修羅場6
リビングに入ってきた立科は、カーペットに座り込むとおもむろにギターをケースから取り出して、今から演奏でもするかのようにギターを抱えて右手にピックを構えた。随分とこの体勢に慣れているのか、なかなか様になっている。
「すごい、弦も全く擦り切れてないですよ!余裕で使えますコレ!」
「そりゃそうよ!なんてったって練習含めても10回も使ってないからね!ずっとケースに入ってたんだから、保存状態は良好ですよ!えっへん!」
「それ全然自慢できることじゃないぞ」
したり顔でのけぞっている姉を横目に俺がツッコんでいると、立科は夢中な様子で左手で弦を押さえていた。
「うわ、やっぱアコギって全然違う!ちょっとだけ、ジャラーンって鳴らしてみて良いですか?」
「全然良いよ!鳴らしちゃって鳴らしちゃって!」
立科は少し間を置くと、右手のピックを振り下ろしてギターの弦を弾いた。瞬間、弦が震えて、ギターの音色が大きくリビングルームにこだまする。
「……思ったより大きいね」
音色が鳴り止んだころ、姉は少しだけ口角を上げて意外そうな表情を浮かべてそう言った。
「自分もアコギ弾いてたんじゃないのかよ」
「いや、あれ2年くらい前だし、さすがに覚えてないでしょ。こんな響いたっけ?」
なんでまだこの人軽音サークル入ってるんだよ。なんなら、音楽の素養が一般平均を下回ってるまであるぞ。こんな人を受け入れてるサークルもサークルだよ。
「アコギはアンプとか繋がないんで、それだけで結構音が響くようになってるんですよ。だから、練習する場所を選ぶというか、特に集合住宅とかだと近所迷惑になっちゃって弾けないんですよね……」
「へーそうなんだ!詳しいね!」
「おい軽音サークル、その知識の薄さをちょっとは恥じろ」
「じゃあ、なかなか練習も難しいんだね、どうするの?」
姉が俺の言葉を完全に無視して立科に問いかけると、彼女は微笑しながら答える。
「アタシの家からちょっと歩くと、河川敷なんですよ。散歩したりでそこをよく歩くから、誰もいないスポットとかも知ってるんです。そこなら住宅地からも離れてるし、良いかな、なんて」
ふと、場が少しばかり静まり返った。立科の家。その言葉に、俺も姉も、そして千曲も、何も言えなくなってしまったのだろう。
その、河川敷からほど近い、立科の家に、いつか彼女は帰らなければならない。むしろ、帰るべきなのだ。そして、立科のその口ぶりは、彼女自身もそれを理解していることを、暗に示していた。
「……その手があったか!千曲川の河川敷でしょ?あそこは確かに誰もいないもんね!良いじゃん良いじゃん!」
沈黙を遮るように、姉はあっけらかんと笑顔でそう言った。こういう時に先陣を切って空気を戻せるところが、姉の陽キャたる所以なのだろうか。
「沢山練習しな!私の軽音サークルと対バンする日を夢見て!」
「アンタのほうが絶対先に辞めそうだけどな」
なんの握手かもよく分からない姉と立科の硬い握手を見ながら、俺は苦笑いしてそう言った。
「さてと!私のアコギも立科ちゃんに譲り渡せたところで!何する?みんなで人生ゲームでもする?」
「え!やりましょやりましょ!」
「なんでだよ」
姉の謎の提案に立科が食いついたので、俺がなけなしのクッキーを頬張ってそう言うと、姉と立科と千曲は3人揃って怪訝な表情を浮かべた。
「なんでって……人生ゲームするのに、理由なんてないでしょ、なに言ってんの?」
「そうだよ雄太くん、それなんか意味あります?的な斜に構えた態度が許されるのは、中学生までだよ」
「マジでそれ。てか、文句あるなら雄太が自分で提案しろし」
「え、いつの間に四面楚歌になった俺?うーん、まぁ、やるなら格ゲーとかかなぁ」
なぜか急に3対1の構図になってしまったので、俺は立科の言う通りに対案を出した。生まれてこの方個人プレーに終始してきた俺には、人生ゲームのような大人数パーティゲームの楽しみ方がいまいち分からず、故に気乗りしないのである。
「みんなで対戦するってこと?」
「いや、それだと俺の圧勝でつまらないから無しだな。むしろ、各々でオンライン対戦して各々で楽しむというのが、この場合1番良い選択で……」
「はいクソ提案なんで却下でーす」
「雄太くん本当に変わらないね」
「マジでモテなそうだよね雄太」
「おい3方向から矢を射るな。致命傷だぞコレ」
俺の提案は3人によって見事に突っぱねられてしまった。少数意見の尊重は民主主義の根幹だというのに、多数決と民主主義を履き違えている人間のなんと多いことか、全くもって嘆かわしい。日本の学校は、ぜひこの民主主義の原則に則って、少数派である我々の意見も尊重して、文化祭やら修学旅行やらの学校行事を一掃して欲しいものである。あれ友達いない人間からしたらマジで地獄だからねホントに。
「まったく雄太は、こんな可愛い女の子たちと人生ゲームが出来るチャンスなんて滅多にないのに。あれ、もしかして雄太は、千曲ちゃんと立科ちゃんとの、ツイスターゲームがご所望ですか?このスケベ!」
「雄太マジ最悪」
「本当に節操ないよね雄太くん」
「何も言ってないだろ俺!やらねえよツイスターゲームなんて!」
あのゲーム考案した人、絶対頭の良いスケベだろ。邪念のない女の子に、ゲームと称してエッチな体勢をとらせたいという欲望が出過ぎてるだろアレ。天才かマジで。
俺がそんなどうでも良いことを考えていると、不意に部屋に着信音が響き渡った。すると千曲が立ち上がって、リビングの隅に置かれた小さなバッグに駆け寄っていく。
「あ、ちょっとすいません、廊下をお借りしても良いですか?」
「え、全然良いよ!ウチの廊下、通話し放題だから!」
「それ携帯キャリアの契約内容でしか聞いたことないけどな」
「すいません、ありがとうございます!」
千曲はペコリと頭を下げると、着信音を鳴らし続けるスマホを両手で持って、慌ててリビングから出ていった。
「さーて、じゃあ千曲ちゃんを待ってる間に、人生ゲームの準備しますか!」
「人生ゲームで確定したのかよ」
「アタシも準備手伝います!雄太のよく分からない提案より、人生ゲームのほうが絶対良いから!」
姉がリビングに設置された戸棚を漁って人生ゲームを引っ張り出し、それをテーブルに広げようとしたその時、廊下の方から千曲の大きな声が響いてきた。何を話しているかはよく分からないが、その困ったような声色を聞くに、なにやら揉めているようである。
「……消費者金融の取り立てかな?」
「そんなわけねえだろ」
ピリついた雰囲気を察して、姉は苦笑いをしながらとぼけた。すると、どうやら通話は終わったようで、千曲は扉をゆっくり開けてリビングに入ってくる。その垂れ下がった眉を見るに、どうやら千曲にとって吉報の電話ではなかったようだ。
「だ、大丈夫?」
姉が千曲に遠慮がちに声をかけると、千曲は申し訳なさそうに伏し目がちに口を開いた。
「そ、その……親が、そろそろ帰って来いって……」
「え?まだ16時だよ?早くない?」
「ウチの親、結構厳しくて……門限は18時なんですけど、外出した時にこのくらいの時間になると、早く帰ってきなさいっていっつも電話してくるんです……」
「門限18時!?高校生で!?早くない!?」
姉が目を丸くしてそう言うと、千曲は俯き加減で続ける。
「私の親はかなり教育熱心で過保護なんです。私が同級生の家に泊まりたいってメッセージを事前に送っておいたんですけど、それを見て怒っちゃったみたいで、すごい剣幕で捲し立てられて、話し合いも出来るような感じじゃなかったです……」
やはりして、家庭のしきたりというのは各々違うようで、割と放任主義で育てられてきた俺と姉は、顔を見合わせて苦笑いをした。
「その、私は本当はお邪魔じゃなければ雄太くんの家にお泊まりさせて頂きたかったんですけど、ちょっと無理みたいです。お母さんが激怒してるみたいなので、早く帰らなきゃいけなくなってしまって……急に押しかけて家に上げてもらったのに、本当にごめんなさい……」
「い、いやー!良いの良いの別に!私は千曲ちゃんに会えただけで、全然良かったから!どんな子か分かったし、雄太も案外上手くやってそうだし、モウマンタイ!」
「え?私のこと、ご存知だったんですか?」
おいマズいぞ、俺が千曲のことを美人局だと疑って、姉に詳らかに千曲とのあれこれを話していたことがバレる。そうしたら、俺が如何に姉の意見を踏襲した操り人形だったかも露見するではないか、そんな俺のシスコン全開の部分が露呈したら、恥ずかしさと情けなさで死んじゃう。
「え!?あー!いや、風の噂でね!ちょっと聞いただけよ!千曲ちゃんのことなんて全然知らなかった!マジマジ!」
「そ、そうですか?」
千曲は少し眉を顰めて訝しんだが、おそらく親からであろうスマホの通知音を聞いて、また申し訳なさそうな表情に戻った。あぶねー。
「その、そういう感じなので、私そろそろ、おいとまいたします。本当にすみません……」
「そ、そっかそっか!良いの良いの全然!ほら、雄太!玄関まで送ってあげなさい!」
「え、俺?」
「そうに決まってるでしょ!雄太の友達なんだから、アンタが丁重に送ってあげるのが筋でしょうが!」
「まぁ、そうかなぁ……」
慌てて荷物をまとめる千曲を横目に、俺は頭をポリポリとかきながら立ち上がった。準備の出来た千曲と共に廊下に出て、玄関へと向かう。
「その、ごめんね、お泊まりするって私が言い出したのに……」
「いや、こちらこそ、せっかくデートの予定立ててくれてたのに、こんな感じになっちゃって、ごめん」
「それは本当にそうだよ!私とのデートの約束なんて無かったみたいにさ!あんな可愛い女の子と一緒に過ごしててさ!」
「わ、悪かったよ!」
「この埋め合わせは、絶対にしてもらうから!」
玄関先で靴を履くと、千曲は頬を膨らませて俺に顔を近づけてきた。
「わ、分かったよ、明日は、多分大丈夫だから」
「そんなこと言って、どうせ雄太くんは立科さんのことが明日も心配なんでしょ!他の女の子のことを気にしてる雄太くんとなんて、デートしたくない!」
「じゃあ俺にどうしろと!」
プイッとそっぽを向く千曲に俺が困ったように問いかけると、千曲は背を向けながら言う。
「……ちゃんと、雄太くんが納得するまで、やって。それがどんな結果になっても良いから、雄太くんが納得できるようにして。中途半端に手を伸ばしたって自覚があるなら、今からでも良いから、しっかり手を伸ばして、立科さんにちゃんと向き合ってあげて」
「……それで、良いのか?」
俺がそう問いかけると、千曲は勢いよく振り返って、また俺の眼前まで顔を近づけた。
「良いわけないじゃん!けど、そうするしかないもん!雄太くんが好きな私に限って恋敵なんてって思ってた私が馬鹿でした!けど、ライバルの邪魔なんてしないよ!だって雄太くんは、そんな卑しいヒロインのこと、好きじゃないもん!」
「ちょ、なんか勘違いしてるぞ。立科はただ、都合よく宿を貸し出してくれたのが俺だったから、差し当たって俺を頼ってるだけで、そこに恋愛感情なんてないぞ。千曲は泊まったホテルのコンシェルジュのことを好きになるのかよ」
俺が訝しげな表情を浮かべながらそう言うと、千曲は玄関の扉を開け、傾いた夕日と赤みがかった空を背景に、俺の方に振り返って、顔を赤く染めながら前屈みで強く言葉を放った。
「だと良いけど!」
「なんだそれ」
俺が夕日の眩しさに少しだけ怯んでいると、千曲は膨れっ面を浮かべたのちに、呆れたように微笑して、夕日に向かって駆け出していった。




