第203話 レプリカの地下鉄での激戦
地上でスルトやバハムが摩天楼をスクラップに変えている喧騒を余所に、地下数百メートルの閉鎖空間――地下鉄「さっぽろ駅」を模した空間は、静寂と異界の機械音が混ざり合う、耳障りな沈黙に包まれていた。
かつては大勢の通勤客で溢れていたであろうプラットホームは、今や冷徹な鋼の戦場と化している。しかし、その光景はどこまでも「偽物」だ。天井の蛍光灯は生き物のように不気味に明滅し、ひび割れたタイル張りの壁からは、本来あるはずのない黒い油のような液体が、粘り気を持って伝い落ちている。
線路の奥からは、錆びついた鉄とオゾンの匂いに加え、生き物の腐敗臭のような、生理的な嫌悪感を煽る風が吹き抜けてくる。
「……静かすぎますにゃ。地上の爆音が、コンクリートを伝って心臓に響くようですにゃ」
ペルシアが、暗闇に光る猫耳を小刻みに震わせる。ホームの柱の影には、飲みかけのペットボトルや古びた新聞が散乱しているが、そのラベルの文字は鏡写しのように反転し、意味を成さない記号の羅列へと変貌していた。その隣では、チェルシーが短剣を逆手に持ち、楽しげに尾を振っている。
「にゃはは! 獲物の匂いがプンプンするにゃ! 鉄の錆びた匂いと、オイルの腐ったような嫌な匂いにゃ!」
地下班を率いる忍の仁は、天井を走る剥き出しの配管に音もなく張り付き、広大なホームを見下ろしていた。
「……静粛に。来ます。……シュー殿、右後方の換気口から三、正面の線路奥から五」
「了解、仁さん。ボクの目は、暗闇なんて関係ないよ。……だって、にいが見ていてくれるからね」
シューが漆黒の和弓を引き絞る。彼女の瞳は、柱の影や線路の暗がりに潜む魔導兵器が放つ、微かな駆動熱を正確に捉えていた。
「……ん。……『魔矢・影縫い』」
放たれた四筋の矢が、闇を切り裂き、換気口から飛び出そうとした暗殺型魔導兵器の動力核を正確に貫く。音もなく、火花を散らして鉄屑が転がった。
「流石です。……拙者も、主殿の歩みを止める塵を掃くとしましょう。……『隠形・不知火』」
仁の姿が揺らめき、消える。直後、不自然に歪んだ自動販売機の影で火花が散り、さらに五体の機械が文字通りバラバラになって崩れ落ちた。
「……先を急ぎましょう。この偽りの線路の奥が、この街を維持する心臓部に繋がっています」
一方、地上では別の「戦い」が始まっていた。
本隊の進軍から少し遅れ、補給物資とユミカたちの身辺を守る後方地点。そこは、百貨店の巨大な廃墟と、ひっくり返ったバスの残骸に囲まれたデッドスペースだ。
「ひぃぃぃっ!? な、何よあいつら! 虎みたいな形してるけど、顔がドリルになってるわよ!?」
リサが悲鳴を上げ、カナにしがみつく。カナもまた、欠損した右手首を強く握り締め、震える声で叫んだ。
「来ないで! 誰か、誰か助けて……! ルイス様ぁぁっ!!」
周囲のビルの窓ガラスから、数多の機械獣が割れたガラスの雨と共に飛び出してきた。アスファルトの上には、折れ曲がったガードレールや、文字の反転した不気味な道路標識が散乱している。
「……っ、ユミカさん、俺の後ろに隠れてなッス! 兄貴に任された背中は、命に代えても守るッスよ!」
ヴォルグが、牙を剥き出しにして前に出た。彼の周囲には、数体のドリル獣型兵器が円を描くように取り囲んでいる。
「ガァァァッ!! 兄貴は今、もっと大変な場所で戦ってるんだ……! 雑魚相手に、兄貴の手を煩わせるわけにはいかねぇんだよぉッ!!」
ヴォルグの全身の毛が逆立ち、筋肉が爆発的に膨れ上がる。「人狼」の野生が、アスファルトを砕く衝撃と共に解き放たれた。
「『狼王連牙・剛砕』!!」
ヴォルグが地を蹴り、一瞬で先頭の機械獣の喉元を噛み砕く。そのままの勢いで、二体目の胴体に爪を突き立て、強引に引き裂いた。
「すごい……! ヴォルグ君、頑張って!」
ユミカが必死に声援を送る。その背後では、さらに激しさを増す爆音と共に、ニコライに固定されたアレックスが相変わらず絶叫していた。
『アアアアッ! ヴォルグ、ソッチモ大変ソウダケド、コッチモ見テヨ! 僕、サッキカラ回転鋸デ「スライス」サレソウナンダヨォォッ!!』
『ルイス様、タスケテ! ニューヨークニ、カエリタイィィッ!!』
「んほぉぉぉっ!! アレックス殿、その絶叫がヴォルグ殿の闘争心を煽るスパイスになるのです! さあ、もっと! もっと高い声で鳴きなさい! 私の広背筋が、更なる苦痛を求めていますぅぅっ!!」
ニコライが金粉を飛び散らせながら、迫りくるドリルをその胸筋で受け止め、火花を散らしながら笑っていた。
………。
……。
…。
地下鉄「さっぽろ駅」を模した深部は、進めば進むほどその「正体」を露骨にさらけ出していた。
天井からは切れた電線が蛇のように垂れ下がり、本来なら広告が入るはずの電光掲示板には、血のように赤いノイズが走り続けている。
「……気持ち悪いですにゃ。さっきからあの看板、ずっと拙者たちのことを見てる気しますにゃ」
ペルシアが嫌悪感を露わにし、短剣の柄を握り直す。彼女の視線の先、駅の案内板には「行キ先:地獄」という文字が、反転した歪なフォントで明滅していた。
「にゃはは! 気にするにゃお姉ちゃん! 動くものは全部、あたしたちがバラバラにしてやるにゃ!」
チェルシーが身軽に自動改札機(の形をした鉄の塊)を飛び越える。その直後、改札機が「バキバキ」という異音を立てて変形し、触手のようなケーブルを伸ばして彼女の足首を狙った。
「――甘いでござる。……『隠形・影断ち』」
背後から放たれた仁の手裏剣が、空中で正確にケーブルを断ち切る。仁は天井の配管に逆さまに張り付いたまま、鋭い視線を闇の奥へと向けた。
「……拙者たちが『バグ』を突くのではない。街そのものが、拙者たちを拒絶するバグとして処理しようとしているようです。……シュー殿、前方百二十メートル。ホームの端にあるゴミ箱……いえ、あれは擬態した魔導兵器です」
「……了解。兄貴から教わった呼吸、乱さないよ。……『魔矢・貫通鴉』」
シューが自分に言い聞かせるように呟くと、線路の奥から無数の赤い眼光が押し寄せてきた。
「……よし。でも、まだまだ来るみたいだね。……にい、ボク頑張るから。……見てて」
それは、車輪の代わりに多脚を備えた、異形の「地下鉄車両型」巨大魔導兵器であった。
「にゃははっ! デカいのが来たにゃ! 刻みがいがあるにゃあ!!」
「チェルシー、突っ込みすぎにゃ! 仁殿、援護を!」
ペルシアとチェルシーが左右に分かれ、壁面を蹴って巨大な鉄の獣へと飛びかかる。仁は空中で印を組み、煙玉を投下して敵の光学センサーを攪乱した。
「……『忍法・墨鴉の舞』。……視界を奪い、死角から断つ」
闇の中で火花が乱舞し、地下特有の湿った風が熱を帯びていく。その時、地上からの爆圧で駅の天井が大きく崩落した。
「――っ!? 地上がかなり激しくなっていますね。急ぎましょう。……このホームの奥、駅長室に見える扉が、中枢へのバイパスゲートです」
仁が指し示した先には、黄金の装飾が施された、この薄汚れた地下駅には不釣り合いなほど豪華な「扉」が鎮座していた。
「……あそこに行けば、にいと合流できるんだね。……行こう、ボクたちの仕事、終わらせるために」
シューが最後の一射で迫りくる小型ドローンを撃ち落とし、一行は偽りの地下鉄を後にし、心臓部へと突き進む。
その頃、地上では案山子状態の**アレックス**が、地下からの振動に腰を抜かしていた。
『アアアアッ! 下カラモ何カ「ズドドドド」ッテ来テルヨ! 地震!? ニューヨーク震度5!? ニコライ、モウヤダ、オ家ニ帰シテェェッ!!』
「んほぉぉぉっ!! 下からの突き上げ……! 素晴らしい刺激ですアレックス殿! 仁殿たちが地下で暴れている証拠! 私たちのこの、揺れ動く運命(と腹筋)を楽しみましょうぞぉぉっ!!」
ニコライの絶叫とアレックスの悲鳴が、蹂躙されるレプリカ北海道の空にどこまでも虚しく響き渡っていた。




