デート1
人生には、全てのものごとに初めての日が存在する。
初めての日、というものは実に重要視される。入学式やら入社式やら、初めての日には式典すら付いてくることがあるほどに、新鮮で、フレッシュで、期待が込められ、一抹の不安を感じさせる、それが初めての日。
しかして、現代社会において特にこの初めての日が強調される事柄がある。異性間交遊、端的に言って恋愛である。
手を繋いだ初めての日だの、キスをした初めての日だの、そういう事をした初めての日だの。マウスの右クリックを使った初めての日なんて誰も覚えていないのに、改札を通ろうとしたらチャージしてなくて足止めされた初めての日なんて誰も覚えていないのに、こと恋愛においての初めての日というのは特別視される傾向にある。それこそ、その日を、その瞬間を跨ぐ前の人間に、童貞や処女といった呼称が付く程度には。
「なんで処女作なんだろ、俺が初めて書く小説は童貞作と呼ぶべきなんじゃ?俺男だし」
どうでも良いことを考えていた。なんてことはない、普段休日に家でゴロゴロしながら考えるような取るに足らないことを、今日も今日とて考えていた。しかし、いつもと違うことがあるとすれば、ここが家ではないということだった。
多くの人が行き交う駅前に建てられた、ありふれたデザインの時計台の前。土曜日とあってか人は多く、平日のせわしない雰囲気とは対照的に人々はゆったりと朝の時を過ごしている。
ここで待ち合わせをするなんて、それこそ初めてのことだった。地方の中核駅たるこの駅前には、しかして都会のワンコのようなあまねく知られているほどのシンボルは無く、なので大概はこの時計台の下で待ち合わせをするのである。なんとも地方密着型の俗っぽい慣習だが、今日ばかりはそれさえ小気味よい。なぜなら。
「おまたせー!」
ふと顔をあげると、向こうからこちらに手を振りながら走ってくる美少女の姿があった。
そう、今日は人生初めてのデートの日である。きっとこの日は、いくつかの重要な初めての日の一つに数えられることだろう。
「ごめんね、十分前には着こうと思ってたんだけど、いろいろ準備に手間取っちゃって!待った?」
千曲は少し息を切らして両手を膝につきながら俺を少しばかり見上げる形で尋ねた。
待ったかどうか。そりゃ先に着いてるんだから待ったに決まってるだろ、なんて無粋なことを言うほど俺もアホではない。それに、未だ集合時間五分前、ソワソワしすぎて二十分前には到着してしまった俺を待たせないことなど不可能なことである。
「いや、待ってねえよ」
まさか、この風の噂で耳にしたことがあるだけの、大変陳腐なデートの常套句を俺が言う日が来るとは。神様ありがとう。
「そっか、良かった!でも、本当は私が先に着いてたかったのに!次は絶対私が先に着く!」
「無理すんなよ、女の子はいろいろ準備があるんだから、仕方ないだろ」
マニュアルみたいな定型文を言った。ネットで拾ってきただけの、心にもないことを言った。
無論だが、女の子のいろいろな準備の『いろいろ』の中身を、俺は全く知らない。朝ちょっと顔を洗うだけの、なんなら洗わない時すらある俺が、女の子のデート前の準備なんて知るよしもない。
「それでも!私がどれだけ今日を楽しみにしてたか!あーもう先に着けなかったなんて不覚!」
「不覚って、別にどっちが早く着くか競争してるわけじゃないんだから」
「そうだけどさ!待ち合わせ場所探してキョロキョロしてる雄太くんを見つけて、おーいこっちだよって手を振るの、やりたかったのに!家でシュミレーションしてきたのに!」
「そんな練習必要ねえだろ。それに、おまたせーって向こうから走ってくるっていうお決まりの展開は出来たんだし、それでも良くないか?」
「まぁ、確かに、それもそっか!どのみちコレもやってみたかったし!」
やってみたかったんかい。そんな使い古されたフィクションの一幕をやりたいだなんて、ずいぶんとメルヘンなところがあるらしい。
「じゃあ、とりあえず行こうか」
「え!?」
「え?」
待ち合わせ場所で立ち話もなんだしと、俺が歩き出そうとすると、千曲は眉を八の字にして落胆したような声を出した。え、俺なにか間違えました?
「え、どうした?」
「……」
千曲は視線を少し逸らして、何かを察しろと言わんばかりに右手で髪の毛をクルクルと遊ばせた。
白のダボっとした半袖Tシャツ。半袖と言ってもオーバーサイズなので膝までしっかり隠れている。左胸の部分には何やらロゴが入っており、右肩が出ていて黒のインナーがそこから顔を覗かせている。下は黒のフリフリ抑えめのミニスカート。そこから純白の太ももが……いかんいかん。
ファッションにものすごく疎い俺はこういう服を何というか知らないが、いわば軽音部の女の子みたいな、サブカルチックな見た目だった。
「……どう?」
そういえばユナたそも三巻とかでこんな格好してる挿絵があったなー可愛いなー、などと目の前の少女と俺のヒロインの偶然の一致に惚れ惚れしていると、千曲は少し不安げに尋ねてきた。
あ、なるほどそうか。子曰く、デートの時はおなごの服装を褒めるべし。かの孔子も論語で言ってた気がする。いや、言ってないかも。
つまり、俺がそのオシャレになんの言及もしなかったので、千曲は落胆の声を上げたというわけだ。なんたる不覚だろうか。出会い頭に女性の服装を褒めるなど、さすがにデート未経験者の俺でも免責されないほどの当然の行動だというのに。
「えー、その、まぁ、えー」
「……うん」
こういう時は、その姿を麗しいと思っていると過不足なく伝えてしまえば良い。つまり『かわいいね』と一言言ってしまえば良いのだ。わかってる、わかってんだけどね?
「その……似合ってるんじゃないか?」
俺にはこれが限界だった。かわいいね、なんて小っ恥ずかしい発言はあまりにも不慣れで言うことが出来なかった。てか、これを恥ずかしげもなく女の子に言えるやつなんなんだよ、歌舞伎町のホストか。
「ほんとう!?似合ってる似合ってる!?」
「うん、ホントホント、俺本当のことしか言わない男だから、サンタさんは架空の存在だよって子供に教えちゃうくらい本当のことしか言わないから」
「そこ一番本当のこと言っちゃダメなとこ!本当に似合ってるって思ってる?」
「思ってるよ、マジマジ」
「じゃあもう一回言って!似合ってるよって!」
千曲は身を乗り出して催促する。相変わらず距離感近いよこの子。
そりゃ、理想のラノベヒロインを重ねてしまうほどの美貌の少女が、なんのイタズラかヒロインの挿絵と同じような装いで現れたのだ。似合ってないわけがないだろ。今目の前に海があったなら、『可愛すぎだろチクショー!』という喜びの恨み節を叫んでいること間違いなし。
しかし、案外というか、案の定というか、異性との会話経験が酷く少ない俺にとっては、女性に対しての歯の浮くような白々しいおべっかでさえも気恥ずかしいものがあった。
「さっき言っただろ」
「もう一回聞きたいの!アンコール!アンコール!」
「俺は歌手じゃないからアンコールは受け付けてない!そもそも、あのライブとかコンサートの予定調和なんなんだ?どうせもう一曲歌うんだから勿体ぶらずにスッと出てこいよ」
きっと歌手側もアンコールされる前提で入念に準備しているのだろうが、もし観客がアンコールせずに帰宅し始めたらどうするのだろう。ちょっと見てみたい気もする。
「もう、雄太くんはロマンがないなー。紋所を見せたり、廃校になりそうな学校を救ったり、誰かの死で主人公が覚醒したり!そういう『お約束』って結局みんな求めてるものなの!ライブでのアンコールもそう!」
「そんなもんかねー。てか、紋所はともかく、他二つだいぶ二次元的なお決まりの展開じゃねえか。よく知ってんなそんなこと」
「まぁね!いろいろ勉強したから!」
「勉強って……」
そんなもん勉強して一体何になるんだ。好きだった結果として知識がついたならともかく、二次元文化の勉強するくらいなら英検の勉強の方がよほど役に立つだろうに。入試で使えるし。
「あ!話それてる!似合ってるって!もう一回!」
「……に、にに、似合ってるよ……」
あまりにも女慣れしてなさすぎるだろ俺。こんな軽口も叩けないようでは、ヒモなんて夢のまた夢ではないか。はぁ、将来は巨乳のOLさんの家に転がり込んで養ってもらいながらラブラブ生活を送るぞ!と、夜な夜な妄想していたというのに。
「えへへ、でしょ!」
千曲は少し顔を赤らめながらも自慢げにそう言って、後ろで手を組んで首を傾げた。この子やはり、アニメのヒロインのような所作をする。わざとらしいとさえ言えるほどにデフォルメされた振る舞い。まぁ、結局可愛いんだけど。
「さ!どこ行くどこ行く?雄太くんと一緒ならどこでも良いけど!」
「なんだそのありふれた歌詞みたいな物言い。中高生に人気のバンドか」
「なら余計良いじゃん!私たち中高生なんだし!」
「いや、俺はむしろそういうのあんま好きじゃねえんだよ」
中高生に人気の!という触れ込みでアーティストやらアイドルやらがメディアに登場するたびに、本当かよ俺中高生だけど全然知らねえよこの人、って思うんだよなぁ。まぁ、それは俺が同年代の友達少なくて世俗に疎いからなんだけどね。
「まぁどこでも良いってのは助かるな。だったら、俺の行きたい場所に着いてきてほしい」
「うんうん!行こう行こう!」
俺が目的地方面に向かって歩き出すと、千曲はその後をトコトコと着いてきた。うわぁ、今俺町を女の子と一緒に歩いちゃってるよ、しかもユナたそと瓜二つの美少女と。周りから見たらカップルに見えるのだろうか。
いよいよ、人生初のデート開幕である。俺はこの状況の現実感の無さにフワフワしながら、しかしてこのデートで千曲の謀略を暴くことになるやもしれないという不信感にピリピリしながら、ニコニコと付いてくる千曲を尻目に駅前を後にした。




