中学時代4
継続は力なり、という有名な言葉がある。
故事成語みたいな一見して難解な言葉ではなく、読んで字の如くの優しい日本語だ。勉強とは無縁のギャルやヤンキーでも、これくらいは流石に分かるだろう。
さて、俺はこの言葉とは無縁の生活を送ってきてしまった。何をやっても特に長続きせず、怠惰を貪る日々。
もちろん、こんな俺のことを、俺自身は気に入ってる。世の中、諦念が大切な時だってある。何かに熱を入れるあまり自分を追い詰めるよりも、ほどほどの自分を受け入れてやることだって大切なのだ。
「英語赤点だ……なんで日本人ともろくにコミュニケーション取れない俺が外国語勉強しなきゃいけないんだよ……」
返却されたテスト用紙を見てブツクサ文句を言うしょうもない俺も、受け入れてやろうではないか。たかだかテストの点数で過度に思い悩むくらいなら、ダメな自分を好いてやるほうがよっぽど健康である。
さて、そんな友情努力勝利とは無縁の逆週刊少年雑誌みたいな性格の俺だが、最近ひょんなことから一つだけ継続していることがある。
「……うっす」
「こんにちは」
俺が図書館の扉を開けると、図書委員長はちょうど蔵書確認の真っ最中であった。
「あら、何を持っているの?テスト用紙?」
「いや、これは個人の向き不向きを考慮せずに一律の教育を施そうとする日本の義務教育制度の敗北の証明だ」
俺が手に持ったテスト用紙をぐしゃぐしゃに丸めようとすると、少女はこちらにスタスタと歩いてきて俺の手首を掴んだ。
「返却されたテスト用紙は丁重に扱うべきじゃないかしら?親御さんに見せるときに困るでしょ?」
「離せ、俺は今ここでこの文書を隠蔽する」
「悪びれもなくよくそんなしょうもないことを……」
「しょうもなくないだろ、世界では、文書の隠蔽を追ったジャーナリストが殺されたりしてるんだぞ。それくらい重大なことだ」
「あなたのテストの答案はパナマ文書ではないでしょ、バカなこと言ってないで、いいから貸しなさい」
少女はテスト用紙を両手で持ち、俺から強引に奪い取った。
「ああ!ちょっと!」
「に、21点……サッカーすら出来ない数じゃない……」
「頼む……リークしないでくれ……それがバレたら、俺は終わりだ……」
きっと家族にバレたら、両親には叱責され、姉にはバカにされることだろう。俺の方が姉より賢いキャラなぶん、よりいたたまれない状況になること必至だ。
「こういうモノはしっかり見せた方が良いわね。失敗や過ちを隠蔽して逃げる癖がつくと、後で痛い目を見るわよ」
「言われなくてもわかってるわ……はぁ、土日に塾とか行かされるのかな……」
「あら、良いじゃない、教育を受けられることは恵まれたことなのよ?この世には沢山の教育を受けられない子供たちがいるのだから」
「あー出たその理論、言っとくけど、飢餓の子供だって二郎系に連れてったらどうせ残すわ。お腹はいっぱいになるし、勉強は飽きるもんなんだ」
「はぁ、これだけ情緒に溢れた純文学に触れているというのに、一向にその屁理屈モンスターっぷりは変わらないわね」
「誰が屁理屈モンスターだ」
俺がこの図書館に通い始めて、既に1ヶ月が経過していた。俺はこの間で少女の監督のもと純文学を3冊は読破したわけだが、これといって性格の変化はないようだ。
「てか、アンタだって俺のオススメのラブコメ読んだくせに、なんの変化もないじゃねえか」
「むしろ、あれでどう変化しろと言うのよ」
「いや、魅力的な女の子がいっぱい出てくるだろ、例えばドジっ子幼馴染のミカにゃんとか。ああいう女の子になろうとか、少しは思わんのかねぇ」
「逆に聞くけど、もし私の口癖が、ふ、ふぇぇ、だったら気持ち悪いと思わないかしら?」
「え、絶対そっちの方が良いだろ」
「……ごめんなさい、そもそもあなたが気持ち悪いことを忘れていたわ」
「おい、少なくともアンタだけはミカにゃんを見習え。ミカにゃんは男子に気持ち悪いとか言わないから」
相変わらず切れ味抜群の少女の舌刀をもろに受けて、俺は傷心をあらわにする。こんな鋭利な言葉遣いの女子より『ふ、ふぇぇ、お弁当作ってきたのに、砂糖と塩を間違えてしまいましたぁ!』とかいう古典的なドジっ子の方が絶対良いに決まってんだろ。
「創作上の人物を振る舞いを現実に持ち出すのは愚かな行為よ。創作物のキャラクターは印象をつけるためにデフォルメして描かれているのだから、現実の参考になるわけないじゃない」
「そ、そうだな……」
ため息混じりにそう言う少女に、俺は引き攣った笑みを浮かべた。いや、アンタに読ませたラノベの主人公に俺めちゃくちゃ自己投影しちゃってんだけど、振る舞いとか口調とか真似しちゃってんだけど、まさかバレてないよな、恥ずいぞマジで。
「もっとも、あなたが私に読ませたこのラノベの主人公、随分とあなたっぽい言動や振る舞いをするのだけれど、ね?」
「おいバレてんじゃねえか、やめろ哀れみの表情で俺を見るな」
「あら、哀れんでなんかいないわ、二次元と三次元の区別がついてないみたいで可哀想、なんて全然思ってないわよ」
「それ思ってる人しか使わない構文だから、超思ってる構文だから」
別に良いだろ、ちょっと創作物に自己投影するくらい。むしろ、ラブコメ主人公に自己投影してるだけまだマシだろ俺なんて。無駄に絆創膏貼ってみたり、血を見ると興奮するとか言ってみたり、そういう年齢だぞ中2は。
「私は創作物を見て振る舞いを真似しようなんて思わないわ、あなたもちゃんと現実を生きなさい」
「昨今のストレス社会で現実ばかり見てたら疲れるだけだろ。ちょっとは逃避するくらいの方が逆説的に健全だと俺は思うがな」
「へぇ、そうして妄想の世界を生きてしまった結果が、あなたのような人間なのね」
「あーそうだよ、俺はユナたそと結婚する。これの何が悪い、ダイバーシティって言葉を俺が教えてやる」
「あら、よくそんな英単語知ってるわね、21点なのに」
「はっ倒すぞ」
手で口を押さえて微笑する少女に、俺は憤慨の表情を浮かべた。
「けれど、二次元に夢中になりすぎて、三次元が見えなくなるのも考えものね。その捻くれたモノの見方さえ変われば、あなたのことを好いてくれる女性もほんの少しはいるでしょうに」
「興味ないな。大体、現実世界の女子なんて男子を選ぶ立場だと驕り高ぶって値踏みしてくるような高飛車なヤツばっかだろ」
「あなたは大して女性と関わっていないでしょ」
「でも、少なくともユナたそみたいな女の子は現実には存在しない。待ち合わせの駅前でぴょんぴょん飛び跳ねながら手を振ってくれたり、額と額をくっ付けて体温を測ってくれたり」
「そんなの当たり前じゃない」
「ほらな、じゃあもう理想の女の子は三次元にはいないから、三次元で恋愛する必要はないな、お疲れ」
「疲れてないわよ、なに論破した感じ出してるのよ」
俺がフッと鼻で笑うと、少女は変なモノでも見るように俺を見た。
「では、仮に三次元に沓澤ユナのような人間がいたら、あなたはどうするの?」
「結婚する」
「いや、そうではなくて、まず好きになってもらう必要があるでしょ」
「ユナたそは既に俺のこと好きだから。俺のことが好きだから、理想のヒロインなんだよ」
「ごめんなさい、私今宇宙人とでも話しているのかしら。全然常識が通用しないのだけれど……」
俺が微笑みながらユナたそに思いを馳せていると、少女は額に手を当てて首を横に振った。
「まぁでも、もし三次元に沓澤ユナがいたら結婚するってことよね?なら、まだあなたは完全に三次元の恋愛を諦めてはいないということではないの?」
「自分でさっき言ってたろ、三次元にユナたそがいるっていう前提があり得ないんだよ」
「それは、そうだけれど……」
「言っとくけどな、軸足を現実じゃなくて妄想や創作に移すってのも決して悪いことじゃないんだ。現実にうまく折り合いをつけられれば、理想の二次元ヒロインに思いを馳せることは自由だろ?」
俺が諭すように少女に語るが、少女は納得がいかないといった様子でいる。
「……あなたは、少し振る舞いと認識を改めれば、そんなに妄想や創作に固執する必要もないと思うのだけれど」
「アンタは妄想を敵視しすぎなんだよ。大体、さっきから俺に現実見ろとか言ってるけど、アンタの方が俺なんかよりよっぽどラノベキャラっぽいけどな」
「はぁ?どこがよ?」
コイツ、自覚ないのかよ。確かに、アニメやラノベの知識は全くなかったけども。純文学の影響なのだろうか。
「その、わよ、とか、だわ、とか。そんな口調のやつラノベでしか見たことないっての」
「う、うそよ!純文学にも出てくるもの!」
「どのみち創作物だろそれも。キャラクターの振る舞いは真似しないとか言ってたけど、もう十分ラノベキャラの振る舞いだアンタは」
俺がそう言うと、少女はその場に立ち尽くして戦慄してしまった。
「そんな……私、無自覚にあなたと似たようなことをしていたというの……?」
「そうだな、俺が特定のラノベキャラの真似だとしたら、アンタはオリジナルキャラクターの憑依と言えるな」
まぁ、三つ編み丸メガネの芋図書委員というキャラデザには全く合ってない性格してるけど。こんな気弱の代表みたいなビジュアルの癖に、触るもの皆傷つける鋭利な性格の設定、普通は企画段階でボツだけど。
「ほ、本当に?あなたに友達がいないから知らないだけで、実は極めて一般的な口調である可能性もあるのではないかしら?」
「悲しいかな、それを確かめる術はないんだよなぁ、アンタも友達いないから」
「ほっときなさい」
実に悲しい2人だ。ヒトとコミュニケーションを取る頻度が減ってしまった結果、振る舞いや口調が一般と乖離してしまい、当の本人はそれに気づけず、互いに指摘し合って初めて認識するとは。
「お互いがお互いの唯一の客観だったってことだ。自覚のない化け物同士が指を差し合って、キャー!!って悲鳴あげるみたいな」
「誰が化け物よ、あなたと一緒にしないで……」
いつになく意気消沈したように力なく反論すると、少女は少しの間俯いた後、顔を上げて俺に尋ねた。
「私、もしかして自分で思ってるよりズレてるかしら?」
「いや知らねえよ。ただ、ちょっとズレてるくらいに思ってるんだったら、その認識はハズレだな」
「参考までに聞くけど、どれくらいズレてる?」
「めっちゃズレてる」
「そ、そう……」
俺が端的に述べると、割とショックだったようで少女は枯れた花のようにシナシナと項垂れた。その様子を見て俺が慌ててフォローを入れる。
「ま、まぁ俺たちは意図的にヒトと距離とってるわけだし!多少ズレちゃうのは仕方ないよな!そもそも人間関係苦手なわけだから!得意を伸ばす方向っていうか!」
「得意を伸ばすって、あなたが対人能力と引き換えに得たモノといえば、誇大妄想力と屁理屈力っていう木偶坊だけじゃない」
「おい、ヒトがせっかくフォローしてやってんのに厚意を踏み躙るな。あと意外と妄想と屁理屈って役に立つから、木偶坊じゃないから」
妄想は現実逃避に使えるし、屁理屈は自己弁護に使えるんだぞ。言わば、逃げると守るのコマンドだ。ただ、攻撃のコマンドがないから最終的にジリ貧になるんだけどね。
「それより、今日あなた私と話してばかりで一向に本を読まないじゃない。図書館は本を読む場所よ、早く読みなさい」
「いや、アンタがそれ言うか……」
テーブルの上にある、俺が昨日から読み始めた純文学を、少女は人差し指で指し示す。それを俺が手に取ろうとした時だった。
「マジアイツクソうぜえわ!」
「没収とか意味わかんない!マジ最悪なんだけど!」
俺の頭にゲームの警告音が鳴り響いた。モンスターの乱入である。
ドカドカとうるさい音を立てて図書館の静寂を破壊する彼らの襲来は、俺がこの図書館に通うようになってから今回で4回目だ。しかし、この煩わしさはいまだに慣れそうにない。
「図書委員の人、今日もここ借りるから!」
4人組の中の1人が俺たちに向かって威圧的にそう言った。どうやら、来るたびにいるので俺のことも図書委員だと思っているらしい。
ふと、少女をチラと見ると、完全に諦めたように冷え切った表情を浮かべていた。耐え難い苦痛を、それでも耐え忍ぶには、もはや感情を殺すほかないのだろう。
「……ほら、行くぞ」
「え、なにかしら?」
「蔵書整理だよ、さっさと終わらすぞ」
「え、ええ……」
苦悶の表情を浮かべる少女の手を引っ張って、俺は図書館奥の本棚へと向かう。あの連中が来た時は、毎度こうして蔵書整理を2人でやっているのだ。
「……ごめんなさい」
俺がいつものようにノートに蔵書の記録をしていると、少女は右手で左の手首を掴み、消え入りそうな声でそう言った。
「……別に、アンタが謝ることじゃないだろ」
「でも……」
「あーもう調子狂うな、なんだよアイツらが来るたびにそんな申し訳なさそうな態度して、いつもの調子で俺に罵声を浴びせてくれよ」
意図せず、俺は変態マゾ男みたいな発言をかましてしまった。普段の少女ならノータイムで気持ち悪いと罵ってくるところだが、今の調子ではそんなシンプルな罵声さえも出てこないようである。
「……毎回付き合わせてしまっているわね、あなたを」
「良いんだよ、別に他にやることないし。それよりなんだよそのしおらしい態度は、いつものアンタのほうが対処しやすいからそっちで頼む」
「あなた、いつも私の振る舞いをソニックブームだとかバーサーカーだとか言って罵ってくるじゃない」
「もう慣れちゃったんだよアレに、アンタの鋭利な素のほうが接しやすいの」
俺がため息混じりにそう言うと、少女は自信なさげに口を開く。
「……私のこの素の性格、結構不評なのだけれど」
「だろうな。けど、何回も読むうちに理解できて好きになるラノベってあるんだよ」
俺がそう言うと、少女は顔を見られたくなかったのかそっぽを向いて、何も言わずに小走りで去って行った。何か別の仕事でも思い出したのだろうか。
そうして、俺が蔵書整理を黙々と続けていた頃。
「あーだる!マジやることなくない?」
「いちおう本はいっぱいあるな!つまんなそうだけど!」
どうやら今日4人組はゲームやお菓子などの校則違反グッズは持ち込んでいないようで、手持ち無沙汰だったのか本棚から雑に数冊取り出し、占領したテーブルに広げた。
「なにこれ、文字ばっかじゃん、つまんな」
「マジ漫画とかおけよ、図書委員マジ無能」
「うわ、これセックスって書いてある!ギャハハ!」
く、くだらねぇ。コイツら文章が読めず単語しか理解してないみたいだ、大丈夫か日本の若者。
俺が呆れて蔵書整理に戻ろうとした矢先。
「なぁ、セックスにマジックで線引こうぜ!」
「まじうける!てか、落書きしよこんなつまんない本!」
俺がギョッとして振り返ると、彼らはマジックを手に持って本を開いていた。
おい、流石に止めるかコレは。少女の図書館への思い入れを間近で見てきた俺にとって、蔵書に手を出されるというのはかなり胸が痛むところがある。
「ちょ……」
俺は注意するために彼らに向かって歩こうとしたのだが、何故だか上手く一歩目が出ない。
ふと、俺が目線を落とすと、自分の足が酷く震えているのが見えた。その時、俺は自身が恐怖していることに気づいた。不良4人を目の前に、恐怖から足がすくんでいるのだ。
「やっば、これ怒られるんじゃない?」
「大丈夫だって、図書委員ってアイツらだろ?なんも言ってこねえよあんなヤツら」
完全に舐められている。それに苦々しい屈辱を感じてはいながら、しかして恐怖が体を縛りつけた。アイツが言ったことは、悔しいが正解だと、そう感じてしまった。
「えっと、じゃあまずはここに線を……」
「あの!」
刹那、喧騒を遮るように上擦った声が館内にこだました。顔を上げた4人組の視線の先には、意を決したように両手を握りしめて立っている、丸メガネで三つ編みの少女の姿。
「そ……その……」
振り絞るように、彼女は声を出した。
図書委員長として、そして何より文学を愛する1人の人間として、彼女は図書館の秩序と尊厳を守るべく常に奔走していた。是非は別として、ラノベの1冊すらも置かせないほどに。
ふと、彼女と初めて出会った一幕を思い出す。俺を注意したあの時も、彼女は最初どこかぎこちなかった。もしかしたら、あれは、彼女にとって並々ならぬ勇気のいる行動だったのかもしれない。
図書館の秩序を守るために、自分の信念を貫くために、彼女はたった1人で戦ってきたのだ。そして、今もまた1人で戦おうとしている。
さて、俺を注意したあの時と今では、少女の状況は違っている。それは、相手が4人であること、そして、こちらが1人ではないことだ。
「その……あの……」
「は?なに?なんか言いたいことあんの?」
「ら……らくがき……」
「もっとデカい声で喋れよ」
「すみません、図書館は静かにする場所なので、デカい声で喋っちゃいけないんですよ」
俺は、少女を庇うように前に出て、引き攣った笑みでそう言った。一瞬にして、4人の視線が俺に向かってくる。うわこっわ、なんでこんなことしてるんだろう俺。
「は?なに、なんか文句あるの?」
「はい、そりゃもうマンボウの産卵数くらい大量に」
「ちょ、意味わかんないんだけど」
「意味わからなくて良いんで、とりあえず本への落書きはやめてもらって良いですか?」
俺は湧き上がってくる恐怖をなんとか抑えつけて虚勢を張った。こういうIQが低い連中相手の場合、舐められないようにすることは非常に重要である。
そしてもう一つ、この連中に効きそうな手法がある。
「なんでそんなこと言われなきゃいけないの?」
「なんでもなにも、俺図書委員なんで。とりあえず、落書きした本は、弁償、してもらうことになりますけど良いですか?」
「いや、は?まだ落書きしてないし!」
お、思った以上に効果覿面だぞコレ。
彼らは文章を理解しない。つまり、ロジカルなディベートに持ち込むことは不可能だ。
しかし、単語は理解する。なにやら怖そうな単語を聞くと、文章を理解してないからこそ余計にビビるのだ。
彼らをこの図書館から追い出すには、弁償、みたいな小難しくて怖そうな単語にアクセントを置いて過剰に脅すほかない。
「とりあえず、もうあなたたちは、出入り禁止ですので。今までのあなたたちの図書館における校則違反は、図書委員として学校に通達しますから」
「は?ふざけんな!てか証拠ないだろ!」
「いえいえ、アレが目に入りませんか?」
俺は読書スペースの天井の隅を指差した。そこには、備え付けの監視カメラがある。
「図書委員の権限で、あの、監視カメラ、の録画データにはいつでもアクセス出来るんですよ」
「ちょ、ガチで意味わかんない!」
「ただ、これも図書委員の権限で、録画データはいつでも消せるんですよね〜」
もちろん、こんなものはブラフだ。あの監視カメラが本当に作動してるかどうかなんて知らないし、たとえ図書委員だろうと一介の生徒ごときが監視カメラの録画データにアクセス出来るわけがない。そもそも、俺は図書委員ですらないわけで。
「どうします?今速やかに図書館から立ち去って、そして二度と来ないと約束するなら、録画データは削除しますけど」
「は?え、いや……」
「それが出来ないなら、監視カメラのデータを元に、刑事告訴、しますね。裁判、になったら、弁護士、をこちらは立てますから。実刑判決、によって、有罪、になったら、人生終わりかもしれませんよ」
俺はダメ押しとばかりに、思いつく限りの怖くて難しそうな単語を列挙する。実際、中学生の校則違反でこんなことになるわけないのだが。
「……言わないでよ、教師とかには、言わないで」
俺が毅然と立っていると、4人組のうちの1人が重い口を開き、不服そうにしながらも白旗を上げた。
「では、今すぐこの図書館から立ち去ってください。そして、2度と来ないでください。もし、またこの図書館に来るようなことがあれば、今度こそ速やかに監視カメラのデータを学校と警察に提出して、弁護士を立てて刑事告訴しますから」
「わ、わかったから!帰るっつってんだろ!クソが!」
はて、帰るという発言は今初めて聞いたが、などと揚げ足の一つでも取ってやりたいところだが、これ以上逆撫でしても不毛なので、俺は不満そうに帰り支度をする4人をすまし顔でただ見つめるにとどめた。
4人組が図書館のドアをピシャリと閉めて去っていくと、図書館はいつもの静寂に包まれた。
「あ、あー、ふぁーー」
馴染みある静寂に包まれた俺は、それを合図に極度の緊張から解放されて、言葉とも判然としない気の抜けた声を出してダラリと項垂れた。あー、怖かった、死ぬかと思った、てか何回か死んだ気がする、俺まだ生きてるよね、幽霊じゃないよね俺?
「……なに、してるのよ、あなた」
ふと、丸メガネの少女は俺の傍にいた。心配するような、悲しげな眼差しを俺に向けてくる。
「え、いや、なにって、俺もアイツらムカついてたし、もう来てほしくなかったから、だから、その」
「……やっぱりあなた、バカでしょ」
「え、なんで今俺罵られたの?俺結構頑張ったよ?褒められてもおかしくないことしたよ?」
「……バカ」
そうポツリと言うと、少女は額を俺の肩に乗せた。え、ちょ、ボディタッチ。これがご褒美ってこと?こんなのされても嬉しくねえよ、と言ってやりたいところだが、正直、悪くないです、はい。
「あなた、なんなの本当に」
「な、なんなのって」
「図書委員でもないのに、こんな面倒なことに首突っ込んで、怖いはずなのに、不良に言い返して。いつもは怠惰で矮小で不器用で頼りないのに、なんであんなこと出来るのよ」
「ちょっと?普通に褒めてくれれば良くない?いつもの俺を貶める必要ないよね今」
「だって、私は何も出来なかったのに、あなたが、あなたが……」
俺がいつもの調子で少女にツッコんでいると、少女は俺の肩に埋もれながら声を振るわせた。
少女の方を見やると、俺は言葉が出なかった。少女が、泣いていたからである。
「ちょ、え、その……」
「泣いてない!」
「まだ何も言ってないだろ俺!それに……」
「泣いてない!」
少女は顔をクシャクシャにしながら、誤魔化すように俺の肩にさらに顔を埋めた。
きっと、少女は怖かったのだろう。この数ヶ月、彼女は不良たちの襲来に怯え続けていたのだ。そして、図書委員長という責任ある立場でありながら何も出来ない無力感と、大切な図書館を荒らされる屈辱に、長い間苛まれ続けていたのだ。その恐怖と絶望は、俺には計り知れない。
彼女の涙はきっと、そんな蓄積された負の感情が、安堵と共に決壊して溢れ出た、その現出なのだ。
「……そ、その、大丈夫か?」
「女性の傷心につけ込まないで!」
「いやつけ込んでねえよ!泣いてるから普通に心配してるんだよ!」
「だから泣いてない!」
少女はムキになって、俺の肩にグイッと顔を押し付けた。
こんな時、モテる男なら確定演出!とでも思って甘い言葉を囁いて、背中でもさすってナチュラルにボディタッチを決め込むのだろうか。しかし、俺にそんな度胸があるはずもなく、ただ狼狽えることしか出来なかった。俺だって、じゃあ、挿れるね…と言いたい人生だったよチクショー。
「だいたい、なんなのよあの脅し文句!嘘八百じゃない!」
「そりゃそうだろ!ああやって脅すしか無かっただろ!」
「にしても不出来よ!何よ弁護士を立てて刑事告訴って!弁護士は刑事告訴される側が立てるものでしょ!する側が立てるのは検察よ!」
「ディテールの話は良いだろ別に!そんなことアイツら知らねえよ!」
「だいたい、少年法が適用される中学生が刑事裁判にかけられて実刑判決なんてあるわけないじゃない!詐欺師もビックリの大嘘よ!むしろ、その嘘こそ脅迫罪で罪に問われるわよ!」
「細かいな!SFに難癖つけるめんどくさい科学オタクか!あと、俺も中学生だから脅迫罪で罪に問われないし!」
「それから!監視カメラへのアクセス権なんて生徒にないわよ!そもそも、あなたいつ図書委員になったのよ!」
「あーもう!だからあんなもん即興の脅し文句なんだから、そんな細部まで考えて言ってねえよ!」
「それから!それから…!」
少女はポロポロと泣きじゃくりながら、俺の脅し文句の不出来さを捲し立て、あらかた言い終えた後もまだ何やら収まらないようで、ポカポカと俺の肩を叩いた。
マズい、可愛いとか思うな。確かに、改めて近くで見るとちゃんと美少女だけど、中身は冷酷無比な独裁者みたいなヤツだぞ。たまたま、今は普段の毒気が抜けてギャップで可愛く見えるだけで、きっと明日からはまた鋭利な言葉を浴びせかけられるに決まってる。
そして俺は、そんな毅然と冷徹で誇り高く可愛げのない姿こそ、彼女らしさであると、そんなふうに思う。彼女の崇高な信念を、そう簡単に曲げてほしくないのだ。
「……ほら、邪魔者は居なくなったんだから、とっとと読書に戻るぞ」
「うう……ばか、ばかぁ……」
「ちょ、図書委員長?純文学を愛する者としてあるまじき語彙力になってますよ?IQ著しく低下してますよ?」
「ばかぁ……」
俺がいつもの調子でツッコんでみたが、どうやら泣きじゃくる少女の口からは、いつもみたいに豊富な語彙から繰り出される多種多様な罵詈雑言は出てこないようで、俺の肩で体を震わせながら大粒の涙を流すことしかできないみたいだった。
強く、気高く、時に冷徹な彼女はもはやそこには居ない。いるのは、整理しきれない感情が溢れて止まらない、いたいけな中学生の少女だけ。
はて、どうしたものか。どうやら少女はいつものようなプロレスコミュニケーションを取れるような状態にはないらしい。俺はそれを察してどう振る舞っていいか分からず、捻り出すようにぎこちなく口を開いた。
「……よく頑張ったな」
「……!ううぅ…ばか、ばかぁ…!」
柄にもなく頑張って女の子の機嫌を取ろうと試みてみたものの、その言葉を聞いた少女は余計に大きな声をあげて泣いてしまった。あーダメだこりゃ、俺には女の子の機嫌を取るホストの才能は無かったらしい。もう黙っとこう。
ふと、外の景色を見やると、夕陽が煌々と図書館に差し込み、2人の影を映し出していた。
図書館のタイルに映ったその影は、少年の影に少女の影が寄りかかって、さながら恋仲の2人に見えた。




