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後日談2


 俺は教室の扉の前で、少しばかり深呼吸した。そんな柄にもない美少女転校生みたいな所作の後に、意を決して扉を静かに開く。

 教室は、いつもの朝の喧騒に包まれていた。クラスメイトは雑談に興じていて、俺の登校には気がついていないみたいだ。

 俺が胸を撫で下ろして、自席に腰を下ろして鞄を漁っていると、斜め前方向の離れた席に座っていた千曲が、目配せして小さく机の下で手を振ってきた。うーん、クラス1の美少女との秘密の関係、悪くないです、はい。

 俺が千曲に引き攣った笑いで返した時、数人のクラスメイトの視線と、小声の吐息を感じた。俺のような人間が、悪意の気配に敏感なのは、嘆かわしいな。そんな自分の性格と能力の噛み合わせの悪さに、俺は頬杖をついて窓の外を見ながら嘆息した。あるいは、これ以上教室空間を直視する勇気が、なかったのかもしれない。


 昼休み、俺はいつも通り廊下を歩いて体育館裏に向かっていた。今日は木曜日なので、千曲との約束もない。1人で気ままにサンドウィッチを貪る算段である。


 「えいやっ」


 「ほげぇっ!」


 うなじに鈍痛が走り、俺が咳き込みながら振り返ると、そこには俺とは全く関わりのなさそうな、金髪ギャルがニヤニヤと覗き込んでいた。


 「ほげぇだってほげぇ!なにその反応、ヤバい死ぬ!」


 「日本の伝統文化なんだよ、牛は殺して良いのに鯨はダメな根拠を言え、ダブルスタンダードだぞシーシェパードめ!」


 「はぁ?なに言ってんの?意味わかんないんだけど」


 うーん、即座に捕鯨とかけて、俺のユーモアとスマートを体現したわけだけど、どうやら伝わってないみたいだ。それとも、ただの親父ギャグだから、拾うに値しないと思われたのかな。だとしたら悲しいな。

 訝しむ立科に、俺は誤魔化すように頭をポリポリとかいた。


 「……どーも」


 「なにその挨拶、おもろ」


 「じゃあなんて言えば良いんだよ」


 「え、えー……おつラブ爆弾〜、とか……?」


 「え、なにそれ、どういう意味?」


 俺が顔を顰めると、立科は恥じらいながら手をブンブン振った。


 「い、いや、これ推しがやってた挨拶だから!別にアタシが考えたわけじゃないし!配信の時の挨拶っていうか!」


 あー、そういやこの子もオタクでしたね。見た目の派手さで失念しておりました。


 「さすがに、おつなんちゃらよりも、どーもの方がマシだろ。お前の界隈のセンスどうなってんの?」


 「雄太に言われたくないんだけど!お母さんに服買ってもらってるような人間に、センスがどうこう言われる筋合いないから!」


 「おい、俺はお母さんに服買ってもらってるなんて一言も言ってないだろ、なぜ分かった」


 「アタシに貸してくれたTシャツ、もろお母さんのセンスだったから!そんくらいデザインで分かるし!」


 立科は膨れっ面で、前屈みに俺を見た。その体制、谷間が見えそうになるのでやめてください。謎の引力で視線が吸い込まれそうになるので。


 「良いだろ別に、服なんて布なんだから、着れればなんだって良いんだよ」


 「マジで信じられないんだけどその発言。まぁ、雄太のキャラを考えると、解釈一致だけど」


 「人をアニメキャラみたいに言うな。俺は冷徹でリアリストで論理的だけど、案外ポンコツでスケベだぞ」


 「うん、後半は解釈一致」


 「はっ倒すぞ」


 立科が真顔でそう言うので、俺が顰めっ面を浮かべると、彼女はおどけたように微笑んだ。


 「……んで?何してんの?」


 「飯食いに行くんだよ。教室は居心地が悪いからな、誰もいない特等席で、いっつも飯食ってるんだよ」


 「ふーん、そうなん」


 「そう言う立科は?何してんだよ」


 俺が尋ねると、立科は恥じらったような苦笑いを浮かべる。


 「教師に呼ばれてて。いろいろ、今後の話、みたいな」


 「……そうか」


 俺と立科は、進行方向が同じだったようで、2人で昼休みの喧騒の中を歩いた。


 「……雄太はさ、文理選択、どっちなの?」


 「ん、俺は理系だけど」


 「え、以外」


 「いや、解釈一致だろそこは。こんな論理的思考力の鬼、あるいは知性の塊、理系に決まってんだろ」


 「その自己評価は意味不明だけど……そっか、分かった」


 え、俺のこの自己評価間違ってるの?俺は思春期の御多分に洩れず、冷徹で論理派なサイコパスとしてのアイデンティティがあるわけだが、もしやこれただの厨二病ですか先生?


 「文理選択の件で呼び出されたのか?」


 「まぁ、アタシはまだ文理決めてなかったから、それもあるけど、あとは、家族の話、とかかな」


 「ほーん」


 俺が歩きながら窓の外を見ていると、立科は俯きながら、ポツリポツリと、その歩調に合わせて言葉を紡いだ。


 「……あの後ね、お兄ちゃんと、喧嘩した」


 「……そうか」


 「お母さんがアタシに興味がないとか、新しく連れてきた彼氏が気持ち悪いとか、お兄ちゃんが世間体ばかり気にしてるとか、そういうこと。全部全部、ちゃんと話した」


 「……」


 「あとは、学校の勉強に興味がないとかね。アタシは音楽がやりたいって言ったら、そんな甘い世界じゃないって……」


 「……まぁ、賢明だな」


 「だけどね、アタシが泣いて思ってたこと全部言ったら、お兄ちゃんも泣いてた。ビックリした、ずっとずっと、アタシのこと邪魔だと思ってるって、そう思ってたから」


 立科は俯きながら、それでも暖かな笑みを浮かべる。


 「アタシが考えてること、よく分からなかったんだって、ごめんって言われた。アタシも謝った。何も話さずに、迷惑ばっかかけてごめんって」


 対話の欠如は、すれ違いを生む。いつからか、膝を突き合わせて相手と話し合うことを、ヒトは忘れ、あるいは避けるようになる。話せば分かるという理想が徒労に終わった時に、ヒトはそれを諦め、本当に語り合うべきだったはずの人間との対話さえ、やがて拒むようになるのだ。

 身につまされた。俺が捨て去ったその理想に、彼女は勇気を出して飛び込んだのだ。泣き喚いて、それでも最後に逃げなかった彼女は、やはり俺よりも、よっぽど誇り高く、力強い。


 「それでね、家族会議した。アタシが、お母さんの彼氏が嫌だって言ったら、それをお兄ちゃんが庇ってくれた。アイツを追い出せって、じゃなかったら乃亜と俺で家を出てくぞって。お母さんはお兄ちゃんのことが好きだから、渋々受け入れてた。やっぱお兄ちゃんの言うことだと聞くんだって、ちょっと悲しかったけどね」


 「そんなもんだよな。母親って、娘より息子に甘いから。俺のお母さんも、俺に服が無いと勝手に買ってきてくれるし。あ、ゆえに俺はお母さんの買ってきた服着てるだけだよ?息子の役目を果たしてるというか、ダメ息子を演じることで、母親のアイデンティティを埋めてあげているというか」


 「……それは雄太が本当にダメ息子なだけだし」


 おい、この子意外と俺の屁理屈を真正面からへし折ってくるな。こんな派手派手しい見た目だが、どうやらバカではないらしい。解釈不一致だぞソレ、ギャルタレントなら失格だぞ。


 「それから、お兄ちゃんと、遊びに行った。運転してもらって、山の方の有名な神社。構造が云々とか、建築技術がどうこうとか、意味わかんなかったけどね」


 「お兄ちゃんも可愛い妹に楽しんで欲しくて解説したんだよ、意味わかんないで片付けたら可哀想だろ」


 「だって意味わかんないんだもん。けどね、けど、いっぱい喋って、いっぱい話聞いてくれた。その、なんていうか、楽しかったよ」


 その立科の微笑みは、眩しいくらいに屈託のない表情だった。もしこれが妹だったら、天使に見えるだろうなぁ、良いなぁ、俺もこんな妹欲しかったなぁ。


 「あとは、雄太のこと、根掘り葉掘り聞かれた。どういう奴なのかとか、なんであんな冴えないやつと付き合ってるんだとか、今すぐぶっ飛ばしてやるとか」


 「おい、最後に至っては犯罪予告だろ。てか、まだ俺たち付き合ってることになってんの?」


 「しょうがないじゃん。あんなこと言っちゃったんだから、いまさら嘘でした、なんて言い出せないし。雄太も、お兄ちゃんにはアタシたち付き合ってることにするから、言ったからには責任とってよ」


 「立科が先に言ったのに……」


 「なに?嫌なの?」


 「だってぶっ飛ばされるんだろ?嫌に決まってんだろ」


 俺が眉を顰めてそう言うと、なぜか立科は不服そうに頬を膨らませてコチラを睨みつけた。


 「ぶっ飛ばされてでも、アタシのこと奪えし……」


 「痛いのは勘弁してくれ。だいたい、立科はそれで良いのかよ、俺が彼氏なんて誤解をそのままにして。釣り合ってない俺なんかと付き合ってることにしたら、沽券に関わるだろ」


 俺がよそ見しながら何の気なしにそう言うと、うなじに鈍痛が走った。既視感、いやこの場合なんて言うんだろ、触覚だから、既触感?どうでも良い、痛い。


 「バーカ!このほげぇ野郎!」


 「シーシェパードしか使わない悪口はやめろ!てか、俺今回は何も言ってないだろ!そもそも、何度もヒトのうなじをカバンでどつくな!」


 「うるさい!バーカ!」


 立科はあっかんべーっと前のめりに俺を睨んで、職員室方面に駆けていく。


 「あ、ちょ、待て!」


 「……なに?」


 「放課後、部室棟の1階まで来てくれ。案内したい場所がある」


 「……告白?」


 「違えよ、こんな美少女に特攻するほど俺は大和魂ねえよ。負け戦はやらない主義だ」


 俺が眉を顰めてそう言うと、立科は不服そうに口を尖らせながら、しかし妙に顔を赤らめてモジモジと身を捩る。


 「……はぁ、なんか雄太って、そういうとこある癖に、そういうとこあるよね」


 「は、どういう意味?なんちゃら構文?」


 「知らない!バーカ!」


 立科はそう言って職員室のドアを開けて、ピタリと止まり、小さく呟く。


 「……また、放課後」


 「……あぁ」


 職員室の扉が閉まったのを確認すると、俺はあくびをかいて、昼下がりの廊下をまた歩き始めた。

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