逃避行1
俺が下駄箱前の通路を歩いていると、向かいの校舎側から一際目を引く派手派手しい見た目の少女が歩いてきた。この学校に金髪の生徒など彼女しかいないので、遠くからでもすぐに分かる。
「あれ、雄太じゃん。なんでまだいんの?」
「いちゃ駄目なのかよ、俺を厄介者みたいに言うな」
「そんなこと言ってないし!一々言葉をマイナスに捉えるの、普通に面倒くさいし!」
え、俺の自虐って面倒くさいって思われてたの?しかして、これしかコミュニケーション手段を持たない俺が、それさえ封殺されてしまったら、あと何が残ると言うのだろうか。もう、喋らない方が良いのかな俺。
「……まぁ、野暮用で、ちょっとな」
「ふーん、そうなん」
俺がそう言うと、立科は少し嬉しそうに微笑んだ。
「てか、むしろ雄太が先帰ってなくて良かった!アタシ雄太に用があって!」
「は?俺になんの用事だ?金なら5万くらいまでしか貸せないぞ」
「借りないし!むしろなんでそんな金額貸せるわけ!?」
あー良かったー、もし立科に可愛く金銭をねだられたら、見栄を張って貸しちゃうところだったー。可愛い女の子ってついお金貸してあげたくなっちゃうもんなー。
「じゃあ俺に何も用事ないだろ」
「なんで用事の候補がお金ねだられることだけなわけ!?……うーんとね、多分だけど泊めてもらった時に、雄太の部屋にリップ置いてきちゃったっぽくて」
「え、そんなもんまた買えば良いだろ」
「結構高いヤツだったの!だからその、取りに行こうかなって」
「わざわざ?次の登校日に俺が渡せば良くないか?」
「いや、それは……」
「え、なに、そんなに俺にリップ触られるの嫌なの?キモくてごめんね?」
「そんなこと言ってないし!……その、次の登校日って、ゴールデンウィーク明けでしょ?」
立科は言いづらそうに逡巡した後に、俯き加減でポツリと小声で言葉を紡いだ。
「……行けるか、分かんないから」
立科の暗い表情を見て、俺はそこまで気が回らなかった自分の愚かさに苛立ちを覚えた。そうか、彼女にとっていつもと顔ぶれが違う補習授業というのは、それだけでも行きやすいモノだったのか。不登校というレッテルが蔓延している可能性がある、メンバーの流動性がないクラスに行くのは、例えそれが実態とはかけ離れた被害妄想であったとしても、通うハードルは自ずと高くなる。
俺は苦悶の表情を浮かべる立科に、これ以上の屈辱を自ら語らせたくなくて、ただ静かに頷いた。
「……そうだな、一緒に取りに行こう」
「……うん、ありがと」
俺と立科は一旦別々の下駄箱に足を向けて、また昇降口で合流した後に、駅に続く緩やかな坂道を登っていった。
電車に乗って、2人が隣り合って座りながら揺られている頃に、ふと心配になって、俺は雑談めかしながら立科に尋ねた。
「教師に呼び出されたあと、どんな感じだったんだ?」
「え、なんだろ、まずはご機嫌取り丸出しのヘタクソな雑談された。別に興味ないんだろうな、みたいな趣味の質問とかされて」
「あー、まずは心開かせようって魂胆が丸出しのヤツな。アニメとか好きなの?とか興味もないくせに聞いてきて、だいたい2、3分経ったら本題に入るアレな。目的意識が明らかすぎて、むしろ冷めるよなアレ。こっちを子供だと思って舐めてんだろマジで」
「いや、そこまでは思ってないけど……まぁ、分かる」
俺が個人的な不満を炸裂させると、立科は顔を引き攣らせた後に、頬を緩めてクスッと笑った。
「んで、その後は、一昨日は何処にいたのか、結構長めに問いただされて。あ、もちろん雄太の家に泊まったことは話してないよ!その、駅前の待合室で凌ぎました、みたいな感じで答えたら、最後はあっちが折れて。納得はしてなかったみたいだけど」
「まぁ、結局自己申告でしか知りようがないからな」
「それで、あとは、最近あんまり学校来れてないね、みたいな感じ」
「……そうか」
俺は俯き加減の立科に、小さくそう返した。
「……雄太って、心配してくれる割に、あんまり深くは聞いてこないよね」
「聞いて欲しいのか?」
「んーん?なんか、変なのって、思っただけ」
「なんだそれ」
小さく微笑む立科に、俺は苦笑いを浮かべた。
人には、話したい時と話したくない時がある。話したい事と話したくない事も、話したい人と話したくない人だっている。だから、無理に話す必要なんてないのだ。相手から無闇に答えを引き出して、相手の心を軽くしようだなんて、聞き手のエゴでしかない。俺はそんな熱血教師ワナビーの矮小な自己実現によるおためごかしになど、手を染めたくはないのだ。
俺と立科は家に着くと、鍵を開けてそのまま俺の部屋に赴いた。
「あ、これこれ」
立科はテレビ台に置かれた、確かに高そうなリップを手に取った。
「……使ってないよね」
「誰が間接キス変態男だ」
「へへ、冗談だってば」
立科はイタズラっぽく笑うと、少しだけ止まって何かを思案した後に、リップをまたテレビ台に置いて振り返った。
「ねぇ、プラハイの続き、したい」
立科の自信なさげな笑顔に、俺は呆れたように苦笑いで応える。
「……妹ルートだけな、それが終わったら、ちゃんと止めるぞ」
「……うん、ちゃんと、帰るね」
立科は俺にそれを言わせたくなかったのか、しっかりと自分で口にした。
「ちょ、現実の妹絶対こんなことしないし!」
「やめろやめろ!隣で夢を壊すな!」
俺と立科は2人で騒ぎながらゲームを進めていく。立科は横から茶々を入れ、俺がそれにツッコむ、そんなふうに互いに苦笑いと、そして笑顔を浮かべながら、日が傾いて、そして落ちたあとも、まるで時間を忘れたみたいに遊んだ。
「やっとエンディングだ……」
「長かったね……」
「立科が隣であーだこーだ言うからこんなにかかったんだぞ」
「雄太が選択肢自分でミスったんでしょ、人のせいにすんなし」
「それは立科が、本当の妹だったらこんな言葉で喜ばないとか、いらんこと言って邪魔してくるから……」
エンドロールを見ながら、俺と立科はまた少し言い合った。そして、互いが流れるスタッフロールを眺めて口を閉じ、しばらく経った頃に、立科はポツリと呟く。
「……終わっちゃうね」
「……そうだな」
俺はエンディング画面を見つめる立科のその寂しそうな表情が、なぜだか俺たちの関係の終わりを見据えているように見えて、我慢ならずにまたエンドロールに視線を戻した。
「……学校行ったら、また雄太に会えるかな」
なんで、そんなことを、この子は言うのだろうか。俺は繋ぎ止めたくて出かかった無責任な言葉を無理やり飲み込んで、不格好に笑った。
「……来たくなったら、来ればいい」
「……そう、だね」
エンドロールが終わって、ゲームが終幕した。しばらく、2人は黙って画面を見つめていた。
ふと、扉が開く音がして、姉が帰宅したのだと分かった。しかし、それにしては妙に騒がしい。
「なんだ?誰か連れてきたのか?勘弁してくれよ人の家でどんちゃん騒ぎすんの」
「あ、あやめさん帰ってきたの?挨拶した方が良いかな」
「いや、あの人の友達に立科のこと見られたら、また面倒な感じになるだろうから、立科はしばらく部屋にいてくれ」
「はーい」
もし2人で今下の階に降りたら、またあの姉が弟の彼女ですとかなんとか嘯いて、大学生たちからの面倒な質問攻めに合うこと必至だ。
俺は立科をおいて先に部屋を出て、階段を降りていく。
「おー弟よ!どうしたお腹でも空いたかね?」
「え、あやめの弟?なになに見せて見せて」
俺がリビングに行くと、大学生数人を引き連れた姉が手を挙げて俺の方を見た。すると、その一同がこぞって俺を覗き込む。なんだ見せてって、俺は上野動物園のパンダか。そんな見て面白いもんじゃねえぞ別に。
「ど、どうも……」
「えー弟くんこんな感じなんだ!なんかパッとしない感じでかわいい〜」
俺がモソモソと身を縮めていると、1人のザ・女子大生というような感じの人が、俺に向かって手を振ってきた。え、今俺パッとしないって言われなかった?いや、でもかわいいって言ってくれてるわけだし、まぁ褒めてるのかな。
「あ、これからみんなでタコパするんだけど、雄太も混ざる?」
「え、良いじゃん!弟くんもやろうよ〜」
「え、いや、僕は、遠慮しときます……」
俺が小声でそう言ったものの、どうやら女子大生の耳には届いていなかったようで、その女性に俺は手をギュッと掴まれて引っ張られた。うわ、至近距離の女子大生だ、めっちゃ良い匂いする。俺も大学入ったら、サークルの新歓行って、こんな感じの先輩にお持ち帰りされて……いかんいかん、つい妄想癖が。
「ちょ、里奈、弟さん困ってるよ」
俺が望み薄の未来に思いを馳せていると、その大学生一味の中でも一際真面目そうなメガネの男の人が、気を遣って制止してくれる。
「ごめんね、こんな時間にみんなで押しかけて」
「あ、いえ、全然」
その男性は申し訳なさそうに俺に軽く頭を下げる。ほー、男子大学生ってウェーイ以外の言葉を話す人もいるんだ。
「……あの、この人たちは?」
俺が訝しげな表情で改めて尋ねると、姉はあっけらかんと答える。
「あー、軽音サークルの人たち。てか、朝言わなかったっけ?」
「え、そんなこと言ってたっけ?」
「んー、忘れた!ま、というわけで、よろしく!」
何がというわけだったのか判然としないが、俺は拒否をするわけにも行かないので、とりあえず引き攣った愛想笑いを浮かべた。
「えーけど弟くんなんかあやめと雰囲気違うよね!」
「まぁ、兄弟って案外そんな感じじゃない?翔も確か妹ちゃんいるって言ってたよね、どうなの似てるの?」
姉がその真面目そうなメガネの男子に話を振ると、その人は笑いながら首を傾げた。
「いや、俺のところも周りからは全然似てないって言われるかな。けど、あやめ弟さんと仲良いよね」
「え、そうなん?これ?」
「うん、そんなフランクに接してるの、ちょっとビックリしたよ。俺なんて妹が何考えてるかよく分かんないから、どう接して良いやらって感じで……」
その男性は困ったように笑って、俺と姉を交互に見た。
「妹が、俺と全然タイプが違くてさ。その、ウチがあんまり親に頼れる状況じゃないから、俺ができれば面倒見てあげたいんだけど、妹が中学入ったくらいから、何考えてるのかさっぱり分からなくて……」
その場に変な沈黙が流れた。それを察したその男性が、慌てて誤魔化したように話し始める。
「あー!なんか変な雰囲気にさせてごめん!さ!タコパやろう!」
「おー!」
空気を変えるように、姉が号令をかけて、大学生たちは再びガヤガヤとした雰囲気に戻った。ああいう気まずい沈黙って、こういう人たちにもあるんだな。
俺がそれに苦笑いして、リビングから立ち去ろうとした時、後ろから声がかかる。
「雄太、やっぱアタシ、あやめさんにだけは挨拶したいんだけど」
「ちょ、おい」
俺が止める間もなく、立科はリビングに入って行く。その様子を覗き込んだ時、リビングには、先の気まずさがうるさく感じられるほどの沈黙が流れていた。立ち尽くす立科と、それを唖然と見つめるメガネの男子大学生。
「え、立科ちゃん……あれ、翔、あれ……あ!」
2人のその様子をジッと見ていた姉は、何かに気づいたように、大きな声を出した。
「えー……そういうことねー……」
姉が次第に引き攣ったような表情に変化していき、少しだけ後ずさった。おい、勝手に自分だけで理解するな、まぁ、俺もなんとなく察したけど。
「……乃亜」
「……お兄ちゃん」
はい、リアルな妹からのお兄ちゃん、いただきました!
とか言ってる場合じゃないですよね、はい。
「……どうして、こんなとこに」
「……それはこっちのセリフだ、なんでこんなとこに、乃亜がいるんだ」
狼狽える立科に、メガネの男性、もとい立科の兄は呼吸を整えて、ピリついたオーラを放つ。
「一昨日帰ってこなかったのって……まさか、乃亜」
「……!」
立科は我慢できなかったように、リビングから走って出ていく。
「おい!待て!」
立科の兄が怒号をあげて、走って追いかける。おいおい勘弁してくれよ、兄妹の修羅場を他人の家で展開しないでくれ。
俺が2人を目で追うと、立科は家の扉を開けて外に飛び出したようで、その後を兄が急いで追いかけている。
「ちょ、止めよ!」
ふと、姉がその様子を見て慌てたように俺の肩を叩いた。
「と、止めるったって……」
「いいから!」
姉はそう言うと2人の後を追ったので、俺も少し逡巡した後に、走ってそれについて行った。




