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泊まり2


 俺と姉がリビングに戻ると、ソファにチョコンと座った立科が、家の中を遠慮がちにキョロキョロと見渡していた。


 「おっまたー!ささ、つまらないものですが、キャバクラに来たおじさんのユーモアくらいつまらないものですが、どーぞどーぞ」


 「いくらなんでもつまらなすぎるだろ」


 俺がいつもの調子で姉の小ボケにツッコんでいると、立科は感心したような表情を浮かべた。


 「……仲、いいですね」


 「え?今のしょうもないやり取り見た感想がそれなのか?」


 「うん、こんな仲良いんだって思って。なんかその、新鮮っていうか」


 「別に仲良いとかじゃないだろコレは。この人がしょうもない発言よくするから反射的にツッコんでるだけだよ」


 俺が何食わぬ顔でそう言うと、まるで何かを憂うような笑顔を浮かべて、立科は頬をポリポリとかいた。


 「それを仲良いって言ってるんだよ。兄弟でそんなに仲良いの、ちょっと羨ましい」


 「羨ましい?」


 「うん、私は……そんなんじゃないから」


 立科は少し遠い目をした後、また無理をしたような笑顔を作った。

 きっと、彼女には何らかの家庭の事情による憂いがあるのだろうが、いかんせん知り合ったばかりの俺は、そんなことを不躾に聞く気にもなれなかった。


 「まま、とりあえず紅茶でもどぞどぞ!」


 少しの沈黙を破って、姉はあっけらかんと立科に紅茶を差し出した。こういう時に暗い空気にさせまいとする気の使い方は実に姉らしい。


 「あ、ありがとうございます!こんな気を遣ってもらっちゃって」


 「いーのいーの!ささ、グイッと!イッキイッキ!」


 「時代錯誤のハラスメントするな、ここはアンタの所属している飲みサーじゃないぞ」


 「良いじゃんアルコールじゃないんだし!紅茶なんて私たちからしたらジュースみたいなもんよ」


 「それイキリ大学生がチューハイとかに対して言うやつだから。紅茶は普通にジュースじゃないだろ」


 「ささ、乃亜ちゃん、お菓子もどーぞ!こちらマラドーナです!」


 「マドレーヌな、そんなアルゼンチンの伝説みたいなお菓子ないから」


 「もー細かいなぁ!メッシのドリブルくらい細かいよ!」


 「いったんアルゼンチン代表を頭から離せ鬱陶しいな!」


 俺たちが取るに足らない馬鹿馬鹿しいやり取りを繰り広げると、立科は口を押さえて控えめに笑った。その様子を見た姉は安堵したような表情を浮かべる。

 そりゃ、この人がマドレーヌを間違えるわけがないもんな。バカなように見えて、こういうところは心底気を使うのがこの姉である。


 「さーて!我が家に泊まりに来た事情は分かりませんが!お父さんお母さんが帰ってくるまでは泊まっていきなさいな!」


 「え?泊めるのに、理由も聞かなくて良いんですか?」


 「思春期真っ盛りのJKのお泊まりの事情を詮索するほど、お姉さんも野暮ではありません!ちょっと前まで私だってJKだったんだから!あ!今おばさんって思ったでしょ!ちょっとヤダもー!」


 「その振る舞いが1番おばさんだよ」


 俺が努めておどけて振舞ってくれる姉を1人にさせまいとツッコみ続けていると、姉は何かを思い付いたかのように勢いよく立ち上がった。


 「あ!でも泊まるわけだから、どこで寝るか決めないとね!」


 「あー確かにな。まぁ、押入れから使ってない布団出して、それをリビングに敷けば良いだろ」


 「え?じゃあ雄太は?」


 「いや、もちろん俺の部屋で寝るけど……」


 俺がキョトンとそう答えると、姉はやれやれと首を振って肩をすくめた。


 「弟くん?せっかくのお泊まりだよ?別の部屋で寝るって、正気ですか?」


 「これを青春お泊まりイベントだと思ってんのはアンタだけだよ。男女が別々に寝るのなんて当たり前だろ」


 「コホン!例えば、誰かと2人で旅行に行ったとしましょう。しかし、1人は旅館に、1人はホテルに泊まりたいと言いました。さて、どうしますか?」


 「別々のホテルに泊まればいいだけだろ」


 「あー、質問する人間違えたー。乃亜ちゃんならどうする?」


 姉は呆れたような声を出して、立科の方に向き直って質問した。立科は紅茶を少しだけ飲んで思案する。


 「まぁ、やっぱり、2人で話し合って、同じ部屋に泊まります」


 「いや、なんでだよ」


 「なんでって……当たり前じゃないそれ?」


 「そう!これが一般常識!というわけで、世間知らずくんは乃亜ちゃんと同じ部屋で寝てください!」


 「誰が世間知らずくんだ。てか、そもそもその例は不適切だろ。2人で計画した旅行と、不可抗力での泊まりを並列に扱うほうが無理がある」


 「そりゃまぁそうだけど、せっかくのお泊まりなんだから別々に寝るなんて味気ないでしょーが!若人はもっとはしゃぎなさい!枕投げとかしなさい!」


 「やらねえよ、自宅で枕投げするほどわんぱくじゃねえよ俺は」


 「枕投げ……ちょっと楽しそうかも」


 俺が姉のおせっかいにげんなりしていると、立科は顎を押さえてポツリと呟いた。


 「ちょっと立科さん?正気ですか?この人は随分変な提案をしてますよ?」


 「いや、枕投げとか小学生以来やってないし、ちょっとやってみたいな、とか」


 「でしょでしょ!意外とこういうのが青春の1ページになったりすんのよ!雄太の部屋なら、別に散らかっても私は平気だし!」


 「俺が平気じゃねんだよ!てかそもそも、立科は俺なんかと一緒の部屋で寝るの嫌だろうし。同じ女の子なんだからそれくらい分かってやれよ」


 俺が呆れたようにそう言うと、一瞬だけ沈黙が流れた。姉はジトッとした目で俺を見てため息をつく。


 「……この世で1番乙女心分かってない人間が、何言ってんの」


 「いや、乙女心は確かに分からんけど、女の子が俺と同じ部屋で寝たくないことくらい知っとるわ」


 「あーそうね、確かにこんな予防線張りまくりの度胸のない卑屈野郎と一緒の部屋とか、女の子は嫌だろうね」


 「え、なんで急にそんなボロクソに罵倒されたの俺?」


 「乃亜ちゃんごめんね?こんな鈍感の皮を被った傷つくのを恐れてるだけの自虐人間と同じ部屋で寝ようなんて提案しちゃって」


 「え!いや、私は別に、雄太くんと一緒の部屋でも、良いですけど……」


 「いーや!せっかく仲良くしてくれる女の子にこんな気の使わせ方させるポンコツと一緒の部屋でなんて寝なくて良いから!お灸を据えましょうお灸を!」


 「なんでさっきからそんなに攻撃されにゃならんのだ!」


 俺が明らかに不機嫌な姉の猛攻に不平を漏らすと、姉は顔を顰めて難儀な表情を浮かべた。


 「まぁ、高校生だし、こんなもんか。けど、そろそろ治したほうが良いよ、損するから」


 「はぁ?なんの話だよ」


 俺はその主語が曖昧な物言いが理解できずに尋ねると、姉はそれに答えず、置いてあるカバンを持ってリビングのドアへと歩いていく。


 「私、午後も用事あるから、雄太は乃亜ちゃんに家の案内でもしてなさい」


 「え?そうなの?なんで一旦帰ってきたんだよ」


 「午後はテニサーの集まりだから、ラケット取りに来たの。それで一旦帰ってきたの」


 「テニサーって、アンタが入ってるのはテニサーという名の飲みサーだろ」


 「ちゃんとテニスもやってるから!飲み会5、テニス1くらいの割合でちゃんとやってるから!」


 「ちゃんとやってねえよそれ、やっぱ飲みサーじゃねえか」


 「とにかく!私は出かけるから!くれぐれも、乃亜ちゃんに変なことするんじゃないよ!」


 ゴムつけろとか言ってたくせに、どの口が言ってんだよ。

 姉はリビングの扉を開けると、振り返って立科にニコッと手を振った。


 「じゃあね乃亜ちゃん!自分の家だと思って、どうぞごゆるりとー」


 「はい!ありがとうございます!」


 立科がペコリと頭を下げると、姉は颯爽とリビングを出ていった。少しして、ガチャリと姉が家から出ていった音が響く。

 

 「自分の家だと思って、か……」


 静寂の中で、立科は紅茶を片手にポツリと呟いた。


 「……なんかすまん、鬱陶しい姉で」


 「いやいや何言ってんの?めっちゃ良いお姉ちゃんじゃん。明るくて優しくて、すっごく気使ってくれるし」


 「ずっと一緒にいるとめっちゃウザいけどなアレ」


 「それに、雄太のお姉ちゃんとは思えないほど、美人で垢抜けてるよね。最初見た時、ホントに姉弟かどうか疑っちゃったもん」


 「おい、相対的に俺を貶めてるからそれ。あの人が美人なことで、弟である俺の残念さが余計に際立ってしまうことに息苦しさを感じてんだよこっちは」


 「……雄太も、そういうことで悩むんだ」


 立科は少しだけ目を見開くと、クスッと微笑んで紅茶を飲み干した。

 しばし、静寂が流れる。壁の高いところにかけられた大きな時計の秒針の音が、部屋に律動を刻んだ。

 

 「……聞かないの?」


 悠久にも感じるような沈黙を破って、立科は口を開いた。神妙な面持ちで、俺に尋ねる。


 「え、何を?」


 「いや、なんていうか、その……理由、とか」


 「理由?」


 「だから、アタシが家に帰らない理由!雄太もあやめさんも、全然それ聞いてこないから!」


 「いやだって、話したくないだろ?」


 「そ、そりゃそうだけど……家に泊めて貰うのに、何も理由話さないのもな、みたいな」


 あ、これは長いやつだ。

 概して、人間は悩みを聞いてほしい生き物である。無論、誰彼構わずというわけではなく、例えば気を許した相手などには、悩みを吐露したいというのが人間の本能だ。

 この場合、立科は俺に気を許した訳ではない。ただ、説明責任があること、なんらかの家庭の事情があるのが既に露見していること、この2つの要因が、彼女に悩みを打ち明けさせようとしているのだ。


 「やっぱり、理由は、気になるでしょ……」


 ごめん、俺はプラスハイスクール2のほうが気になってます。

 正直、俺は今すぐにでもプラハイ2を自室でプレイしたかった。半月前からずっと楽しみにしていたのである。補習さえなければ、ゴールデンウィークはそれに捧げるつもりだったのだ。

 

 「いや!別に無理して話さなくて良いぞ!てか、そろそろ俺は部屋に行くから、リビングでくつろいでてくれ!」


 人の悩みの吐露は、得てして長い。しかも、別に解決をしようという目的意識もないので、生産性のないウダウダした愚痴が冗長に続くばかりだ。

 てか、立科の家庭の事情を俺が知ったところで、どうせ解決なんて出来ないしな。


 「え、その、聞かなくて良いの?」


 「うん!言いたくないことをわざわざ俺なんかに言う必要ないだろ!詮索するつもりもないし!」


 俺は勢いよく立ち上がると、自室に向かうためにカバンを持ち上げて歩き出した。これ以上時間を置いたら、無意識にSNS開いた時にタイムラインでネタバレ喰らって終わる。そうなる前に、一刻も早くプラハイ2をやらねば。

 俺がリビングを立ち去ろうとすると、後ろからギュッと手を引っ張られた。


 「え、ちょ、どこ行くの?」


 「だから部屋だよ!」


 「え、じゃあアタシも行く」


 「はぁ?なんでだよ!」


 「いやなんでって、家にあげてもらってる側が言うのもなんだけど、知らない家に来たアタシを放置するの?」


 確かに、立科を来客とするなら、勝手のわからないリビングルームに1人放置するのは無礼なことかも知れない。そもそも、立科は非常に退屈だろう。

 しかして、いち早くプラハイ2をプレイしたい俺は、リビングで立科の長いお悩みトークに付き合ってる場合ではない。

 ここはもう、折衷案で立科を自室に連れて行くしかないか。いや、決して下心ではないよ?マジで。


 「……俺、プラハイ2やるから」


 「あ!そうじゃん!やろやろ!」


 「やろやろ、とかじゃないだろ。あれ1人でプレイするタイプのゲームだから」


 「え、マジで自分だけプレイするつもりじゃん……」


 立科は顔を引き攣らせて、ドン引きの表情を浮かべた。

 女の子優先だろ普通、とでも言わんばかりの表情である。美少女ゆえにレディファーストを受けすぎてその有り難みすら希薄化しているのだろう、これだからツラの良いやつは。


 「そりゃそうだろ、俺のために買ったんだから」


 「じゃあ後ろで見てる!」


 「それ楽しくないだろ。俺別にゲーム実況とかしないよ?黙々とプレイするよ?」


 「だから、一緒に選択肢考えようよ!」


 「口出す気マンマンじゃねえか、楽しみにしてたんだから邪魔しないで欲しいんだけど」


 「話しながらやったほうが楽しいって!それにほら、アタシみたいなそこそこ可愛いJKとギャルゲープレイするの、なんか優越感あるでしょ?」


 なんてこと言うんだコイツ、邪悪な欲望すぎるだろそれ。

 しかして、3次元の女の子を手中に収めながら、一緒に2次元の美少女コンテンツを楽しむというのは、はてさてオタクの背徳的な夢であることもまた事実だ。オタサーの姫と一緒にアキバ来てるやつとか、明らかにイキイキしてるもん。


 「そんな冒涜的な楽しみ方しねえよ。俺の2次元への忠誠心舐めんな」


 「まぁなんでも良いけどさ!2人でやったら2倍楽しいじゃん!あやめさんも言ってたよ!」


 「そのアホ全開理論を鵜呑みにしないほうが良いぞ……まぁ、とりあえず、俺は部屋に行くから、好きにしたらいい」


 「んじゃ、アタシも雄太の部屋いくー!」


 俺がカバンを背負って2階の自室に向かう後ろを、立科はニコニコと着いてくる。

 まったく、男の部屋に行くことを、ちょっとは躊躇して欲しいものである。あるいは、もはや俺は立科に男として見られていないのかも知れないが。

 


 

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