泊まり5
入店のチャイムと共に自動ドアが開き、俺たちはコンビニの中へと入った。春と秋の存在を失念した近年の日本列島では貴重な、全く空調の必要がない適当な気温の店内。
「うーん、やっぱ食材って感じのものはないね……」
店内をスイスイ歩いて行く立科の後ろを、俺は慣れない足取りで着いていく。単独行動が板につくと、人と歩くペースを合わせることさえ一苦労なのだ。
「カレールーとかはあるぞ」
「これ以上味を足すモノ買ってどうするの。はぁ、やっぱコンビニじゃ料理は厳しいかな……」
あらかた店内を見渡して、口をへの字にして顔を顰める立科をよそに、俺は一番くじの景品を見ていた。ほぅ、今は『最強の賢者、引退する』の一番くじか。1等の景品である、ヒロインのリズの艶かしいランジェリー姿のフィギュアを見て、その精巧さに思わず見入る。
ふと、俺のスマホが、普段聞き慣れない通知音を鳴らして震えた。
「……え」
「ん、なに、どうかした?」
「いや、その……」
俺に連絡を入れてきたのは、案の定と言うべきか姉である。
その内容はというと『お姉ちゃんサークルの人達とカラオケオールすることになったから、2人で仲良く頑張って!あと、もし雄太が卒業したら、詳しく聞かせて!ほなー』である。
何がほなーだよ、どんだけ俺の性事情知りたいんだよ、下世話がすぎるだろ。
「え、なになに?」
「えっと、お姉ちゃん、今日は家に帰ってこないらしい、すまん……」
俺がモニョモニョとそう言うと、立科は特段驚いた様子も嫌がるそぶりも見せず、あっけらかんとしている。
「へー、そうなん。なんで?」
「なんか、カラオケオールとかいう、この世で1番くだらない会合に出席するみたいだ」
「えー良いじゃん!カラオケオールとか、アタシも大学生になったらやってみたいなー!」
やりたくねえよ、そんなイキリ大学生の代名詞みたいなこと。なんで大学生って揃いも揃ってカラオケオールするんだよ、クローンかお前ら。
「そんな楽しくないだろアレ。翌日の朝の講義前に『昨日カラオケオールでマジキチー笑』と言うことだけを目的としたの行為だろアレ。もう大学生の社不自慢には食傷気味なんだよこっちは。どうせ数年後には真面目に働いてる癖に、何が社不だ」
「誰に怒ってんの?てか、カラオケは普通に楽しいじゃん。アタシは1人でもたまに行くし」
マジか、JKがヒトカラだと。この子インフルエンサーになったら世のおじさん達から絶大な人気を誇るんじゃないか。若くて可愛い女性の1人行動とか、男の1番の好物だぞ。
「そんなに好きなのかカラオケ」
「まぁ、カラオケが好きっていうか、歌うのが好きなんだ。アタシそもそも音楽が好きで、なんならアニメもアニソンから入ったし」
なるほど、そんなアニメへの入り口もあるのか。確かに、昨今はアニソンが一般ヒットチャートに君臨することも珍しくないからな。しかして、そのせいで自称アニオタの浅いヤツも増えたわけだが。アイツら潮干狩り出来るくらい浅いからな。
「ほー、歌うのが好きってことは、立科って歌上手いのか?」
俺が特に意図もなくそう言うと、立科は逡巡して、何か思うところがあるような苦笑いを浮かべた。
「……うーん、わかんない。だと良いけど」
なんだそれ。全く質問の答えになってないわけだが、とはいえ何か事情があるのならば、これ以上深掘りしないのが吉であろう。
「まぁ、そんなこんなで姉が帰ってこなくなったわけだが、どうする?」
「どうするって何が?」
「いや、流石に俺と一つ屋根の下2人きりで一晩過ごすの、立科も嫌だろ」
俺が眉を顰めてそう言うと、立科は何かを理解したように呆れた表情で首を横に振った。
「なーんか、あやめさんが言ってたこと、なんとなく分かった気がする。雄太ずっとそんな感じだもんね」
「え、いや、なんのことだよ」
「まぁいいや、アタシは行く宛もないし、そのまま雄太の家に泊まらせて貰うつもりだけど」
「え、それで良いのか?」
「良いも何も、それしか出来ないし。なに?アタシに知らないおじさんの家に泊まれって言ってるの?」
「いや、そうじゃないけど……まぁ、立科が良いなら」
俺が頭をポリポリとかきながら煮え切らない口調でそう言うと、立科は目を細めて、やれやれといったように微笑した。
「けどそれじゃあ、あやめさんの分のご飯は作らなくて良いってことだね」
「そうなるな、てかそもそも、よく考えたら3人分の食材代なんてはなから……」
俺はおもむろに財布を開いて中身を確認した。
415円。これが俺の財布に入っていた、全財産であった。やばい、思った以上になけなしだった。
「……立科ってどれくらい金持ってる?」
「え?えーっと……」
立科は二つ折りのパステルピンクの財布を取り出して、中身を入念に確認した。
「えー、362」
「ドル?」
「円」
おい終わったぞ。とてもじゃないが、成人と大差ない量を食べる10代後半の胃袋を、コンビニというコスパの悪い場所で埋められるような金額ではない。
「合わせて777円か……」
「え!やったじゃん!ラッキー!」
「どこがだよ。数字として少ないのが問題なんだよ今」
「いや現実見せてこないでよ……」
俺と立科は口籠って2人して項垂れた。これはもう、食材どうこうなどといった贅沢な話ではないのかもしれない。
「……カップラーメンか?」
「……だね」
俺と立科は誘われるように、気づけばカップラーメンのコーナーへと足を運んでいた。よもや、この文明の利器に頼らざるを得ないフェーズである。これ考えた人マジで神。
俺と立科は、互いに149円税込のプライベートブランドのカープラーメンと、108円税込のお茶を手に取った。俺は先にレジを済ませたので、立科がレジで買い物をしてる間にカップラーメンを開封してお湯を注ぐ。
「え、ちょ、なんでお湯注いでんの!」
買い物を済ませた立科は、俺のその姿を見るや慌てて駆け寄ってくる。
「え、だって家でお湯沸かすの面倒だろ。こうすれば、お湯代も浮くし」
「どんだけ面倒くさがりやでケチなの!?ここでお湯注いだら麺伸びちゃうし!」
「早足で帰れば良いんだよ、家に着く頃にはちょっと伸びたカップラーメンの完成だぞ。そのほうが、かさ増しされて満足度も上がるだろ」
「2人してカップラーメン水平に持ちながら早歩きするの恥ずいし!変な競技だと思われたらどうすんの!」
確かに、カップラーメンを溢さないようにゴールを目指す、カップラーメン競歩部の休日練習だと思われてもおかしくないかも知れない。いや、この場合、おそらくカップラーメン競歩は陸上の種目だから、陸上部ということになるのか?どうでも良いわ。
「じゃあ立科は家に帰ってからお湯を注げば良いだろ」
「それじゃ2人で別々に食べることになるじゃん!」
「いや、そうだぞ?」
俺が何食わぬ顔でそう言うと、立科は何かを察したような表情で苦々しく首を振り、俺の傍まで近づいてきた。
「ほら、アタシも注ぐから」
「え、いやだって」
「いいから!ここで注いでくの!」
立科は俺を二の腕で押し除けて、カップラーメンのビニールを剥いでお湯を注いだ。線まで注ぐと、蓋を閉めてペットボトルのお茶を脇に挟む。
「ほら、早く!伸びちゃう!」
「あー分かった分かった!」
俺は立科に急かされて、そそくさとコンビニを後にして帰路を歩いた。街灯の少ない田舎道でカップラーメンを持ちながら歩くのは、なかなか難儀で足がもつれそうになる。
「ちょ、ホント伸びる!冷めるし!」
「伸びようが冷めようが、胃に入れば一緒だ!そんなに気になるなら、ここで食えばいいだろ!」
「路上で食べるなんて恥ずかしいこと、出来るわけないし!雄太じゃないんだから!」
「おい、俺のことを恥ずかしい存在みたいな言い方するな。てか、路上じゃなくても、その辺に食えるところくらいあるだろ、公園とか」
俺がそう提案すると、立科はキョロキョロと辺りを見渡した後に、俺の方を向き直った。
「この辺に公園あるの?」
「ああ、ベンチとブランコしかない小さい公園ならすぐ近くにあるぞ。ちびっ子もあんまり来ないから、俺はよくそこで黄昏てる」
「どんだけ暗い高校生活なの、ちょっと面白い」
俺の発言に、立科は口角を上げて微笑した。なんでだよ、ちょっとも面白くないわ。
「じゃあ、そこで食べようよ!もう3分経っちゃうし!」
「まぁ、じゃあそこで食うか」
俺たちは細い住宅街の路地を抜けて、定食の漬物みたいにこぢんまりとした公園に入った。
「さ!食べよ食べよ!」
ベンチに座るやいなや、立科はカップラーメンの蓋を7割くらいに開けて、割り箸を持って食べようとした寸前で、何かを思い出したかのように一旦カップラーメンをベンチに置いて、手を合わせた。
「いただきます」
「カップラーメンでもそれやるのか」
「いや、やるでしょ」
「そうか?カップラーメンほど食材の生前も生産者の顔も思い浮かばない食べ物ないけどな。1番無機質な食べ物だろ」
「いや、食べる前に手を合わせるのは当たり前だから」
そう言って、立科はラーメンを箸ですくってあまり音を立てずに食べ始めた。俺もそれに倣ってとりあえず手を合わせて、ずずっと啜って食べる。
「……なんか、不思議な感じ」
俺がラーメンを半分ほどまで食べた時、隣に座った立科が、ふと上を見上げながら呟いた。
「不思議だよな、お湯を入れただけなのに、こんなに美味いラーメンが出来るんだから。けどな、この技術に辿り着くまでには、艱難辛苦の紆余曲折が……」
「カップラーメンの話じゃないし!……この状況が、なんか不思議だなって、思ったの」
申し訳程度の街灯の微かな青白い光が、立科に降り注ぐ。脱色された腰までの艶やかな髪が、その光に照らされて白銀に靡いた。
「状況?」
「うん。だって、アタシ雄太のことなんて朝まで知らなかったし。それなのに、今こうして、2人で公園でカップラーメン食べて……見て」
立科が上を見上げてそう言うので、俺も同じように上を見上げた。
満天の星。黒い絨毯の上を、キラキラと砂金のような星が無数に瞬いてる。刹那の間、俺はそれに圧倒された。
「すごいね、夜空って。ふと見上げたら、全部吹き飛んじゃうくらい、綺麗」
俺はその、少しばかり陶酔的な立科の言葉を、しかして茶化す気にもならなかった。夜空の星々は、人を酔わせるほどには、麗美だと思ったからである。
「アタシ、夜が1番好きなんだ。こうやって見上げたら、綺麗な星空があるから。なんて自分ってちっぽけなんだろうって、そう思うんだ。どんなに嫌なことがあっても、悩んでても、星空を眺めてる時だけは、全部全部忘れられる」
「……そうか」
「アタシ、今朝はすっごく不安だったんだ。家出するって決めたけど、この先どうしようって。それで、学校に着く頃には、もうどうにでもなれって、ちょっと自暴自棄になってた。いや、そうするしか無かったのかも」
ポツリポツリと呟く立科の澄んだ声を、俺は黙って聞いた。
「だから、こうやって、知らない同級生と、夜空を2人で見上げてるのが、不思議な感じだなって。だって、想像もしてなかったもん」
「俺の方が想像してなかったよ」
「……ねえ、ちゃんと星空見てるよね?」
「見てるよ、星空しか見てない」
「……そっか」
俺は、その無数に星が瞬く夜空に釘付けになっていた。あるいは、意図的にそうしていたのかもしれない。
しばらくして、立科がまたカップラーメンを食べ始める頃に、俺はようやく視線を落として、同じくカップラーメンを啜った。
「……伸びてる、冷めてるし」
「自分が早く買わなかったからだろ。せっかく公園で食べたのに、意味ないだろこれじゃ」
「……意味はあったし」
俺と立科は、冷めて伸び切ったカップラーメンを、星空の下でゆっくりと啜った。
家に帰った俺たちは、ひとしきりゲームの続きに興じた後で、23時ごろには寝る準備に入った。姉の承諾を得て、立科は姉のベッドで寝ることになった。
「ねぇ、お風呂借りていい?」
俺が気怠げにゲーム機を片付けていると、立科は首を傾げてすまし顔で聞いてきた。これは、お泊まりイベント恒例中の恒例、女の子の入浴、である。
しかして、あれはアニメやゲームでは三人称で女の子の入浴シーンが存在するから良いだけであって、これが3次元で起きても、ただ女の子がお風呂に入って出てくるだけのことである。おもんない。
「あー、どうぞどうぞ」
「化粧水とか乳液は持ってきたんだけど、タオルとドライヤーってどうすれば良い?」
「なんで家出のセットにスキンケア用品が入ってんだよ、二の次だろ」
「はぁ?スキンケアとメイクが1番大事でしょ、雄太その発言はヤバいよ、女の子分かってなさすぎ」
なぜに女性というのは、こうも男性をモテなそうだの女心がわかってないだのといった尺度で測ろうとするのだろうか。この尺度、査定基準が曖昧すぎて嫌いなんだよなぁ。
「女心が分かってないなんて、お姉ちゃんに5万回くらい言われてるから知ってんだよ。まぁとりあえず、タオルとドライヤーは脱衣所にあるやつ使ってくれ」
「わかった、ありがとう」
立科は俺の部屋から出ていくと、何かを思い出したかのように踵を返して戻ってきて、ドアからひょっこりと顔を出した。
「服は?」
「え、服?」
「うん。流石にそのままの下着で寝るのは嫌」
そんなこと言われましても。姉ならば、下着を貸すくらい嫌がらないだろうが、しかして今の姉はカラオケの真っ只中で、了解を取ろうにもレスポンスが遅い。
「……雄太の服は?」
「……は?」
え、なに、聞き間違い?今この子とんでもないこと言ったぞ。耳おかしくなったか俺?
「だから、雄太の服」
「いや、流石に俺のパンツ履くってのは……」
「ちょ、下着じゃないし!流石にそれはキモい!マジキモい!」
「おい、だからキモいだけはやめろ。それで俺が死を決意したらどうするんだマジで」
なぜにここまで女性のキモいは心臓を抉るのだろうか。いや、世の中には女性にキモいと言われて絶頂に達するような達人もいると聞くが、高校生の俺ではまだその境地には遠く及ばない。これが人生経験の差か。どんな経験したらそうなるんだよ。
「上着貸してってこと!雄太が直に着た下着なんて着るわけないじゃん!」
「人の着た下着を汚物みたいに言うな。上着か……寝巻きにするなら、半袖Tシャツくらいならあるけど」
「ズボンは?」
「え、えっと、短パンくらいなら」
「……まぁ、仕方ないか」
立科は顔をくしゃっとさせて、不服そうに了承した。それキモいって言ってるのと大して変わらないからね?
「アタシがお風呂入ってる間に、脱衣所に服置いといて。じゃあ、入ってくるから」
立科は心なしか、少し強めにドアを閉めてお風呂に向かっていった。
俺は立科の入浴中、ベッドで横になりながらラノベを読み耽っていた。『俺の幼馴染が理想のヒロインすぎるんだが』5巻である。この巻では、ヒロインのユナたそが映画館で久我原の手をギュッと握りしめる激萌え展開がある。この、ユナたそがイッキに久我原と距離を詰める感じ、堪らんです、はい。
あれ、なんか既視感があるぞ。なんでだろ。
「……あがった」
俺がラノベを開きながらふと物思いに耽っていると、入浴を終えた立科がゆっくりと俺の部屋に入ってきた。
「おお、じゃあ、もうお姉ちゃんの部屋でいつでも寝てて良いぞ。おやすみ」
「……まだ、眠くないんだけど」
知らんがな。俺はベッドから起き上がって、立科と入れ替わるようにドアに向かって歩いた。
「まぁ、ゲームなら勝手にやってても良いけど。あ、プラハイは勝手に進めんなよ。俺の知らんうちにヒロインと付き合ってるとか、絶対嫌だからな」
「分かってるって、ここまで2人でやってきたのに、今更1人で進めたりしないし」
俺は目の端で俺の上着を着た立科を確認したのち、ドアを開けて部屋から出ようとした。
ん、なんかおかしくないか?俺はもう一度振り返って立科を凝視する。
「え、ちょ、なに。そんなジロジロみて」
「い、いや、それ、俺の上着……」
「え、そうだけど、なに?」
「ちょ、それ、もしかして……直に着てる?」
「うん、だって今日の下着のまま寝るの、気持ち悪いし」
勘弁してくれや。俺の半袖Tシャツと短パンを、あろうことかこの金髪ギャルは下着もかまさずそのまま着てるらしい。チェリーボーイには刺激が強すぎるわ。
その立科が着ている服をそのまま家宝にしてしまいたいという変態的欲望を必死に押し殺して、俺は理性のエンジンを限界までふかした。
「おいそれマズくないか?」
「しょうがないじゃん、これ以外にやりようないし」
「やりようないって……え、てことは今の立科、ノーブラノーパ……」
「マジキモい!早く風呂入ってきて!」
「あーすいませんすいません!」
俺は立科の怒号に追い出されるように、そそくさと部屋を後にした。なんか反射的に謝っちゃったけど、これ俺が悪いの?こんな状況で一切邪念が発生しない男、もう去勢した人だよ、宦官だよソイツ。
しかして、金髪のうら若き女の子が、下着もなしに俺の服を着るなんて、誰もが羨むような状況ではなかろうか。え、明日俺死ぬのかな、じゃないと説明つかないよこの幸運。
俺は、あの豊満な胸を、生で俺の普段着が包み込んでいるという、あまりに官能的な事実を放念することに時間を要して、少々のぼせ気味になりながら風呂を後にした。
「……ども」
俺は身を縮めながら遠慮がちに部屋に入った。自室に入るというのに、極めてよそよそしい立ち振る舞いをしてしまう。
「なに?なんでそんなに縮こまってるの?」
スマホをケーブルに繋いで充電しながら弄っていた立科は、部屋に入ってきた俺を見るや少しばかり怪訝な表情で首を傾げた。短パンからは白い太ももが際どく出ていて、Tシャツの襟からは胸の谷間がチラと覗いている。
そりゃ縮こまるだろ、こんな無防備で劣情を掻き立てるような姿の女の子が自室にいたら。自分の部屋なのに、全然ホームじゃない。
「いや、縮こまってるというか、むしろ意図的に縮こめているというか……」
「は?どういうこと?」
「まぁ、あの、つまりですね?縮んでた方が良いわけですよ。むしろ膨らんでた方が、問題あるでしょ?」
「え、いやどういう……ちょホント無理!マジキモい!」
俺が出来るだけその艶かしい姿を見ないように床に視線を向けながら話していると、つい頭が回らず思っていたことがそのまま口に出ていたようで、再び立科の怒号が飛んだ。
「ちょ、俺だって必死に理性を保とうと努力してんだよ。縮こまっている俺にもっと敬意を払っても良いだろ」
「アタシが縮こまってるって言ったのは体勢のことだから!ホントキモい!マジキモい!あまりにキモい!」
「様々な強調の副詞を用いてキモさを表現するな。どんだけキモいんだよ俺」
「いや、むちゃくちゃキモいから!もう寝る!」
立科は勢いよく立ち上がると、俺を押し除けて部屋の扉をバタっと閉めて出ていった。
あー、危なかった。これ以上あんな女の子と一緒の空間にいたら、理性がオーバーヒートするところだった。俺は安堵と、そして一抹の残念さからため息をつくと、部屋の電気を消して布団に入った。
月明かりに照らされた部屋の青白い天井を見て、仰向けに寝た俺はぼんやりと今日の記憶を辿った。
今日で何回キモいって言われたんだろう、羊じゃなくて立科のキモいを数えて寝ようかな、そんな悲しい眠りのつきかた絶対に嫌だ。そんな取るに足らないことがぐるぐると頭を回る、意識が遠のくまでのいつもの時間だ。
しかして、同級生のちょっとしたセクハラ紛いにキモいと罵声を浴びせかけている方が、知らない誰かに体を許すより遥かに健全だと思う。あるいは、俺が立科にはそうあって欲しいだけかも知れない。俺はあの立科からの罵倒に多少胸を痛めつつも、それ以上の安堵がその痛みを包み込んで、存外悪い気分でもなく静かに目を瞑った。
「……起きてる?」
「うわぁ!」
俺の意識が遠のき始めた頃、部屋の扉が静かにガチャリと開いて、影が入ってきた。俺は驚きのあまり大きく情けない声をあげて飛び起きた。
「え、ちょ、そんな驚く?雄太ってビビり?」
「……何の用だよ」
思考が覚醒して、その声が立科だと気づくと、俺は目を擦って怪訝な表情で彼女を見た。
月明かりの部屋でぼんやりと照らし出された立科は、その明るい髪色も相まって、まるで白銀の妖精のようで、どこか現実感さえ失ってしまうほどに、妖艶に映った。
「……」
「いや、なんだよ」
「……1人で寝るの、ちょっと怖い」
立科は、言いづらそうに小さく身を捩ってボソッと呟いた。何を可愛いことを言い出すんだこの子は、守ってあげたくなっちゃうだろ。
「そんなこと言ってもなぁ……」
「だってさ、初めて来た人の家で、1人で寝るのって、普通に怖くない?」
「いや、立科さっき自分でキモいって言って出ていったんだろ」
「そうだけど!いざ1人で寝ると、なんか寝れなくて、寂しいし怖いし……」
確かに、立科が心細いのは、想像に難くなかった。
彼女は初対面の俺に、悩みを、そして傷心を、今日だけでも何回か吐露していた。それほどまでに、彼女の胸の中には不安の霧がかかっているのだろう。その重たい不安感に苛まれた上に、この不慣れな環境では、寝つきが悪くなるのも致し方あるまい。
「……この部屋には、俺のベッド以外寝るような場所はないぞ」
「……」
困ったようにモゾモゾする立科を見て、俺はため息をついておもむろに立ち上がった。
「……待ってろ」
「え、どうするの?」
「1回から布団持ってくる。ここに敷くから、それで寝てくれ。押入れから出すから、寝心地にはあんま期待されても困るぞ」
「待って待って!アタシも手伝う!」
俺と立科は電気をつけて、1階の押入れから一通りの寝具を俺の部屋に運び出し、それを敷いて再び電気を消した。
「……ありがと」
「別に。それより俺と同じ部屋なのは良いのか?キモいだろ?」
「キモいけど、怖くて寂しいのよりは、だいぶマシ」
「キモいを否定して欲しかったんだけどな。じゃ、おやすみ」
俺は睡魔でテンションが下がっているのか、あるいは少しばかり慣れたのか、先と比べて立科の布面積少なめな姿にドギマギすることもなく、そのまま布団に入った。
「……あのさ、雄太」
俺が左腕を下に、壁側を向いて布団にくるまっていると、床に敷いた布団で寝ているであろう立科の声が、後ろから聞こえてきた。
「なんだよ」
「……おやすみ」
女の子と2人きりで同じ部屋で寝るなんて、もう一生ないかも知れない。そんな悲観的な将来展望と、この貴重な状況を噛み締める間もなく、俺は疲れに誘われるように意識を遠のかせた。




