デート8
「……え?」
俺は少しの間、口をポカンと開けて硬直してしまった。まさか、まさかその言葉が、千曲から出てくるなんて。
思春期男子なんてのは、皆一様に妄想たくましいものだ。自分に好意がありそうな女子を、つい創作物のヒロインに重ねてしまうという恥ずかしい所業も、全くもって珍しいものではない。
しかし、それが妄想であるということは、当人が一番よくわかっている。だから、薄々そう思ってはいても、口には出さない。
そんな口に出すのも憚られるある意味で純朴な男の妄想を、あろうことかその対象である少女が自らの口で言ってしまうとは。
「……いや、ごめん!私変なこと言ったかも!」
「そ、そうだな……」
「めっちゃキモいこと言ったかも今!妄想も甚だしい、薄寒くて陳腐なこと言ったかも今!」
ごめん、俺も君と一緒で、めっちゃキモくて妄想も甚だしい、薄寒くて陳腐なこと考えてたんだ。言わなかっただけで、君をユナたそと重ねてたんだ。
「だ、大丈夫だ!俺も……」
「俺も……?」
「お、俺はしばらく耳掃除してないから、あんま何言ったか聞こえなかったぞ!」
「フォローが下手だし汚いし!ていうか、絶対聞こえてたでしょ!」
まさか、『俺も、君と俺がまるでこのラノベの主人公とヒロインみたいだと思ってた』などとは言えなかった。せっかくあっちから言ってくれたってのに!恥ずかしがっちゃう俺のバカ!
チラと千曲の方に視線を向けると、両手の人差し指をツンツン合わせながら顔を赤らめている。
「なんか、私と雄太くんみたいだな、とか、思いました、はい……」
「そ、そうですか、ありがとうございます……」
「なに?ありがとうございますって」
「いやー、とりあえず感謝しといた方が良いかなと、伝えられる時に伝えといた方が良いかなと」
「そんなキャラじゃないでしょ雄太くん。もしかして、バカにしてる?」
「そんなわけないだろ。普通に、なんというか、そんなふうに思ってもらえるってのは、悪くない気分だなと……」
「そ、そっか……」
な、なんなんだこの状況は。ラノベコーナーで男女二人がチラチラ目線を合わせながらモジモジしてるなんて、俺が第三者なら咳払いでもして追っ払ってるところなのだが、幸運にも俺たち以外に人影はなかった。
「……どう?」
「な、何が?」
「その…ユナたそ、に比べて、私は、どうでしょうか……?」
「ええ!?」
おいおい、背景設定にとどまらず、キャラ設定にまで突っ込んできたぞ。そりゃもう、瓜二つですよ、ええ。
千曲は照れくさそうに髪の毛をクルクルと遊ばせる。
「その、爽やかな小悪魔?みたいな感じ、私にはあるかなって……」
「いや、そりゃもう……」
「そりゃもう、なに?」
「……めちゃくちゃあるよ」
「え、えへへ…そ、そっかそっか、えへへ…」
まさか、二次元ヒロインを三次元の少女に当てはめるなどという妄想猛々しいことを、その少女当人に言わされてしまうとは。しかも、どうやら千曲もまんざらでもない様子である。
「もしかして、ちょっとユナたそと私を重ねたりした?重ねたりしちゃった?」
「おい、これ以上オタク男子の恥ずかしい妄想をからかうな。羞恥心で死んじゃうから」
「別に、重ねても良いんだけど?」
「今確実に俺は千曲の手のひらの上で転がされてるよね?もう転がされてるなってしっかりした感覚があるぞコレ」
「へへへ、でも、こういう見透かすタイプのヒロインが好きなんでしょ?」
「見透かされることが好きなことすら見透かされてるじゃねーか、メタすぎるだろ」
俺たちは周りに人がいないことを良いことに、お互い少し遠慮がちに小突きあった。側から見たら、完全なるイチャイチャカップルである。
あれ?これ映画館とかパスタ屋にいた時より、全然盛り上がっているのでは?最初からこっち来た方が良かったのでは?
「じゃあ、もう私のこと好きにならない理由もないんじゃない?」
「え?」
「だから、雄太くんが結婚したいラノベヒロインに私が似ているのであれば、もう三次元で結婚するのは、私で良いんじゃない?」
「それは……」
ふと、なぜ千曲と付き合っていないのか、なぜ仮交際などという曖昧な形を選んだのか思い返す。
ユナたそと久ヶ原、千曲と俺。ここに決定的に違うことが一つ。ストーリーが、物語があるか、否か。
ユナたそと久ヶ原の間には、物語があった。幼馴染という、一緒の思い出を共有した記憶が、そのラブストーリーに至るまでの道筋があった。
千曲と俺の間に、そんな物語はない。このラブストーリーは、なんの前置きも序章もなく、いきなり始まった。必然性もストーリーも運命も、俺たちにはなかった。現実の恋愛としても妄想の恋愛としても、あまりにも釈然としない始まり方だ。
こんな理不尽とさえ言える邂逅を、俺の愛したあの物語と重ねて良いのだろうか。
「……いや、変だろ」
「え?」
「俺と千曲の間には、ここに至るまでの物語が何もない。ラノベの中の理想の恋愛と重ねるにしては、物語として不出来だろ」
「そ、そうかな……」
「……そうだよ」
ふと俺が顔を上げると、千曲は笑顔だった。しかし、それは今まで千曲が見せたどの笑顔とも違う、どこかとても悲しげな笑顔だった。
言いすぎただろうか。しかし、事実として、千曲の好意が俺にとってあまりにも不自然であることに変わりはなかった。
「……物語、ないの?」
「……ないだろ、俺たちの間には」
俺は俯いて目を背けた。これ以上、どうにも千曲の表情を見ていることができなかった。
俺がバツが悪そうにしていると、千曲は俺の肩にポンと手を置いた。
「……あのね?」
俺が千曲の声に顔を上げた。
まっすぐな視線。少し怯えているような、しかし決心したような、そんな千曲の視線が俺の両目を捉えた。
「私と雄太くんの間にも、あるんだよ」
「……何が?」
「雄太くんはもう、覚えてないかも知れないけど。ううん、覚えてなくて良いの。けど、私は覚えているんだよ」
「一体どういう……」
「……私は!」
『あっれー!双葉ちゃんじゃん!』
千曲が震えた声で何かを言いかけたその瞬間、俺の後方から声が聞こえた。
振り返ってみると、そこには見たことのある姿が数人並んでいた。
「えー、何してんのこんなところで!」
「あ、えっと、確かクラスの……」
「え、あーまだ名前覚えてくれてない感じ?同じクラスの大町紗奈だよー、で、こっちが美久で、智弘と聡」
「おっすー」
「そ、そうだった紗奈ちゃん!ごめんね、まだ転校してきたばっかだから覚えられなくて」
「へー、もう何回か話した気がするけど、まぁ覚えられないよね」
威圧感。まるで肉食動物が自分のナワバリを誇示するみたいに、牽制でもされているような気分だ。
垢抜けた風貌の男女4人組。彼らは俺のクラスでカースト最上位に鎮座する陽キャ様御一行である。多少の会話を交わす伊那聡を除いて、モブの俺なんかとはほとんど関わりのないような連中だ。
「で、こんなとこでなにしてんの?」
「えっと、私は雄太くんとデ……」
まずいまずい、俺なんて彼ら陽キャからしたら虫けら同然の存在だ。それが転校生美少女としてクラス内で異彩を放ちまくっている千曲とデートしているなんて知れたら、2人揃って立場が危うくなること必至だ。
俺は慌てて千曲を肘でつついて、小さく首を横に振った。千曲はそれを一瞥すると、俺の意図を汲んでくれたようである。
「……えー、同じクラスの須坂くんと、ちょっとお出かけしてるの」
「……ども」
俺が虫けらよろしく虫の如き小さな声で挨拶すると、今まで千曲にだけ注意を向けていた陽キャ集団が、俺をチラと見た。
「あっ、はは、へー」
おい、なんだその感想は。さっきまでの社交性どこいったんだよ。
陽キャたちは乾き切った笑い声を出して、すぐさま千曲に注意を戻した。
それはまるで、綺麗な公園を歩いていたらアリの大群を見かけてしまって見て見ぬふりするみたいな、そんな挙動である。あれ、俺って虫同然というより本当に虫なんじゃないマジで。
「え、その、2人はどういう……」
「え、あ、その、昔からの知り合いで、その、友達、みたいな」
「そ、そっす……」
千曲は少したじろぎながら言葉を紡ぎ、俺が後からなんの援護にもなってない援護射撃を繰り出す。もし俺がオンラインアクションゲームの後方支援係だったら、使えなさすぎて即切断されるだろう。お願いだからボイチャで暴言だけは吐かないでね。
「へーそうなんだ、友達ね。まぁ、そりゃ、ねー?」
大町紗奈は再び俺を一瞥すると、引き攣った笑いを浮かべながらまた千曲の方に視線を戻した。
この女、ハッキリ言ってつくづく嫌な奴である。明らかに『まさかこんな冴えない男と付き合ってるわけないよね?』とでも言いたげな感じだ。性格の悪いタイプの陽キャである。
「えーでもさ、休日に2人で出かけるって相当仲良くない?前も一緒に教室入ってきたことあったよね?」
陽キャ集団もう1人の女性、飯田美久が口を開いて追求してきた。やめてくれ、俺と付き合ってるなんて噂が立ったら、転校早々に千曲の立場が危うくなってしまうではないか。
学校空間は一種の階級社会である。上位カーストの人間と下位カーストの人間が割とハッキリしていて、1軍は1軍と、3軍は3軍とつるむのが『ルール』なのだ。間違っても1軍は3軍と積極的に関わってはいけない、そんなことをしてはたちまち1軍ではいられなくなる。
千曲は転校生なので、これからカーストのどこに配属されるか決まる。当然、既にカーストの低い俺なんかと仲睦まじいことが知られては、上位カーストには入れないだろう。
誰とつるんでいるかでカーストが決まる、学校空間とは、そういった人間の残酷さが如実に現出する空間なのだ。早く逃げてぇ。
「それに、昼休み千曲さんってどっか行っちゃうよね?えーっと、す、須坂くん?も昼休みに見たことないし……」
「えー、それはそのー……」
千曲は飯田美久の追求に回答を窮する。
マズいぞこれは、昼休みに2人で体育館裏で食事をし、あまつさえ千曲が俺の分の弁当を作ってきているなんてことが知れたら、千曲は速攻で3軍行き決定である。組み分け帽子の結果を変えるなら今しかない。
「えっと、なんか邪推してないすか?」
陽キャ4人組の視線を一身に集め、たじろぐ千曲を尻目に、俺は一歩前に出て仲裁に入った。やっぱ関わりのない1軍に話しかける時って敬語になっちゃうよな、なんで同い年なのに敬ってんだ俺は。
「は?じゃすい?え、なに?」
千曲に集まっていた視線が一斉に俺の方へと向いた。お前が喋るんかい、とでも言いたげな表情で大町紗奈が俺を見る。コイツマジで怖いんだけど、なんでこんな威圧的なんだよ。サバンナでライオンにでも育てられたのかよ。
「あー、えっと、端的に言うと俺と千曲はただの友達だ。いわゆる男女の関係は一切ない」
「はぁ、いや、そりゃそうでしょ」
なんだコイツマジで。失礼すぎるだろ本当に、オブラートという概念を知らんのかこの女は。
「今日もお互い本当に暇だったからほんのちょっと買い物をしてただけで、仲良くない全然まったくこれっぽっちも」
「あー、そうなん、はいはいわかった」
ふと、千曲を見やると膨れっ面を浮かべながら俺を睨みつけている。いや、ここでしっかり否定しなきゃ千曲が困るのよ?ここからのキラキラJK生活のためには表向きだけでもモブキャラである俺との関係は否定しないとマズいのよ?
「それに、俺みたいな虫同然のモブキャラが、こんな可愛い女の子から好かれるわけないだろ。まさに豚に真珠、いや誰が豚だ、食卓に並んでやろうか」
「は、はぁ」
おい、この女さっきから散々俺のこと暗に非モテ扱いしておきながら、自虐したらしたでそんな冷たい態度取るのかよ。それとも単純に滑っただけかコレ?
まぁともあれ、俺の自虐空回りムーブによって、見事に俺だけがこの空間内で浮いた存在となり、千曲を切り離すことに成功したわけだ。計画通り。いや、ホントだよ?
「あ、そうだ双葉ちゃん、ウチらこの後カラオケ行くんだけど、どう?」
先ほどのやりとりなど無かったかのように、大町紗奈は千曲に向けて話しかけた。
どうやら俺の自虐空回りムーブは効果覿面だったようで、陽キャ集団はまるで俺なんていないかのように振る舞い始めた。
空気を乱す人間を意図的に全員で無視することで抹殺する、人間社会の非常に怖い部分を目の当たりにしているわけだが、あいにく俺はこういった所業に慣れっこだった。無視されるぐらいお茶の子さいさいである。
そして、こういう時は『スケープゴートを自ずから引き受ける俺マジダークヒーロー、マジかっけえ』とでも思って自尊心を保てば良いのだ。てか、無視されてるんだからそれくらい許してほしい、じゃないと泣いちゃうから。
「えー、カラオケか……」
「うん、双葉ちゃん転校してきたばっかだし、早く仲良くなりたいじゃん?」
千曲は愛想笑いを浮かべながら、チラチラとこちらを見てきた。どうやら、俺の意向を伺っているらしい。
転校生の千曲にとって、ここは正念場である。このカラオケへの誘いは、ひいては1軍への誘いなのだ。さながら、宮殿で開かれる貴族たちの舞踏会への招待状だ。無論、平民の俺には参加資格などない。
俺は一歩引いて、千曲に対してどうぞどうぞというジェスチャーをした。やれやれ、これで俺のせいで千曲に悪評が立ってしまうという寝覚めの悪い展開は防げたぞ。千曲をカラオケに送り出した後、気になってるラノベでも買って帰ろ。
「えーと…雄太くんは?行きたい?」
「……は?」
千曲は少し困り顔をしながら俺に尋ねた。いやいや、俺にその会への参加資格は無いっての。仮に行ったとしても、居ないもの扱いされて終わるだけだし。
「いやぁ、千曲だけで行っておいでよ、俺はもう帰ろうかなって思ってたから」
「え、雄太くん帰るの?じゃあ、私も帰ろうかな」
おい、この子もしかしてアホの子か?完全に俺だけ空気読んでおいとまする流れだっただろ。なにこっちについてこようとしてんだよ。
「え、ウチらとカラオケ行かないの?」
大町紗奈は面食らった顔をして千曲に尋ねた。
マズい、マズいぞ。1軍への誘いを断るということは、即ち地位の失墜を意味する。クラスのモブキャラを優先したなんて尚更だ。『貴族のあなた達ではなく平民の彼を選びます』と言っているようなもので、身分違いの恋と言ったら聞こえは良いが、結局悲劇で終わる筋書きが目に見えている。
俺は下位カーストも友達が少ないのも慣れっこで大した苦ではないが、他人を、千曲をそれに巻き込むわけにはいかない。
「いやぁ、俺のことなんか気にせず、みんなで行ってきな?俺はラノベ買って家で読みたいから、あー楽しみ楽しみ、美少女のエッチな挿絵が特に楽しみ!」
俺がなんとか千曲だけカラオケに行く流れに持って行こうとすると、陽キャ集団の一員である伊那聡だけ、申し訳なさそうに俺に目配せしてきた。
おいやめろ、同情されると惨めになるだろ。普通にカラオケには行きたくねえんだよ、最近の歌とかアニソンしか知らんし。
「うーん……」
「ほら、ウチら双葉ちゃんと仲良くなりたいからさ!」
「そ、そう?」
千曲は俺を心配そうにチラチラと見る。俺だけ置いていくのが忍びないのだろうか。別に心配しなくても、俺は中学の修学旅行で単独行動していたら、知らない間にバスが出発して清水寺に置き去りにされた経験のある男だ。流石にアレは傷ついたけども、せめて担任は気づけよ担任は。
「さて、俺は帰って妹がヒロインのラブコメでも見ようかな。妹とのちょっとエッチな関係がこの世で1番最高だからな、ムホホ」
「ほら、こんなヤツ置いて、ウチらとカラオケ行こうよ!」
俺が最後のダメ押しとばかりにネット掲示板ばりの激キモ発言をかましてフェードアウトしようとした矢先、千曲の顔が曇った。
「その、さ、こんなヤツって言い方は、失礼なんじゃないかしら?」
「……え?」
空気が、変わった。
先ほどまでの遠慮がちな愛想笑いの千曲とは打って変わって、怒りの感情があらわになっている。少しの恐怖があるからか声が震えているが、溢れる感情を抑えられないような感じだ。
「あなた、さっきから級友に対して不遜な態度を取っていたけれど、もう少し礼節をわきまえたらどうなの?もう高校生でしょ?」
え、誰これ?
千曲の雰囲気が完全に変わった。言葉遣いはもちろん、醸し出すオーラも立ち振る舞いも、全てが先ほどまでのものとはまるで違う。
いや、彼女の雰囲気が変わったのは、これが初めてではない。今日1日のデートの中でも、あるいは学校で昼食を取るときも、時折変容する違和感は確かにあった。ユナたそにそっくりのある種『演じている』ような時もあれば、等身大の少女のようなピュアな恥じらいを見せたり、俺と似たような暗澹とした部分が顔を覗かせたり、どうにも振る舞いにブレがあるように思ったものだ。
しかし、これはあまりにも。
「私はあなた達より、彼と親しいの。にもかかわらず、彼を蔑ろにして、私が機嫌を損ねないとでも思った?それとも、自分たちが格上の存在であるだなんて思ってのぼせ上がっていたのかしら?」
「え、ええ……」
「クラスの空気を掌握した程度のことで良い気になって、相手を敬わない態度が板についてしまったのではないの?良い?私たちとあなたたちは対等なのよ?それをゆめゆめ忘れないことね」
千曲の怒涛の舌刀に陽キャも俺も唖然とする他ない。
いったい彼女に何が起こったというのだろうか、あまりにもこの数秒でキャラ変しすぎだって、大学デビューでもこんなにキャラ変しねえよ。
しかし何故だろう、今まで見たどの千曲よりも、これが最も板についているような気がした。
「それと、もうちょっと魅力的な誘いをした方が良いわよ?あなた達のカラオケなんて、お猿さん同然に騒ぎ立てるだけでしょ?雰囲気だけ取り繕って楽しい感じを演出してるけど、中身はくだらないだけじゃない」
「え、えっと……」
「あと私、人を雑にイジって笑いを取ろうとする男嫌いなのよね。なんなの?あの人がお酒を飲んで吐いているところをすぐSNSにあげる連中。身内ノリが薄寒くて見てられないのだけれど。あなた達が将来そういった人にならないことを祈っているわ」
あ、あんまりだ。
千曲のマシンガンのような毒舌に、陽キャ達はたじろぐほか無いと言った様相だった。
もちろん、千曲の言い草には多少胸がすくところもあった。スクールカーストに閉塞感を感じていた陰キャの俺にとっては、代弁者が現れたような爽快さがある。
しかし、こうなっては、もう千曲は。
「そもそも、彼は私の立場を慮ってわざわざあんな気持ちの悪い発言をしたのよ。私を切り離して自分だけピエロになろうとしてね。そういう彼の不器用な優しさに気付きもせず、あなたたちは……」
「おい千曲、もう良いだろ……」
歯止めの効かなくなってしまっている千曲の手を引っ張り、俺はゆっくりと首を横に振った。千曲は俺の顔を見るや、少し悔しそうに口をつぐむ。
もう、手遅れだということはわかっていた。
「へ、へー、なんか意味わかんないけど、ウチらだけでカラオケ行くわ!ね、聡!」
「あ、あー!そうだな」
凍りついた雰囲気の中、4人組は少し早足でその場を後にしていった。大町紗奈は苦虫でも噛み潰したような仏頂面を浮かべている。こっわ。
再び2人きりになったラノベコーナーに思い沈黙が流れる。まるで重力が強くなったかのように、全身に重みがのしかかった。
界王星ってこんな感じかな、ここで修行すれば強くなれそうだな、などと俺が現実逃避をしていると、千曲が伏し目がちに口を開いた。
「ごめん……」
「……なんで千曲が謝るんだよ」
そう、彼女が謝ることなんて何ひとつない。むしろ、蔑まれる俺の代わりに、陽キャ集団の鼻っ柱をへし折ってくれたのだ。感謝しても良いくらいである。
俺は何一つ失っちゃいない。しかし、俺のために、千曲は。
「……やっぱ、俺なんかとは関わらない方が、いいよ」
「……え?」
「だから、俺なんかを庇ったら千曲の評判を下げるだけだろ。そもそも、俺はああいう扱いには慣れてるんだよ。千曲が俺を守んなくても、俺は平気なんだよ」
「でも……」
「まぁ、伊那あたりに謝りにいって計らって貰えば、まだ挽回のチャンスはあると思うぞ。千曲は可愛いから、それだけで男子は味方につくしな。ともあれ、これ以上評判を下げないためにも、もう俺とは関わらない方が良いぞ」
俯き続ける千曲を横目に、俺は重苦しい空気に耐えかねてスマホを開いた。
「まぁ、いちおう伊那の連絡先だけ知ってるから、ここに千曲から連絡して……」
「……こそって」
「ん?」
俺がスマホのメッセンジャーアプリを開き、千曲に伊那の連絡先を教えようとした時、千曲はポツリと消え入りそうに呟いた。
「今度こそって、今度こそって……」
「お、おい……」
俺はどう振舞って良いかわからなかった。千曲が、泣いていたからである。
「また、迷惑かけちゃったのね……」
「め、迷惑って……」
俺がしどろもどろになっていると、千曲は手で涙を拭い、バッグを肩に掛け直した。
「ごめんなさい、今日は帰るわね」
「あ、ああ……」
千曲は顔を伏せながら小さな歩幅で駆けて行く。俺はただそれを立ち尽くして見ていることしか出来なかった。
何故だろう、その寂しげな後ろ姿を、いつだったか見たような気がしたのは。




