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修羅場1


 「……はよー、おはよー!ねぇ、起きてってば!」


 ふと、可愛らしい女の子の声がした。

 徐々に意識を現実世界に取り戻しつつあった俺は、朧げな思考で状況確認をする。あー、俺は寝ていたのか、半開きの目から入ってくる鬱陶しい光を見るに、どうやらもう朝が来たみたいだ。

 しかして、こんな可愛い声の女の子、我が家にはいないはずだが?さては姉か?いや、あの人はこんな殊勝に声をかけて起こしたりなんてせずに、布団を引っ剥がしてから文字通り叩き起こしてくるハズだが。ちょっとは躊躇しろや。


 「ねぇ、遅刻しちゃうよ!また怒られちゃうし!早く行こうよ!」


 遅刻?あ、そうか。今はゴールデンウィークだというのに学校に登校しなければならない、補修という名のカスイベントの真っ最中だったか。てか、俺は昨日遅刻してねえよ。遅刻して怒られたのはアンタだけだよ。

 ん?アンタ?あ、そういえば。


 「ねぇってば!起きてよ!」


 両肩を持って揺すられ、俺は重く閉ざした瞼のシャッターをゆっくりと開いた。

 目の前には、大きくて柔らかそうな2つの果実。あれ、実際に目の前で見るのは初めてのハズなのに、なぜかよく知ってるぞこの果物。だってフルーツの中で1番好きだもん、はい。


 「……パイナップル、ここは南国か」


 「は?ちょ、寝ぼけてるし、早く目覚まして!学校行くよ!」


 俺は定まらない思考でうっかり口を滑らせてしまったが、どうやら立科は俺が何を見てそう言ったのかまでは分からなかったらしく、ただの起き抜けの戯言として処理した。

 いやはや、美少女JKに起こされて朝を迎えるというのは、なかなかどうしてオタクの夢である。俺は基本朝が嫌いだが、今日ばっかりは最高の朝だったと死に際に走馬灯として蘇ることだろう。


 「もう朝か、目覚ましかけ忘れてたのか俺」


 「アタシが自然に起きたから良かったけど、もし1人だったらどうするつもりだったの?」


 「仮病で休む」


 「補習の意味ないし!」


 元々補習に意味なんてないだろ。アレは、教育者側がちゃんと仕事はしていますよと言い訳をするために催したパフォーマンスみたいなもので、いわば俺たちは、教師や学校、ひいては文部科学省のアリバイ工作に付き合わされているに過ぎない。あんなもので学校教育に馴染めない人間が根本的に改心するわけないのだ、手段の目的化も甚だしい。


 「てか、立科こそ昨日遅刻してただろ、ヒトのこと言えないだろ」


 「いや、まぁ、そうだけど……アタシだって別に補習行きたいわけじゃないけど……」


 「けど?」


 眠い目を擦りながら、俺はムクっとベッドから立ち上がり、差し当たって体を覚醒させんと伸びをした。


 「今日は、1人じゃないし、別に行っても良いかなって、そういう気になった」


 「ほーん」


 1人が好きな俺からするとあまり実感のない話だが、世の中には1人ではどこにも行く気にならない人種が一定数いるらしい。たとえそれがよっ友レベルの浅い親交の知り合いであったとしても、学校に行くモチベーションの足しぐらいにはなるのだ。


 「ほらほら!早く行こうよ!マジで遅刻しちゃうよ!」


 「あーはいはい。あの、俺これから着替えるので、ちょっと出て行ってもらっても良いですか?」


 「あ、そっか、ごめんごめん、じゃ、玄関で待ってるから」


 俺が壁にかけられた制服に手をかけてチラと立科を見やると、彼女はそそくさと部屋を後にした。既に立科は制服姿で、俺が起きる前には着替え終わっていたらしい。なんとも残念なことだ。


 「……あ、ホントに待ってた」


 俺が覇気のない大あくびをしながらノソノソと玄関の扉を開けると、玄関先の道でスクールバッグを肩からさげてスマホを弄っていた立科が顔を上げた。


 「いや、待ってるに決まってるし」


 「え、俺こういう時だいたい置いてかれるけどな。班行動とかだと、知らない間に他の班員がみんなでどっか行ってることとかよくあるぞ」


 「何その悲しい話!アタシ雄太にそんなことしないから!」


 俺がポケットに手を突っ込んで歩き出すと、その半歩後ろを立科が歩幅を合わせてついてくる。


 「てか、俺と登校するの嫌じゃないのかよ」


 「どんだけ卑屈だし!自己評価低すぎるでしょホント!」


 「いや、そういうことじゃなくてだな。男子と2人で登校なんてしてたら、変な誤解を招きかねないって意味だよ」


 「あー、そういう。雄太って意外に気使うよね」


 意外とはなんだ意外とは。ヒトをデリカシーなし男みたいに言うな。ちなみに、デリカシーなし男というのは姉からつけられた不名誉なあだ名である。あの人からつけられたあだ名は多すぎて図鑑にできるレベルだ。いらねえよそんな図鑑。


 「そうそう、俺は気使いながら目立たないように学校をサバイブしてんだよ。もし、俺と立科が付き合ってるみたいな誤解が流布されたら、立科の学校生活に悪影響が出かねないぞ」


 「悪影響って?」


 「え?そりゃ、例えば立科のスクールカーストが、俺という不可触民によって転落したりとか、いや誰がダリットだ」


 「ちょっと意味わかんないけど、そんなん言ったら雄太もそうじゃないの?」


 「は?俺は元々最下層だからこれ以上落ちようがないというか、なんというか。友達もいないから失うような親交がそもそもないわけで、おいこんな悲しいことを俺に言わせるな、うっかり希死念慮が浮かぶだろ」


 「勝手に言って勝手に希死念慮浮かべられても困るし!てか、それならアタシも同じだし」


 「同じ?」


 俺が立科を見て聞き返すと、彼女は少しばかり悲しげな表情で俯き加減で俺に微笑みかけた。


 「……アタシも、今学校に友達いないから。2年に入ってからは半分不登校みたいなもんだから、もうクラスにも話せる人いないし」


 「……そうか」


 美少女JKという、俺からしたら大人気属性の立科だからといって、学校空間に馴染めると決まったわけではない。よく考えれば、田舎の普通の公立高校で金髪の艶やかな見た目の彼女が溶け込めているとは考えにくいのだ。

 田舎特有の、出る杭は打たれるような雰囲気というのは高校にすら確かにのさばっていて、途中式は違えど俺と立科は同様の悩みを抱えているのだろう。


 「だから、雄太と一緒にいても、なんなら変な噂流されても、別にアタシにダメージは一切ないから」


 「そうか、ようこそ、失うもののない無敵の人の世界へ」


 「全然嬉しくないしそれ!」


 「ま、もし俺が原因で立科の生活に悪影響が出たら、その時は言ってくれ」


 「え、どうするの?」


 小首を傾げる立科を横目に、俺は前を向いたまま呟くように口を開いた。


 「どうにかするよ、どうにか」


 「……そう、なんだ」


 俺が表情一つ変えずにそう言うと、立科は口をつぐんで少しばかり口角を上げて微笑した。

 あれ、俺めっちゃカッコつけてないか今?うっわ、コイツめっちゃカッコつけてる、アタシに良いとこ見せて好かれようとしてるキモ、とか思われてるんじゃないか今?

 俺は急に今のクールな態度に自分で気恥ずかしくなってしまい、誤魔化すように咳払いをして胸を張った。


 「ま、最悪俺が立科のさらに下に行けば良いだけのことだ。少なくとも、そうすれば立科は1番下では無くなる。スケープゴートは俺が1番得意な役回りだからな」


 「なにそれ、変なの」


 俺が羞恥心からか少しばかり早口でそう言うと、立科は呆れたようにクスッと笑った。


 俺と立科は学校につき、そのまま補習を受けた。一緒に教室に入っていったので多少は他の生徒の目を引いたが、とはいえ補習組は休日を取られた気怠さが下世話な世間話をする欲求に勝ったようで、補習が終わると特に何事もなく散り散りに帰っていった。


 「はー終わった!マジ長かった!」


 他の生徒が教室からいなくなると、隣の席でスマホを弄っていた立科は伸びをして俺の方を向いた。


 「ねぇ、朝なにも食べてないからお腹すいた」


 「そうだな。けど、今俺も立科もマジで金ないからなぁ。もう姉ちゃんは家に帰ってるみたいだし、あの人は両親からある程度お金を預かってるみたいだから、家までの我慢だな」


 「えー!それじゃあと1時間近く何も食べれないし!駅前でなんか買って食べようよ!」


 「立科、今何円持ってる?」


 「え、えー、105円?」


 「俺は158円だ。さて、家まで我慢しようか」


 俺は椅子を引いて席を立つと、カバンを背負って教室後方の扉に向かってスタスタ歩いた。立科は慌ててその後ろを追ってくる。


 「ちょ、待ってよ!ちょっとくらいはなんか買えるし!ほら、棒アイスとか!」


 「立科の金額じゃ買えないぞ」


 「あれ、そだっけ?安いのって100円くらいじゃなかった?ギリ買えない?」


 「この世の中には消費税というものがあってだな。悲しいかな、今のこの国の税率は5%を上回っているんだ。つまり、定価100円の棒アイスは、脱税しないかぎり105円では買えない」


 「じゃあ脱税する!」


 「そんな元気よく犯罪宣言するな!ほら、とっとと帰って姉ちゃんにお金を恵んでもらうぞ」


 俺が足早に廊下を歩くと、立科はトコトコとついてくる。美少女を侍らせて学校を練り歩くのは、悪くない気分だ。今はいつもと違って誰もいないので、良からぬ風評を嫌って人目を憚る必要もない。


 「ねぇ、やっぱ駅前のコンビニ寄ろうよ!アイス食べたいアイス!」


 「だから、立科の金額では買えないって言ってるだろ」


 「あれ、今の消費税率って58%以上ある?」


 「北欧じゃないんだからそんな高くないぞ。というか、58%ってなんの数字……おい、まさか」


 俺が訝しげな表情を浮かべて立科を見ると、彼女は満面の笑みでニッコリ笑った。完全なる作り笑いである。


 「じゃあ、雄太はアイス買えるんだね!」


 「……いやー、やっぱ日本の消費税率60%くらいあった気がするな、確かそんな法案が通った気がする、うん」


 「良いじゃん!2人のお金を足して2で割れば雄太もアタシも買えるし!」


 「俺は別にアイス食べたくない!」


 「えー!じゃあ、アタシの半分わけてあげるから!ほら、間接キスだよ間接キス!」


 「そんな簡単に性的魅力を取引材料に使うな!あんまり安売りすると資産価値減るぞ!現代のマンサ・ムーサか!」


 「ちょ、全然意味わかんないんだけど」


 やはり危なっかしいぞこの子。自分の性的魅力度の高さには自覚的らしいが、その使い方があまりにも下手である。アイス如きに使うなよ、ぜひ彼女には需給の関係から学んで、OPECのような戦略を取っていただきたいものである。この場合、OPECのオイルショックならぬ、OPACのおっぱいショックか。なに考えてんだ俺。


 「ねぇアイス食べようよ!ホントお腹すいた!駅でアイス食べないと電車内で餓死する!」


 「迷惑すぎるだろ!電車に乗ってるやつの人身事故なんて聞いたことないわ!」


 「ほら、アタシが迷惑かけて電車止めちゃっても良いの?みだりに緊急停止ボタン押しちゃっても良いの?」


 「あーもう分かったよ!アイス買えば良いんだろアイス!頼むから緊急停止ボタンだけは押さないでくれ!」


 「やったー!ありがとう!」


 俺が立科の応戦に根負けしてアイスの購入を渋々許諾すると、立科は調子良く俺の肩を両手で揉んでニコニコ笑った。


 「ほら!駅の北口のコンビニ行こうよ!てかこの辺田舎すぎてあそこしかコンビニないけど!」


 「あーはいはい」


 俺は呆れたように顔を引き攣らせながら、立科は上機嫌でルンルンと跳ねるように。2人は少し上り坂になっている駅までの道を歩いていった。


 駅前のコンビニに入ると、立科は相当待ち遠しかったのか、アイスのコーナーまで小走りで駆け寄った。


 「どれにしようかな!」


 「1番安いやつしか選択肢ないだろ」


 「良いじゃん!選ぶのが楽しいんだしこういうのは!」


 目を輝かせながら冷凍庫を覗き込む立科の少し後方から、俺も遠巻きにアイスを見た。定番のものから期間限定商品まで、コンビニというのはまったくバカにできない品揃えである。


 「うわ、季節限定のマスカット味だって!美味しそう!」


 「まぁ、俺たちにはバニラとチョコしか選択肢ないんだけどな」


 「ちょっと目移りするくらい良いじゃん!選択肢狭めてくるなし!」


 「もともと選択肢狭いんだよ俺たちは。で、どうする?チョコ?バニラ?それとも帰宅?」


 「なにその魅力ゼロの第3の選択肢!えーどうしよう、迷うなー」


 まるで小学生のように無邪気にはしゃぐ立科の姿を見て、俺はえもいわれぬ安堵を抱いた。今の立科の表情からは、昨日までのような不安の影が、見えなかったからだ。108円のラクトアイスで少しの間だけでも憂鬱が晴れるのならば、コンビニに立ち寄ったことも悪くないと、そう思えた。


 「……雄太、くん?」


 ふと、後ろから声が聞こえた。

 振り返ると、そこには艶やかな栗色のショートヘアをした、眉目秀麗な美少女が立っている。彼女は、唖然とした表情を浮かべて口を半開きにし、両手を垂らして立ち尽くしていた。

 こんな呆然と脱力した姿ですら、それでもなお目を引くほど麗しいのだから、全くもって美少女とは末恐ろしいものである。

 じゃなくて。


 「ち、千曲……」


 俺は何を言っていいものか窮して、顔を引き攣らせて笑うことしか出来なかった。

 ヤバい、昨日今日でいろいろイレギュラーなことが起こりすぎて、ゴールデンウィーク前の千曲との約束のことをすっかり忘れてしまっていた。


 「え、なになに?どうしたの?」


 無言で顔を見合わせる俺たちを見て、立科は小首を傾げて俺に尋ねてきた。いや、顔近い顔近い。あんまり距離を詰めてくるな、今はマジで。


 「え、もしかして知り合いなの?こんな可愛い女の子と?雄太が?」


 「……雄太?」


 千曲の眉間に皺がよった。半開きだった唇がギュッとつぐまれて、眼光がいくばくか鋭くなったのを感じた。

 古来より、モテる男というのは、しかしてそれ故の苦悩を抱えているようで、例えば自分に恋慕を寄せる女性同士が出くわしてしまった時なんかは、非常に面倒なことになるようなのである。

 贅沢な悩みここに極まれり。非モテ代表の俺はこの手の話を、いけ好かないヤリチンによる自虐風自慢の洒落臭い戯言だと一蹴してきたわけだが、まさかその渦中に自分が巻き込まれることになろうとは。


 「えっと、知り合いというか、えー、ははは……」


 こんな状況になるシミュレーションなど一切してなかったので、俺は狼狽して乾いた笑いを出すほかなかった。クソ、少しはシュミレーションすれば良かった。アレ?シミュレーション?シュミレーション?ダメだわからん、完全に混乱状態だぞ今の俺。

 完全にエンストしてしまった俺と、その傍で小首を傾げる立科を見て、千曲は怪訝な表情でゆっくりと口を開いた。


 「……雄太くん、その子、誰?」



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