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日常1


 青天の霹靂、という言葉がある。


 予想だにしない出来事が突然起こるという意味の故事成語なんだそうだ。まぁ、つまるところ、俺には関係のない、いや、ちょっと前までは関係のなかった言葉である。


 4月、俺の平凡な人生に、突如として雷鳴が轟いた。そして5月、またしても雷鳴が轟いたのである。なぜに俺みたいな平凡なモブキャラの人生が、こんな荒天に見舞われてしまったのだろうか。

 しかして、やはり人間の慣れとは恐ろしいもので、7月の中旬に差し掛かった今となっては、その生活にも、多少の居心地の良さすら感じるほどに、適応して収まってしまったのである。

 

 そして、そんな折だった。三度霹靂が、俺の生活を貫いた。


 「私、ユウくんのお嫁さんになる!」


 キラキラとした目で、その子は貝殻の首飾りを両手で大切そうに手に取り、ニッコリと天使のようにこちらに微笑んだ。

 その幼女の表情に、俺は胸が飛び跳ねた。あぁ、この子を一生大切にしなければなるまい、それが男として生まれた矜持であり、使命である。というか可愛すぎるマジで結婚して幸せになろうな俺と。

 ん?幼女?


 「……んー」


 俺の思考がゆっくりと、現実世界に引き戻されていく。窓から差す光が瞼の隙間から入ってきて、自分が夢を見ていた事に気がつくのに、そう時間はかからなかった。


 「……夢かよ」


 俺はウトウトとベッドから這い出るように起きて、おもむろに伸びをした。まぁ、こんなモブキャラの人生に、この短期間に3回も美少女との邂逅があるわけないですよね、知ってました。

 俺は、その霹靂が夢だったことによる安堵と、そんな事を夢にまで見てしまう自分の強欲に嘆息して、部屋で1人乾いた笑いを浮かべた。


 俺、幼女が好きだったんかい。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 「いやー、まぁ、なんていうか……」


 俺は椅子に座って、あたふたと狼狽した。

 ここは英語研究室、つまるところ、英語教師の事務仕事部屋である。

 俺の眼前で紙を机の上に置き、冷ややかに追い詰めてくるのは、担任兼英語教師の岡谷教諭。彼女はその紙の右上を指で指し示した。


 「このスコア、リードして?」


 「え、えっと……サーティー?」


 「サーティーン!あなたの中間テストのスコアは、30点ではなく、13点です!」


 俺が作り笑いでヘラヘラすると、岡谷先生は痺れを切らして声を荒げた。なんでそんなにイライラしてんだよ、アンタの人生に俺の中間テストの点数なんて関係ないだろ。人生に関係あるのにヘラヘラしてる俺の余裕を見習ってほしいものである。あれ、これは俺がおかしいだけか?


 「まったく!ミスター須坂!あなたはもっとスタディしなきゃバッドよ!」


 「先生はもしや、勉強した人間の方が、優秀で偉くて賢いと思ってませんか?」


 「オフコース!当たり前でしょう!」


 「その考え方を変えましょう。まず、今の日本社会において勉強というのは、綺麗事はさておき、良い大学に入って、良い企業に入ることを目的としていますよね?これはつまり、将来の所得を上げるために、今勉強しているということです」


 俺は脳みそをフル回転させて、あの手この手で抗弁を試みる。


 「しかしですよ?これは、行き過ぎた競争社会じゃないですか?良い大学に行って、良い企業に入っても、またその中で競争させられるんです。この構造を見る限り、勉強とは、さらに苛烈な競争社会に身を投じる切符でしかありません。つまり、将来たくさん仕事をするために、今たくさん勉強している、ということになりますよね?そして、その結果時間と余暇を失って、所得だけが膨らんでいくんです。幸福の最大化という側面で見たら、今必死に勉強するというのは、果たして正しいのでしょうか?」


 俺の弁舌はさらに加速する。乗ってきたぞ口が、屁理屈なら誰にも負けないぞ。ソクラテスの時代に生まれてたら、俺はソフィストとして後世に語り継がれたというのに、生まれる時代を間違えたぜ全く。


 「日本の努力信仰および学歴信仰は、個人の幸福追求の観点から、明らかな欺瞞です。将来の努力のために、今努力してるのですから。僕は、物質的な豊かさと余暇のバランスが、もっとも自分の幸福に近くなる場所を目指しているんです。忙しすぎて家に帰れない優秀な商社マンになることは、僕にとっての幸せではありません」


 岡谷教諭の眉間のシワが、マリアナ海溝くらい深くなってるような気がするが、見なかったことにして俺は続ける。


 「僕は、他の学生より、むしろ本質を捉えています。僕の目標は、学歴や職歴ではなく、幸福です。これは、学校空間における集団洗脳と欺瞞を看破し、目標を再定義したということです。むしろ、言われるがままに、がむしゃらに勉強している学生なんかより、よっぽど深く物事を考えている証拠です。つまり、逆説的に高学歴はバカであるということで……」


 「シャラッッッップ!!!」


 怒号が飛んだ。雄弁に語っていた俺は、一瞬にして怯えて縮こまった。シャラップって言われたぞおい、久々に人に怒鳴られたぞおい。


 「……もう良いわ」


 生まれたての小動物みたいに、俺が情けなくメソメソと眉を垂れ下げていると、岡谷先生は呆れ返ったようにため息をついて、テスト用紙を俺の胸に叩きつけた。


 「ネクストテストで、アベレージをオーバーしなかったら、リテイクだから」


 「はい?なんですかそれ?撮影かなんかですか?」


 「追試だから!」


 「えぇ……」


 俺が顰めっ面を浮かべると、岡谷教諭は不機嫌そうにして、勢いよく立ち上がって英語研究室を出ていった。

 

 俺が英語研究室を後にして、下駄箱で靴を履き替えていると、後ろから声がかかった。


 「あれ?雄太じゃん」


 俺が振り返ると、そこには金髪の美少女が立っていた。背中にはギターバッグを背負っていて、ピンクの髪留めをしている。完全にサブカル系JKである。ここって下北だったっけ?いや、長野の片田舎のはずだが。


 「今帰り?」


 「あぁ。そっちは?今から部活か?」


 「んーん?今日から期末テスト期間じゃん?だから部活禁止なんだって、マジ最悪。だから、ギターだけ部室から回収してきて、家とかで練習しようかなって」


 「勉強する気ゼロじゃねえか。部活禁止の意味ねー」


 「うっさい。てか、そういう雄太は勉強すんの?」


 「もちろん」


 「え、マジ?めっちゃ意外なんだけど」


 「あんまり見くびるなよ。まず、ラノベで現代文の読解の練習だろ、それから……」


 「あー分かった分かった、要するに勉強する気ないってことね、アタシと一緒じゃん」


 俺の娯楽と勉強が高度に融合された勉強計画を一蹴するな。まぁ、俺のこの勉強法、現代文しか点数上がらないんだけどね。歴史転生もののラノベ読んだ結果、世界史のテストの記述問題で、現代の科学知識でローマ帝国を主人公が倒しましたって書いたら、部分点しか貰えなかったけどね。むしろなんで部分点くれたんだよ、用語が当たってても点数上げちゃダメだろ。


 「でも、流石にちょっと勉強しないとヤバいかも、アタシこのままだと留年危機って感じだし」


 「まぁ、それは見につまされるな……」


 「え、雄太もヤバいってこと?」


 「……かなり」


 俺が苦々しくそう答えると、立科は手をパチンと合わせて嬉しそうに駆け寄ってきた。


 「あ!じゃあさじゃあさ!勉強会やろうよ勉強会!今からショッピングモールのフードコートで、一緒に勉強しよ!」


 「あんな騒がしいところで勉強しても、頭に入ってこないだろ」


 「けど、どうせ家に帰ったらラノベ読むかゲームするかなんでしょ?アタシも1人じゃ絶対やんないし、分かんないとこ2人で教え合えば良いじゃん!」


 「あのな、俺たちはどっちもテストの点数が芳しくないんだぞ?教え合うも何も、勉強ができないやつが2人いてどうする」


 「えー、でもほら、得意科目はあるでしょ?それでお互い補完しあえば良くない?」


 「そんなにうまく行くか?」


 俺が立科の提案に訝しげな表情を浮かべていると、彼女は持っていたスクールバッグから、紙が数枚挟まったクリアファイルを取り出した。


 「あとね、軽音部のOBの先輩が前に部室に遊びに来て、過去問置いてってくれたんだよね。この学校、テストかなり使い回しらしくて、数年前のテストがそっくりそのまま出たりすんだって。んで、これが過去のテスト……」


 「立科様」


 俺は下駄箱のすのこに膝をつき、立科に完全服従姿勢でひれ伏した。


 「……え、なに?」


 「お靴を、舐めさせていただけないでしょうか」


 「……キモ」


 クソ、靴舐めではその過去問を見せてくれないというのか、なんて女王様気質なのだろうか。


 「どうすれば、そのファイルの中にある、古文書を見せていただけますか?知的探究者の端くれとして、その文献を一度拝読させていただきたく……」


 「わ、わかったから!さっさと立ち上がって!恥ずかしいし、あとキモいから!」


 「見せてくれるんですか!?」


 「……え、なんか条件言ったら、やってくれんの?」


 「……臓器売買とかでなければ」


 「やらないしそんなの!アタシにメリットゼロだからそれ!」


 「じゃあ何をご所望で?」


 俺が膝を上げて立ち上がると、立科はモジモジと顔を赤らめながら、俺を上目遣いで覗き込んだ。


 「その……2人で遊び行きたい」


 「……はい?」


 「だから!その、2人で遊びに行きたいって言ってんの!」


 立科はギュッと目を瞑って、意を決したように前屈みに俺にそう言った。


 「え、それは、俺とってことか?」


 「それ以外ないし!」


 「なんじゃそりゃ」


 「なに、嫌なの?」


 立科は不服そうに、俺をジトっと睨みつけた。

 はてさて、ゴールデンウィークの一件以来、この金髪美少女は俺のようなモブキャラに好意的に接してくれるようになったわけだが、どうにも俺はそれが釈然としなかった。

 なぜなら、それはまるで彼女の弱みにつけ込んだもののような気がして、引け目を感じているからである。あるいは、あんな逃避行じみたロマンスや、停学という罪咎を共有した男が、実は臆病な人間だということを彼女に看破されるのが怖いという、それこそ臆病さからくる回避行動かもしれない。

 要するに、可愛い女の子にガッカリされたくないのだ。我ながらなんと自信のないことか。


 「嫌じゃないけど……そんなんで良いのか?俺と遊びに行くとか、逆に立科は嫌じゃないのかなと」


 俺が平然とそう言うと、立科は余計にジトっと睨みつけたあと、ため息をついて首を傾げた。


 「それ、治るの?」


 「え?」


 「はぁ……まぁ良いや。とりあえず、アタシこう見えて結構リードして欲しいタイプだから、過去問見せる代わりに、今月どっかでそっちから誘って、わかった?」


 「え、いや……」


 「わかった!?」


 「しょ、承知いたしました……」


 立科がおでこがくっつきそうなほど顔を近づけて来たので、俺はその圧に耐えきれずに力なく答えた。こんな子がリードされたいタイプなわけねえだろ、むしろ彼氏に首輪とかつけるタイプだろ絶対。まぁそれはそれで悪くないけど。ワンワン。


 「ほら!じゃあフードコート行くよ!アタシ靴履いてくるから、校門で待ってて!」


 「おい、そんな目立つところで待ち合わせすんのは……聞いてねえ」


 俺はギターを背負って駆けて行く立科の後ろ姿を見てため息をつくと、下駄箱から靴を取り出して、上履きを放り込んだ。

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