泊まり3
俺は自室のドアノブを握って、ガチャリと押して入った。好きな作品のタペストリーが俺たちを出迎える。
「おお……すごい、ちゃんとオタク部屋って感じだ」
「良いだろ別に、自分の部屋くらい好きなもので埋め尽くしたいだろ。部屋の外は嫌いなものだらけなんだから、特に人間とか」
「どんだけ人嫌いだし、てか別に悪い意味でオタク部屋って言った訳じゃないし。好きなものがあるのって、良いことだから」
立科は部屋に入ると、辺りをキョロキョロと見渡した。他人を入れることなどまったく想定していなかったので、なんだか気恥ずかしいものがある。
「あ、いもこいじゃんコレ!」
立科はそう言うと、トコトコと置いてあるフィギュアに駆け寄って行った。『妹がお兄ちゃんに恋しちゃダメですか?』という作品の、主人公の妹兼メインヒロインのフィギュア、ビキニバージョンである。
おい、コレを同級生の女子に見られるの、よく考えたら卒倒モノの恥ずかしさだぞ。
「いもこいも知ってんのかよ」
「アタシ前はめっちゃ好きだったよいもこい。けど、最後主人公と妹が結婚して終わったから、なんか、萎えた」
「いや、あれが良いんだろ!実妹がヒロインというそもそも賛否が起こりやすい設定で、批判を恐れず突き抜けて描き切ったあの勇気、もはや芸術だろ!オタクの妄想ここに極まれりだろ!」
「いや、あの終わり方はさすがにネットでも散々叩かれてたけどね。実妹との実らぬ恋みたいな、絶妙な綱渡りが面白かったのに、綱から飛び降りてそのまま地面を歩いちゃったみたいなガッカリ感というか」
「まぁそれも分からんでもないが、俺は作者の胆力を賞賛すべきだと思うぞ。あんな展開、現代の倫理的に絶対許されないのに、アニメ化作品であそこまでやっちゃったんだから。自分の描きたいものを、批判に負けずに最後まで貫いたというのが、この作品の真髄だろ」
俺はいつのまにか立科と一緒に屈んでフィギュアを見ながら、ついオタクトークに熱が入った。
「いくら描きたいものでも、商業作品ならある程度は倫理規範を意識すべきじゃない?てか、あれはさすがにやりすぎだし、そもそもあの作品の面白さって、別に妹との恋が成就することではないでしょ。むしろ、成就しないほうが、儚さがあって良かったと思うけどなぁ」
「そんな、禁断の恋は儚く散りましたが、2人は別々の場所で同じ空を見てますエンド、オタクはもう飽き飽きなんだよ。そんなありふれた終わり方、俺たちが思いつくくらいなんだから作者だって思いついたに決まってる。それでもなお、危険な橋を渡ってでもあの終わり方にしたってことは、それはもう作者の魂の叫びであって……」
甘い匂いが香った。女の子の匂いである。
ふと、俺は立科と至近距離で目が合った。いつのまにか、2人は会話に夢中で距離感を測り違えていたらしい。
大きな瞳は、まるで吸い込まれそうなほどに魅力的だった。改めて、この子マジでちゃんと可愛いな。
「おお!ごめん!」
「え、ちょ、そんなにのけぞる?別にいいでしょこんくらいの距離感」
俺が慌てふためいて飛び退くと、立科は訝しげに眉を顰めた。なんでそんな余裕そうなんだよ、やはりビッチか、ビッチなのか貴様。
「てか、マジちゃんと哲学強めオタクじゃん雄太」
「ちょ、お見苦しいところを……切腹いたしますので、介錯をお願いします」
「どんだけ恥ずかしかったんだし!てか、私雄太と喋ってんの楽しいよ結構、こういうオタクトーク好きだし」
こういう話はまるで自分の深いところにある、他人には普段あまり見せていない部分を見られてしまっているように感じられて、かなり恥ずかしいものなのだ。
あと、自分の自己満足に付き合わせてしまっているようで、なんだか忍びなく思ってしまう。
「……こういう話って、なんかこう、オナ、じゃなくて、マスターベーションを見られてるみたいな恥ずかしさあるだろ」
「言い直せてないから全然。まぁ、その気持ちも分からなくはないけど、だからこそ同じ趣味の相手ならそれをわかってくれるし、好きなだけ気持ちよく喋れるんじゃない?アタシはオタクトークできる友達とか正直いないし、雄太の話、ちょっと面白かったけど」
微笑しながら見つめてくる立科に、何やら気恥ずかしくて、それでいてなぜか悪い気分でもなくて、俺は頭をポリポリとかいた。
「お、面白い?そうか?」
「うん、そんな意見もあるんだなって思った。作品の良し悪しまで含めて共感し合ったり別の意見を言い合ったり、そういうこと出来る人って、あんまいなくない?」
「まぁ、確かにそうだな」
「うん、だから雄太と喋ってるの、ちょっと楽しいかも。批判もあるのにその展開にしたのは、作者の魂の叫びだからっていうのは、なるほどなって思った」
「まぁ、俺も立科の言ってることは分からんでもないけどな。作者の意図とか、描きたいこととか、そういうメタ的な解釈を抜きに考えれば、妹と結婚って展開は思うところあるし」
「でしょでしょ?あと、アタシの場合は、個人的にあの展開が受け付けなかったっていうのもあるけどね。アタシお兄ちゃんいるから、どうしても自分の立場で考えちゃって、キモッてなっちゃったのはある」
俺と立科は並んだフィギュアを2人で見ながら、部屋に来た理由さえも失念して会話を弾ませる。
「あー、それはあるな。いくら創作といえど、やっぱ自分と照らし合わせちゃうのは分かる。俺も姉と恋愛とかいう展開の作品あったら、見てられないもんな」
「でしょでしょ?本当にお兄ちゃんがいる身としては、兄妹で結婚とか考えられないし、ていうか考えたくないし、生々しいし」
「なるほどなぁ、医療ドラマを医者が見て、違和感があるみたいなことか」
「なんかそれは違う気がするけど……妹との結婚は誰でも違和感あるでしょ……」
え?そうなの?俺にも可愛い妹がいたらなぁとか「ミア、お兄ちゃんと結婚する!」って言われたかったなぁとかよく思うぞ。誰だよミア。
「……やっぱ、お兄ちゃんと結婚したいとか、そんなこと思ったことない感じか?」
「当たり前じゃん……キモ……」
「おい、アンタみたいな可愛い女の子のキモは、一撃必殺技だからあんまみだりに使うな。じわれとかぜったいれいどとおんなじカテゴリーの技だから。必中だし」
「え……あ、うん」
俺がHPを根こそぎ持っていかれてひんし状態になりながらそう言うと、なぜか立科も少しばかり当惑したような表情を見せて、歯切れ悪くそう答えた。
「けど、そう考えると妹キャラって二次元においては頻出属性だから、立科は見るたびに微妙な気分になってるってことか。分かる分かる、みたいな共感はない感じか」
「妹側に自己投影してる人なんていないから!妹キャラは100パーセント男側の需要だし!世の妹達から代弁者として熱烈に支持されてるわけじゃないし!」
「夢ないなぁ。それこそ、プラハイ2だってメインキャラが……あ」
俺はここでようやく、この部屋に来た理由を思い出した。マズい、ついオタクトークに集中してしまって、初心を忘れていた。
「あ、そうじゃん!プラハイやろうよプラハイ!こんな話してる場合じゃないじゃん!何してんのマジで!」
「立科もノリノリで話してただろ……」
俺は慌ててゲーム機の電源を入れ、昨夜にダウンロードしたプラハイ2のアイコンを選択した。音楽と共にオープニングが流れ、タイトル画面へと遷移する。
「おお、やっぱこの、新しくやるゲームのタイトル画面からしか得られないビタミンがあるよな絶対」
「わかるわかる!全然これが不足して体調悪くなったりするし!」
「マジでそう!」
待ち遠しかった瞬間の到来による興奮で、俺はいつになくハイテンションで立科を見た。立科はそれに応えるように、ニッコリと笑顔で返す。
俺はカーペットの上で胡座をかいてゲームのコントローラーをもち、そのすぐ隣で立科は横座り、俗にいうお姉さん座りでディスプレイを見ていた。距離が近く、お互いの二の腕が当たって最初は気になったが、ゲームに集中するうちに瑣末なことになっていった。
「さて、誰から攻略したもんか……」
あらかたヒロインとの初邂逅を終え、俺はどのルートに入るかを眉を顰めて考える。
「え、生徒会長一択じゃん?」
俺がアナログスティックを左右に動かしながら悩んでいると、立科は俺を見ながら首を傾げて言った。ちょ、顔近いなおい。
「いや、生徒会長はないだろ」
「なんで?」
「この子、前作にもいたけど相当性格キツかったぞ、まずはイージーで優しい女の子をやってからの方が良いだろ」
「その性格キツいのが良いんじゃん!それが後半になるにつれてデレるから良いんじゃん!」
「この子の性格のキツさは、最後のデレだけでは回収出来てないだろ。ちゃんと叩いてきたりするんだぞ、暴力はさすがに終盤デレがあるのを加味してもダメだろ」
「そのギャップが良いんじゃん!前作の、叩くふりしてチューするところとか、最高だったじゃん!」
「そのシーンとのギャップを作ろうとしすぎた結果、序盤の不快指数が高すぎるんだよこのキャラ。それに、その見せ場シーンありきで暴力設定になったのが透けて見えるのも、萎えるよなぁ」
「それはツンデレの様式美だと思うけどなぁ……じゃあ、雄太は誰が良いの?」
口を尖らせて不服そうに立科が尋ねてきたので、俺は少しばかり思案した後で、アナログスティックを動かす。
「やっぱ妹だな」
「妹好きなだけじゃん!」
「失敬な!妹が好きなんじゃない!妹も!好きなんだ!」
「それ節操ないだけだし!誰でも良いんじゃん!」
「そんなことないわ!ちゃんと好みのキャラクターくらいいるわ!」
「え、どういうキャラなの?」
立科はまた身を取り出して尋ねてくる。少しばかり柔らかいものが当たりそうで、俺は身を捩りながら答える。
「えー、まぁ、その、主人公を逆手に取る、みたいな、けど主人公のことは大好きで、ちょっとイタズラっぽくて、まぁ、そんな感じ」
「抽象的だなぁ。なんか特定のキャラクターじゃないそれ?」
俺は図星を突かれて少しばかり硬直したが、立科がオタクに理解があるということもあってか、歯切れ悪くも正直に話す気が芽生えた。
「俺の幼馴染が理想のヒロインすぎるんだが、って知ってるか?」
「ごめん、知らない」
ですよねー、アニメ化作品じゃないですもんねー。無意識に期待してしまっていたのか、俺は少しばかり項垂れた。
「まぁ、そこに出てくる、沓澤ユナってキャラが、俺の好み、かな」
「ふーん、けど、タイトル的にそれ幼馴染キャラじゃないの?」
「まぁ、それは正解なんだけど、ほら、幼馴染キャラって言ってもいろいろいるだろ?ツンデレ幼馴染も、ドジっ子幼馴染もいるわけだ。幼馴染って設定はあくまで副次的な要素なんだよ」
「あー確かに。じゃあ、そのキャラの真髄は幼馴染ってとこじゃないわけだね」
さすがオタク、理解が早くて助かる。しかして、風貌がオシャレな金髪ギャルJKなのに、オタクトークを流暢に話すミスマッチな姿が、いまだに俺の脳を混乱させるのだが。
「真髄じゃないというか、性格設定との相乗効果って感じだな。幼馴染という背景設定と、そのちょっと見透かしたような性格設定が、不可分に紐づいてる感じだ」
「なるほどねぇ。けど、プラハイの幼馴染は、朝起きたら裸で主人公のベッドで一緒に寝てるタイプの、不思議ちゃんキャラだから、雄太の好きなそのキャラっぽいヒロインはいないかもね」
そう、ユナたそに類するようなキャラクターは、このゲームにはいない。
そして、別にそれで良いのだ。推しキャラとは、唯一無二のキャラクターであり、代替えなど効かないのである。それこそが、推しキャラを推しキャラたらしめているのだ。
「じゃあ、他に雄太の好きそうなキャラは?」
「うーん……」
俺はスティックをちまちま弄りながら、ため息のような声を出した。
ふと、手が止まる。画面上のマップで選択されているのは、学校の図書館。
「あ、メガネっ子図書委員?気弱で寡黙だけど、メガネ外したら超絶美少女ってオチの子ね」
「よくある様式美だな」
「なに、この子にすんの?」
俺は少しばかり思案した後、遠い目をして呟いた。
「この子、最後の方とか、ただの黒髪ロングの垢抜けたお姉さんなんだよなぁ」
「え、それが良いんじゃん。主人公のために、三つ編み解いて、丸メガネを外して、自分を頑張って変えるところが、乙女すぎてキュンキュンするんじゃん。アタシは結構好きだけど」
「……別に、丸メガネを外す必要ないんだよ」
俺はまたスティックを動かして、今度はマップ上の自宅を選択する。
「やっぱ妹だな」
「結局そうなったし!まぁ、もうそれで良いけど」
そう言って、立科は諦めたように首を振った。
しばし、あーでもないこーでもないと言い合いながら、俺と立科はプレイを進めていく。
「ちょ、手とか繋いでんじゃん、マジ無理」
「おい、これゲームゲーム。現実の妹視点で状況を切るな、1番萎えるぞそれ」
「でもやっぱキツイってコレ、アタシ妹ルートだけは1の時もやらなかったし」
「そんなに嫌なのかよ」
「嫌に決まってるし!お兄ちゃんとなんて、ちょっと想像しただけでも虫唾がフルマラソンくらい走るから」
虫唾が走るの度合いの表し方って長さなんだ。俺は虫唾が音速で走るとか、速さで度合いを表してたけど。どっちが正しいんだろう。どっちも正しくねえよ。
「兄とそんなに仲悪いのかよ」
「仲良いとか悪いとかの問題じゃないしコレ!兄妹って時点で本来アウトだから!」
「じゃあ、仲良いのか?」
俺がカチャカチャボタンを押しながら何の気なしに尋ねると、思いの外立科は押し黙ってしまった。
「……あ、悪い、俺地雷踏んだ?」
「踏んだ、大爆発、ゲームオーバー」
立科はそう言うと、俺を後ろから羽交い締めにしてプレイの邪魔をしてきた。おいマジでやめろ、背中に信じられないほどのボリュームの柔らかいものが当たってるから。煩悩でゲームに集中出来なくなる、マジで。
「どこに物理的にゲームオーバーになるゲームがあるんだよ!選択肢ミスるからやめろ!」
「今すぐ選択肢ミスっちゃえ!ほれ、ほれ!」
立科は屈託のない笑顔を浮かべて、俺を後ろからくすぐってくる。おいこれお店なら料金発生してるぞ今。新手のJKリフレだろもう。ちゃんと摘発しろ警察。
「ちょ、マジ、やめ、や、めろ!」
俺が立科の魅惑的なバックハグから何とか逃れ、心頭滅却しつつ訝しげに立科を見ると、彼女はお腹を抱えて笑っていた。
「あはは!雄太必死すぎ!顔真っ赤じゃん!」
「ゲームの邪魔はしないって約束だろ!」
「ごめんって!てか、もしかして雄太ってくすぐったがり?」
「女の子に触られ慣れてないんだよ!思春期非モテ男子は敏感なんだ!」
「え、ちょっとキモいね、その発言」
「キモいはやめろ、ひんしになるから」
立科がしばらく笑っているなか、俺は不服そうな表情を浮かべてゲームを再開した。まったく、ボディタッチをそう易々としないで欲しい。俺が勘違いして求婚したらどうする。
日が傾き、オレンジの光が部屋を差した。穏やかな5月の午後、ゲームの音だけが部屋の中で響く。
「……仲、悪いよ」
しばらくの沈黙を破って、立科はポツリと言った。
「は?なにが?」
「だから、アタシとお兄ちゃん。仲、悪いの」
「……そうか」
俺は驚きも慰めもせず、努めて小さい反応を返す。
「……え、それだけ?」
「それだけって?」
「いや……まだアタシが家出した理由、話してないじゃん。泊まらせてもらうのに」
「そうだな」
「そうだなって……アタシが家出した理由、お兄ちゃんと仲悪いのも、結構関係あるんだよね」
「だろうな」
俺がゲーム画面から目を離さずに短文で返し続けていると、目の端の立科は訝しげな表情を浮かべた。
「……聞かないの?」
「なにを?」
「だから!アタシの家庭の事情!雄太が聞いて、アタシが少しずつ話す流れじゃん今!」
俺はコントローラーを動かす手を止めずに、横目で立科をチラと見た。
「話したいのか?」
「……雄太、モテないでしょ」
「おい、なんでそうなる」
「今のアタシ、明らかに傷心中じゃん。そこで親身なフリして相談乗るのは女の子を落とす常套手段でしょ。こんなチャンス、モテる男なら絶対逃さないし」
確かに、そのやり古された手口に、それでもなお引っかかる女性は多いと聞く。
かといって、そんな薄寒い三文芝居をする気には、俺はどうしてもなれなかった。
「……そういうヤツが好きなのか?」
「ううん?大っ嫌い」
「奇遇だな、俺も大っ嫌いだ」
俺は立科に目配せして、2人はふっと吹き出して笑い合った。
「話したかったら話せばいい。話したくなかったら話さなければいい。俺は詮索する気はねえよ」
「ふーん、紳士だ」
「少し違うな」
「じゃあ、なんなの?」
「俺は、童貞紳士だ」
「……雄太って、バカだね」
立科は胸を張る俺を見て、呆れたように微笑した。




