遠吠え
アクセスしていただき、誠にありがとうございます。
「キャーッ誰か助けてー」
人気の無い山道に悲鳴が木霊となって響いた。
「誰も来ちゃくれねーよ、諦めなお嬢さんよぉ、こんなところで会ったのが運の尽きさ」
その時に、一人の背の高い剣士が素早い勢いで男に近づき、腰に帯びていた刀を一閃させ女に抱き着いている男の背中を袈裟懸けに切ると、ウッと唸り地面に転がった。剣士は自分が盾になるように女性を庇い刀を構えた。その場にいた残りの三人の身なりの良くない男たちは驚いた。
「てめぇ、このやろー、殺っちまぇ」
罵声をあげて男どもは殺気立ち刀を抜くと、剣士に向かって行った。まず最初に向かってくる一人目男の右腕を切り落とし、返す刀で首を撥ねると刀を掴んでいた右手と首が一瞬で地面に落ちた。次の男は刀で額を貫いた。最後の男は恐怖でおよび腰になりつつも、刀を振るって来たところを刀を払い首を撥ねると血しぶきが上がって倒れると、既に転がっていた男の衣服で刀を拭い鞘に納めた。そして、剣士は総勢四人の遺骸を山の斜面に軽々と放り投げた。
女は茫然と見ていた。震えが治まらずにいたが、やっとの事震えながら声を出した。
「危ないところを助けていただき誠にありがとうございます。私はみお、と申します」
そう言うと深々と首を垂れたので艶のあるうなじが見えた。着物の裾に土が付いていたが、先ほどの男に押し倒された際に付いたであろう汚れはあえて何も言わずに捨て置いた。
「私は丹波博光と言います。どこかお怪我はしていませんか」
柔らかい声でみおに尋ねた。尋ねられたみおは、着物の乱れを直しながら改めて自分の身体のあちこちに触れて痛みがない事を確認した。
「どこも怪我はしていないようでございます」
「それは良かった、何よりです。因みに女の一人旅とは危険な感じがしますが、どちらまで行かれるのでしょうか」
「はい、都までですが、父が病気だから早く帰って来いと文が参りまして、それで向かっている途中です」
「それはご心配ですね。もし貴女にお差し支えなければ、私がお宅まで送り届けますよ。この先、またどんな輩に出くわすかもしれませんし、私も気掛かりに成りましたので、見過ごすことの出来ない状況なのが、正直な気持ちです」
みおは先ほどの乱暴狼藉から解放されたのが実感出来たようで、緊張がほぐれて顔の表情が和らいだ。恐怖で震えていた震えも治まったようで、博光も落ち着いた。
「でも・・・でもそれではあなた様にご迷惑をお掛けしてしまいますわ」
「そんな事はありませんよ、私も都に用事があって上るところです。ですから、どうか同行させていただけませんか」
少し前の立ち回りが嘘のような物腰で言う。みおは俄然気丈夫になっている自分に気づいた。この方となら大丈夫だとみおは強く感じた。
「折角のお言葉ですから甘えさせていただきます。ご面倒お掛けして誠に申し訳ございませんが、宜しくお願い申し上げます」
「そうですか。これで私も安心できます。もう少し行くと宿場町ですから明るい内に着けるでしょう」
博光は心底良かったと思った。みおをこのまま一人旅させるには気掛かりだし、もし何かあったら後味がよくない上に取り返しがつかないのだから。
爽やかな風がそよそよと山の野に青葉茂く梢が揺れて囁いて、樹木はただ黙然と凛として、幾千万の時は経ちただ移ろいゆくばかり。また、野原を駆ける者疾く、更なる疾さを追求し、遂に得たりや無生法忍。
一人旅から二人旅になって、日が暮れるころに宿場町に着いた。宿引きが大勢でお互い負けじと勢いよく声を響かせて、旅人の袖を掴んだりして客を呼び込んでいる。二人は一番大きな宿に入り、仲居に隣同士の静かな部屋を頼み心付けを渡した。仲居の後に続き部屋に案内されたが、そこそこの広さで小ぎれいな部屋だった。食事は一緒に部屋で摂るか尋ねられたので、その旨答えると仲居は畏まって応じた。そして、それぞれが旅装を解き、一段落してから湯殿に向かい湯から帰って間もなくすると、みおが部屋の外から声を掛けたので、博光は返事をした。部屋に入って来たみは、静かな動作で博光と向かい合って座った。暫くしてから失礼しますと声が掛かったので、博光は応じて襖を開けてやった。二人の仲居が箱膳を持って部屋に入って来た。博光は仲居に、明日朝の出掛けにおにぎりを二人分頼むと、仲居はおにぎりは幾つになさいますかと、尋ねられたので私は四つ頼みますと言い、みおは遠慮がちに且つ少々恥ずかし気に二つお願いしますと伝えると、仲居は畏まりましたと返事をする。
食事を始めたが食べながら話すのは行儀が良くないと思ったのか、二人は黙って食事を済ませた。食事を終えると見図ったように仲居が箱膳を下げに来たので、博光は布団を敷いてもらった。
「貴女のお国はどちらですか」
博光は仲居が出て行ってから訊いた。
「私の生まれは京でございますが、訳あって相模の国に居る親戚に預けられました」
「相模の国には訪れた事がありますがなかなか良い所ですね。私は安房の国で生まれ育ちました。と言うことは貴女のお住まいのところとは割とご近所ですなあ。ところで、明日には都に着きますから、そろそろ寝ましょうか」
「そうですね、寝る事にしましょう」
みおの部屋には既に布団が敷いてあり、床に就くとみおは昼間の出来事に思いを馳せたが、疲れていたのですぐに眠った。一方、博光は刀の手入れをしており、拭紙で刀身を拭ってから打粉でぽんぽんと刀身を叩いていた。仕上げに油布で拭って手入れを終えて納刀して、博光も眠りに就いた。
翌朝、朝食を済ませ出立の準備ができると、仲居が大きな葉っぱに包まれたおにぎりを持ってきた。博光はお礼を述べてまた心付けを渡すと、仲居は嬉しそうに微笑んで、ありがとうございますと礼を言った。仲居は更に街道の途中に新しい小さい祠が見えると都ももう近いと言ったので、博光は礼を言った。二人は旅館を出て街道を歩きだした。途中他の旅人に冷やかされたが博光は黙殺して歩みを進めているので、みおも黙って後に続く。そうして歩いていると目新しい小さな祠が見えてきた時だった。
博光は歩みを停めた。
「どうした」
博光は藪に向かって尋ねると、みおは緊張し身を固くした。すると藪の中から声がした。
「若君、この先五町ほど行くと三百人ぐらいの荒くれ者たちが旅人を襲っております。私たちが処分致しましょうか」
博光は少し思案した。みおは何事かと思って博光と藪を交互に見て、黙って聞いていた。
「いや、それには及ばない。あれを使おう。ご苦労であった」
博光は労を労った。そう言うと藪がサァッと小さな音を立てたが、すぐに気配はなくなった。博光は背負っている振分荷物を肩から下ろした。
「博光様、今のは何事でしょうか」
みおは疑問を率直に尋ねた。
「今の者は影です。絶えず私の側にいて働いている者たちで、様々な諜報活動を行っており、私の警護も担っている者たちです」
博光は辺りを見回し刀を抜いてから陀羅尼を唱え始めたが、みおには聞き取れなかった。そして、近くにあった木から三尺ほどの枝を九本切ってから木の葉はそのままで、切り落とした枝を三角形に組んだ。その中に背負っていた箱から丸く結んだ縄を上から一つ置き、次には二つ置き三段目には三つ置いて四段目には四つ置いた。それから、そのそれぞれの輪の中に人型をした紙を一枚ずつ輪の中に置いていった。そして、両脇に細長く切った物を人型の両脇に二枚づつ置いていったが、その間も博光は陀羅尼を聞き取れない声で唱え続けている。四段目の輪の中には四つ足の動物を形どった紙を一枚ずつ置いた。竹筒の中の油らしきものを今組んだ物の全体に満遍なく注ぐと火打石と打ち金で火を点けた。炎はボォッと音を立てて燃え上がると、朱い炎がゆらゆらと揺れている。博光は印を結び更に陀羅尼を唱え続けてから時が経った。周囲が騒めき風が二人の頬を撫でて過ぎ去ってゆく。すると間もなく円形の縄の一段目、二段目、三段目までの中から、二振りの刀を持った七尺はありそうな大柄な人影がゆらりと6人現れた。四段目の輪の中からは逞しい山犬が四頭現れた。博光の額には汗が光っていたが陀羅尼を唱え終えると、山犬たちが遠吠えを上げた。そして、四頭の山犬が先に走って行き刀を持った人影が後に続いて走って行った。
みおは驚き唖然として、博光は汗を拭い静かに見送ると、間もなくすると大勢の叫び声が耳に届いた。
博光は最初は気付かなかったが、祠の裏手に湧水がこんこんと湧いている。その事に気付いたので、みおに告げてから、二人して湧水のところに行き手を洗い口を漱ぎ弁当箱から大きな葉っぱに包まれたおにぎりを出した。
「暫く食事をして待ちましょう」
博光が悠然と腰を下ろしながら穏やかに言うと、おにぎりを出して食べ始めた。みおはこくりと頷いて近くにあった岩に腰を下ろした。みおも弁当箱の中から葉に包まれたおにぎりを出して食べ始めた。おにぎりにはたくあんが添えられていて、博光が口に入れるとポリポリと音を立てた。その間中も悲鳴は聞こえてくるが、二人はただ静かに食事を摂っている。そして、おにぎりを食べ終わる頃には悲鳴は聞こえなくなり静かになった。静かになって間もなく山犬の遠吠えが聞こえた。
「終わったようです。行きましょう」
博光はそう言うと荷物を片付け始めてから、みおの支度が整うのを待った。みおも手際よく荷物をまとめ終えてから、それを博光が見届けて歩き始めて、みおは後に続いた。そして、影が言ったように五町ほど行ったところに大勢の遺骸が転がっている、手足を切断され更に首を刎ねられている者もあり、喉元を食いちぎられた者どもである。一目で息絶えているのが判る有様であったが、博光は用心して刀を抜くと周囲を周到に見回し生死を確かめたが、既に皆息絶えていた。みおは凄惨な現場をまともに見ることが出来ないでいて、倒れている遺骸の間をおずおずと足を運んだ。やがて全ての遺骸の中を通り抜けると高台に出て都が見えたので、みおは懐かしい景色に人心地ついた。色々な事があって父のことは忘れがちだったが、まだ大丈夫かしら。
「もう、着いたのに等しい。さあ、もう少しです行きましょう」
博光が元気づけて言うと先に立って歩き出した。
「はい」
みおは返事をして後に続いた。博光も安堵していたが、自分に言い聞かせていた、油断は禁物なのだから。やがて山を下ると街に出たので、博光は道案内をみおに願った。みおの足取りは自然と軽くなる、間もなくだ、間もなくすると家に着く。街は賑やかで人が溢れており、声を高くして色々な物を売り歩く棒手振りや、大小様々な店が軒を連ねているし、牛車で行き交う貴族と思しき人たち。みおは勝手知ったるで、すいすいと街中を行く、それに博光は続いて行き、程なくするとみおは歩みを停めた。
「着きました、ここがそうです」
そこは割と大き目のお寺だった。
「貴女はお寺の娘さんだったのですね」
「はいそうです。父が住職をしております」
「御尊父が御無事ありますように願ってやみません。それではこれで失礼します。どうかお元気で」
「家に上がって頂けないでしょうか」
みおは誠意を込めて言った。
「いや、それは良くありません。御尊父が御病気のところお邪魔する事になってしまうのでいけない」
博光は正直な気持ちを穏やかに言った。みおは世話になりっぱなしでせめてお茶ぐらいはと考えていたが諦めたようだ。
「どうも大変お世話になりました。博光様もお元気で、ありがとうございました」
みおは深々と頭を下げた。
「それでは、これで失礼します」
別れを告げて向きを変えて歩き始めた。去って行く博光の背中に向かって再び首を垂れてから、みおは心の底から無事安全を祈り、恩人の姿が見えなくなるまで見送った。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。