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行方不明3


 息を切らして、俺は最寄りの小さな駅のホームに駆け込んだ。私鉄による地域密着型ローカル路線の一駅であるこのホームには、当然の如く自動改札機などなく、だからと言って人員が配置されているわけでもなく、ただ券売機がそこに置いてあるだけの、なんとも寂れた駅だった。

 

 俺が券売機で目的地までの切符を購入したところで、ちょうど電車が来たようで、遮断機が大きな音を立てて降りた。俺は切符を制服のポケットにねじ込み、止まった電車に慌てて飛び乗る。田舎は電車を1本でも逃すと、次が来るまで1時間待つことだってザラなのだ。


 ガタンゴトンと、電車は座っているぶんには心地の良い揺れを伴いながら、一駅、また一駅と進んでいく。こんなところで焦っても、電車が早く進むわけではない。俺は乗っては降りる他の乗降客を虚に見ながら、いつしか目を瞑っていた。もしかしたら、知らない間に疲れが溜まっていたのかもしれない。補習授業のせいか、あるいは。


 『間もなく、終点、長野、長野』


 ふと、目的地に着くことを知らせる電車のアナウンスで、俺はパッと目を開いた。車内の蛍光灯の光が眩しくて、思わず目を擦る。

 電車の扉が開くと同時に、俺は駆け足で改札へと向かった。駅員に切符を渡すなんともクラシックスタイルの改札を抜け、階段を駆け上って地上へと抜け出す。 

 ゴールデンウィークの夜の駅前は、まばらながらも少なからずの人影があって、皆降り頻る雨に濡れないように傘をさしていた。

 俺は申し訳程度に右腕をおでこにかざして雨から顔を守りつつ、駅前を走りながらキョロキョロと辺りを見渡した。未成年の俺には、当然タイムリミットが存在していて、故に行けるところは1ヶ所が限界であった。もし、ここに彼女が居なかったら、どうすることもできないし、もしかしたら、それは2度と彼女に会えないことを意味しているかもしれない。そんなことが頭をよぎって弱気になりそうな自分をなんとか奮い立たせて、俺は足を止めずに走り続けた。


 ふと、雨音の中で微かに、ギターの音色と、そして透き通るような歌声が聞こえた。

 俺はまるで、その歌に引き寄せられるように踵を返して、今度はゆっくりと、しかし確実に、歩みを進める。


 駅前の大きな木の柱の根本に、俺は寄りかかって座った。横殴りの雨が、俺の藍色の制服を漆黒に染め上げていく。

 その柱を挟んで、ちょうど反対側に寄りかかっている彼女の歌声に、俺は目を瞑って耳を傾けた。


 〜〜〜


 「……うっす」


 ギターをかき鳴らす手を止めて、少女が一呼吸ついている時に、俺は、座り込んでギターを抱える彼女を見下ろすように目の前に立った。


 「……!ゆ、雄太……」


 少女は俺の姿を見ると、驚き、そして狼狽えたように目を見開いた。そしてその表情は、徐々に力なく、悲しげなものへと変化していく。


 「……ビショビショじゃん」


 長い沈黙を破って、立科はポツリと、呟くように俺に言った。


 「お互い様だろ」


 「……こういう時ってさ、普通、主人公がヒロインに、傘さしてあげながら登場しない?その、影と共に雨が遮られて、見上げたヒロインが傘をさしてくれてる主人公に気づく、みたいな。ずぶ濡れで現れて、うっす、とか言って近づいてくる主人公、ダメすぎない?」


 「立科は変な勘違いをしているようだから、言わなくても分かることを敢えて言っておく。俺は主人公じゃない。クラスの隅っこにいる、その辺のモブキャラなんだよ。生徒Bは準備が悪いから傘もないし、なんて声をかければ良いかも分からないから歯切れ悪くあんな風に言うのが限界なんだよ」


 「……なーんだ、白馬の王子様だと思ったのに」


 「あいにく少女漫画は未履修でな……風邪引くぞ」


 俺は雨に濡れた手を、立科に向けて差し出した。立科は少し逡巡したのちに、その手を取って立ち上がる。


 「……寒い」


 「自分のせいだろ、俺もうこれ以上濡れたくないから、駅の待合室にでも行くぞ」


 俺は濡れた互いの手が滑って離れないように、しっかりと強く握って、立科を引っ張って歩いた。

 歩き始めて暫くして、冷え切って力なくただ俺に握られていた立科の手が、ほんの少しだけ体温を取り戻して、ギュッと握り返してきたのを、俺は気づかないフリをして歩き続けた。


 「へー、こんなところあったんだ」


 駅の地下道を抜けて、反対口方面にある地下駐車場に併設された待合室に、俺たちは座った。2人して上着を脱いで、ベンチの脇に置く。


 「はぁ、ビッショビショ。結構急に降ってきたもんなぁ」


 「あんなところでギター弾いてるからだろ」


 「だってしょうがないじゃん!駅前の人通りでギター弾くのとか、ちょっとやってみたかったんだし!」


 「夢追う路上ミュージシャンだって、流石にこんな天候の日にはやらないだろ」


 「まぁ、そりゃそうだけどさ……ワイシャツまでずぶ濡れだし……」


 立科はため息をついて、濡れたワイシャツの裾を絞って、水滴を垂らす。息苦しかったのか、首を伸ばして襟元のボタンを一つ外した。濡れて半透明になったワイシャツの胸元が少し空いて、目線を下に移すと黒いブラが透けて……いかんいかん、危うく濡れワイシャツ黒透けブラ巨乳とかいう、あまりにも甘美な響きのそれに釘付けになってしまうところだった。てか、今のこの子の格好相当エロいぞ、マジで補導されちゃうって。


 「……何見てんの?」


 「え!?いや、別に何も?」


 俺としては頑張って目を逸らしていたつもりだったのだが、どうやら生物的本能には逆らえていなかったようで、そのワイシャツ越しに透けた黒い果実に無意識に視線が吸い込まれてしまっていたらしい。不覚。

 慌てて視線を逸らす俺を、怪訝な表情を浮かべてジトっと見ていた立科だったが、小さくため息をつくと、俯いてその表情に影を落とした。


 「……なんで、ここって分かったの?」


 「……昨日の昼に、立科のSNSでのやり取りの内容が、ちょっと目に入っちゃったんだよ」


 「……盗み見たんだ、サイテー」


 「いや、俺だって見ようと思って見たわけじゃない、見えちゃったんだよ、すまん」


 「けど、盗み見たから、どこでオジサンと待ち合わせしてるか、知ってたわけでしょ?」


 俯きながら、ポツリポツリと、立科は消えいってしまいそうなほど儚い声で、言葉を紡いだ。

 立科のチャットのやり取りを目の端で捉えてしまった時に、長野駅前というワードが、しっかりと俺の脳裏に記憶されてしまった。俺にとっては浮世離れしたその光景の中でも、そのワードだけ妙に生々しくて、記憶にこびりついてしまったのである。


 「……まさか、あんな人通りの中で、ギターかき鳴らしながら待ち合わせしてるとは思わなかったけどな。パパ活オジサンもびっくりして逃げちゃうだろアレ」


 「確かに、あの状況でアタシに話しかけられるような度胸のあるオジサンなら、SNSでコソコソパパ活なんてやらないで、白昼堂々JKをナンパするもんね」


 「それもそれでどうかと思うけどな」


 俺が苦笑いを浮かべると、立科はクスッと小さく笑って、剥がれかけているネイルを弄った。


 「……アタシ、待ち合わせ場所から、逃げたんだ」


 立科は力なく虚に、その表情に惨めさを浮かばせた。


 「アタシ、駅舎の中の改札前で、その人と待ち合わせしてたのね。で、時間になって、そしたらチャットで、どの子かなー?って送られてきて。そしたら、目の前を横切る男の人たちが、全員怖くなって。この中の誰かが、この人かも知れないって思ったら、そこにいるのが怖くなっちゃって。それで、走って逃げたの」


 生々しい恐怖と、逃げることしか出来なかった惨めさが浮かぶその表情を見て、俺は何も言うことが出来なかった。立科のその佇まいから掬い取れる恐怖や屈辱など、本当に彼女が感じているソレの足元にさえ及ばないからだ。


 「……家出するって言って、けど1人じゃなんにも出来なくて、自分の体を利用して誰かの家に泊まろうと思って、けどそこからすら逃げちゃった……アタシ何やってるんだろう……」


 少しずつ、立科の声が震えていくのが分かった。心を殺して、それでも殺し尽くせなかった感情が、彼女の内側から押し寄せてくるのを感じる。


 「……帰れるか?」


 俯く彼女に、俺は努めて平坦に声をかけた。もうこれ以上、彼女を家に泊めてあげることは出来ないし、彼女自身もそんなことは出来ないだろう。何一つ手を差し伸べられない俺が、優しさや同情や哀れみをもって彼女に声をかけることは、むしろ最も残酷なことのように思えて、出来なかった。


 「……そうするしか、ないもんね」


 彼女にもはや選択肢などないことは、彼女自身が最もよく分かっているはずで、それを敢えて俺が言うまでもなく、彼女の言葉を俺は黙って受け止めた。


 「……送るよ」


 しばらくの沈黙の後、俺は俯き続ける立科に、ゆっくりと立ち上がって声をかけた。冷淡な話だが、いつまでもここにいるわけにもいかなかった。夜が深くなればなるほど、事態も深刻化していくからだ。


 「……」


 ふと、彼女の静かな呼吸が少しずつ乱れて、肩が震えていく。儚く溶けていきそうな声で、彼女は呟いた。


 「……怖かった」


 「……」


 「……怖かった……怖かったよぉ……!」


 彼女はベンチの上で膝を抱いて、声を押し殺すように、涙を溢れさせた。少し乾き始めていたワイシャツの袖口が、彼女の涙でまた濡れていく。

 こんな時、ラブコメの主人公だったら、どんな陶酔めいたクサいセリフで、ヒロインを救うのだろうか。役不足に苦虫を噛み潰して、俺はただ、彼女の傍に、もう一度座ることしか出来なかった。


 待合室を出て、2枚の切符を買い、疲れ切った立科に片方を握らせて、俺たちは電車に乗った。

 揺れに合わせて左右に靡く立科の金色の長い髪が、不規則に俺の頬に触れる。


 「……雄太、次だよね」


 「ん、ああ、家の近くまで送ろうか?」


 「さすがに悪いってそれは。雄太また電車で戻ることになるじゃん、ここで降りなよ」


 立科の言葉に、俺が口をつぐんで眉を下げると、彼女は少し慌てたように両手を前にかざして左右に振った。


 「か、帰るよ!ちゃんと帰るから!大丈夫!」


 「……傘、あるのか?」


 「いや、ウチ駅からめっちゃ近いから、ダッシュで帰れば余裕余裕!それよか、雄太は自分の心配しろし!傘ないのはそっちもでしょ!」


 「もう帰るだけなんだから、濡れてもそんなに問題ねえよ」


 ふと、俺の最寄駅に着くことを知らせるアナウンスが車内に鳴り響いて、少し心配で後ろ髪を引かれながらも、俺は立ち上がってドアの前に歩いた。


 「……じゃあな」


 「……うん!」


 電車から降り、少しして扉が閉まる。ゆっくりと発車する電車を、俺は雨に打たれながら、見えなくなるまで見送った。


 「……俺はカーディーラーの営業かよ」


 柄にもないセンチな振る舞いを吹き飛ばしたくて、俺は自分にツッコんだ。感傷的な恋愛ソングみたいな雰囲気は、俺には似合わないのだ。

 しとしとと降り注ぐ雨に打たれながら、俺は走って帰路についた。

 

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