくらい苛立つものだ。

 こういう時は、もはや相手の言葉などただの音として処理してしまうのが、最も合理的な選択である。


 「ねぇ、分かってんの?アンタみたいな取り柄のない人間の世話をしてくれる人なんていないの!もし、そんな人がいたら、絶対離しちゃダメなの!分かる?」


 「うん」


 「ねぇ!聞いてんの!?」


 「お姉ちゃんなんでそんな怒ってるの?」


 ふと、不思議そうな面持ちで、助手席から安曇野の弟が振り返って顔を覗かせていた。


 「え!?いや、怒ってないわよ?」


 「そうなの?なんか全然いつものお姉ちゃんじゃないから」


 「そ、そんなことない!いつも通りよ!変なこと言わないでよりっくん!」


 「ふーん」


 安曇野弟は釈然としない表情で再び前を向いた。ふと、ミラーに映った姉の目元を見ると、困ったような苦笑いを浮かべていた。


 


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