表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/42

中学時代5


 冬のとある日、俺はもうすっかり日課になってしまった図書館での読書に勤しんでいた。


 「……ちょ、寒い」


 俺が席を立ち備え付けのストーブに近づいていって出力を上げようとすると、そこに立ち塞がる1人の少女。


 「設定温度は規定の温度に設定されているわ」


 「まだ出力あげれるだろそのストーブ」


 「いいえ?学校の規定では、設定温度を24度以上に設定してはいけないことになっているのよ?もうこれ以上は上げられないわ」


 「その規定が間違っている。普通の教室よりこの図書館は2倍近くの広さがある、にもかかわらずストーブの数は教室と同じ1つ。この場合、図書館においても教室と同じ規定がまかり通っているのはおかしいだろ」


 「では、あなたは事情があれば犯罪をしても良いと?」


 「極論だな」


 「いいえ極論ではないわ。事情があるという名目で決まりを破るという点で見れば、あなたがやろうとしてることは犯罪と一緒よ。それが嫌なら、然るべき手続きを踏んで規定を変えなさいな」


 「然るべき手続き?」


 「ええ、立法する側になれば、おかしな決まりや法律は変えられるわ。つまり世の中がおかしいと思うなら政治家になれば良いのよ。最も、あなたは権力闘争で負けるでしょうけど、クラス内での権力闘争で既に最下位なわけだから」


 「おい、人の傷口をみだりにえぐるな、恥ずかしげもなく泣いてやろうか」


 「あら、ごめんなさい、そもそもあなたは選挙で落選するわね、人望ないから」


 「やかましいわ」


 窓の外では雪がシンシンと降り積もり、より一層の静寂だった。ストーブの音と2人の声しか、もはや世界に存在していないみたいだった。


 「いや、マジで寒いだろホントに、もうちょっと出力上げようって」


 「あなたは責任者ではないから罰則がないじゃない。設定温度を変えて怒られるのは私なの。そんなに出力を上げたいなら私を殺していきなさい、私も手加減なしで全力で行くわ」


 「なんでこんなしょうもないことで少年漫画ばりのバトル展開しなきゃいけねえんだよ!良いよ分かったよ我慢するよ!」


 俺は頭をポリポリとかき、図書委員が普段立っている貸し出し用カウンターの中に入った。


 「ちょ、そこは図書委員だけが出入り可能って何回言ったら分かるのよ!」


 「もうストーブの給油すら手伝ってんだから良いだろ、どうせ誰も来ねえし」


 俺はカウンターの下にある引き出しをガサガサと探して、ブランケットを取り出した。


 「……あれ、デカくてフカフカのあったけど、1つしかねえじゃん。おい図書委員長準備悪いぞ、客少ないからって油断してんじゃん」


 「う、うるさいわね、ちょうど発注しようとしていたところなのよ……」


 少女はムッとしながら椅子に腰掛け、備品発注用の紙と思しきものにボールペンで勢いよく丸をつけた。


 「それに、今は1つあれば文句ないでしょう、あなたが使う分はちゃんとあるのだか…」


 「ほれ」


 何かを言いかけた少女の太ももの上に、俺は持ってきたブランケットをポイっと置いた。


 「……え?」


 「ちゃんと今度から2つ以上は少なくとも用意してくれ。俺がこの図書館で凍死したらどうする、大島てるに載っちゃうぞこの学校」


 「……ちょ、あなたが使うんじゃないの?」


 「は?いや、どう見てもアンタの方が寒いだろ、スカートだし」


 「でも、あなた寒いからってストーブの出力上げようとしてたじゃない」


 「いや、それはアンタが背中丸めて寒そうにしてたから……まぁ、正直俺も寒いけど、別に我慢できないほどではない」


 俺がそう言うと、少女は面食らったようにキョトンとして俺の顔を見つめた。そんなに気を遣えない人間だと思われてたのか俺、ちょっとショック。


 「その、あなたが寒いじゃない」


 「だからブランケットを早く発注してくれ」


 「いや、今この瞬間が寒いじゃない、どうするのよ」


 「どうするったって……我慢する他ないよな。心頭滅却すれば火もまた涼しって言うだろ」


 「それ、余計に寒くなってるじゃない……まったくもう……」


 少女は小さなため息をつくと、隣の椅子を引いてぶっきらぼうにその椅子をポンポンと叩いた。


 「ほら……ここに座りなさい」


 「へ?何それ、なんか意味あんの?」


 「その…このブランケット、1人で使うには大きいのよ。だから、その…隣同士で座れば2人の足にかけられるわ」


 少女は視線を右下にずらし、少々顔を赤らめながらそう言った。

 ちょっとそれ、多少体がくっつく可能性ありますけど?正気ですか?どうやら図書委員長は寒くて思考が鈍っているみたいだ。


 「……いや、いいよ」


 「え!?な、なんでよ!あなたも寒いんでしょ!?」


 「いや、だから、なんか申し訳ないから遠慮しとくわ」


 「申し訳ない?どういう意味よ?」


 「いや、なんつーか、アンタも俺の隣とかあんま座りたくないだろ?俺臭いかもしれないよ?責任取れないよ?」


 「あなたが臭い場合の責任はあなたが取りなさい、なんでその責任能力ないのよ」


 「それに、もし俺がアンタの隣に座って興奮しちゃったらどうする?」


 「……気持ち悪い」


 俺がいつもみたく冗談めかすと、少女の抜刀によってたちまち切られた。これこれ!この罵倒を待ってたんだよ!あれ、俺ってもしかして相当ドMだったのかな?

 とはいえ、最近の少女は、特に不良たちが最後に来た日を境に、なんだかしおらしい瞬間が多くなってしまっていたのだ。こうして憎まれ口の1つや2つあったほうが、少女が元気なようで俺も安堵するところがある。


 「どうだ?俺は気持ち悪い人間だろ?改めて痛感したろ?」


 「今、あなたどういう自意識でそれを言っているの?本当に自虐に抵抗のない人間よね」


 「まぁ、自分の欠点を悲観せずにアイデンティティに変えるってのが俺のポリシーだからな。これはもはや自虐ですらない、ただの自己紹介なんだよ」


 「はぁ、何を言っているのかさっぱり分からないわね、やっぱり気持ち悪い」


 「だろ?こんな気持ち悪い人間の隣に座りたくないだろ?同じブランケットなんて使いたくないだろ?」


 俺がすまし顔でそう言い、別の椅子に座ろうと少女から振り返って歩こうとすると、制服の右腕の袖が引っ張られた。


 「……別に、良い」


 「はい?」


 「……だから、隣に座っても、良い」


 「……はい?」


 俺が理解に時間がかかっていると、少女は少しムッとした表情を浮かべながら俺を見て続けた。


 「本当にあなたって理解力がないわね。もう2ヶ月半近くも純文学を読んでいるというのに、なぜここまで残念な読解力のままなの?馬鹿だし気持ち悪いし」


 「ちょっと?さすがに酷すぎじゃない?いくら自虐に慣れてる俺でも、人からそこまで言葉のナイフで刺されまくったら、普通に傷つくよ?」


 「ホント、馬鹿だし気持ち悪いし、馬鹿だし気持ち悪いけど……けど、隣に座るのは別に良いと言っているのよ、一緒のブランケットを使うのも、別に構わない」


 少女はそう言うと、また顔を赤らめて視線を逸らした。てか、いつまで俺の右袖掴んでんの?ちょこんとつまむな、可愛いとか思っちゃうだろ。


 「いや、その……本当に良いのか?」


 とはいえ、自己評価の低い俺は、少女が嫌がっていないのか入念に尋ねた。


 「何度も言わせないで。その、寒いのだから、その方が合理的じゃない。そもそも、私が寒がっているというのはあなたの推定でしかなくて、寒いという意思を明確に表明したのはあなただけであって、にも関わらず私だけがブランケットを使うというのは……」


 「だーもう分かった分かった!座る座る!こんな肌寒いところでレスバしたくないわ!」


 誤魔化すように早口で捲し立て始めた少女を静止して、俺はおずおずと少女の隣の椅子に腰掛けた。


 「……この距離ではブランケットが届かないわ、もっとこちらに寄りなさい」


 「え、こ、こんくらい?」


 「……もうちょっと」


 既に結構近い気がするが、少女は両手でブランケットを持ちながら首をくいくい動かして寄るように合図した。おい大丈夫かこれ、顔ちっか。


 「ちょ、これ以上近づいたら肩くっついちゃうぞ?」


 「仕方ないじゃない、もうちょっと寄らないとブランケットがかけられないわ。だから……肩がくっつくのも、特別に許可してあげる……」


 「そ、そりゃどうも……」


 俺がゆっくりと遠慮がちに椅子を動かしながら寄ると、少女は俺の太ももにブランケットを被せた。

 完全に肩くっついちゃってますコレ、読書に集中できません。


 「………」


 「………」


 気まずい沈黙が流れた。おいなんだよコレ、なんでこんな静かなんだよ。まぁ、本来図書館とはこうあるべき場所で、いつもは俺と少女が誰も来ないのを良いことに喋りすぎなのだが。

 ふと、少女の方を見やると、同じタイミングで少女もこちらを向いたようで、至近距離で目が合ってしまい、慌てて互いに視線を逸らした。

 え、なにこれ、もう付き合うだろこれ。こんな非モテ陰キャが、中学生にして彼女作っちゃって良いの?


 「……その、実は、話があって」


 沈黙を破って、少女はポツリと話し始めた。

 え、マジで?これ告白される流れじゃない?まさか俺が女の子に告白される人生だとは。それも、最初は犬猿の仲であった女の子に。漫画とかラノベでしか見たことないよこんな展開。


 「ちょ、なんか、これってやっぱ男からの方が良くないか?」


 「……はい?」


 「いや、だから、そういうのは、女子からよりも、男子からするもんかなーと。いや、昨今の男女共同参画社会においては、そんなジェンダーロールはもはや悪しき風習として唾棄すべきなのかもしれないけど……」


 「あなた、さっきから何の話をしているの?」


 「……え?あれ、違った?」


 やばい、完全に勘違いだったかも。コイツ俺のこと好きなんじゃね?が先走りすぎて、余計なことを言ってしまった、最悪だ。

 少女は怪訝な表情を浮かべながら首を傾げていたが、俺の意図を看破したのか、次第にニヤニヤとした表情に変わっていった。これはマズいぞ。


 「あなたひょっとして、私がこく……」


 「いや違う、断じて違う」


 「まだ最後まで言ってないでしょ。何をそんなに焦っているの?顔赤いわよ?よっぽどブランケットが暖かかったみたいね?」


 「焦ってないし顔赤くないし!」


 「顔が赤いかは私の判断でしょ。それよりなに?男からの方が良い?どういうこと?詳しく聞かせて?」


 俺がそっぽを向いていると、おちょくったように少女は体を寄せてきた。ちょ、だいぶ密着してるぞ、そこは気にしないのかコイツは。


 「男からの方が良いことって一体何なのかしら?出兵?出兵よね?ごめんなさい、私がしようとしてたのは赤紙を貰った話ではないの」


 「知っとるわ!男の俺が先に戦場に行くよ、なんて言うわけねえだろ!徴兵されそうになったら全力で逃げるわ!」


 「まぁ、あなたのような非力が戦場に出ても味方の足を引っ張るだけだものね。では、男からの方が良いってなに?あなた、私が何を言おうとしてたと思ったの?ねぇ、教えて?」


 「おい、これ以上おちょくるな、恥ずかしすぎて憤死するぞこのままだと」


 俺があまりの恥ずかしさに身悶えていると、それを見ながら少女は手を口に当ててクスクスと笑った。コイツ、やはり俺を揶揄っているときが1番イキイキしてやがる、俺はおもちゃか。


 「へー、あなた、私があなたに思いを募らせてるとでも思ってたのね?へー、ふーん」


 少女は薄目を開けて、余裕そうな笑みで小首を傾げながら俺を嘲笑った。

 この女、ストーブの前に立ち塞がった時点で差し違えても仕留めるべきだった。そうすれば、ストーブの温度も上げられて一石二鳥だったのに。


 「くそぉ、なんで俺がこんな辱めを……」


 「で、なに?もし私の話が告白だったとしたら、先に自分から告白しようとしてたってこと?男から告白すべきだから?へー、かっこいいわねー」


 「もう、なんていうか、その、死にたい……」


 俺が羞恥に耐えられなくなり机に突っ伏すと、少女は目の前に置いてある俺が貸したラノベをカツカツと人差し指で叩いた。


 「けれど、つまりそれって、私と交際するつもりがあるってことよね?あなた、このラノベのヒロイン、沓澤ユナと結婚するんじゃなかったの?」


 「ああ、今この瞬間に固く決心したよ。俺は絶対にユナたそと結婚する!ユナたそはこんな思わせぶりで俺に恥をかかせるようなことはしないし、そもそもアンタみたいに罵詈雑言を浴びせてくることもない!3次元はやっぱクソだ!」


 俺は少女からラノベを奪い取って、固く胸に抱いた。俺は2度と浮気しないよユナたそ、3次元の女のクソさを改めて今思い知らされたからね。


 「ふーん、けれど、あなたのような頑固オタクでも、3次元の私に興味が出たりするのね」


 「誰が頑固オタクだ。てか、さっきの俺はこの特殊な環境でおかしくなっていただけだ。冷静に考えたら、アンタみたいな言語バーサーカーと誰が付き合うか!」


 羞恥心が怒りに変わった俺がそう言い放つと、少女はかなり不機嫌になったようにムッとした表情を浮かべた。


 「誰が言語バーサーカーよ、図に乗って啖呵を切ってるわね、私に告白されたらOKだったくせに」


 「だから、女の子に耐性のない俺が、こんな密室で体近づけてたら、とはいえ心臓の鼓動は早くなるもんだろ!代謝を恋愛感情と倒錯しただけだ、断じて俺がアンタのことを好きなわけではない!」


 「仮に状況に絆されていたとしても、あなたが私の告白にやぶさかではなかったのは事実じゃない!」


 「人間は冷静でない時は自分の意にすらそぐわない判断をすることがあるんだよ!あー良かった告白じゃなくて!もし誤ってOKでもしてたら、家に帰るころには頭抱えてたわ!」


 俺が捲し立てると、少女はさらに不機嫌そうに目を逸らした。怒りで急斜面になっていた眉が、心なしか少し垂れ下がったように見える。


 「ちょ、ちょっとは私に気があるから告白だったらOKしようとしてたのでしょ?」


 「気があるわけねえだろ!だいたい、アンタは俺のタイプでは全くない!俺は、慕ってくれて褒めてくれて甘やかしてくれて、『お兄ちゃん、大丈夫?おっぱい揉む?』とか言ってくれる女の子が好きなんだよ!」


 「……それどんな関係性よ、あなた本当に気持ち悪いわね」


 「あーもうこの時点で俺のタイプじゃないわアンタは、こういうキモいとこまで含めて包み込んでくれる人が良いの!」


 「そんな女性いないわよ」


 「いる、俺は知ってる」


 「誰よそれ、そんな奇特な人がいるのであればぜひ会ってみたいわね」


 「今アンタの目の前にいんだろ、ほれ」


 俺はすまし顔でそう言うと、胸に抱いたラノベの表紙を少女に向けて、表紙の人物を人差し指で丸くなぞった。


 「アンタだってもう2ヶ月半もこの子を見てんだろ、こういう包容力がある人が、俺の好み」


 「やっぱりいないじゃないそんな女性!」


 「いるだろ2次元には!確かにユナたそはいるだろ!」


 「だから、それをいないと言っているのよ!いるに2次元はカウントしないわよ!」


 少女が呆れたように俺にツッコをでくるので、俺は人差し指をタクトみたいに振って説明を始めた。


 「いいか?哲学者デカルトはな、我思う故に我あり、と言ったんだ。これは、自分だけが疑いようのない存在であり、そこにある物質やら物体は存在を疑える、という哲学的な考え方だ。これを踏まえれば、ユナたそがいるかどうかは置いといて、ユナたそはいると信じている俺の精神だけは確実に存在していて疑いようがなく……」


 「こんなくだらない話を哲学的討議に持ち込むのはやめなさい!少なくとも、沓澤ユナは3次元にはいないでしょう!それを私はいないと言っているの!」


 俺の長話を切り裂くように、少女はピシャリと言い放った。くそ、古代ギリシアの哲学者がごとくユナたその存在証明を試みたというのに。このバルバロイめ。


 「とにかくだ!俺の好みはユナたそ!誰がなんと言おうとユナたそだ!」


 「呆れてモノも言えないわね、実態のない女性を追い続けるなんて」


 「たとえ実体がなくとも、それを信じて自分の中に顕現させるという高尚な営みこそがオタクの真髄だ!純文学愛好家のアンタがこの凄みがわからないなんて、随分情緒に乏しいな!」


 「まぁ、別に全くわからないというわけでもないけれど、それとこれとは……」


 口を尖らせて腕を噛む俺を横目に、少女は何事かを思案したのちにゆっくりと口を開いた。


 「……もし、もしよ?3次元に沓澤ユナがいたら、そしてあなたに告白したら、あなたはOKするの?」


 「何度も言ったろ、その前提がありえない。だから俺は3次元を諦めたんだ」


 「もしもの話よ、いつも訳のわからない哲学をスプリンクラーみたいに振りまいているのだから、もしも話くらいできるでしょう」


 「うーん、それなら、まぁ、付き合いたいよ、そりゃ」


 俺がムニャムニャとキレ悪く回答すると、少女は深く考え込んだ様子で少々上を見やり、ゆっくりと頬杖をついてから俺を横目で見た。


 「……ふーん」


 なんじゃそりゃ。聞いた割に感想が薄すぎるだろ。


 「まぁ、あくまで3次元にユナたそがいたらの話だからな。あの尊い存在がいてくれるだけで、それが仮に2次元であろうと俺は十分だ」


 「随分と敬虔な信徒ね」


 「だろ?もしユナたそが現実に現れたら、俺はもう恋焦がれすぎて、炭になっちゃうだろうな」


 「焼け死んでるじゃないソレ。では、告白なんてされたら、どうなっちゃうのかしらね」


 「そりゃもう恋の炎で燃えすぎて、消防車が出動するレベルだ。あるいは恋煩いで救急車か」


 「あなたの私的恋愛で他人に迷惑をかけるのはやめなさい。そんなことのために日本人は高い税金を払っているわけではないわ」


 「例えにマジレスすんな。ともあれ、告白なんてされたら即OKだろうな、ユナたそだったら」


 俺がもしユナたそが現実に居たらと思いを馳せてニマニマしているのを、少女は何か考え事をしているような表情でまじまじと見つめてくる。いつもなら溜まった排水溝でも見るような侮蔑に満ちた視線を突き刺してくるのだが。


 「即OKって、あなたは可愛い女の子に告白されたらそれが誰であれ即OKするでしょう」


 「俺そんな情けない女好きだと思われてたの?俺だってそこまで節操なしじゃねえわ」


 「へー、例えばどんな時に断るの?」


 「ん、えー、相手の得体が知れない時とか?脈絡なく告白されたって、怖くて断るだろ。SNSのDMで送られてくる『私のエッチな動画、みる?』みたいなメッセージについてるURLとか絶対押さないしな」


 俺がふんぞり返って自慢げに言うと、少女は呆れたように首を横に振った。


 「そんな最低限のことで自慢されても困るわよ」


 「とにかくだ、なんの過程も経ずに告白されたら普通に断るだろうな。あ、でも、ユナたそだったら出会ったらまず告白して欲しいわ」


 「は?いや、脈絡なく告白されるのは怖いんじゃなかったの?」


 「けど、3次元にユナたそがいるってことはだ、俺はユナたその気持ちがわからないだろ?ラノベと違って独白も心情描写もないんだから」


 「当たり前じゃない、現実世界では相手の心が読めないから私たちはコミュニケーションに苦慮しているのよ」


 「だろ?俺とアンタなんてその難儀な現実の最たる被害者だ。心が読めたら、もうちょっと器用に立ち回れただろうな」


 「一緒にされるとなんだか心外だけれど、こればかりは言い返しようもないわね」


 少女は頬杖をつきながら、俺の言葉に苦笑いを浮かべる。


 「ラノベのヒロインの何が良いって、結局主人公のことが好きだから、そしてそれが分かるから良いんだよ。しかし現実の女の子ってのは主人公、つまり自分のことが本当に好きなのか分からない。だから不安にもなるし、最悪好意と勘違いしてて深く傷つくこともある。これが現実の女の子の最たる欠点だ。要はリスキーなんだよ」


 「まぁ、女性視点ではその言い分に思うところもあるけれど、間違ったことは言ってないわね」


 「で、現実にユナたそがいる場合を考えるとだ。例えそれがユナたそであるとしても、3次元にいる以上この問題はついて回る。要はユナたその好意が本人から告げられない限り、こちらは不安であるということだ。2次元のユナたそと違って、心理的な安心がない」


 「……つまり、出会ってすぐに好意を伝えろと?」


 「そういうこと、出会ってすぐに告白して欲しい。で、そこから脈絡のなさを払拭するために仲良くして欲しい」


 俺がその通りとばかりに人差し指で少女を指すと、少女は鬱陶しそうにそれを手で払いのけた。


 「随分都合が良いわね……」


 「都合が良いのがラノベのヒロインだ。そしてその魅力は、2次元の、空想の存在だからこそでもあるんだよ。ユナたそを3次元に召喚しようと思ったら、これくらい捻じ曲げなきゃ存在せしめない」


 俺が説法を終えた僧侶のように満足げに一息つくと、少女は考え事をするかのように、窓の外の暗闇の中でチラチラと反射しながら舞う雪をしばし眺めた。


 「……考えておくわ」


 「は?何を?」


 俺が眉を顰めて尋ねたところで、下校を促すチャイムが校舎内に響き渡った。


 「あ、もうこんな時間か……さーて、明日からの冬休みは、アニメゲームラノベ三昧といきますか」


 「来年受験生でしょあなた、勉強しなければ不味いんじゃないかしら?タダでさえ教師に嫌われていて内申点ボロボロなのに」


 「嫌われてるかどうかを勝手に決めつけるな。それはそうと、アンタの言う通りテストの点数の割に内申点めちゃくちゃ低いんだけど俺、なんでだろ」


 「もう確定で嫌われてるじゃないそれ。まぁ、教師という生物は素直な生徒が好きだろうから、あなたとはすこぶる相性悪いでしょうね」


 「そうなんだよ、結局教師って学校が好きだから教師になってるわけで、俺たちみたいな学校空間に嫌気がさしてる人種と分かり合えるわけないからな」


 俺が肩をすくめてそう言うと、少女は同意するかのように目配せした。


 「故に、我々のような人種は来る一般入試ペーパーテストに向けて準備の必要があるのではないの?遊んでる暇なんてあるのかしらね?」


 「一般入試だからこそ今は遊べるんだろ?1年以上先の本番でさえ合格点を取れれば、定期テストがどれだけ低かろうと、教師からどれだけ嫌われていようと、合格できるのが一般入試だ。直前で猛勉強すれば良いんだよ」


 「あなた、夏休みの宿題っていつやってた?」


 「8月31日の夜」


 「……間に合ったの?」


 「間に合わなかった分は2学期にやってた」


 俺がすまし顔でそう答えると、少女は額を抑えてガックリと項垂れた。


 「絶対一般入試に間に合わないじゃないあなた……」


 「おい、そういうこと言うな、縁起でもない」


 「縁起を担ぐ前に勉強なさいあなたは」


 舐めやがってコイツ、俺は意外と地頭は良いんだぞ。ただアニメゲームラノベ三昧で勉強あんまりしてないから、学年順位は真ん中くらいだけど。本気出したら凄いぞ、多分。


 「それに、俺は偏差値50くらいの高校目指してるからな、そんなに早くから勉強する必要はない」


 「あら、そうなの?てっきりもっと上を目指しているのかと思ってたわ、あなた学歴厨っぽいし」


 「ヒトを勝手にイメージで学歴厨にするな。それに、良い高校に入るということが、良い大学に入ることとイコールではないだろ?」


 「どういう意味?」


 「結局世の中見られるのは最終学歴、つまりどの大学卒かだ。つまり、大学さえ良いところに行ければ、高校の偏差値なんてどうだって良いんだよ。つまり、差し当たって高校3年まではそんなに勉強しなくて良いってことになるな」


 「呆れた、とことん勉強を先送りにするつもりなのねあなた……それでいてちゃんと学歴厨ではあるし」


 「ほっとけ」


 最後に偏差値高い大学行ければ良いだろそれで。やっぱ若いうちは遊んでおかないとな、SNSにいるよく分からないインフルエンサーもそう言ってることだし。


 「まぁ、大学受験は浪人すれば良いから、先送りも可能だしな。できれば予備校は映像授業が良いな、最悪寝ても怒られないし」


 「中2の段階で4年後にどの予備校に入ろうか考えるのはやめなさい」


 少女は顔を顰めながら俺を嗜めたあと、手を前で組んでモゾモゾと尋ねてきた。


 「……いちおう聞くけど、どこの高校に進学するの?」


 「え、才気煥発なアンタに言っても、多分眼中にも無いような高校だぞ?」


 「良いから…教えなさい」


 少女が何やら照れくさそうに聞いてくる。この少女と俺の現状の偏差値はだいぶ開きがあるから、どうせ同じところに進学なんてしないだろうけどなぁ。


 「……野中東」


 「へー、ずいぶん遠くの高校に行くのね。近くにも同じくらいの偏差値の高校が……なるほど」


 「おい、同じ中学のやつが出来るだけ少ない高校に行こうという俺の魂胆を見破るな」


 「別に、同じ中学の人間が少ないことを良いことに高校デビューして可愛い彼女を作ろうとか考えてそう、なんて一言も言ってないじゃない」


 「そこまで矮小なこと考えてねえよ!」


 今まで端っこにいたやつの高校デビューなんて、大概はその慣れていない不自然な振る舞いによって失敗するものである。それくらいの現実は俺だって分かっとるわ。

 まぁ、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ期待しちゃうのは、人間の悲しい性だろうか。


 「とにかく、アンタはもっと上の高校行くだろ。だからあんま関係ない話だよ。ほら、早く帰らないと怒られるぞ」


 俺が席を立ち、ストーブのスイッチを切った。ストーブの音すら失った図書館は、無のような静寂に包まれた。


 「……あの」


 俺が帰り支度をしていると、コートを抱えながら少女は俺に何かを言おうとした。

 無の中に、ただ彼女の声だけが響き渡って、いつもよりも声色から感情が伝わるような気がする


 「なんだよ、これから俺は冬休みに入ってゲームにアニメに大忙しなんだが?」


 「それを世間では忙しいとは言わないのよ……」


 彼女は言葉を紡いだが、なんとなく、本当に言いたいことは喉につっかえているような、そんなどこか悲しい声色をしている気がした。

 

 「その……」


 「そういうアンタは冬休み、何するんだよ。図書委員長様はやっぱ勉強か読書ってところか?さすが、丸メガネは伊達じゃないねぇ、メガネだけに」


 「……あなた本当にやかましいわね、くだらないことをそんな次から次へと」


 「ま、こんな軽妙なユーモアも、俺の持ち味だからな」


 「その割には、コミュニケーションに随分と苦慮しているみたいね」


 「ほっとけ」


 途切れることなく、2人は言葉を紡いでいく。

 俺がいつもの調子で喋ったからだろうか、少女はよもや喉のつっかえなんてなかったように、あるいは諦めたように、小気味よく話した。

 なぜだろうか、俺はそれに安堵した。いつもの少女との、この取るに足らないやり取りに慣れ親しんだからだろうか。


 「やっぱり、屁理屈くんと喋るといっつもこうなってしまうわね…もういいわ」


 「誰が屁理屈くんだ、ディベートで圧勝してやろうか」


 少女が諦めたように首を横に振って、ニコッと笑った。その笑顔に、俺はまた安堵した。

 もしかしたら、俺はその少女の喉で溶けていった言葉を、この研ぎ澄まされた静寂の中で、受け止める勇気がなかったのかもしれない。なんとなく、そう思った。


 「さて、いつまで与太話に興じるつもりかしら?私は冬休み前にしっかりと鍵を閉めて出なければならないの」


 「アンタもノリノリだったろ、いっつもそうだし……」


 俺と少女はお互いコートとジャンバーを着込んで図書館を出た。

 少女は図書館の鍵を差し込み、ゆっくりと、その鍵を閉めた。ガチャリ。廊下に響いたその音が、2人と図書館を隔てた。


 「さて、私はこの鍵を職員室に届けにいくから」


 「おう、じゃあ、またな」


 俺が目配せをして別れの挨拶をし振り返ろうとすると、先と同じく右袖が引っ張られた。


 「なんだよ、俺は早く帰ってゲームしたいんだけど」


 「その…これ、あなたに借りてた、最後の1冊」


 少女はそう言うと、俺が貸していたラノベをスッと差し出した。


 「相変わらず読むの早いな、さすが図書委員長。てか、ホントにちゃんと読んだのか?」


 俺がニヤニヤとけしかけると、少女はムッとして答える。


 「ちゃんと読んだわよ」


 「へー、じゃあ、感想は?」


 「感想…そうね…」


 俺が少女からラノベを受け取ると、少女は俯いたあと、顔を上げて悲しそうに微笑んだ。


 「ラノベも、捨てたもんじゃないわね」


 俺はその少女の姿を、ただぼんやりと見つめることしか出来なかった。

 少女は振り返って、廊下の向こうに駆け出す。


 「……俺はまだ感想言ってないのに」


 独りごちた俺の瞳に映る、小走りで駆けていく少女の後ろ姿は、何故だかとても切なく見えた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 冬休み明け、図書館に少女の姿はなかった。


 俺は差し当たって管理者不在の図書館の大きなテーブルを1つ占領して、借り物の純文学を読み耽っていた。

 ここに来てから、何時間経っただろうか。

 休息とばかりに立ち上がった俺は、冬休み明けから新設された本棚へと向かう。


 「……ブランケットしか頼んでないぞ、俺は」


 その新しい本棚には、入荷したばかりのラノベが並んでいた。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ