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修羅場2


 5月の爽やかな風が、線路に沿って吹き抜ける駅のホーム。ゴールデンウィークとあって家族連れで賑わっており、ベンチは既に他の人に占有されている。

 南口と北口を繋ぐ、線路の上を跨って架けられた陸橋の下の影で、俺と立科は横に並んで壁を背に立っていた。対峙するのは、腰に両手を当てて線路を背に前屈みになっている、千曲双葉。彼女は登校日ではないため、ヒラヒラとした淡い色のガーリィなワンピースを着ている。やっぱり美少女は何着ても可愛いな、エッチなバニーガールのコスプレとかしてくんないかな、こんな感じかな。


 「ねぇ、ちゃんと聞いて」


 俺が勝手に脳内の妄想で千曲を着せ替えして楽しんでいると、そのだらしない表情から俺の現実逃避を看破したのか、千曲はドスの効いた声を出して睨みつけてきた。可愛いけど怖いよ、なんだよその鋭い目つき、全然バニーじゃないよウルフだよウルフ。


 「いや、ちゃ、ちゃんと聞いてるよ?」


 「じゃあ、その子はなに?雄太くんとどういう関係なの?そもそも今日と明日は私と2人でデートする約束だったんじゃないの?」


 「ちょ、あんまいっぺんに聞かないでくれ。俺は聖徳太子じゃないから」


 「聖徳太子は複数人に同時に話しかけられても聞き分けられるのであって、今は私しか質問してないから、その例えは適切じゃないよ」


 こんな冗談を論破するな。軽薄なユーモアで話を逸らそうと試みたのだが、全くうまくいかなかった。どうやら今の千曲は、話の脱線絶対許さないモードらしい。そのマインドほぼ法廷の弁護士だろ、怖いって。


 「質問に答えて。まず、その子は誰で、雄太くんとはどういう関係なの?そして、私とのデートの約束はどうなってるの?この2点、ちゃんと説明して」


 要点がまとまってて非常に分かりやすい。この子がもし職場で部下だったら、絶対優秀だからどこかで役職抜かれちゃうだろうなぁ。俺は窓際なんだろうなぁ。


 「えっと、まぁ、この子は、その、知り合いだ」


 「知り合い?」


 「そうだ、同じ学校なんだから、知り合いくらいはいてもおかしくないだろ?」


 「どうやって知り合ったの?」


 「え、そりゃ、普通に補習だよ。たまたま補習で席が隣だったから、それで知り合ったんだよ、うん」


 「ふーん。で、なんで2人で一緒にコンビニにいたの?」


 「そりゃ、ほら、アイスが食べたいってこの子が言うから、それで2人でアイスを買いに来たんだ。知り合った人と帰り道がたまたま一緒で、2人でちょっとコンビニによるくらい、普通のことだろ?全然やましいことじゃないだろ?」


 「まぁ、そうだけど……」


 俺は別に嘘をついているわけではない、全て本当のことを言っているだけである。納得がいかない様子で閉口する千曲を前に、俺は冷や汗をかきながらそれを悟られぬようにすまし顔をした。


 「ま、昨日アタシは雄太の家に泊まったんだけどね」


 「あ、終わった」


 なんで言っちゃうんだよそれを、勘弁してくれよマジで。

 立科のその言葉に、千曲の眼光は再び鋭くなり、熱を帯びた強烈な怒りのオーラが体から放たれた。え、俺ここで殺されんの?


 「……泊まった?……雄太くんの家に?……あなたが?」


 「うん、ね、雄太?」


 立科はニヤニヤしながら上目遣いで、まるで千曲に見せつけるように大袈裟に首を傾げた。おい、コイツこの状況楽しんでんだろ絶対。意図的に薪を焚べてるだろコレ。


 「ちょ、立科マジで勘弁してくれ」


 「え、なんで?だってアタシのこと家に泊めてくれたじゃん雄太。昨日の夜は2人一緒に寝たじゃん」


 「別々の布団でな!?」


 「ねぇ、昨日の夜はすっごく盛り上がったのに、じゃあアレは遊びだったってこと?」


 「遊びだよ!だって恋愛ゲームしただけだからな!誤解を生むような表現するな!」


 俺が焦った声を上げると、立科は少し舌を出して、イタズラっぽく目配せした。いくらその所作が可愛かろうとも、さすがに今だけはちょっと殴りたくなるくらいウザいぞおい。


 「雄太くんの家に泊まって……ゲームして……一緒に寝て……エッチなことして……」


 「ちょっと千曲さん?最後普通にやってないことが混ざってますよ?尾ヒレが付いちゃってますよ?」


 「じゃあ、他はやったってことだよね?」


 「え、あ、いや……」


 やばい、完全にミスった。言われのない風評を弁明しようとした結果、むしろ隠したかった事実が露見してしまった。取り調べで身の潔白を証明しようとした結果、余罪が発覚してしまったような気分である。


 「ま、まぁ、たまたま補習で知り合って、たまたま帰り道が一緒で、たまたま家に泊まることがあっても、全然普通だろ?」


 「いや、普通じゃないよ」


 「ね、アタシも普通じゃないと思う」


 「おいなんでアンタがそっち側なんだよ」


 立科はせめてこっち側についてくれよ。補習で出会った2人が家に泊まるのは普通か普通じゃないかで、立科も普通側に賛同してくれれば、多数決で普通なことに出来ただろ。いや、さすがに無理だわ。


 「まぁ、つまり、これには色々事情があるんだよ、いやマジで」


 「私だって、雄太くんが何の事情もなくそんなことしないってことくらいは分かるよ?けど、さすがに女の子を家に泊めるって……」


 千曲は眉を垂れ下げて、少し震えた声でそう言った。心なしか目には少しばかり涙が溜まっているように見える。


 「てかさ、こっちもよく分かってないんだけど。アンタこそ誰なの?雄太のなんなわけ?仮にアタシと雄太がエロいことしてたとして、アンタに何の関係があるの?」


 少し鬱陶しそうに、立科は気怠く首を動かして千曲に言った。確かに、立科からすれば、勝手によく分からない修羅場に巻き込まれた格好だ。


 「か、関係ありますよ!」


 「なんで?アンタみたいなめちゃくちゃ可愛い女の子が、なんで雄太の異性事情に関係あんの?」


 「おい、それこんな可愛い女の子が俺の彼女なわけがないって言ってるのとほぼ一緒だぞ、失礼だぞ普通に」


 「え、じゃあこの子マジで雄太の彼女なの?こんな美少女が?」


 「え、いや、彼女じゃないけど……」


 「でしょ?」


 俺が口籠もりながらそう言うと、その言葉が不服だったのか、千曲は口を尖らせて小さく呟いた。


 「……仮交際だもん」


 「え、なに?なんか言った?」


 「だから!仮交際してます私達は!私は雄太くんの、仮の彼女です!」


 千曲はそう言って俺の手を掴んで引き寄せ、自分のものだとでも言わんばかりにひしと俺の腕に抱きついた。ワンピース越しに感じる柔らかな感触に、俺は慌てて振り解こうとしたが、千曲は力いっぱいギュッと腕を抱きしめて離さない。


 「ちょ、千曲!誰かに見られたらどうする!学校の最寄駅だぞ!」


 「良いもん!そんなこと気にしない!」


 「気にしてくれ!せっかく文系クラスで友達出来たのに、これでまた変な噂流されたら水の泡だぞ!」


 「けど!」


 俺と千曲が押し問答しているのを見ながら、立科はしばらく黙った後、怪訝な顔をして口を開いた。


 「……仮交際って、なに?」


 まぁ、そうですよね。普通に意味わかんないですよねこの関係性。


 「だから、仮交際ですよ!私は雄太くんの仮の彼女で、雄太くんは私の仮の彼氏なんです!」


 「……仮ってなに?」


 「それは……私もよく分かってませんけど」


 だよね、俺もよく分かってない。誰もこの関係の定義を知っている人はいないという、なんとも有名無実な状態である。


 「とにかく!私はあなたが雄太くんの家に泊まったなんてこと、仮の彼女として看過しかねます!」


 「仮って言ってるってことは、少なくとも本当の彼女ではないんでしょ?じゃあ関係ないじゃん。てか、アタシ今日も雄太んち泊まるし」


 「今日も!?雄太くんどういうこと!?2泊3日!?」


 「……3泊4日」


 「もはや高校の修学旅行だよ!」


 それは高校によるだろ。

 千曲は唖然とした様子でガックリと項垂れたのち、ゆっくりと顔をあげて立科に首を振った。


 「ダメです」


 「だからなんでそんなことをアンタに決められなきゃいけないの。ね?泊めてくれるよね雄太?」


 「え、いや、まぁ……」


 「ダメだよ!絶対ダメ!」


 俺が答えに窮していると、千曲は俺の制服を引っ張って、眉尻を下げて引き留めた。その寂しさと困惑が入り混じった表情を見て、つい心が揺れる。


 「えー、うーん……」


 俺がことの難儀さから母音を伸ばすことしかできないでいると、立科はシラッとした表情でスマホを弄り始めた。


 「ま、雄太が嫌だっていうなら、しょうがないけど」


 「しょうがないって、どうするつもりだよ」


 「決まってんじゃん、昨日と同じことするだけだし」


 「やっぱりそれか……」


 「しょうがないじゃん、コレしかやりようないし」


 立科はこちらを一瞥することもなく、スマホ画面をみて指を動かした。その寄る辺ない冷え切った表情は、昨日初めて彼女を見た時のものと全く同じで、チクリとした痛みが胸を突き刺す。

 この痛みを放置できるほど、俺は強くて鈍感な人間ではない。


 「……千曲、すまん」


 俺は千曲の正面に向き直って、重々しく口を開いた。


 「その、今日は、立科を俺の家に泊める。多分、明日も泊める」


 「……なんで?」


 感情を押し殺すように、千曲は静かな微笑で俺に尋ねた。両手は固く閉じられていて、少し震えている。

 俺は立科をチラッと見たあと、千曲に向き直って答えた。


 「理由は……その、あんまり言えないけど」


 こればかりは、立科の沽券に関わることであり、あらぬ風評を広げかねない話を、同じ学校の生徒である千曲に俺が独断で話すのは、やはり憚られるところがあった。


 「理由も、話せないんだ……」


 「その、それを話す権利は、俺にはないんだ、すまん」


 俺がばつが悪そうにそう言うと、なぜか立科が少し嬉しそうに微笑して、俺の肩をポンポンと叩いた。


 「雄太って、普段不真面目なのに、変なとこ真面目だよね」


 「なんだよそれ」


 「……いいよ別に。雄太の家に泊まってる理由、この子に話しても」


 「え、いや、千曲は同じ学校の生徒だぞ?知られたくないだろそんなこと」


 「けど、このままだと、むしろ余計に変な誤解されちゃうかもしんないじゃん?」


 「まぁ、立科が良いなら……」


 ふと、遠くから踏切の遮断機が降りるカンカン音が風に乗って響いてきた。どうやら、我々が乗車予定の上り列車がこの駅に近づいてきているらしい。

 俺は千曲の方を向いて、少し視線を右上に逸らしながら、余計なことを話さないように頭を整理しつつ、ゆっくりと口を開いた。


 「その、まぁ、理由はちょっと長くなっちゃうんだけど……」


 俺がモゴモゴと歯切れ悪く話し始めると、俯いたまま千曲は声を出した。


 「……今日も、その子は泊まるんだよね?」


 「え?まぁ、そうだな」


 「……私も泊まる」


 「……へ?」


 電車がホームに入ってきて、ブワッと風圧が押し寄せたので、俺は千曲の言葉を聞き間違えたのかと気の抜けた返事をした。すると、千曲はスッと顔をあげて俺をまっすぐ見つめ、今度はしっかりと言葉を紡ぐ。


 「私も、雄太くんの家に泊まる!」


 「……へ?」


 ダメだった。今度は一字一句しっかり聞き取れたはずなのに、脳みそがそれを処理しきれずに全く同じ気の抜けた返事をしてしまった。


 「理由は長いんでしょ?なら、こんなとこじゃなくて、雄太くんの家でしっかり聞くから!ほら、電車来たよ!」


 「ちょ、勝手に話進めんな!まだ俺全然そこまで追いついてないから!赤坂5丁目ミニマラソンの黒人ランナーか!」


 「赤坂5丁目ミニマラソンの黒人ランナーはむしろ最初は遅れてるわけだから、その例えは適切じゃないよ」


 「どうでもいいわ!」


 俺が事態の急変に狼狽していると、停車した電車の扉がチャイムともにガタンと開いた。


 「ほら!私も雄太くんの家行くから!この電車でしょ!乗ろう!」


 「いや、まだ俺はなにも了承してないだろ!立科だって……」


 「え、アタシは別になんでもいいけど。雄太の家に泊まらせて貰えるなら、文句言えた義理ないし。それに、なんか面白い展開だし」


 「面白くないだろちっとも!」


 俺の意思が介在する余地もなく、とんとん拍子に話は進んでいく。マジで?俺今日家に美少女2人も泊めんの?急展開すぎて、何が起きているのかさっぱり理解できない。


 「ほら、早く乗らないと電車発車しちゃうよ!乗って乗って!」


 「そうだよ雄太、早く早く!」


 2人の女の子が、電車の中から俺を手招きする。何これ、魅惑的すぎて、逆に罠だろコレ、絶対着いていっちゃいけないやつだろコレ。もはや死亡フラグだよ。


 「ほら!次の電車まで40分もあるんだよ!」


 「いいから早く乗れし!」


 千曲は俺の右手を、立科は俺の左手をギュッと掴んで、電車の中に入れようと引っ張った。

 今の俺、もしや側からみたらモテモテ男子高校生なのでは?しかして、艶やかな2人に対して、俺はかなり冴えない平凡な見た目なので、恋愛感情を使って薬物の運び屋をやらされそうになっている哀れな少年、という方がむしろしっくりくるわけだが。悲しすぎんだろそれ。


 「あーもう分かった!分かったから!」


 俺は周りの乗客の視線に耐えきれなくなり、観念して電車に飛び乗った。瞬間、プシューというけたたましい音を立てて扉が閉まる。

 少し膨れっ面で、まっすぐ俺を見る茶髪の美少女と、ニヤニヤと笑いながら、楽しそうに俺に目配せする金髪の美少女。

 その現実感の伴わない光景による浮遊感と、先行きがまったく見通せない不安感を乗せて、電車はゆっくりと発車した。


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