デート4
「Lの12だって、あったここだ!」
俺たちは映画館のシアタールームの薄暗がりをキョロキョロと探索しながら、指定された座席に向かう。座席は後ろの方の真ん中より少し右寄りだった。
「へー、結構いい席じゃん!ね!」
「うん、まぁ、大概どの席も一緒だけどな」
「そこは『そうだね』の一言で済むと思うんだけど!」
「どうだ?コレが俗にいうモテない男の会話だ。勉強になるだろ」
「そんなことを自慢げに言われても!それに、男の子が女の子との会話を勉強することはあっても、女の子がモテない男の子との会話を勉強することなんてないし!それ需要ないし!」
どうやら、もう俺の外面もだいぶ剥がれ落ちてしまったらしい。その気になれば、俺だって上っ面の同意も共感も肯定も出来るのだが。いや、本当だよ?動画サイトで恋愛テクの動画とかつい見ちゃうタイプだし俺、アウトプットの場がないだけで。
「どうやって女の子と会話してきたの今まで……」
「それは、ムスリムの人に『どうやって豚を食べてきたの?』って聞くようなものだぞ」
「雄太くんにとって女の子って禁忌なの!?神への背徳なの!?」
ムスリムわかるんかいこの子。
ちなみに、俺の通っている高校はそこまで偏差値が高いわけではない。俗にいう、自称進学校というやつである。例えば、俺がこの前世界史の授業のグループワークでムスリムの言葉を出した時『なんか細そうだね』と言ったやつがいた。スリムに引っ張られすぎだろ。
「ほら、もう映画始まるぞ、くだらないこと言ってないで、静かにな」
「くだらないこと言ってたのそっちだと思うけど……スマホの電源ちゃんと切った?」
「え、ああ、うん」
「ちゃんと切って!あと、そんなふうに荷物抱えてたら見ずらいでしょ?こっちに荷物入れあるから入れな?ほら貸して!」
「あーもうオカンか!はいはいわかったって!」
俺は甲斐甲斐しく世話を焼いてくる千曲に抱え持っていたカバンを預け、ポケットからスマホを取り出して電源を切った。
別に電源切らなくても誰からも連絡なんてこねえよ俺に。たまに、『無理www』とか『しぬwww』とかいう偏差値2くらいの文言と共に、姉から動画サイトのリンクが送られてくるくらいである。
「なんか、こうやって雄太くん嗜めてるの、カップルって感じがして、楽しい」
「嗜めることにカップル感じるのやめてね。俺が尻に敷かれる予兆がプンプン匂うから」
「そういうの好きでしょ?」
「誰がマゾヒストだ」
「そこまで言ってないし!はい、もう始まるから静かにね」
床をかろうじて照らし出していた薄明るい照明さえも消え入り、いよいよスクリーンに光が灯った。俺は、この別世界に入り込んでいくような演出がなんとも趣深いと思う。俺が千利休なら座席で茶を立て始めちゃうレベルで趣深い、そんなことしてたら多分出禁だけど。
なだらかな時間が流れた。恋愛映画の内容はやはり予想通りで、なんの裏切りもなかった。そりゃ、メインターゲットの女子中高生は主演俳優目当てで見に来てるわけで、裏切りなんて期待していないのだから、これが妥当であろう。主演俳優が急に殺害されたら俺は面白いけど、全国の女性ファンは阿鼻叫喚だろうからな。
主演俳優が映えるように、当然の如くキュンキュン?するようなシーンの連続である。なんだよキュンキュンって、パンダの名前かよ。
「……」
「……!」
終盤のお約束キスシーンに差し掛かって、シアタールームの端々からキャッという小さめの黄色い歓声が上がるなか、俺はなんだか恥ずかしくなって画面から目を背けてしまった。
ふと、隣の少女と目が合う。どうやら、千曲も同じタイミングで顔を背けたらしく、偶然にも見つめ合う格好となった。
手に、温もりが触れた。それは細くて、柔らかくて、温かくて。俺のよりもひとまわり小さい。
手だ、女の子の手だ。俺は指の感触からそれをわかった。心臓の鼓動が早鐘を打つ、恥ずかしいからだろうか、俺は自らの手に視線を落とすことが出来なかった。
少しずつ、少しずつ指と指が絡み合っていく。俺は千曲から視線を外すためにスクリーンに目を戻したが、こっちはこっちでまだキス中だったので、再びゆっくりと千曲の方に顔を向けた。
先ほどよりも、しっかりと目線が合った。スクリーンの青白い光を受けた千曲の顔は、その色味ゆえかいつも以上に妖麗に、そして儚げに映った。
千曲の小さな手が、俺の手を包み込み、指と指が絡まってしっかりと握り合った。いわゆる、恋人繋ぎ、とか呼ばれる形だ。千曲は潤んだ瞳を向けながら、少し寂しげな表情で、ゆっくりと小首を傾げる。
はい、アウト。
「……!」
俺は慌てて少女と握り合っていた手を振り解き、自分の胸の辺りまで寄せた。あぶねー、完全に籠絡寸前だった。喉元にナイフが当たっているような、まさに危機一髪。
俺が冷静さを取り戻さんと心頭滅却していると、千曲は膨れっ面をしながらジトっと視線をぶつけてきた。いや、あの反応は当たり前だろ。映画館でキスシーン中に手を繋ぐとか、もう反則だろ。俺が審判なら一発レッドで退場させてるよ。
俺が籠絡されてたまるかの意を込めて顰めっ面をして見せると、千曲は諦めたように眉尻を少し下げて微笑した。
「いやー、面白かったねー!」
シアタールームから出て、千曲は両手を上げて伸びをしながら言った。
「予定調和だったけどな。もう見たことある展開ばっかだったけどな」
「それがお約束で良いんじゃん!というか、これ選んだの雄太くんでしょ!」
「あーそうだっけ?まぁ、内容はともかく、映画館デート気分を満喫できたという点においてはこの映画に感謝だな。とはいえ、さすがにアレはやり過ぎだと思うが……」
「ん?」
簡易なストレッチを終えて、千曲が俺の方を振り返った。
「……いや、だからその、アレだよ」
「ん?アレってなに?」
俺が羞恥心から言明を避けてモゴモゴしていると、千曲は人差し指を顎に当てながらわざとらしく大きめに首を傾げた。
絶対わかってるだろコイツ、とぼけ方があまりにもバレバレすぎる。しかし、こんなあざとさしかない仕草にすらどこか気持ちが揺れ動いてしまうあたり、美少女という生物の罪深さを感じる。
「だから、その、手!手だよ手!」
「ん?手がどうしたの?」
「どこまでも俺に自分で言わせたいようだなくそ……だから!キスシーンの時手を繋いできただろ!アレは映画館デートとはいえやり過ぎだ!」
俺が恥ずかしさから少しだけ目を逸らして言うと、千曲は右手を口元に当ててニヤニヤした表情を浮かべる。
「どう?ドキドキしたでしょ?」
「くそ、純朴男子高校生のウブな気持ちを弄びやがって!するだろそりゃドキドキ!こっちが未経験だからチョロいと思ってるだろ!」
いや、まぁ実際チョロいんだけど。あんなに籠絡されまいと気を引き締めたのに、全然陥落寸前だったんだけど。
「未経験なのはこっちも一緒だし!弄ぶっていうより、好きになって貰うためにできることをしたってだけだし!それに……」
千曲は少しだけ顔を赤らめて、伏し目がちになりながら呟く。
「私だって、ドキドキしたし……」
ねえ、なんでそんなこと言うのこの子、好きになっちゃうからマジでやめてほしい。
歴史に残る故事には、王が美女に懐柔され、そのせいで悪政が行われ国が傾くという話が多くある。その美女のことを文字通り『傾国の美女』と呼ぶわけだが、千曲は世が世なら確実にソレに値しただろう。俺は世が世でも王じゃないけどな。くそが。
「でも、映画見る前に言ったでしょ?」
「何を?」
「覚悟してね、って」
千曲はチラとこちらに視線を向けると、恥じらいの余韻を感じさせつつ、それでもまたこちらを手玉に取るような笑顔を見せた。
覚悟、か。仮にソレをしていたとて、きっとあの眼差しには心奪われかけただろう。お約束も、予定調和も、王道も、きっと多くの人の心を動かすからこそ世に跋扈しているのだ。ライブでのアンコールも、女子中高生向けの恋愛映画も、キスシーンで手を繋ぐのも、ありきたりで陳腐だと思っていたが、いやむしろそれゆえに、なかなか捨てたものではない。それを今、身をもって感じさせられてしまった。
なかなか悔しい話だが、千曲によって自分が少しだけ、ほんの少しだけ変わったような気がした。




