第214話 日常に潜む違和感、あるいは芽生える恋心と殺意
翌朝。 叔父さんと叔母さんが仕事へ行き、コウが学校へ登校した後。 静まり返った菅家のリビングは、異様な緊張感と、場違いな「甘い奉仕の精神」に包まれていた。
「……レ、レイジ様。お茶が入りました。温度は最適の65度に調整してあります」
カナが、震える手で湯呑みを差し出してきた。 彼女は叔母さんに借りたエプロンを身につけているが、その頬はほんのりと朱に染まっている。 かつて学校で見せていた傲慢な女王の顔ではない。好きな人に手料理を振る舞う乙女のような、恥じらいを含んだ表情だ。
「お、お茶請けの羊羹も切り分けておきましたぁ……。あの、お口に合えばいいんですけどぉ……」
リサもまた、上目遣いで俺の反応を窺っている。彼女の視線は、俺の顔と、Tシャツの上からでも分かる大胸筋の間を行き来していた。
「……あー、カナ、リサ。ここは日本だ。そんなに畏まらなくていいと言っただろう。それに、俺はただの居候だぞ?」
俺がソファから苦笑いして礼を言うと、二人はビクッと肩を震わせ、それから嬉しそうに身をよじらせた。
「い、いいえ! 『更生労働員』に休息はありません! それに……」
カナが俺の目を見つめ、熱っぽい声で呟く。
「……私みたいな汚れた女を、昨日は『お客様』だなんて言って庇ってくださって……。あの時のレイジ様、その……す、すごく……男らしくて……素敵でした」
「そ、そうですぅ! 今まで怖くて直視できなかったんですけどぉ、よく見たらレイジ様って……凄くイケメンですしぃ……。あんなに強いのに、子供には優しいとか……ギャップが……キュンとくるっていうかぁ……」
リサが小声でボソボソと言いながら、顔を真っ赤にしている。 どうやら、昨夜の「優しさ」が劇薬だったらしい。 吊り橋効果か、それともストックホルム症候群の一種か。彼女たちの俺を見る目は、単なる恐怖の対象から、「頼れる異性」へと変化し始めていた。
「……チッ」
その空気を敏感に察知したヒナルが、俺の腕に爪を食い込ませながら、氷点下の舌打ちをした。 彼女は満面の笑みを浮かべたまま、カナとリサに視線だけで「殺すよ?」と語りかけている。
「……二人とも? お兄ちゃんが優しいからって、勘違いしちゃダメだよ? お兄ちゃんの優しさは海よりも深いけど、その海に溺れていいのは『選ばれた家族』だけなんだからね? ……分きまえてるよね?(威圧)」
「「ヒィッ!! す、すみませんでしたぁぁっ!!」」
二人は瞬時に恋心を封印し、土下座モードに戻った。……やはりヒナルが最強だ。
「……はぁ。ヒナルちゃん、ほどほどにしてあげて。……じゃあ、真面目な話し合いを始めましょうか」
正面に座るユミカが、呆れたように眼鏡の位置を直し、手元のノート(コウの学習帳)を開いた。 窓の外では、ガラス戸にへばりついている幽霊のアレックスが「僕モ混ゼテ! 仲間外レハ良クナイヨ!」と騒いでいる。
「さて……。昨夜は再会の喜びに浸っていたが、現状は何も解決していない。なぜ俺たちが『日本』に帰還できたのか。そして、あの倉庫に残されていた大量の血痕は何だったのか」
俺が切り出すと、ユミカがペン先でトントンとノートを叩いた。
「状況を整理しましょう。私たちが転移したのは、レプリカの世界にあった『謎の遺跡』の最深部でした。あそこで巨大な魔法陣が発動し……気づいたら日本の倉庫街です」
「あの遺跡……ギルドの資料にも載っていなかった場所だからね。第三者の世界……魔導文明が発達した世界から持ち込まれた物だとしたら……」
ヒナルが俺の肩に頭を乗せながら補足する。
「魔導文明……。機械と魔法を融合させていたのが第三の世界…。そしてその研究をしていたのが誰なのか…」
「はい。そして問題なのは、あの転移が『ランダムな事故』だったのか、それとも『意図された座標移動』だったのかです」
ユミカが深刻な顔をする。
「私の推測ですが……あれは事故じゃない気がします。まるで『道』が繋がっていたかのような……スムーズな移行でした。まるで、日本側にも『受け皿』があったような」
「受け皿……?」
その言葉に、俺の背筋に冷たいものが走った。
「オ、オイ! ソレ、心当タリアルゾォ!」
窓の外から、アレックスが必死にジェスチャーをしている。 俺はため息をつき、窓の鍵を開けた。
「……なんだ、発情猿。役に立たないこと言ったら除霊するぞ」
「ヒィッ! ヤメテ! ……イヤ、思イ出シタンデスヨ! アノ遺跡ノ機械……ドッカデ見タコトアルナァッテ!」
アレックスが部屋の中に頭だけ突っ込んで(体は入れない結界を張っている)、証言を始めた。
「僕ガ……マダ生キテタ頃。黒ズクメノ女……イヤ、アノ『黒いマントの女』ガ、似タヨウナ機械ヲ弄ッテタンデス! 『調整ガ必要ネ』トカ『コッチノ世界ノ座標ガズレテル』トカ言ッテマシタ!」
「なんだと……?」
「アレハ……キット、向コウノ世界ト、コッチノ世界ヲ繋グ為ノ装置ダッタノカモ……」
アレックスの言葉に、場が凍り付く。 奴はクズだが、黒幕に利用されていただけに、核心に近い情報を持っていることがある。
「……さっきの推測は当たっているのかもしれないな…。もしそれが本当なら、あの遺跡は『門』だったということか。そして俺たちは、その調整中に巻き込まれて……」
「日本に飛ばされた。……いえ、帰ってきた」
ヒナルが呟く。その瞳が、スッと細められた。聖女としての鋭い「探知モード」に入った顔だ。
「……お兄ちゃん。私、昨日の夜からずっと気になってたの。……この街の空気」
「何がだ?」
「今、魔力がすごく『集まる』の。昔の日本はもっと乾いていたのに……今は、あちらの世界に浸食され始めているみたいに、濃度が上がってる」
ヒナルが空中に手をかざすと、指先にキラキラと微弱な光の粒子が集まっていく。
「浸食……だと?」
俺は慌てて、《魔力感知》を最大出力で展開した。 範囲を広げる。家の中、庭、近所の道路、そして街全体へ。
……見えた。 普段なら見逃してしまうほど微弱だが、決して自然発生ではない「異質な波長」。 それは、あのアスガルドの遺跡で感じたものと同じ、冷たくて無機質な『魔導機械』特有の魔力の残滓だ。
「……これは……!」
俺は思わず立ち上がった。
「微量だが……あちこちにある。一か所じゃない。この街の至る所に、あの遺跡と同じ魔力の痕跡があるぞ……! 駅の方角、学校の方角、それから……俺たちが転移してきたあの倉庫街」
俺の感知網に、無数の赤い点が浮かび上がる。 それは、平和な日本の地方都市に打ち込まれた、見えない「楔」のようだった。
「……レイジ様。私も……微力ながら感じます」
カナが、不安そうに自身の胸元を握りしめた。
「あの……私たちが捕まっていた収容所。あそこにあった拷問器具と……似たような嫌な気配が、風に乗って漂ってくるんです……。怖い……」
カナが怯えて震え出す。 だが、俺はすぐに彼女の方を向き、力強い声で告げた。
「安心しろ、カナ。リサ。……お前たちは、俺が守る」
俺の言葉に、カナがハッと顔を上げた。
「俺たちがここにいる限り、お前たちにも、この家族にも、指一本触れさせない。……俺の後ろにいれば、絶対に安全だ」
俺の全身から、黄金の闘気がゆらりと立ち昇る。 勇者としての威圧感と、男としての包容力。 それを真正面から浴びたカナとリサの瞳が、とろんと潤んだ。
「……レイジ様……」
(な、なんて強い光……。あんなに怖い人だと思ってたのに……守ってくれるって言った時の背中、すっごく大きい……。こ、これって……ドキドキする……)
カナが熱い視線で俺を見つめる。 リサもまた、頬を赤らめて身悶えしている。
(や、やばい……。魔王様かと思ってたけど……今のセリフ、少女漫画の王子様みたい……♡ 奴隷でもいいから、一生ついていきたいかも……♡)
二人のハートマークが見えそうな視線に、ユミカが「あーあ……」と額を押さえ、ヒナルの目が据わる。
「……二人とも? 後で裏庭に来てね? ちょっと『教育』が必要みたいだから♡」
「「ヒィッ! め、滅相もございませんッ!!」」
俺はヒナルの嫉妬(通常運転)をスルーし、立ち上がった。
「……行くぞ。まずは現地調査だ。あの魔力反応が一番強い場所……『駅前のショッピングモール』周辺を探る」
俺は《異空間収納》から、現代日本に馴染むための服(コウのジャージの予備)を取り出した。 日常を取り戻すための、非日常な戦い。 そして、なぜか増えていく(?)好意の視線。
俺たち「異世界帰還組」による、日本防衛戦が静かに始まろうとしていた。




