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第218話 一週間の焦燥と証明

 

 あの日、叔父さんの家で夕食を囲んでから、早くも一週間が経過していた。  鉛色の雲が垂れ込める空の下、俺たちを乗せた叔父さんの車は、国道を北へと走っていた。


 助手席には俺。  後部座席には、ヒナルと、仕事に向かうついでに送ってくれるという叔父さん(運転中)。  そして、天井付近に体をめり込ませながら浮遊している幽霊のアレックス。


 俺は、首元のネクタイを少し緩め、息を吐いた。  今日の俺の服装は、いつものジャージではない。  叔父さんが「若い頃に着ていた勝負服だ」と言って貸してくれた、ダークグレーの背広スーツだ。  サイズは合っているはずなのだが、異世界で鍛え上げすぎた広背筋と大胸筋が悲鳴を上げており、少し動くと背中の生地がミシミシと音を立てる。


「……慣れないな、この格好は。鎧の方がよほど動きやすい」


 俺が苦笑すると、叔父さんがハンドルを握りながら笑った。


「ははは、よく似合ってるよ。レイジ、お前この一週間、家でも筋トレばっかりしてたからな。俺のスーツが弾け飛びそうだ」


「すみません、破かないように気をつけます」


 車窓を流れる景色は、徐々に賑やかな商業エリアから、無機質で整然としたビルが並ぶ「官庁街」へと変わっていく。


「……それにしても、やっとだな。一週間、長かった」


 俺が呟くと、叔父さんがバックミラー越しに頷いた。


「ああ。DNA鑑定の結果が出るのに時間がかかったからな。でも、待った甲斐はあったよ。……ヒナルちゃんの分も含めて、完璧な結果が出たからな」


 そう、この一週間、俺たちはただ遊んでいたわけではない。  俺は自分の髪の毛と爪を採取し、叔父さん、コウ、そしてヒナルの検体と共に専門機関へ提出していたのだ。  俺が「菅レイジ」本人であること、そしてヒナルと「実の兄妹」であることを科学的に証明するために。


(お兄ちゃん……。ふふっ、嬉しいな……♡)


 後部座席から、ヒナルが俺の座席の背もたれ越しに小声で囁く。  彼女の声は弾んでいた。


「……静かだな」


 俺はふと、窓の外の気配に意識を向けた。


「ん? そうか? ここは役所やオフィスが多いからな。駅前みたいなガヤガヤした感じはないよ」


 叔父さんが答えるが、俺が言っているのは騒音のことではない。  魔素マナの気配だ。


 先日探索した駅前(南側)には、明確な「黒い楔(魔導装置)」による魔力の汚れがあった。  だが、この北側エリアはどうだ。  清浄……ではない。だが、濃度が極端に低い。


(お兄ちゃん……。感じる?)


(ああ。……薄いな。薄すぎる)


(ウン。昨日ノ駅前ミタイナ、呼吸スルノモ嫌ニナル感ジハ無イデスネ。……ドッチカッテ言ウト、病院ノ待合室ミタイナ……無機質デ、冷タイ感ジ?)


 アレックスがあくびを噛み殺しながらコメントする。  そうだ。ここには、爆発的な魔力の反応はない。  敵の「本丸」があるなら、もっと強烈な反応があるはずだ。ここは本拠地ではないのか? それとも、巧妙に隠蔽されているのか。


 俺は微かな違和感を抱いたまま、目的地である「家庭裁判所」を見上げた。



………。

……。

…。



 【某地方家庭裁判所】


 重厚なコンクリート造りの建物。  その威圧的な門構えは、ここが法の番人が住まう場所であることを主張していた。  俺たちは駐車場に車を停め、受付で入構手続きを済ませて中へと入った。


 廊下は静まり返り、コツ、コツ、という俺たちの革靴の音だけが響く。  すれ違う職員たちは皆、書類の束を抱え、忙しなく動き回っている。  平和な日本の、極めて現実的な行政の現場。  俺は《魔力感知》を広げたが、やはり建物内からも、強い魔力反応は返ってこない。ただ、微細な埃のような魔素が、空気中にうっすらと漂っているだけだ。


「……ここだ。家事審判の受付窓口は」


 叔父さんが足を止め、ノックをして扉を開けた。  中には、事務机が並ぶ殺風景な部屋と、眼鏡をかけた真面目そうな中年男性の書記官が座っていた。


「はい、どのようなご用件でしょうか?」


 書記官が事務的に顔を上げる。  叔父さんが一歩前に出て、緊張した面持ちで言った。


「あの……以前電話で相談させていただいた、すがです。16年前に失踪した甥の……**『失踪宣告の取消し』**の申立てに参りました」


「ああ、菅さんですね。伺っております」


 書記官の視線が、叔父さんから俺へと移る。  スーツを着こなし、堂々と立つ20歳の青年。  その目が、微かに見開かれた。


「……そちらが、ご本人様ですか?」


「はい。……菅レイジです」


 俺は背筋を伸ばし、深く頭を下げた。  礼儀正しく、しかし眼光には歴戦の戦士としての深みがある。それは、ただの若者には出せない雰囲気だった。


「……なるほど。確かに、お電話で伺っていた特徴と一致しますね」


 書記官は咳払いをし、手元の書類を広げた。


「では、手続きに入ります。……レイジさん。あなたは法律上、7年間の生死不明期間を経て、一度『死亡した』とみなされています。今回は、その戸籍上の死を取り消し、あなたが生きていることを法的に証明する手続きとなります」


「はい。理解しています」


「では、こちらの申立書に必要事項を記入してください。……それと、ご本人であることを証明する資料は?」


「これです」


 俺は持参した鞄から、証拠の品々を取り出した。  4歳当時の幼稚園の連絡帳。  失踪時に持っていた、母親との写真。  そして――


「……それと、これが一週間前に提出した、DNA鑑定の正式な結果報告書です」


 叔父さんが自信を持って、分厚い封筒から一枚のレポートを提出した。


「甥のレイジの髪の毛と爪、そして私と私の息子コウ、さらに……ここにいる実の妹であるヒナルのDNAを照合したものです」


 書記官がそのレポートを受け取り、数値を食い入るように確認する。  そこには**『血縁関係が存在する確率は99.9999%』**という、極めて高い数値が、全ての項目において記されていた。


「……完璧ですね」


 書記官が唸った。


「叔父様との血縁はもちろん、妹さんとの『全きょうだい』としての判定も確実に出ています。……写真、筆跡、身体的特徴、そしてこの高精度のDNA鑑定。ここまで揃えば、疑う余地はありません」


「……よかったぁ」


 俺の背後で、ヒナルが感極まったような声を漏らした。  振り返ると、彼女は自身の胸の前で手を組み、恍惚とした表情で俺を見つめていた。


(聞こえた? お兄ちゃん……。証明されたよ。『99.9999%』……。私たちの体には、同じ血が流れてる。科学も、法律も、神様も……誰も否定できない、絶対の絆だよ……♡)


 ヒナルの瞳が潤み、熱っぽい光を帯びている。  その重すぎる愛に、俺は苦笑しつつも、温かい気持ちで頷いた。


「しかし……」


 書記官は眼鏡の位置を直し、俺をじっと見つめた。  ここからが本番だ。裁判所として、どうしても聞いておかなければならないことがある。


「レイジさん。……16年間、一体どこにいらっしゃったのですか? なぜ、今まで連絡が取れなかったのですか?」


 部屋の空気が張り詰める。  俺は、スーツの膝に置いた拳を軽く握り、用意していた「真実に限りなく近い嘘」を口にした。


「……誘拐、でした」


「誘拐?」


「はい。4歳の時、何者かに連れ去られ……気がついた時には、日本ではない、海外の紛争地域にいました」


 俺はワイシャツの袖のボタンを外し、腕を捲り上げた。  そこには、無数の古傷が刻まれている。  書記官が息を呑む。平和な日本でスーツを着て働く人間には想像もつかない、刃物や爆風による生々しい痕跡。


「戸籍もパスポートもない私は、その地で生き延びるしかありませんでした。……言葉も分からず、今日食べる物にも困る生活の中で、自分の名前だけを頼りに生きてきました」


 俺の言葉に、嘘はない。  異世界アスガルドは、俺にとって過酷な戦場だった。


「16年かかりました。……生き延びて、少しずつお金を貯めて、身分を偽って国境を越え……ようやく、日本に辿り着いたんです」


「……っ」


 書記官が目頭を押さえ、深々と溜息をついた。  それは疑いの溜息ではなく、同情と驚愕のものだった。


「……壮絶な人生だったのですね。……警察への被害届はどうされますか?」


「いえ、今は……戸籍を取り戻すことだけをお願いします。犯人の顔も覚えていませんし、今はただ……家族と静かに暮らしたいんです」


「……分かりました」


 書記官は力強く頷き、書類に判を押した。


「調査官による面接は、今の聞き取りで十分と判断します。……これより、裁判官による審判の手続きに回します。おそらく、数日で『失踪宣告取消しの審判』が確定するでしょう」


 そして、書記官は立ち上がり、俺に向かって頭を下げた。


「菅レイジさん。……おかえりなさい。日本の法律は、再びあなたを一人の国民として迎え入れます」


「……ありがとうございます」


 俺は震える声で礼を言った。  これで俺は、幽霊ではなくなる。  「勇者ルイス」としてではなく、「20歳の青年・菅レイジ」として、この国で生きていく権利を得たのだ。


 


………。

……。

…。



 手続きを終え、裁判所の外に出た時。  空はさらに暗くなり、今にも雨が降り出しそうな気配だった。  俺は窮屈なネクタイを少し緩め、大きく息を吸い込んだ。


「よかったな、レイジ。これで一安心だ」


 叔父さんが車の鍵を取り出しながら言った。


「ああ、叔父さんのおかげです。……髪の毛と爪を渡した時は、どうなることかと思いましたが、科学の力って凄いですね」


「いいってことだよ。……さて、私はこのまま仕事に向かうが、お前たちはどうする? 家まで送るか?」


 叔父さんの問いかけに、俺とヒナルは視線を交わした。  ここからが、裏の「本番」――北側の調査だ。


「いえ、叔父さん。俺たちは……少しこの辺りを散策してから帰ります。久しぶりの日本なんで、色々見て回りたくて」


「そうか? 雨が降るかもしれないぞ? せっかくのスーツが濡れちまうぞ」


「大丈夫です。……それに、少し寄りたい場所もあるので」


 俺が笑顔で答えると、叔父さんは「まあ、若いもんは元気だな」と笑い、車に乗り込んだ。


「じゃあ、夕飯までには帰ってくるんだぞ。気をつけてな」


 ブォン……とエンジン音が遠ざかり、叔父さんの車が見えなくなるまで見送った後。  俺たちの纏う空気が、スッと切り替わった。


「……行ったな」


「うん。……お兄ちゃん、スーツ姿、すっごくかっこよかったよ♡」


 ヒナルが俺の腕に抱きつき、上目遣いで微笑む。


「そうか? 肩が凝って仕方ないがな」


 俺は苦笑しつつ、改めて《魔力感知》の網を広げた。  官庁街のビル群は、静まり返っている。


「……おかしいな」


「何が?」


「魔力の澱み(マナ・カレント)が、低すぎるんだ」


 俺は指先で空気をなぞった。  昨日感じた駅前の「楔」は、点在していたが強烈な信号を発していた。  だが、この北側エリアは違う。  広範囲に微弱な魔力が漂っているが、そこに「意思」や「活動」の熱を感じない。


「ここが敵の『本丸』だとしたら、もっと要塞のような強力な結界や、巨大な魔力炉の稼働音が聞こえるはずだ。……だが、何もない」


「ジャア、ココハ安全地帯ッテコトデスカ?」


 アレックスが呑気に聞くが、俺は首を横に振った。


「逆だ。……不自然なんだよ。これだけ広範囲に、均一に『薄い魔力』が漂っていること自体が異常だ。まるで……」


「まるで?」


「……『抜け殻』だ」


 俺は呟いた。


「この微弱な反応は、何かが隠されているわけじゃない。……かつてここで、途方もない規模の術式が発動し、その余波で魔力が枯渇した……『燃え尽きた跡』だ」


「燃え尽きた……?」


 ヒナルの表情が凍り付く。


「つまり、もう終わってしまったってこと……?」


「ああ。このエリア全体をにえにして、何らかの巨大な転移門、あるいは召喚魔法が起動された形跡がある。……そして、その装置はもう、役目を終えて沈黙している」


 俺は視線を、裁判所の裏手に広がる古い公園や、その奥に見える雑居ビルの方角へと向けた。  そこにあるのは、敵の拠点ではない。  ただの「残骸」だ。  だが、その残骸からは、数十人……いや、もっと多くの人間が、無理やり「どこか」へ連れ去られたであろう絶望の痕跡が漂っていた。


「……手遅れか」


『マ、マサカトハ思イマスガ………!?ヒャアアアアア』


 俺は拳を握りしめた。  先日ニュースで見た30人の行方不明者。いや、おそらくそれ以上の人々が、既にここから姿を消してしまった後だということだ。  行き先は分からない。だが、決して幸福な楽園ではないだろう。


「……探そう。まだ何かが残っているかもしれない」


「了解です、お兄ちゃん。……どんなに小さな手掛かりでも見つけるわ」


「僕モ探シマスヨ~ォ。……幽霊ナラデハノ視点デ、消エタ人達ノ残留思念ヲ追ッテミマスッ!」


 俺たちは雨がパラつき始めたアスファルトを踏みしめ、不気味なほど静かな北側の街へと足を踏み入れた。  祭りの後のような静寂。  だが、その祭りが「人間を贄にした宴」であったことを、俺たちは本能で感じ取っていた。

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