自宅にて
俺は自宅のリビングで、例によって夕方のニュースを虚に眺めていた。手元にある牛乳パンを頬張って、麦茶で流し込む。心に綻びを感じているのは、医学的には脳みそのストレスによる問題なので、こういう時は糖分を吸収して快楽物質を供給するのが最も手っ取り早いはずだ。ごめん、俺化学の授業だいたい寝てるからテキトーに言いました、すいません。
「あ、帰ってた、おつラブ爆弾〜」
俺がムシャムシャと牛乳パンを咀嚼していると、姉がリビングのドアを開けて入ってきた。夏だからか、下着同然の姿で俺の隣に座る。
「おい、なんだその挨拶、寒いぞ」
「乃亜ちゃんから教えてもらった、ぶ、ぶいちゅーばー?の挨拶なんだって、可愛いから使ってんの」
「どんなセンスしてんだよアンタ、てか立科とそんなに仲良いの?」
「うん、百合寸前」
「マジか詳しく」
俺が冗談めかしていると、例によって姉はテーブルに置いてある牛乳パンをひったくって口に含んだ。
「たへていい?」
「食ってから聞くな、あとせめて飲み込んでから喋ってくれ」
俺と同じように麦茶でパンを胃に流し込むと、姉は覗き込むように俺の顔を見た。
「な、なんだよ」
「なーんか、浮かない顔してるね」
「いつものことだろ」
「あ、その自覚あるんだ。けど、いつも以上に暗い顔してるなって」
「……なんでもねえよ」
俺が真顔でそう言うと、姉は少し訝しげな顔をした後に、諦めたようにソファにドサっと寄りかかった。
「前もこんなん、あったよね」
「そうだな」
「今回は、大丈夫そうなん?」
「……うん」
俺がそう言うと、姉は俺の頭をクシャクシャと雑に撫で回した。
「おいやめろ鬱陶しい」
「本当は嬉しいくせに〜、雄太はシスコンだもんね〜」
「おいマジでやめろソレは。数々の罵倒を受けてきた俺でも、ソレばっかりは本当にやめて欲しい。あと、ソレを姉であるアンタが言うな、ちょっとは躊躇しろ」
「えー、でも乃亜ちゃん言ってたよ?雄太って本当に重度のシスコンなんじゃないかって、なんならちょっと悩んでた」
「え、立科って俺のことシスコンだと思ってんの?しかも重度の?」
「うん、前に2人で遊んだ時、頭抱えてた」
勘弁してくれ、とんでもない誤解が俺の周りに広がっているではないか。あとアンタらマジで仲良いなおい、2人で遊んでるんかい。
「おい次立科に会う時、コイツ俺のことシスコンだって思ってるんだって絶対よぎっちゃうよ、最悪だ……てか、仮に俺がシスコンだとして、なんで立科が悩んでんだよ」
「いや、知り合いが重度のシスコンだったら、一般的に悩ましく思うのは普通だと思うけど……まぁ、乃亜ちゃんの場合は余計にさ、ほら、嫉妬とかあるから」
「はぁ?嫉妬?シスコン弟である俺に嫉妬してるってこと?アンタと百合だから?てか俺はシスコンじゃねぇ」
俺がそう言うと、姉は少しだけ魂が抜けたように真顔になった後に、妙な苦笑いを浮かべた。
「いやぁ、お姉ちゃんちょっと想定外だよ。エッチな漫画をコレクションしているような雄太が、まさかここまで据え膳食わぬというか、なんというか……」
「おい、その言葉の意味か分からないことはこの際どうでもいい。なんでアンタが俺のコレクションのことを知っている」
「え?思春期の弟の部屋に忍び込んで、趣味趣向の把握をすることは、姉の嗜みでしょ?」
なんだこの人、女の子じゃなかったら本当に手が出てるぞ今。
「まぁ!雄太はプライドが高くて器小さいから、ギャルとか派手な見た目の女の子はあんま好みじゃなくて、大人しくて逆らわなさそうな、清楚系のメガネっ子が好みってのは分かったけどさ!一回広い視野を持ってみても良いんじゃないかと、お姉ちゃん思います!」
「ヒトの性癖を勝手にリサーチするな!身内にそんな悲しい分析されたらもう終わりだぞ!」
「まぁまぁ!ということで!お姉ちゃんから雄太に大チャンスを持ってきました!はい拍手!」
姉はそう言うと、急にソファの上に立ち上がって1人で拍手した。
「何もということでじゃないんだが……チャンス?」
あれ、さっきもこの質問しなかったっけ?不穏なデジャブに、俺は嫌な予感で表情を引き攣らせた。
「なんとなんと!近所の神社のお祭りの運営に、私と雄太で参加することが決定いたしましたー!」
やっぱりか。そういえば安曇野も、あやめさんがどうちゃらと言ってたのを改めて思い出した。
俺はため息をついて、右手を挙げる。
「はい」
「なんだね雄太くん!」
「不参加でお願いします」
「却下しまーす!」
「この独裁者!賛成票が過半数に達してないから否決だろ!」
俺が文句を言うと、姉は両手を広げて微笑む。
「まぁ聞きたまえ弟よ、参加することに意義があると、かつての偉い人も言いました」
「その言葉、結果ではなくその催しに向かって行う努力の過程が重要だという意味であって、何もせずただ参加することにはなんの意義もないぞ。俺は何の努力もする気がないから、それに参加する意義もない、よって参加しない!」
「いや!ただ参加することにだって意義はある!飲み会とか!出会いあるし!楽しいし!」
「そんな空虚な知り合い作りに俺は興味ない!あと楽しいかどうかは主観だろアンタが楽しいだけだろ!」
俺が不平を漏らすと、姉は呆れたように首を横に振って、ソファにドサっと座って俺に語りかけてきた。
「雄太がなんで友達いないか、教えてあげよっか?」
「なんでそんな悲しい話を他人からされなきゃいけないんだ。身をもって知ってるわ、愛想の無さとか性格の悪さとか」
「それもあるけど、1番の理由は、雄太が新しいコミュニティに所属しに行くつもりが全くないことよ!部活にも入らず、バイトもせず、家でゲームかラノベばかり!これじゃそもそも出会う人の母数が少なすぎて、気が合う人に出会える可能性自体が下がってるわけ!下手な鉄砲も数撃ちゃなんたらって言うでしょ!」
「誰が下手な鉄砲だ。あと、そこまで言えてなんで当たるが言えないんだよ」
しかし、姉の言っていることは至極ごもっともだった。所属しているコミュニティが少ないことで、機会損失が発生していることは否めない。
「近所の助け合いだってあるんだから!ここで知り合いになっておけば、どこかで助けてもらえるかもしれないし!てか、毎年法被来てお神輿行くたびに、弟さんは来ないの?っておじちゃんおばちゃん達から一々聞かれるお姉ちゃんの身にもなりなさいよ!」
「なんでアンタ大学生にもなって法被着るほどやる気マンマンなんだよ。そんなに聞かれるの嫌なら、アンタも参加しなきゃ良いだろ」
「嫌だよ!楽しいもんお神輿!」
そう言って姉は神輿を担ぐマイムでリビングを練り歩いた。こんなお祭り女の弟として参加させられるの荷が重すぎるだろ。近所の人達に絶対ガッカリされるじゃん。
「……まぁ、コミュニティだの出会いだのってアンタの言い分は分からんでもないけどな、とはいえ適合度合いってモノに相性の個人差があるだろ。地域コミュニティとか体育会系とか飲みサーとか、そういう陽のコミュニティに俺が向いていないのは、実験するまでもなく明らかなんだよ」
「まぁそりゃそうだけど、せっかく誘われてるんだから、とりあえず手始めにここから参加してみるってのはどうよ?一回踏み出してみた方が、雄太に合いそうな別のコミュニティに参加するハードルも下がるじゃん、アノニマスとか」
「俺に合いそうなコミュニティの代表それかよ」
「あ、でも雄太はそこまで天才的なハッキング能力はないから無理か、性格だけだもんね合いそうなの」
ハッキング能力のないアノニマスって、もうそれちょっと不気味なだけの暗い集団だろ。流石にそれに参加するくらいなら1人で良いよ。
「けどそんな感じでさ!踏み出す良い機会ではあるじゃん!それに、参加したら案外楽しかったりするんよこれが!」
「うーん……」
俺の両肩をガシッと掴んでジリジリと詰め寄る姉に、唸り声を上げながら顔を顰める。
確かに、姉の提案には一考の余地があるし、彼女なりの優しさを無碍にすることも少し憚られるところがあった。コミュニティを増やす足掛かりとして、あるいはスタートとしてこの機会を使うというのは、少し魅力的なようにも思える。
しかし、しかしだ。俺にはコレについて、拭いきれない懸念事項があったのだ。
「……まぁ、コミュニティを増やすってのは、別のところから始めるってのもアリじゃないか?わざわざ明らかに不向きなところに突っ込んで行く必要もないだろ」
「あーもう!雄太そう言って結局ずっと家にいるから、今回ばかりはって思って提案してんのに!アッチから誘われてんのよ?こんな機会もう無いって!」
「いや、誘われてんのはアンタだけだろ?俺は誘われてねえよ」
俺がため息混じりにそう言うと、仕返しとばかりに姉は大きなため息をついて首を振った。
「雄太のそのマイナス思考は置いといて、今回はなんと、ご指名が入っております、キャバ嬢さん」
「え、嘘だろ?誰が俺のことなんて誘うんだよ、あとなんでキャバ嬢なんだよ、せめてホストだろ。いやホストでも無いけど」
俺なんてホストから1番遠い存在だろ。女の子に可愛いねとか絶対言えないし、シャンパンタワーとか来たら冷笑しすぎて吹き出す自信あるぞ。さんさん!にーにー!いちいち!とか俺の言わない言葉ランキングトップ10には確実に入るし。
「いーや、今回ばかりは本当に雄太ご指名です!ドンペリ入りましたぁ!」
「本当に俺が誘われてるのか?誰に?」
「え?そりゃ琴音ちゃんよ、決まってんじゃん」
姉のそのあっけらかんとした言葉を聞いた俺は、少しばかり硬直した後に、苦笑いを浮かべながら項垂れた。
「……あーそうか。やっぱ俺参加するのやめとくわ」
「え、なにその反応、雄太琴音ちゃんと仲直りしたんじゃなかったの?」
「はぁ?」
「いや、前に家の近くでたまたま琴音ちゃんに会ってさ、その時に雄太の様子聞かれたのよ。心配してる感じでさ」
「心配?なんでだよ」
「あの子雄太の学校で生徒会長なんでしょ?それの関係で、雄太が停学したの知ってたんだって。だから、雄太が大丈夫なのか、根掘り葉掘り聞かれて、その流れで、お祭りに雄太も呼ぼうって話になって。いちおう琴音ちゃんも自分で誘うって言ってたけど、誘われてないの?」
「誘う、なぁ……」
俺はまた、虚な目をしてテレビ画面に視線を戻した。
「ほら、なんか知らないうちに、雄太と琴音ちゃん疎遠になってたじゃん?けど琴音ちゃんが、私が雄太を直接誘います!って言うもんだから、テッキリ仲直りしたのかと……」
少しばかり困惑している様子の姉に、俺は無表情で答える。
「アンタは認識を二つ間違えてる。まず一つは、俺とアイツは仲直りも何も、そもそも仲違いをしていない。ただ近所だから幼い時に親しかっただけで、歳を重ねるごとに性格の不一致から自然と疎遠になっただけだ。もう一つは、謎の上から目線で一方的に参加承認こそされたが、誘われるなんて文脈じゃなかった。アレを勧誘だと思っているのなら、傲慢も甚だしい代物だったな」
俺が思わず苛立ちを漂わせながら言うと、姉は呆気にとられたように乾いた笑いを浮かべた。
「あー、そういう感じね……つまり、雄太は琴音ちゃんがちょっと気まずいんだ」
「……別に、そんなんじゃねえよ」
俺がポツリとそう言うと、姉は困ったように微笑んだ。
「うーん……まぁ、お姉ちゃんも無理にとは言えないからね。分かった、断っとくよ」
「助かる」
「うむ、人生もおっぱいも、山あり谷ありじゃ。つまり、人生もまたおっぱいであり、おっぱいもまた人生……」
「何も総括出来てないぞソレ」
俺と姉は、親が帰宅するまでの間、しばし無言で夕方の情報番組を横に並んでただ見ていた。




