カフェ談合1
本屋というのは実に良い空間だ。商業施設だというのに喧騒とは無縁で、各々が粛々と目的の品を手に取る。聴覚的には情報量が少ない一方で、対照的に視覚的には大量の情報が飛び交っている。各コーナーには目を引くポップやら、ある時には著者のサイン色紙なんかが置かれていて、なんとかこちらの気を引きつけまいと興味をそそるように作られている。静寂の中で派手に飾り付けられたオススメコーナーなんかを見ると、やはりここが商業施設なのだと思い出させられる。俺はそんな売り手の工夫にまんまと吸い寄せられ、しかしてそれが存外嫌な気分でもないのである。
その中でも、特に俺のお気に入りのコーナーが、ライトノベルのコーナーだ。ラノベの表紙やら背表紙やらは様々な本の中でもとかくセンセーショナルなイラストが添えられている。なんせかんせ美少女の表紙の多いこと、なかには豊満な乳房の谷間なんかがあらわになっているなんとも刺激的なイラストまであり、立ち寄るだけでなかなかどうしてワクワクしてしまう。美少女とかおっぱいが嫌いな男なんていないのだ、自分は当然そのうちの1人なので、一冊一冊手にとっては胸を弾ませる。
「おー、新刊出てる、どうしよ買おうかな」
ずいぶん前に読んでいたラノベの新刊を手に取り、表裏を入念に見る。ビニールに包まれた本がテラテラと光を反射した。もう前の巻の発売から2年も経っており、次はいつ出るのかとファンの間で些か不穏な雰囲気になっていた作品だった。数年新刊が出なかった作品が急に出版されるのはラノベあるあるみたいなものである。
「うーん、正直もう内容あんま覚えてないんだよな、旬すぎてるし……」
作家には当然産みの苦しみがあるのだろうが、そんなことを推し量って一向に新刊が出ない作品を密かに応援し続けるほど読者側も健気ではない。日々たくさんの面白そうなラノベが続々出版される昨今、興味の矛先が時間の経過とともに変容してしまうのは摂理みたいなものである。
「まぁ、いいや、他の新作で気になるやつあるし」
誠に読者とは有難くも残酷なものであると、我ながらそう思った。
「おー、やっぱりね、いたいた」
俺がしゃがみ込んで平積みの新作たちを覗き込んでいると、後ろから女性の声が聞こえた。おい、本屋であんま喋んなよ、それにこんなところで待ち合わせしてるなんてマナーがないぞ、いったいどんな家庭で育ったのやら。
「おーい」
俺が迷惑客に苦虫を噛み潰しながらラノベ漁りを続行していると、ふいに肩をポンポン叩かれた。ギョッとして振り返ると、そこには迷惑客、補足情報を付け足すと見知った顔の女性が、手を小さく振って立っていた。
「ね、姉ちゃん……」
「おい、なんだねその嫌そうな顔は、ピーマンが食卓に並んだ時の5歳児みたいな顔して」
俺の苦渋の表情をそんなふうに例えると、姉は俺の隣にしゃがみ込んでひそひそ声で喋り始めた。
「なんか買うの?」
「うーん、どうだろ、とりあえず学校帰りに寄ってみただけだからな」
「あーわかる、私もとりあえず服見にお店入っちゃうもん、ウインドショッピングってやつ?」
「ウィンドウショッピングな。風でも買うのかよアンタは」
「そだっけ?まぁ、どっちでも良いでしょ」
姉は物珍しそうに周囲をキョロキョロと見渡し、目の前に平積みにされたラブコメラノベを手にとって訝しげに見つめる。どうやらやはり、ラノベとは縁遠い人生なようで、初めて見たものに恐る恐る触れる幼児のような所作である。
「ふーん、なんか、可愛い女の子の表紙が多いね。この子なんてホラ、スカート超短い」
「まぁ、メタなこと言うとこういう男心をくすぐる刺激的な表紙の方が昨今売れるからな、2次元の女の子はスカートも短いし、胸の谷間も出てるんだよ」
「へー、お姉ちゃんこういうのにはメッキリ疎いからさ。でも、雄太はラノベ沢山持ってるからだいぶオタクなのかなと思ってたけど、案外こんなおっきなコーナー1つが全部ラノベコーナーなんだね。いっぱい好きな人いるんだ」
この人は生まれてこのかたオタク文化を通って来なかったようで、アニメなんかにも微塵も興味を示さない。まぁ、そんな文化圏の人からすれば、意外とラノベの経済圏というのは大きいものであるということなんて知る由もない話なのだろう。服に一切の興味がない俺はオシャレに尋常ならざる熱量のあるこの姉が奇人に見えるが、それは逆もまた然り。ラノベをかき集める俺のことがさぞこの人からしたら奇人、いわゆるオタクに見えたことだろう。まぁオタクなのは事実だが。
「アニメとかラノベとか、もはや日本が世界に誇るカルチャーだからな。アンタが思ってるよりかは、もうすでに大衆文化なんだよ」
「なるほどねー、確かに最近女の子もアニメマンガ好き多いからなー、私もこういうの読んでみようかなー」
「別に無理するもんじゃないぞ、今の日本社会なんて娯楽は山ほどあるんだし、自分が好きなモノを選んで受容すれば良いんだ」
「確かに!じゃあ読まない!」
「そうハッキリ言われると、ちょっと釈然としないんだけど……」
この人はどうやら本当に2次元コンテンツに興味がないらしい。本当に俺と血が繋がってるのか?
しかし、姉が2次元コンテンツを受け付けないのと同様に、2次元コンテンツ側も姉の存在をなかなか容認できないようで、オフショルジーパン陽キャ女子大生はラノベコーナーにはあまりにも似つかわしくなく、例えば都会のビル街をゾウやらキリンやらサバンナの動物が我が物顔で闊歩しているような状況と同等の不自然さがあった。
「てか、そもそもなんでこんなとこにいるんだよ、まさかラノベが目的ってわけでもないだろ?」
「あーね?家帰ったら雄太いなかったから、ここ来たらいるんじゃないかなって。いっつも本屋寄ってるイメージあるから、ここいなかったら駅前のゲーセンかなって思ったけど、先こっち来てよかった」
「え、わざわざ家からまた出てきたってこと?俺を探して?一体なんの用事だ?もうパソコンの設定だとかの雑用はごめんだぞ」
この人は案の定というべきか機械系にとても疎く、しかして大学はオンラインの授業なんかもあるようで、何かにつけてやれワードが開かないそれパワポがバグったなどと言って俺を頼ってくる。その度に俺が手を貸してやっているのだが、そろそろ高校生に助けてもらってることに大学生として危機感を抱いてほしいものだ。とはいえ、躊躇なく人を頼れるうえにどこか憎めないところがこの人の良さだったりするわけなのだが。
「違うよ!ほら、昨日の件!今日もその告白してきた女の子と会ったんでしょ?続報続報!」
「あー、なるほどな……え、それ聞くためにわざわざ本屋まで来たの?」
「あったりまえでしょ!それ気になって気になって今日全然大学の授業集中できなかったんだから!おかげで教授にあてられたとき話聞いてなくて何も答えられなかったんだからね!」
「知るか!それは自業自得だろ!」
弟の色恋沙汰に興味ありすぎだろこの人。どっから来るんだよその下世話な熱量。
「昨日協定結んだでしょ!雄太が籠絡されないためにも私に逐一何があったか経過を報告するって!」
「本屋くらい寄っても良いだろ!一晩経っても全然興味削がれてないじゃんアンタ!」
いっつも話し始めて2秒後には会話の議題への興味がなくなってるような人なのに、今回ばかりは相当に気になっているようだ。
「で!何かあったの!進展は!」
「まぁ、あったけど……」
俺がモゴモゴとそう言うと、姉はたちまちギラギラと目を輝かせて身を乗り出してきた。いち家族として、この人にはもうちょっと社会情勢とかにも興味を持っていただきたい。
「マ!ジ!で!?何があったの何があったの!?」
「あーもう鬱陶しい!ここ本屋だから!他のお客様のご迷惑になりますので!」
俺が姉を腕で払い除けて嗜めると、姉はすっくと立ち上がって肩からかけた小さい小物入れみたいなバッグをしっかりと再度かけ直し、出口の方を指差して言った。
「よし!話しやすいとこ行きますか!カフェ行こカフェ!そこならゆっくり話せるでしょ!」




