第206話 修羅の降臨、あるいは血塗られた聖家族の異界入り
ースルト視点ー
ルイスが消えた。 我の……我が唯一認めた「つがい」となる男が、あの忌々しい光の渦に飲み込まれ、この世界から切り離されたのだ。
「ルイス……! ルイスよ、ふざけるでないぞ……! 隠れん坊など、我は好かぬ……好かぬのじゃぁぁッ!!」
我は大地を拳で殴りつけた。 瓦礫が粉砕され、クレーターが広がるが、そんなものではこの胸に空いた風穴は埋まらぬ。 隣ではクリステルが狂ったように泣き叫び、ミランダが剣を振り回し、エアロが空を切り裂いている。どいつもこいつも、見ていられぬほどの無様さじゃ。 だが、我とて同じじゃ。涙が止まらぬ。あやつの匂いがしない世界など、我にとっては色彩を失った灰色の牢獄に等しい。
その時じゃった。
ズドォォォォォォォンッッ!!!!
鼓膜を直接叩き割るような、不躾極まりない爆音が轟いたのは。 ルイスが消滅したはずの空間――そこは既に「無」となっていたはずじゃ。だが、そこから空間そのものが破裂したかのような衝撃波が放たれた。
「――今のは何なのじゃ!! いきなり空間が爆発したかと思ったら、変な穴が開いたのじゃぞ!?」
我は爆風に煽られる赤い髪を鬱陶しげに払い、その「穴」を睨みつけた。 土煙がキノコ雲のように舞い上がり、視界を遮る。だが、その向こうから漂ってくる気配に、我の心臓が早鐘を打った。
(空間を突き破って現れた……? まさか、ルイスか!? あやつなら、次元の壁の一つや二つ、愛の力とやらでぶち壊して戻ってきても不思議ではない!)
「おい、バハム! お主の鼻なら分かるじゃろ! ルイスか!? あやつが戻ってきたのか!?」
我は縋るように、隣に立つ神竜に問うた。だが、バハムの表情は優れない。眉間に深い皺を寄せ、不快そうに鼻を鳴らしておる。
「騒ぐな、スルト。……だが、妙だ。この匂い……ルイスの爽やかな覇気とは違う。もっとドス黒く、錆びついた鉄と油……そして、こびり付いた『死臭』の塊だ。だが、余には不思議と……『敵意』は感じぬ」
「敵意がないじゃと……?」
我がいぶかしんでいると、背後でノエルがリズにしがみつきながら震えおった。
「まさか……お兄ちゃん……?? うぅ、怖いよぉ……お兄ちゃんが怒ってるの……? 違う、これお兄ちゃんじゃない……もっと、静かで……深い……」
「ノエル、離れないでッス! ミランダさん、何かが出ますッ!」
周囲が警戒態勢に入る中、あの聖女――クリステルだけは、恍惚とした表情で土煙の中へ歩み寄っていきおる。
「落ち着いてください、皆様。……ああ、感じます。この波動。この魂の震え……。間違いありません。やっと……やっとお戻りになられたのですね……。私の愛しい……ルイス様……」
「おい、待てクリステル! 早まるな! 気配がおかしいと言うておるじゃろ!」
我が止めるのも聞かず、クリステルは両手を広げた。 そして、風が吹き荒れ、煙が晴れたその瞬間。
そこに立っていたのは、我らが愛する黒髪の英雄ではなかった。 そこにいたのは――血と硝煙を纏いながらも、奇妙なほどに穏やかな空気を醸し出す、**「異界の家族」**たちじゃった。
「……あ?」
クリステルの動きが、文字通り凍りついた。
我もまた、息を呑んだ。 中央に立つ男。身長は優に190を超え、岩盤のように隆起した筋肉に、無精髭を生やした野蛮な面構え。その背中には、巨大な斧のような剣を背負っておる。 そしてその両脇には、奇妙な服――ルイスの記憶にある「制服」というやつか?――を着た、少年と少女。 服は元の色が分からぬほど、赤黒い血糊で汚れておった。 だが、その表情は――。
「父さん、知り合いなの? ……随分と元気な、小さい子だね」
少年――ヨーイチと呼ばれた男が、まるで迷子の猫を見るような、日だまりのように優しい目で我を見下ろした。 その手には血の滴る剣が握られているというのに、彼が纏う空気は春風のように柔らかい。彼は、我を怖がらせまいとするように、ゆっくりと剣の切っ先を地面に下ろした。
「うん、可愛いねヨーイチくん。お人形さんみたい。……ねえ、お嬢ちゃん。私たち、怪しいものじゃないよ? ただ、ちょっと道に迷っちゃっただけなの」
少女――リオナが、持っていた血塗れの鉄パイプをコソリと背中に隠し、花が咲くような笑顔で手を振ってきた。 その笑顔は、あまりにも純粋で、あまりにも無垢じゃった。 白い頬に他人の返り血がべっとりと付着していることさえ、単なる「模様」か「化粧」だと錯覚させるほどに、彼女の魂は澄み切っていた。
「パパが昔いた場所に似てるって言ってたけど、こんな可愛い子がいるなら、きっといい所だね」
「ああ、そうだな。……驚かせてすまねぇな、お嬢ちゃんたち」
巨躯の男――リューヤもまた、武器を収め、困ったような、しかし愛嬌のある笑みを浮かべて頭を掻いた。
(な、なんじゃ、この違和感は……)
我はスルト。前魔王の娘にして、最強の格闘家。 数多の戦場を駆け抜け、悪意や殺意には敏感なはずじゃ。 だが、今目の前に現れたこの「血塗られた家族」に対し、本能が警鐘を鳴らしつつも、それ以上に戸惑っておった。
血の匂いはする。死の気配もする。 じゃが、こやつらの間に流れる空気は、我らが見惚れるほどに完成された「家族の愛」そのものじゃった。 互いを思いやり、慈しみ、外の世界に対しては礼節すら弁えておる。
こやつらは――敵意はない。 我らの「常識」が通用する相手ではないかもしれぬが、決して理不尽に牙を剥く「悪」ではない。
「……誰だ、貴様らは」
仁が影から現れ、クナイを構える。警戒心は解いておらぬが、その刃先は迷っているようにも見えた。殺気のない相手に、どう対峙すべきか測りかねているのじゃろう。
「拙者たちの主、ルイス殿はどうした。貴様らがここから出てきたということは……入れ替わりに何処かへやったのか?」
リューヤが、ゆっくりと視線を仁に向けた。 その眼光は鋭いが、決して威圧するものではない。迷子になった子供を諭すような、大人の余裕があった。
「ルイス……? すまんな、知らねぇ名だ。俺たちはただ、家族水入らずで『料理』を楽しんでいただけなんだが……どうやら、随分と騒がしい場所に迷い込んじまったらしい」
リューヤが苦笑いしながら肩をすくめる。 その仕草。そのニヤリとした笑み。 その瞬間、我の記憶の蓋が、完全に弾け飛んだ。
――思い出した。 忘れるはずがない。 かつて、我がまだ幼き頃。父アスガルドの治世において、突如として異世界から現れ、魔王軍を、そして人間界をも引っ掻き回した、規格外の「迷い人」。 魔法を「火力」としか捉えず、回復魔法を「拷問」に使い、魔王である父にさえ喧嘩を売った、あの最悪にして最強の男。
「……お主……! そのデタラメな魔力、その筋肉バカな面構え……! まさか、まさか生きていたのか……!?」
我は震える指で、その男を指差した。
「十川……龍哉……ッ!!」
200年前の亡霊が、なぜ今ここに立っておる!? あやつは元の世界へ帰ったはずじゃ。人間ならば、とっくに寿命で死んで土に還っているはずじゃ! なぜ、あの頃と変わらぬ――いや、あの頃よりもさらに風格を増した「父親」としての顔で、ここに君臨しておるのじゃ!?
リューヤは、我の指差す先で、キョトンとした顔をした後、懐かしそうに目を細めた。
「……あ?」
奴は、まるで昨日別れた友人に会うかのような軽さで、とんでもないことを言い放ちおった。
「おい、嘘だろ……。この生意気な『のじゃ』口調、その真っ赤な髪……。まさか、スルトか?」
奴が、巨大な剣を肩に担ぎ直す。
「よう、スルト。相変わらずチビのままか。……少しは背が伸びたかと思ったが、成長期はまだ来てないようだな」
「なっ……なっ……!! き、貴様ぁぁぁッ!!」
我の頭の中で、何かがプチンと切れた。 ルイスが消えた悲しみ、わけの分からぬ状況への混乱、そして何より、200年経っても変わらぬこやつの無礼さへの怒り。それらが混ざり合い、我は拳を握り締めた。
「誰がチビじゃ!! 我はレディじゃ!! それより貴様、なぜ生きておる! 今は西暦何年だと思っておるのじゃ! ルイスはどこへやった! 答えぬと、そのニヤけた顔面を粉砕してやるのじゃぁぁッ!!」
我が喚き散らすと、ヨーイチが心配そうに、リオナが困ったように眉を下げた。
「リオナちゃん、あの子、父さんのお友達かな?」
「そうみたいだね、ヨーイチくん。パパがお友達に会えて嬉しそう。……ふふ、私たちも仲良くしなきゃね」
二人は顔を見合わせ、微笑み合う。 その光景を見て、我はふと悟った。 こやつらは……この血塗られた異邦人たちは、今の我らにとって「希望」になるやもしれぬ。 次元を越えて現れたこの男たちならば、消えたルイスの行方を知る手掛かりになるのではないか、と。
「……おい、十川龍哉。貴様、ここへどうやって来た? その『穴』……もう一度開けることはできるか?それにパパと呼ばれておるが……それがお主の子供達か?!」
我は拳を下ろし、真っ直ぐに奴を見上げた。 直感じゃ。この男を味方に引き込めば、必ずルイスに会える。 我の勘は、いつだって正しいのじゃから。




