第196話 混ざり合う異界、そして「第三」の影
静まり返った遺跡の倉庫。そこには魔力の脈動も、モンスターの咆哮もなかった。ただ、数千年の時を止めたかのような、無機質な静寂だけが支配している。
ルイスは腰のポーチから、かつてヒナルから渡された淡く光る『共鳴石』を取り出した。
「……ヒナル、聞こえるか? 至急、応援を頼みたい。場所は『歯車の谷』、悠久の忘却遺跡だ。……俺たちの故郷の物が、ここにある」
『――お兄ちゃん!? 今、すぐに行くね。……絶対に、変な女を近づけちゃダメだよ?』
石から漏れ出たヒナルの声は、一瞬で緊迫感を帯び、それ以上に重い独占欲が混じっていた。
数分後。倉庫の中央で空間が激しく歪み、まばゆい純白の魔法陣が展開される。
「**『高次転位』!!**」
光の柱の中から現れたのは、ルイスと同じ濡羽色の黒髪をなびかせた、凛とした佇まいの少女――**ヒナル**だった。その手には強大な魔力を秘めた聖杖が握られ、彼女が立つだけで、澱んでいた周囲の空気が平伏すように清められる。
「お兄ちゃん! 怪我はない!? ……あ、やっぱりその三人も一緒だったんだ。……まあ、いいけど」
ヒナルはルイスの無事を確認すると、安堵したように微笑んだ。だが、その背後にいたガッシュとティムは、椅子から転げ落ちんばかりに腰を抜かしていた。
「な……ひ、ヒナルちゃん、か!? 嘘だろ、あの泣き虫でいつもルイスの背中に隠れてた、あの小さなヒナルちゃんが……!」
ガッシュが、信じられないものを見る目で絶叫する。
「この魔圧……。信じられません……。ただの『可愛い妹』じゃなくて、本物の『聖女』……いや、一国の守護神のような威厳だ。あんなに小さかったのに、いつの間にこんなに逞しく……」
ティムもまた、かつての守ってあげたくなるような少女から、圧倒的な「強者」へと変貌を遂げた彼女に、尊敬を通り越して畏怖の念すら抱いていた。
「あはは! ガッシュさん、ティムさん、お久しぶりです。……私、もうお兄ちゃんに守られるだけの妹じゃないから。……お兄ちゃんを邪魔するものは、例え世界の法則でも『浄化』しちゃうんだよ?」
ヒナルがふわりと微笑む。その愛らしくも、どこか「深淵」を感じさせる笑顔に、二人のベテラン冒険者は背筋を凍らせた。
「……それで、お兄ちゃん。私を呼んだ理由、これだね?」
ルイスは拾い上げた『スマートフォン』を差し出した。ヒナルはそれを手に取ると、懐かしさと忌々しさが混ざったような複雑な表情を浮かべる。
「これには魔力なんて一切ないよ。お兄ちゃんがいた頃の『日本』にあった、ただの精密な機械。……でも、どうしてこれがここにあるの?」
ヒナルが困惑している横で、興味を抑えきれなくなった三人の嫁たちがわらわらと集まってきた。
「ちょっと、ヒナルさん! これ、どうやって使うんですの?」
カーミラがルイスの手元からスマートフォンを奪い取り、爪で画面をコツコツと叩く。
「わたくしの『共鳴鏡』よりも薄いですし、裏側のこのリンゴのマーク……食べられそうですわね? ルイス様、これにわたくしの魔力を流し込んだら、何か魔法が発動しますの?」
「カーミラ、無茶すんなって。……あたしにも見せて! うわ、この『自動販売機』ってやつ、中に鉄の筒がいっぱい入ってるよ! これ、新しい銃の弾倉かな? えーっと、『コーラ』……? 読めないけど、強そうな名前!」
リナが錆びついた自販機の取り出し口に手を突っ込み、ワクワクした様子で中を覗き込む。
「……ん。おにぃ……これ……面白い。……変な、顔の……板。……押すと、カチカチ……言う」
メロディは床に転がっていた『ノートパソコン』のキーボードを指で無造作に叩いていた。当然、電気も魔力もないため反応はないが、その奇妙な触感が気に入ったのか、珍しく瞳を輝かせている。
「……みんな、落ち着け。それは武器でも魔道具でもないんだ」
ルイスが苦笑しながら宥めるが、異世界の遺物に囲まれた少女たちの好奇心は止まらない。
「お兄ちゃん、見て。……あっちには『看板』や『電柱』まであるわ。……ここはまるで、私たちの故郷の街の一部が、そのまま切り取られて捨てられた『ゴミ捨て場』みたい……」
ヒナルの表情が再び曇る。魔力を持たないはずの無機質な物体たちが、この魔法に満ちた異世界の遺跡に「存在している」こと自体が、最大の異常事態だった。
「……あの黒幕は、魔力のないこれらの『異世界の物質』を解析して、成功させたに違いないな…」
ルイスはスマートフォンを再び預かり、奥へと続く闇を見据えた。魔力を持たないはずの故郷の遺物――スマートフォンや自販機、看板が並ぶ異常な空間を、一行はさらに慎重に探索し続けた。
「ルイス様、見てくださいな。あちらにある色とりどりの紙束……『ファッション雑誌』と書かれていますわ。わたくしの国のドレスとは全く違う、奇抜ながらも洗練された意匠……。ふふ、ルイス様がいた世界は、意外とお洒落な方が多かったですのね?」
カーミラが埃を被った雑誌をめくり、瞳を輝かせる。
「あはは! こっちには『バット』って書かれた木の棒があるよ! これ、打撃武器かな? ルイス君、あっちの世界ではこれで敵ををぶん殴ってたの?」
「違うよ、リナちゃん、それは球を打つ道具で……」
ヒナルは自分が居た地球の事を答えようとした、その時だった。広間のさらに奥、瓦礫が山積みになった影を調査していたヒナルが、鋭い声を上げた。
「……っ、お兄ちゃん! これ、見て……。これだけ、おかしい」
全員がヒナルの元へ駆け寄る。そこには、これまでの「日本のゴミ」とは明らかに一線を画す、巨大な鉄の残骸が横たわっていた。
それは、鈍い銀色の光沢を放つ未知の合金で作られた、機械の腕のようなパーツだった。だが、その造形は、先ほど谷で戦った『トライデント・ドラゴン』や『ミスリル・ゴーレム』の関節構造と酷似している。
「おい、ルイス。これは……さっきのゴーレムの一部じゃねぇのか?」
ガッシュが身を屈め、その鉄の塊を覗き込む。
「……いえ、違います、ガッシュさん。見てください、表面に刻まれているこの『回路』……。これは魔法陣でもなければ、さっきのスマートフォンにあるような精密基板でもありません」
ティムが指摘した通り、その残骸には、まるで生き物の血管のように脈打つ「導管」が張り巡らされていた。ヒナルがその表面にそっと指を触れると、消えかかっていた青い燐光が、一瞬だけ不気味に明滅した。
「……お兄ちゃん、これ……地球のものでも、この世界のものでもないわ。……魔力とも、電気とも違う、もっと禍々しい『第三のエネルギー』を感じる……」
ヒナルの表情が、これまでにないほど強張る。
「……ん。おにぃ……これ、生きてる。……嫌な、音……してる」
メロディが重い大剣を構え、残骸へと切っ先を向けた。彼女の言う通り、その鉄の腕からは、微かに「ドクン……ドクン……」という、心臓の鼓動のような振動が伝わってきた。
「地球の文明でもなく、この世界の魔法文明でもない……? じゃあ、こいつは一体どこから来たんだ?」
ルイスがその残骸を睨みつける。
この遺跡は、単に日本から物が流れ着いている場所ではない。
この世界、日本、そして――「全く別の異界」。
三つの異なる理が、何者かの手によってこの場所で強制的に混ぜ合わされ、練り上げられているのだ。
「……つまり、黒幕が『緑骨団』と取引して集めていたのは、ただの異世界の珍品じゃない。この『未知の残骸』を修復するためのパーツや、適合する魂を探していたってことか……?」
というのも、捕らえられて消えていく村人や、魔力を持つ残骸…。ルイスの推測に、静寂が重くのしかかる。
自分たちが戦っていたのは、単なるモンスターや古代兵器ではなく、もっと根源的で邪悪な「何か」を造り上げるための実験場だったのだ。
「お兄ちゃん……この奥から、強い共鳴を感じる。……私たちの故郷の記憶と、この世界の嘆き、そして……あの鉄の残骸が呼び合ってる」
ヒナルが聖杖を強く握り、真っ暗な通路の先を見据えた。
「行こう、ルイス様。わたくしたちの幸せな時間を邪魔する『黒幕』の正体、その引きずり出して、わたくしの誇りにかけて塵一つ残さず滅ぼして差し上げますわ!」
カーミラが紅蓮の瞳を燃やし、一行はさらなる深淵へと足を踏み入れた。そこには、二つの世界を超越した「禁忌」が待ち受けていた。




