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逃避行2


 「おい!ちょっと待て!乃亜!」


 俺と姉が2人を追いかけて外に出ると、玄関から数メートル離れた住宅街の路上で、ちょうど兄が立科を捕まえたところだった。


 「離して!離してよ!」


 「いい加減にしろ!何してるんだお前!」


 手首を強く掴む兄を振り解こうと、立科はその華奢な腕をブンブンと振った。ギュッと目を瞑って、今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。


 「どれだけ迷惑かけたら気が済むんだお前は!」


 「いいから離してよ!い、痛い!」


 兄は完全に頭に血が上ってしまった様子で、顔を真っ赤にしながら鬼の形相で立科の手首を強く掴んでいる。その力に、立科は苦悶の表情を浮かべて怯んだ。


 「ちょ、翔!落ち着いて!」


 その様子を見た姉が2人の元に慌てて駆け寄り、立科兄の肩を揺すって制止する。


 「うるさい!これは立科家の問題だ!あやめには関係ないだろ!」


 「乃亜ちゃん痛がってるじゃん!一回離してあげなよ!」


 「……!」


 立科のその苦痛の表情を見て我に帰ったのか、兄はバツが悪そうにして投げ捨てるように立科の手を離した。


 「まぁまぁ、一旦2人とも落ち着いて」


 未だ物凄い剣幕で立科を睨みつける兄と、俯きながら肩を振るわせる立科の間に割って入るように、姉は2人に手のひらをかざして落ち着くように促した。


 「……あやめが、一昨日の夜、乃亜を泊めたのか」


 「え?」


 「説明してくれ!なんであやめの家にウチの妹がいるんだ!一昨日帰って来なかったのは、お前の家に泊まってたからじゃないのか!」


 「ちょちょ、話すから!冷静に冷静に!」


 怒りの矛先が今度は姉に行ってしまったようで、声を荒げる立科兄に、姉は狼狽えながらもなんとか制止する。


 「その、乃亜ちゃんが一昨日私の家に泊まったのは、多分そうだと思う」


 「多分?」


 「いや、私その日の夜はテニサーのカラオケオールで家空けてたから!乃亜ちゃんと一緒にいたのは、私の弟!」


 姉は立科兄の鋭い眼光に、慌てて俺を指差す。うわ、俺にボール回ってきた、勘弁してくれ。

 立科兄の血走った視線が、姉から俺へと移る。どうやら、ことの経緯の詳細な説明は俺の役回りらしい。まぁ、そうなりますよね。


 「……その、立科さん…乃亜さんと俺は同じ高校で、たまたま補習授業で一緒になったんですけど、その時に乃亜さんが家出するって言ってて、けど当てがないって困ってたので、その、見捨てられなくて俺の家に泊めました」


 立科が俺の家に泊まるに至るまでの状況を端的にそう説明すると、立科兄は顔を顰めて俺を問いただす。


 「普通、心配だったらまず家に帰るように説得するのが筋じゃないのか」


 「いや、そんなことしても意味ないっていうか……同級生如きがそう易々と説得して家に返せるような状況だったら、はなから妹さんは家出なんてしてないですよ」


 「だとしても、普通は相手の家族に一報入れるのが筋ってもんだろう!お前たちの親は、女子高生を泊めることに何も言わなかったのか!」


 「えっと、私らの親は、今長期旅行中でして……」


 「独断で泊めたのか……」


 俺と姉が気まずそうに視線を泳がせると、立科兄は呆れと怒りが混じったようなため息をついて頭を掻き、再び顔を上げて俺たちを見た。


 「あやめは、弟が家出した女子高生を泊めるなんて言い出した時に、なんで相手の家族への確認をしなかったんだ!」


 「い、いやぁ、私も高校生の頃とか、事後報告で友達の家に泊まったこととかよくあったし、乃亜ちゃんの気持ちも分からんでもないと言いますか……てか、家出した女の子泊める時に、相手の家族になんて連絡したら、それこそ家出の意味ないじゃん」


 「意味ないとかじゃないだろ!常識的に考えて、おかしいと言っているんだ!お前たちのやっていることはな、誘拐だぞ誘拐!」


 「ちょ、大袈裟だって……」


 「大袈裟じゃない!」


 俺と姉に怒鳴り散らす立科兄のその様子を見て、それまで押し黙っていた立科が、耐えられずに口を開いた。


 「すぐに、探さなかったくせに……」


 「……え?」


 「アタシのこと、すぐに探さなかったくせに!」


 そう強く言い放った立科の目から溢れた涙が、風に乗って流されていく。


 「もしアタシのことが心配ですぐに探してたなら、一昨日の夜の時点で、学校から連絡が来るはずだし!けど、昨日の夕方まで、学校から連絡がなかったってことは、それまで探してなかったってことでしょ!」


 「そ、それは……お前が最近帰りが遅い日が多いから、帰ってくるかもしれないと思って待ってたんだろ!」


 「ウソ!だったら深夜になってもアタシが帰って来なかった時点で、学校や警察に連絡するハズだもん!」


 「そんなことしたら、大事になるだろ!俺がどれだけギリギリまでお前が帰ってくるのを待ってたと思ってるんだ!」


 「お母さんは!?」


 「……え?」


 「お母さんは!?アタシの帰りを待ってた!?一昨日も昨日も、アタシが帰って来ないこと、心配してた!?」


 「それは……」


 兄は立科のその言葉に一瞬戸惑った後、少し苦々しい表情で口ごもりながら言う。


 「お母さんは…家にいなかったから……」


 「……やっぱり、そうじゃん」


 兄のその表情に、立科は落胆したように小さく項垂れた。瞳は虚に、諦めたように笑う。


 「もう、これ以上迷惑をかけないでくれ」


 兄は立科の両肩に手を置いて、言い聞かせるように話し始めた。


 「学校にだって、本当は連絡なんてしたくなかった。田舎じゃ、こういう噂はすぐに広まるんだぞ。これでもし本当に警察沙汰になって、あわや非行で高校退学にでもなってたらどうするつもりだったんだ」


 「……そう、だね」


 「高校に行っていない年頃の女の子なんて噂、ご近所や知り合いにすぐ広まるんだ。こうやって、たまたま兄弟同士が知り合いだったなんて、こういう田舎にはよくある話なの、お前も分かるだろ。これ以上、俺の顔に泥を塗らないでくれ」


 ああ、まったくだ。彼の言うことはもっともだ。

 俺の姉が立科の兄と知り合いだったことは、偶然なんかじゃ片付けられない。なぜなら、地方都市の狭いコミュニティにおいて、こんなことは頻発するからだ。

 人が少なく、故にコミュニティが狭く、したがって噂話も風評も、凄まじい早さであまねく広がっていく。これが田舎のリアルだった。

 こういう環境において、警察沙汰やら、学校での粗相やらは、それ単体以上の意味を持つ。非行少女の烙印を押されたものは、この山に囲まれた盆地から抜け出さない限り、一生非行少女のレッテルと向き合い続けなければならないのだ。

 彼の言っていることは、何の反論の余地もない、正論だった。


 「お前の行動の責任は、お前だけに降りかかるわけじゃないんだ」


 「……」


 立科の兄が、ジリジリと追い詰めるように言葉を続ける。


 「ちゃんと学校に行ってくれ。そうじゃないと、こうやって知り合いがいる俺まで……」


 「お兄ちゃんはいっつもそうやって……」


 「あの、それまでにしませんか?」


 兄の言葉に我慢しきれずに、立科が顔を上げて何かを言おうとしたその時、俺は立科の肩に置かれた兄の手を振り払って、立科を庇うように2人の間に立った。

 立科の口から出かかったその言葉は、彼女が言うべきじゃない。


 「……なんだ、これは俺たちの問題だ」


 「妹さんをご家族の許可なく家に泊めたのは俺なんで、俺にも責任はあるでしょ」


 俺が声の震えを押し殺して、努めて淡々とそう言うと、立科の兄は呆れたように嘲笑う。


 「高校生の君が責任だって?笑わせるな、どうやってそんなものを取るつもりなんだ」


 「いや、まぁ、どうでしょうね。けど、そうやって妹さんを追い詰めるのは、もうやめませんか?」


 「はぁ、思春期特有の万能感なのか知らないけどね、君は俺と同じ土俵にいないんだよ。乃亜との関係も、立場も、まるで違う。だいたい、君は乃亜のただの同級生なんだろ?どこに俺たちの話に首を突っ込む権利があるんだ?」


 「……」


 俺は彼のその態度に、少しばかり頭にきて、どう言い負かしてやろうかと頭をフル回転させた。

 ふと、後ろにいた立科が、傍らに飛び出してきて、俺の右腕を両手でギュッと抱きしめた。


 「雄太は……雄太は私の、彼氏だから!私たち、付き合ってるから!」


 立科はまるで本物の彼女のように、俺の右腕を抱き寄せて体を密着させる。その柔肌で俺の二の腕を包み込んで、瞳を潤ませながら、しかして力強い視線で兄を見た。

 あーあ、言っちゃったよこの子。もう引っ込められそうにないな。

 俺は現実逃避するみたいに、季節の移ろいで春の霞がはれた、5月の夜空を見上げた。


 「……か、彼氏?乃亜が、コイツと、付き合ってる?」


 立科の兄が唖然とした表情で俺を指差す。なんだ、まるで俺が立科と不釣り合いだとでも言いたいのか。失礼な。

 俺は夜空から視線を戻すと、できるだけ不敵に笑い、虚勢をこれでもかと張り巡らして口を開く。


 「どうも、乃亜さんとお付き合いさせて頂いております、須坂雄太と申します。よろしくお願いします」


 あーあ、言っちゃったよ俺。もう引っ込められそうにないな。

 全くもって、立科の兄の言うことはやはり正しいみたいだ。思春期特有の万能感で、こんなイタい青春ごっこをしてしまうなんて、俺らしくもない。満天の星に、あるいはそれを写した少女の瞳に、あてられたのだろうか。

 いったいどうするつもりなんだかね、俺も、俺の腕を抱くこの少女も。


 「……彼氏だかなんだか知らないが、だからと言って宿泊なんて許可した覚えはない!」


 恋人のようにくっ付く2人を見て、立科の兄はまた青筋を立てて怒鳴った。どうやら、先ほど以上に怒り心頭の様子である。


 「いやいや、昨今の恋愛離れの世相で、高校生カップルがお泊まりだなんて、なかなかどうして朗報だと思いませんか?」


 「そんなこと、ダメに決まってるだろ!」


 「え、なんでですか?年頃の男女がハッスルしないで、誰が日本の少子化を食い止めるんですか?これで年金が増えるかもしれないんだから、むしろ俺たちに感謝してくださいよ」


 「おい、まさか君、乃亜とそんな不埒なことをしたのか……?」


 顔を真っ青にして立科の兄が尋ねてくるので、俺は少し冷や汗をかきつつも、仕返しと言わんばかりにしたり顔でその問いに答える。


 「ええ、そりゃもちろん。思春期の男女の好奇心を舐めたらいけませんよ、あんなことやこんなことまで、一晩中2人で熱中しましたから。最後にはお互いぐったりしちゃって、一緒になって寝ちゃいましたもん」


 ま、本当は一晩中ゲームに熱中してただけなんだけどね。一緒に寝たって言っても、別々の布団だけどね。

 俺があたかも淫らな行為をしたかのように詳細を省いて語ると、傍らにいた立科がジトッとした目で俺を見つめた。


 「……キモ」


 「おい裏切るな、あとお願いだからキモはやめろ」


 俺が立科の視線に顔を顰めていると、怒りに顔が歪んでしまっている立科の兄が、今にも飛びかからん勢いで俺を睨みつけているのに気づいた。おいこの表情、修学旅行で行ったデカいお寺の門に立ってた木彫りの像で見たぞ。もう金剛力士だろこの人。


 「……逃げるぞ」


 「え?」


 「俺このままだとマジで殺される」


 俺は右腕を抱きしめている立科をそのまま引っ張って、家の前に設置されている自転車に跨った。


 「え、ちょ、どこ行くつもりなの?」


 「威勢よく啖呵切ったアンタの彼氏は、アンタの兄ちゃんとステゴロの喧嘩して、勝てるように見えるか?」


 「……お兄ちゃん、極真空手で県2位だよ」


 「おま、早く言えよそれ、それ知ってたら、あんなこと言わなかったのに」


 「……ダサ」


 「ほっとけ」


 俺は自転車に跨ってペダルに足をかけた。そして、振り返って立科に声をかける。


 「一緒に逃げるか?」


 「……うん!」


 立科が体を横向きに、半身で自転車の後ろに乗る。そして、上半身を捻って、俺の背中をひしと抱いた。


 「……一緒に、逃げよ」


 「了解」


 俺はペダルを強く踏み込んで、夜の住宅街を漕ぎ出した。吹き抜ける風が、追い風みたいになって、自転車は加速していく。


 「おい!待て!」


 立科の兄が俺たちを追いかけて、走ろうとした。その瞬間、その手首をパシッと取って、姉が引き留める。


 「翔!いい加減にしなさい!成人したいい大人が、高校生の青春邪魔してどうするの!」


 「そんなこと言ってる場合じゃ!おい!乃亜!待て!」


 俺たちを引き留めるその声は、自転車の加速と共に薄れて、次第に遠くなっていく。

 自転車がトップスピードに乗って、河川敷の堤防に差し掛かった時、その声は聞こえなくなっていた。


 「なんか勢いでここまで逃げちゃったけど、どうする?帰って土下座する?」


 「雄太が自分でアタシを連れて逃げたんだから、最後まで逃げ切ってよ!」


 「……これ逃走中とかと違って時間制限ないから、逃げ切るも何もないけどな」


 俺は河川敷の堤防の上のまっすぐな道を、全力で漕いだ。柄にもなくハイになってしまっているのだろうか、通り抜けていく風が心地いい。


 「ねぇ、これからどうしよっか!」


 耳に勢いよく風が入るので、立科は大きな声で俺に問いかける。


 「知らん!逃げ切ってくれって頼んだのは立科だろ!」


 「じゃあさ!2人でこの川下ってって、海見に行こうよ!」


 「こんな内陸から海までって、どんだけ俺に自転車漕がせるつもりなんだよ!」


 「知らなーい!」


 耳元で、立科の笑い声が聞こえる。その声は、何度も聞いたことがあったもので、けど、その時初めて、なんの憂いもないその笑い声を、聞いた気がした。

 髪を靡き、体を通り過ぎていく5月の風は、晩春と呼ぶにはあまりにも爽やかで、少しだけ夏を予感させるような、そんな匂いがした。


 「しっかり捕まってろよ!落ちたら置いてくからな!」


 「雄太サイテー!だから友達いないんじゃない!」


 「ほっとけ!」


 立科はそう冗談めかすと、強く、しっかりと、俺の背中を抱いて体を預けた。


 「……背中に何か当たってるとか言ったら、自転車から突き落とすから」


 「言われなかったら意識しなかったのにな」


 俺のそんな煩悩さえ、前から吹き抜ける風が吹き飛ばしていく。冷笑上等の斜に構えた俺も、この時ばかりは、初夏と青春の二つの季節に、酔わされていたのかもしれない。


 「ねぇ、見て!」


 「え、何!熊でも出た!?」


 「違う違う!夜空!」


 後ろからはしゃぐように、立科が俺の肩を叩く。


 「すっごい綺麗だよ!雄太も見てよ!」


 「俺がよそ見したら危ないだろ!事故って川に落ちたらどうする!」


 「なーんだ!つまんないの!」


 俺が前を見て自転車を漕ぎ続けると、立科は冗談めかして不平を漏らすと、俺の背中を強く抱いたまま、静かに黙った。その体温だけが、確かにそこに彼女がいることを伝えてくれる。


 「……よそ見、しないでね」


 「……前だけ向いてるよ、危ないからな」


 「……ちゃんと、前だけ見てる?」


 「見てるよ、前しか見てない」


 「……へへ、なんか似合わない言葉」


 「ほっとけ」


 しばらく、俺の耳には風の音だけが響いた。彼女の、熱くなっていく体温も、身体から伝う切ない震えも、まるで気づかないように、俺は自転車を全力で漕いだ。

 振り返れるわけないだろ。だって今振り返ったら危ないし、あと、危ないからな。

 満天の星の下。延々と続いて、やがて海に辿り着くその川に沿って、2人は颯爽と駆け抜けていく。


 「……ねぇ、なんで、アタシを助けてくれたの?」


 刹那のような、あるいは永久のような、そんな深い沈黙を破って、立科は俺の耳元でポツリと呟く。


 「……あんまり買い被るなよ。俺がいつ立科を助けたんだ」


 「……今だよ。今まさに、アタシを助けてくれてるよ、雄太は」


 俺はその言葉を聞いて、少しだけ押し黙った後で、吐き捨てるように不敵に笑い飛ばす。


 「助けるか、違うな。これは立科を助けるなんて高尚な代物じゃない。だいたい、助けるなんて行為は余裕をかましたいけ好かない連中がやる、くそったれな哀れみからくる上から目線の偽善だ。本当の弱者や追い詰められた人間は、そんな高貴で誇り高きノブレスオブリージュなんて求めてねえんだよ」


 「……じゃあ、なんなの?」


 立科のその問いに、俺はニヤリとニヒルを気取って答える。


 「奈落に落ちそうな人間が1番必要としてるのは、奈落から引っ張り上げてくれる偉そうな救いの手なんかじゃない。みっともなく一緒に奈落に落ちてくれる、そんな人間なんだよ」


 そう、きっとこうなった以上、立科も、そして俺も、学校からの指導や懲罰は避けられないだろう。しかし、その事実こそが、彼女のポッカリと空いた心の穴を、その空虚さを、たとえ少しばかりだとしても、埋めることだろうと、俺は思うのだ。

 

 「……俺が一緒に、落ちるからさ」

 

 ふと、耳元で感じる立科の息遣いが、ほんの一瞬だけ、変わったような気がした。


 「ようこそ、奈落の底へ」


 「……雄太、ホントにサイテーだね」


 「ああ、よく言われる」


 俺がそう嘯くと、立科は吹き出して笑い、俺もそれに合わせて笑う。2人の笑い声が、夜空の下にこだました。

 それから2人は、取るに足らないやり取りをした。食べ物は何が好きか、いつの季節が好きか、そんな一歩目みたいな、けれど他の人にはあまり話さないような、2人だけの会話だった。

 あれから、どれだけ経っただろうか。


 「ちょ、すまん、もう限界だ……」


 俺が乳酸で今にも爆散しそうな太ももの回転数を下げる。自転車もそれに合わせて減速して、やがて止まった。


 「えー、もう駆け落ちおしまい?」


 「え、これ駆け落ちだったの?俺まだ家族と縁切る覚悟できてないんだけど」


 「へー、そんな覚悟でアタシを連れ出したんだ、この意気地なしの王子様は」


 立科は目を細めてそう言うと、おどけたように笑顔を作った。


 「じゃあさ、星空、一緒に見ようよ!」


 自転車から降りた俺の手を引っ張って、立科は河川敷の斜面の草むらに腰を下ろす。俺もその隣に座り、夜空を見上げた。


 「ねぇ、いつもより星いっぱい見える気がする!綺麗!」


 「あー、街からだいぶ離れたからな。こんな山間の暗い場所だと、周りの光が邪魔しないから、星がよく見えるんだよ」


 俺があっけらかんとそう言うと、立科は不服そうに口を尖らせる。


 「……そんな論理的な説明いらないし。なんかこう、君と見てるからだよ的な、ときめかせるようなキザなこと言えないわけ?」


 「そんなキショいこと言えるか。だいたい、俺がそんなこと言っても、誰もときめかねえよ。需要がないんだよ需要が」


 「……へー、そうですか」


 立科はなぜだか呆れたように首を振って、また星空を見上げる。


 「あーあ、貰ったギター持ってくればよかった。今、結構いい歌詞思い浮かんでんだよね」


 「ふーん、やっぱ星空見たりすると、そういうのが思い浮かぶもんなのか?」


 俺がそう尋ねると、立科は少し考えた後に、照れたようにはにかんだ。


 「星空もそうだけど、今感じてるこの気持ち、初めての気持ちなんだよね。だから、表現したくて、残しておきたくて……みたいな?」


 「なんだそれ」


 「ね、アタシもわかんない!」


 俺の苦笑いに、立科は誤魔化すように笑顔を作った。

 暗闇の山間で、その星明かりの微かな光に照らされた彼女の金色の髪は、いつか見たその時よりも、儚げに靡く。しかし、その彼女の表情に、もう影はない。


 「おい!君たち!こんなところで何やってるんだ!」


 俺たちの話し声に気が付いたのか、巡回の警察官が土手の上から声をかけてくる。俺と立科は顔を見合わせて、2人して不敵に笑い合った。


 「アタシたち、しょっぴかれちゃうみたい。行こっか」


 「ああ、大人しくお縄についてくるとするか」


 ドサドサと土手を降りてくるお巡りさんに、俺と立科は観念したように歩いていった。


 


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