中学時代3
「はぁ、めんどくせえ……」
放課後、俺は図書館の扉の前に立っていた。
帰宅部の俺はいつもなら一目散に帰路についているところなのだが、昨日から始まってしまった例の図書委員長との発言撤回要求合戦によってこの図書館に来る羽目になってしまったのである。
無論、ラノベを低俗と言われたままなのは癪だが、こうしてわざわざ貴重な放課後に図書館へ足を運ぶのは些か面倒に思える部分もあった。
「にしても、帰宅部って凄い言葉だな。無所属とかが正しいだろうに、存在しないものを部活扱いするって斬新な発想。なんか、0の概念みたいだな、帰宅部って初めて言った人も、もしかしてインド人だったのかな」
「……何をブツブツ言っているの?」
俺がギョッとして振り返ると、本を両腕で抱えている三つ編みメガネの少女が眉を顰めてこちらを見ていた。
「お、おい急に後ろから現れるな」
「別にこちらは急に現れたつもりはないわよ。あなたが周りの注意を怠っただけでしょう」
周りに誰もいないと思って、鼻歌歌ったり独り言言ったりしてる時に視界に急に人が現れるの、アレマジで恥ずかしいよな。最初から何も言ってませんでしたけど?みたいな白々しい顔しちゃうよな。
「あと、インドに我々日本と同じ部活動の文化は無いのだから、帰宅部という呼び名を最初に使ったのはインド人ではないでしょう」
「おい、ヒトの独り言を勝手に聞くな恥ずかしい!マナー違反だぞそれは!」
「そんなマナー初めて聞いたのだけれど……バカなこと言ってないで、さっさと中に入りなさい」
俺がくだらなすぎる独り言を聞かれた恥辱に赤面していると、少女は俺を押し退けて図書館の扉をガラガラと開けた。
2人が館内に入り扉を閉めると、ふと聴覚が鋭敏になるほどの静寂が体を包み込む。
「……寂しい図書館だなぁ」
「うるさい。あなたに読ませるための本を用意しておいたから、さっさと来なさい」
俺のぼやきにふくれっ面を浮かべながら、少女は不機嫌そうに奥へスタスタと歩いて行く。コイツ、図書委員キャラの癖に随分と感情が表に出るタイプのようだ。
「さて、あなたのような学も素養もない純文学ビギナーのために、私が厳選して読みやすいものを持ってきてあげたわ」
「アンタそれ読んでもらう人の態度か?中世ヨーロッパの貴族だってそんなに上から目線じゃねえぞ」
「読んでもらう?勘違いしないで、私はあなたに純文学を読ませて、発言を撤回させるの。これはお願いではなく命令、良いわね?」
「良いわけねえだろ、俺はアンタの犬じゃねえ」
「あら、あなたのような美少女もの大好きオタクは、女性の犬になることこそ本望なのかと思っていたのだけれど」
「ふざけんな、犬側にだって飼い主を選ぶ権利くらいあるわ。自分の大好きな女王様に忠義を尽くす、これが俺たち犬の本懐だ舐めんな」
「犬のところは否定しないのね……気持ち悪い」
「おい、毎回アンタの言葉が乾坤一擲右ストレートすぎるんだよ。ボクシングと違ってガード出来ないんだから加減しろ加減」
「あら、ごめんなさい。つい気持ち悪すぎたもので、決して傷つける意図は無かったの。次から気をつけるわねセクハラ駄犬」
「傷つける意図しかないだろ!」
目の前のテーブルに並べられた少女オススメの純文学を尻目に、少女は俺を詰り、俺はそれに反抗する。
「俺がアンタの罵倒を軽妙に返せるタイプで良かったな。そんな鋭利なコミュニケーション取ってたら女子とか泣くだろ普通に」
「そうね、私はこれをさして攻撃的なコミュニケーションだとは思わないのだけれど、こうも何人もに泣かれてしまうと、私の感覚が多少ズレていることは認めざるを得ないのかもしれないわね」
「何人も泣かせたのかよ……」
「あくまで小学校時代の話よ。別に私だって人を傷つけたいわけじゃないもの、だから中学に入ってからはあまり人とは関わらないようにしてるわ」
「まぁ、賢明だな」
俺が肩をすくめると、少女はムッとした表情を浮かべて俺を睨みつけてきた。
「そう、私優しいのよ。自分の物言いが人を不快にさせてしまうことをわかって、人と距離をとっているの。もう、誰も、私のせいで傷ついてほしくないから……」
「強すぎる能力のせいで大切な人を傷つけた過去がある強キャラかアンタは。物語の途中で過去のトラウマを克服して覚醒すんじゃねえか」
「何を言っているのかよくわからないわね、気持ち悪い」
「あー出てる出てる。気持ち悪いとか、そういう物言いが人を泣かせてるんだよ気づけ」
「でも、あなたさっき私の言葉を軽妙に返せるタイプだって自分で言ってたじゃない。だから、あなたなら良いかなって、ね?サンドバッグくん?」
「誰がサンドバッグくんだ、世界一付けられたくないあだ名だぞソレ」
眉を顰める俺に対して、少女は口を手で押さえながら微笑した。三つ編みがその笑いに合わせて小さく揺れる。
「アンタさ、多分そういうプロレスみたいなのを楽しいコミュニケーションだと思ってんのかもしれないけど、みんながソレ好きなわけじゃないぞ、特に女子」
「あなた、女子のこと何も知らないでしょ」
「決めつけんな、こう見えて女心とか割と知ってるほうだから」
少なくとも情報量はけっこうなものだ。ちなみに、情報源はラノベとネットだったりする。
「一切信用ならないわね」
「まぁ聞け。女子ってのは男子と比べて和を重んじる生き物なんだ。男子が最も恐れるのは敗北だが、女子が最も恐れるのは不和だ。だから、相手を傷つける可能性があるリスキーな表現は避ける。男子の弄り合いはよく見かけるが、女子の弄り合いなんてまず見かけないだろ」
力説する俺を見て、少女は怪訝な表情を浮かべながら、それでも反論できないといった様子で口をつぐんでいる。
「女子の会話のベースは共感と褒めと慰め、そしてその場にいない人間の悪口だ。むしろ、これ以外の要素は不要とすら言える。そんな中でアンタみたいなプロレスコミュニケーション展開してみろ、すぐハブられるぞ」
「……どうやら、全く女子のことを理解していない訳ではないみたいね」
「お、わかったか?」
ま、これ全部ウチの姉に聞いた話なんだけどね。コピペみたいなもんだから、レポートとか論文に書くときには引用元として姉のURL張っとく必要あるんだけどね。
「でも、私はハブられてるわけではないわ。むしろ、私から距離を意図的にとって……」
「今はそうかも知れないけど、過去ハブられた経験があったから先に予防線張ってるんだろどうせ」
「……あなたの言葉もそれなりに鋭利だと思うのだけれど」
俺が図星を突いてしまい、少女は少し俯き加減でジトッと見てきた。
「そうだよ、だから俺もアンタと一緒で人とそんなに深く関わらないようにしてる。そういう意味じゃ、俺とアンタは同志なのかもな」
「……そんなことで親近感を覚えたりしないわよ、たまたま女子とお近づきになれたからって調子に乗らないで」
なんて可愛げのない女子なんだコイツは、もう絶対寄り添ってなんかやるもんか。
「別に調子乗ってねえよ、ただ、傷つけたくなくて人と距離を置く気持ちも分からんでもないって言ったんだ」
「……あなたには、わからないわよ」
少女は吐き捨てるようにそう呟くと、寂しげな目をしながら窓の外を見て、再び俺のほうに向き直った。
「さ、与太話もほどほどに、さっさと持ってきた本を出しなさい。カバンに入っているのでしょ?」
「アンタもノリノリで与太話してただろ……」
俺はブツブツぼやきながら、カバンを漁ってラノベを何冊か取り出してテーブルの上に並べた。
「とりあえず、俺が万人受けしそうなラブコメと異世界転生ものを家から持ってきた。そんなにコアなヤツじゃないから、アンタでも楽しめると思う」
「そう、案外考えて選定してきているじゃない。よく頑張ったわねサンドバッグくん」
「え、いつのまにか俺の呼称サンドバッグくんに確定したの?失礼すぎない?」
「ごめんなさい、確かに失礼だったわね。訂正するわ、サンドバッグさん」
「敬称のほうじゃねえわ!どのみちサンドバッグかよ俺は!」
「あら、じゃあなんて呼ばれるのがお望みなの?サンドバッグ伯爵?」
「なにそのサンドウィッチ伯爵の偽物みたいな人、爵位与えられようが結局サンドバッグじゃねえか嫌だわ」
「あなた本当にわがままね、どうすれば納得するというの?サンドバッグ王?Mr.サンドバッグ?サンドバッグJr.?」
「サンドバッグを変えろ!なんでそこだけ絶対揺るがないんだよ!」
俺が大袈裟に声を荒げると、少女は我慢できなかったのかフッと吹き出した。
「フフッ、ごめんなさい、こんなくだらない会話久々なものだから」
「そ、そんな笑うほどか?」
「ええ、人と会話して笑ったのなんて、いつぶりかしらね……」
ひとしきり笑ったあと、少女は丸メガネを押し上げて目に浮かべた涙を指で拭った。
こんな高飛車で冷徹な図書委員長でも、笑う時は笑うのか。俺は初めて見た少女の一面に、どことなく愛嬌を感じた。
「……そんな感じで、良いんじゃねえの?」
「は?なんのこと?」
「だから、その、他のクラスメイトへの振る舞いとか、そうやって笑ってる姿とか見せれば良いんじゃねえのって思っただけだよ。俺と違って、アンタはそこそこ愛嬌あるじゃんって……」
「……別に、あなたがそう思ったってだけでしょ。私は、あまり人から好かれるタイプではないもの。それは、私が1番よく知っているの。あなたは、ちゃんとわかってないだけよ」
少女は目の前のテーブルの本を1冊、寂しそうな目をしながら手に取って眺めた。
どうにも、彼女は人と距離をとっていることを悩ましく思っているように見える。親しい人間がいないことは俺も同じだが、その苦悩は俺のものよりもずっとずっと大きいのかもしれない。
「アンタは、まだ俺よりは人に好かれそうだけどな」
「……急になに?どんなはかりごとがあるか分からないけれど、その程度のおべっかで私を思い通りに出来ると思ったら大間違いよ」
「違えよそんなんじゃねえよ。ただ、その、アンタのこと好ましく思ってくれる人は全然いそうだなって思ったんだよ。人と距離とるってのは確かに合理的だけどな、寂しいものでもあるだろ」
「あなたも距離とってるじゃない」
「まぁ、そうだけど、やっぱ学校空間で女子が単独行動ってのは、擦り切れるとこあるだろ。男子の俺ですらちょっと泣きそうになることあるのに、1人ぼっちの移動教室とか」
「女子の単独行動、ね……」
少女にはどうやら思い当たる節があるようで、引き攣った笑顔を浮かべて呟いた。
「さっきの話に戻るけどな、女子ってのは何よりも不和を恐れる。そして、1人行動ってのは、ある種の不和なんだよ」
「……残念だけど、否定できないわね」
「だろ?女子の世界だと、集団内において単独行動するってのは秩序を乱す行為だと認定されやすいんだ。協調性がない女子への風当たりは、男子より全然強いんだよ」
「……確かに、一理あるわね。私は好きで1人行動しているだけなのに、大して話したこともない女子から陰口を言われているのを何度も耳にしたわ」
「そう、何をするにも誰かと一緒にって意識は、男子より女子の方がどちらかと言うと強い。そうなると、当然女性社会での単独行動は変わった行動と見做され、ひいては攻撃の対象になる。変なやつを攻撃するのは、人間の性だからな」
俺がこう話すと、少女は何事かを思案して、脱力したように俯いた。
「……私も、わかってはいるのよ。女性社会に適合するには、協調性が大切ってことくらい。でもね、それでも、上手くできる自信がない。だって、コミュニケーションには正解がないんだもの。知らず知らずに人を傷つけて、嫌われて……私ね、疲れてしまったのよ」
少女は天井を見上げ、虚な眼差しで開き直ったように続けた。
「距離を取るほうが簡単だって、いつからかそんなふうに思ったわ、だからそうした。でもね、距離を取ったのに、誰にも迷惑かけてないのに、なぜか陰口が聞こえてくるのよ」
「……そうか」
「私、別に誰かに嫌われてもそんなに気にするタイプではないけれど、それでも陰口を耳にした時には、ほんのちょっとだけ、何かが擦り切れる感覚があるわ」
少女のことを、俺は少し誤解していたのかも知れない。全く取り繕わない彼女の振る舞いは、確かに女性社会では受け入れられないだろう。しかし、彼女は嫌なヤツなのではなく、ただ不器用なだけなのだ。寂しげに心情を吐露する彼女の姿は、等身大の女の子であった。
そして、誤解しているのは、きっと俺だけではない。
「ああ、ごめんなさい。つい変なことを口走ったわね、忘れて」
少女は恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをして、テーブルの上に並んだ本をなぞった。
「さて、ではあなたが持ってきたラノベは私の家に持ち帰るわね」
「え、そうなのか?」
「ええ、この図書館で館外から持ち込んだものを読むわけにはいかないもの。家でしっかり読むわ」
「ホントか〜?」
俺が少しニヤつきながら茶化すように言うと、少女はムッとして俺を一瞥した。
「私はちゃんと読むわよ。読んでもないのに読んだ体にして、ネットで拾ったテキトーな感想でしのごう、みたいな姑息な魂胆が見え透いているあなたと違ってね」
おい、なんでバレてる。俺が考えてることを細部まで当てられたぞ。凄腕占い師かコイツ、新宿の母かコイツ。
「え、ぜ、全然そんなこと考えてないけどな!?むちゃくちゃ真面目だから俺!」
「あなたが真面目?笑わせるわね。あなたは最初は大人しいから真面目に見えるけど、後から不真面目さが露見して化けの皮が剥がれる、印象最悪のタイプでしょう?」
「おいアンタ俺のクラス担任かよ、どうしてそんなことまでわかる」
別に不良ってわけじゃないけど不真面目で協調性ない奴って、初手が好印象なぶん最終的に教師から1番嫌われるタイプだよな。俺です。
「私、結構人間観察は得意なの。あなたのような人間がどのように動くかなんて大体予想がつくわ。したがって、あなたはこれから毎日図書館に来て、私の監視のもとで純文学を読みなさい」
「いやいや!ちゃんと読むから大丈夫だって!」
「信用ならないわね、私はラノベをしっかり読むのだから、あなたにネットの感想を横流しするような舐めたことをされては困るわ。あなたの読書は私が管理する」
そ、そんなぁ。そんなことになっては、家でアニメ見たりゲームしたりラノベ読んだりする時間が減るではないか。なんとか抗弁の余地を探る。
「おいおい、俺たちもう中2の10月だぜ?そろそろ受験とか意識して勉強しなきゃいけない時期だろ。中2の3学期は中3の0学期とも言うし、今は中2の2学期だから、中3のマイナス1学期だろ、つまり実質中3だぞ受験生だぞ」
「あなたそんなに意識高くないでしょ。どうせ家に帰っても勉強なんてしないんだから、むしろ読書によって国語力を上げるほうが受験対策になるくらいよ」
俺は屁理屈をこねくりまわしたが流石に無理があったようで、少女はピシャリと俺の抗弁を退けた。
「く、今期のアニメまだ全然追えてないというのに……」
「さぁ、つべこべ言わずに読みなさい。まずはこの……」
少女が一冊手に取って俺に渡そうとした瞬間、静寂を切り裂くように荒々しく図書館の扉が開く音がした。
「あー、マジでダリーわ!」
「結局ここが1番ヒト来ねえし良いよなぁ!」
「てか、ここ見つけたキョウコ、マジナイスだわ!」
「だっしょー?もっと褒めろ〜」
俺と少女がシンクロするように扉の方を見ると、男女4人組がズカズカと図書館に入ってきた。所作は一々横柄でうるさく、静寂はどこへやら一気に空間が喧騒に包まれた。
「うっすー図書委員の人!ここ今日も借りるね〜!」
「……」
グループの1人の女子が少女に向かって手を振って呼びかける。しかし、それはフレンドリーというよりも、どちらかというと威圧に近いモノであった。
「……では、私は蔵書整理の仕事があるから」
「は?ちょ、おい」
顔を背けてスタスタと本棚の並んだ蔵書スペースに向かう少女を、俺は慌てて追いかけた。
「……おい、なんだアイツらは」
図書館の端っこ、4人組からは死角になっている奥まったスペースで、俺はヒソヒソと少女に話しかけた。
「見ての通り、学校の秩序を乱す下品な集団よ。いわゆる、不良ってやつね」
「あーいや、そりゃ見りゃわかるんだけどさ、さっきアンタに話しかけてなかったか?知り合いなのか?」
「いちおう、4人のうち2人はクラスメイトではあるわね。けれど、まともに話したことすらない程度の仲だから、あちらが私を図書委員であること以外の認知をしているかは定かではないわ」
少女はまるで機械のように、淡々と蔵書を確認して手元のノートに記録していく。その姿は、努めて何かを気にしないようにしてるみたいだった。
「……アンタのことを図書委員だって認知してるってことは、前にも図書館に来たことがあるってことだよな」
「……」
少女の手が少しだけ止まった。真顔だった表情に苦悶が浮かぶ。
「アイツらが来るの、何回目なんだ?」
「……これで7回目よ」
「それ、完全に溜まり場になってんじゃねえか……」
「……」
俺の言葉を無視するように、少女は蔵書確認の手を早めた。どうやら、彼女にとっても目を背けたいことだったらしい。
俺は黙りこくる少女から少し離れ、本棚からそっと顔を覗かせて不良たちの様子を伺う。
「おま、マジそれはないわ〜!」
「ルキそれはヤバイ!」
「てか、ここうるせー教師来ねえからマジサイコーだわ!教室でやってたらアイツら怒るからな!」
「ね!マジ図書委員ちゃんにありがとうだわ〜」
ああ、アイツらガッツリゲームとかやってるわ。ジュース飲んでお菓子食べてるわ、終わりだ。
当然だが、公立中学校である我が校にゲームやら飲食物やらの持ち込みは認められていない。しっかり校則違反である。
「……あのさ、この図書館だけ特別に校則が適応されないとかある?ここタックスヘイブン?」
「そんなわけないでしょう。日本国の法律、自治体の条例、学校の校則、図書館の利用規約、全てくまなく適応されるわよ」
俺がしゃがんで蔵書確認に勤しむ少女に小声で確認すると、懇切丁寧に回答が返ってきた。なるほど、では仮にこの図書館に立て籠っても国民の義務である勤労は免除されないわけか。非常に残念である。
「……アイツら、放っといて良いのかよ」
「……そのうち、いなくなるわよ」
「いや、アンタ図書委員長なんだから注意……ごめん、なんでもない」
そんなことが出来るわけがないことくらい、少し考えればわかることだった。女の子1人で、4人組の不良を相手に直接注意するなんて現実的ではない。あまつさえ、あのなかに少女のクラスメイトがいるとなると、不和を起こせば学校生活にさえ支障が出かねない。
俺がふと少女の顔を見ると、感情を押し殺すかのように唇を噛んでいた。
「やはり、図書委員長として強く言うべきよね……」
「あ、いや、さっきのは俺の発言が不用意だったよ。マジでごめん」
「別に、あなたは一つも間違ったことは言っていなかったでしょう。図書委員長として、この図書館の秩序と尊厳を守る義務が、私にはあるはずなのよ……」
怒りと悲しみが混濁したその表情は、少女の複雑な胸中を物語っていた。
彼女にとって、図書館は神聖な場所だ。それこそ、ラノベの一冊も置きたがらないほどに。そこが、校則違反の温床になっているなんて、許し難いことだろう。図書館の秩序を守る立場ならなおのこと。
悔しいに決まっているのだ。自分の好きな場所を踏み荒らされることも、それを何も出来ずに見ていることも。
「……蔵書整理、手伝うよ」
「はい?これは図書委員である私がやるべき仕事よ、あなたが手伝う必要はないわ」
「いや、ほら、俺は今日ここに純文学を読みに来たわけで、でも今はアイツらがうるさくて読書に集中できないだろ?だから、やることないから手伝うよ」
「……別に、今日は帰れば良いじゃない」
しゃがみ込んで本棚をなぞる俺に、少女は顔を背けながら消え入るようにそう言った。
帰れるわけないだろ、アンタ1人置いて。柄にもなく心配だなんて、そう思ってしまった。
「俺な、意外と家に帰ってもろくなことしてないんだ」
「いや、全然意外じゃないのだけれど、見たまんまなのだけれど」
「じゃあ、別に帰らずに蔵書整理を手伝っても、そんなに問題ないよな?」
「……あなた、さっき中3のマイナス1学期で受験がどうとか言ってなかった?」
「アンタもさっき言ったろ、どうせ家に帰っても勉強しないだろって」
「……Jの棚から順番にやって」
「了解」
俺は立ち上がると、記録用のノートを持ってJの棚へと向かった。
それからしばし、2人は耳に届く喧騒も忘れるほどに黙々と作業を行なった。
「じゃあルキんち行こうぜ!」
「いこいこ〜!」
あれから1時間くらい経っただろうか。4人組はガチャガチャ粗雑な音を立てて図書館を後にしていった。ピシャリと扉が閉まると、いつぶりかの静寂が戻ってきた。
「……やっと帰ったか」
出しっぱなしの椅子と、ゴミが散乱したテーブルという惨状を前に、俺はため息をついて項垂れた。すると、少女は黙々と片付けを始めたので、慌てて俺も手を貸す。
「……あなたは図書委員ではないのだから、別に手伝う必要はないのに」
「この状況で図書委員じゃないからって何もしないほど融通効かない人間じゃねえよ俺は。大体、既に蔵書整理ガッツリ手伝ってんだから、今更だろ」
俺はテーブルの上のゴミを手で集め、少女が持ってきたゴミ箱まで滑らせて放り込む。
「さて、あらかた片付いたんじゃねえの」
4人組が来る前の整然とした状態に戻ったテーブルを見て俺がそう言うと、ちょうど下校時刻を知らせるチャイムが校内に鳴り響いた。
「もう閉館の時間ね……」
「マジか、そんな時間か」
「ええ、私は鍵を閉めて職員室に届けなければいけないから、先に帰っていいわよ」
「そうか、なら失礼して」
俺はカバンを持ち上げて背負うと、閉館の準備をしている少女に向かって呼びかけた。
「ラノベ、テーブルに置いとくからな。ちゃんと読めよ」
「言われなくても読むわよ……」
ボソボソとそう答えた少女は、他に何か言いたげな表情を浮かべている。そして、逡巡した後に不安そうな顔で俺に尋ねた。
「明日も、来る……?」
「は?来いって言ったのアンタだろ、俺の読書を監督するからって」
「そ、それはそうだけれど……」
眉を八の字にして、少女は自信なさげに俺を見つめる。おい、急にしおらしくするな、ちょっとドキッとしちゃうだろ。
「……ラノベをアンタに預けたままだからな、ちゃんと返してもらわないと困る」
「え、ええ、それはそうね」
「だから、明日も、来るよ……」
「そ、そう……」
心なしか、少女が安堵の表情を浮かべたような気がした。いかんいかん、この程度のやり取りで『コイツ、俺のこと好きなんじゃね?』とか考えるのは非モテ男性の悪い癖だ。冷静になれ俺。
「じゃあ、俺は帰るから」
己の女子への脆弱さを戒めるように、そそくさと図書館を後にしようとしたその時。
「……あの!」
「な、なんだ?俺何か忘れ物とかしてたか?」
俺を呼び止めた少女は、顔を赤らめてボソボソと何かを言った。
「……がと」
「へ?」
「だから!蔵書整理とか片付けとか!ありがとう!」
少女は目を瞑って、意を決したように言った。羞恥心全開の感謝、まぁ、コイツはありがとうなんて言い慣れてなさそうな性格してるもんなぁ。
「……ああ」
俺はそれだけ言って、図書館を後にした。どうやら、俺はどういたしましてなんて言い慣れてない性格をしてるらしい。