Knock, knock, knock!(里崎)
異世界と混ざり合う地点に、突然現れた大男がドアを設ける話。
里崎
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煮込んだ要素
・『宵闇戦線』の舞台、キャラ
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・『ガールドアガール』の設定(ドア、協会)、キャラ
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・『蒸気召喚術』の設定(召喚術、空賊)、キャラ
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闇夜の下に広がるのは、鬱蒼とした暗い森。
薙ぎ倒されて枝葉の散らばった無数の倒木が、月明かりと弱々しい街灯に照らされている。大きく歪んで黒く焦げたガードレール。巨大生物の足跡の形に凹んだアスファルトの道路には、いくつもの亀裂が縦横無尽に走る。
通称・前線と呼ばれる、異世界とこの世界とが混じり合う場所ーー害獣や怪異や異形が幾度となく押し寄せ人々の生活を脅かす、戦闘地域の真っ只中。
明かりの灯ったプレハブ小屋のドアが開き、ほろ酔いの男・イルマがふらりと屋外に出てきた。酔い覚ましに夜風に当たる。涼しい風を浴びながら、心地よい酩酊感い目を閉じて長く息を吐く。
木々のざわめき。鈴虫の音。黒いトレンチコートがはためく。
タバコを取り出そうとズボンのポケットに手を突っ込んだところで、動きを止めた。視線の先、近くの茂みから白い煙がうっすらと立ちのぼっている。
「……山火事か? いや、」
小さくつぶやいて、コートの中にさっと手を入れ、数歩近づく男。
キイィン、と甲高い謎の音。周囲にただよう白い煙が、徐々に鮮やかな紫に色づいていく。
風向きが変わり、ほのかな熱と湿度を帯びた空気がイルマの顔を包む。
生物の気配が一切なかったはずのその場所に、突如、何かの気配が忽然と現れる。
イルマの視界に、それが立ち上がる影が映る。
山頂から吹きおろした夜風が、立ち込める蒸気を押し流す。
その中から現れたのは、真っ赤なダブついたズボンを腰に引っ掛けた、筋骨隆々の大男。背中に黒い翼。迷子のようにきょろきょろと周囲を見回している。左の頬に、蝙蝠のような形の刺青。獰猛な目つき。
イルマの足が地を蹴った。同時、呪文を唱える冷静な声。手に持った小さなネイルハンマーがまばゆい金色の光に包まれ、一瞬で巨大なハンマーに変化。大男に肉薄したイルマがハンマーを振るう。鈍い打撃音と共に、金色の炎が激流のように吹き出す。大男の身体が大きくひしゃげて、紙切れのように吹っ飛んだ。大型トラックの脇に積まれていたビールケースに激突して、ケースが一斉に崩れる。プラスチックが折れる耳障りな音。瓶が割れる派手な音。
視線を敵から外さないまま、ハンマーを構え直したイルマが、
「敵襲だ!!!」
後方のプレハブ小屋に向かって怒鳴る。
数秒後、寝癖頭の女性や赤ら顔の青年たちが、杖や数珠や銃などを手にプレハブ小屋から慌ただしく飛び出してくる。スウェット姿の青年たちが近くに停めていた重機に飛び乗る。エンジンが低く唸り、キャタピラが砂利を踏みしめ、イルマが指し示した先ーーヘッドライトが崩れたビールケースの山を照らし出す。
「警報鳴ってませんよね」錫杖を手に駆け寄ってきた男が、イルマに小さく問う。
イルマはゆっくりと目をすがめる。「センサー類よりも手前に、『こっち側』に出現したからね……」
衆人環視の中、ビールケースと瓶の山がもぞもぞと動く。大男が身を起こす。割れたビール瓶を右肩から生やしたまま、不可解そうにイルマのハンマーを見つめ。
「文明レベルはそこそこ高いのに、『良く分からんものはとりあえず排除』かよ、なんかチグハグだなココ。……まぁ、こんなデケェ穴何個も開いてりゃそうなるか」
大男は一人で勝手に納得すると、肩の瓶を引っこ抜いた。ぼたぼたと垂れる紫色の鮮血。大きく口を開けてその瓶を美味そうに丸呑みしてから、満足そうに腹を叩く。
敵意のないーーというよりもそう見せつけるような態度に、今まで対峙して退治してきた怪獣たちとは異なる、明らかな知能と明確な意図を見てとり、イルマは周囲の臨戦体制の仲間たちに小さく片手を挙げて「ちょっと様子見よう」と諌める。
「しかし、喋る人型の怪獣ね。異世界もシュミ悪ぃな」
イルマのぼやきに、かいじゅう?と大男が首をひねる。「魔族だよ」
「……マスヤマ、魔族ってのは狩るもんなの?」とイルマ。
後方から曖昧な答えが返ってくる。小さく息を吐くイルマ。
とーー
突如、けたたましい警報音が闇夜の空気をつんざく。驚いた鳥たちが樹上から一斉に飛び立つ。傾いだ電柱に雑にくくりつけられた警告灯が、禍々しい赤い光を放って回転する。
イルマの手がハンマーを構え直して、重心を落とす。大男の背から、ゆらりと紫色のもやがーー身体からあふれた魔力の霧が立ちのぼる。
暗い森の奥から駆け寄ってくる数匹の獣の足音。荒い呼吸音。コブまみれの顔面を振り乱す、犬のような怪獣が茂みから飛び出した。鋭い牙の隙間から涎を散らす。齧っていた何かの肉片が落ちる。
土埃を上げて迫り来る半狂乱の獣たちに、まっすぐ立った大男が手のひらを向ける。途端、見えない壁に激突した獣たちが、ひゃいん、と情けない声を漏らして反動で吹っ飛んだ。次々と地面に転がるそこへ、高く跳躍したイルマの金色の槌が垂直に振り下ろされた。分厚い毛皮を容赦なく引き裂かれた獣の悲痛な咆哮。鮮血が噴き出し、露出した赤い肉を金色の炎が焼く。タンパク質の焼ける特有の匂いが周囲に広がる。
怯んで動きの鈍った後続の獣たちに、他の傭兵たちが次々と襲いかかる。
あぁ、と何かに気づいたように、大男が森の奥を見つめる。「ここ獣道か。よし、次が来る前に塞ぐぞ」
「どうやって」
「えーと、動力は、ああこれか」
近くの電柱を大男の片手が掴んでーー割り箸か何かのようにボキリと折った。細かい破片がボロボロと落ちる。傭兵たちの混乱をよそに、大男は電線をちぎって、その先端を黒い箱に差した。
途端、盛大な破裂音。
警告灯と街灯とプレハブ小屋の窓の明かりと、それから、後方の森の隙間に小さく見えていた市街地の明かりの全てが一斉に消えた。月明かりと重機のヘッドライトーーそれから、空気中に紫電が散る。
声を上げて制止しようとする魔法使いの青年を一瞥で黙らせて、大男は電線を引きずりながら前線のほうへ歩いていく。地面の土色と植生が明らかに切り替わる地点で立ち止まると、手のひらに載せていた黒い小箱を地面に置いた。そしてそこから、まるでティッシュか何かのように、白い板状の『何か』をずるりと引っぱり出す。飛び出す本を見ているかのような、トリックアートのような、奇妙な光景。
イルマが呆然と見上げた先ーー重機のヘッドライトと、自動で稼働を始めた予備電源の明かりに照らし出されたのは、前線を塞ぐようにそびえる、巨大な両開きのドア。船舶の水密扉や堤防の防潮扉を思わせる、重厚な金属扉。
ぽかんと口を開けたまま固まるイルマたちをよそに、
「うーん、この世界、エネルギーインフラ最高」
上機嫌の大男が箱から電線を引き抜いて放り出すと、黒い箱を大事そうに仕舞う。それから建て付けを確認するように扉の枠を叩いて、沓摺を覗き込む。
「馴染むまではここらへんの隙間から小せぇのが侵入してくるけど、気になるようなら粘土とか普通の建材で補修して」
イルマが疑いの目を向ける。「国の事業で何度か鉄筋防壁建てたけどねぇ」
「コレは特別製だぜ、繁殖期の飛竜の大群が来ようとブチ切れの魔王が来ようと、カギ持ってないと開かないし壊せないーー」
金色の光が洪水のようにほとばしり、巨大な金の槌がガァン!!!と扉を叩いた。
地面にしなやかに着地したイルマが、ふぅんと呟いて、ビルを一撃で倒壊させるほどの打撃でもなお傷ひとつついていない扉を眺め、ハンマーをコートの下に仕舞う。それから問う。
「で、怪獣の侵略を阻止して、代わりに魔族が侵略してくんの?」
「そんなに暇じゃねぇよ。俺はただ協会を手伝ってるだけ」
「協会?」
「そ。空賊には恩があってね。こーいうドアをいろんな世界に設ける、物好きな集団がいるんだよ」
「ああ、これがそうなのか。聞いたことがあるよ、あれだろ、年端も行かない若い子使って賞金稼ぎやらせてる」
「そうそれ。なんだ、協会のデータにはなかったけど、この世界にも転移者はいるんだな」肩口を掻きながらうなずく大男に、
「今更だけど。それ、止血は?」イルマが大男の肩口を示して問う。先ほど流血していた人外の皮膚は、何かでボコボコと盛り上がっている。
「いらん。何か食や治る。このへんで食うとこは?」
思案するように不精髭を撫でるイルマが、後方に広がる市街地のほうを向く。「避難区域だからまともなメシ屋はねぇよ。ずーっと行くと、焼き鳥の美味い居酒屋がーー」
と。
ドアの向こうから、コンコン、とノックの音。
イルマが言葉を切り、動きを止める。
重厚なドアがゆっくりと開いていく。
イルマの手が金色の光をまとい、
魔法使いの青年が慌てて杖を構え、
街のほうを見ていた大男が「ん?」と能天気に振り向いた先、
大きく開いたドアの向こうに、制服姿の女子高生が2人立っていた。胸元に下がる鎖の先端、小さな鍵型のチャームが揺れる。
「おっじゃまっしまーす!」
「恵、『魔械世界』ですよ。ここではドアを越えるときに靴をぬぐ、って聞きました」
「えぇ〜めんどくさ」
「やー、いや、そこは脱がんでいい」そう声をかけたイルマが、疑いの眼差しを隣の大男に向ける。「ほんのついさっき、開かない、っつったよね?」
「コイツらがそのドアガールだよ。これも狩らんほうがいい」と大男が言い、疑問符を浮かべている周囲の傭兵たちに説明する。「ドアガール、要は世界を転々とする賞金稼ぎだな。色んな世界のヤツがいるから、値段付けりゃ、どんなものでもしとめてくれる」
「ああいうのも?」
イルマが示した先、先ほど仕留めた犬たちの、わりとグロテスクな死屍累々。
「朝飯前だよ」
微塵の動揺も見せない笑顔の小娘にふぅんと納得したようにうなずいて、
「で、ドアガールが何の用? 繋がったばっかで、まだ『値付け』も終わってないぞ」大男が問い、
金髪の少女が笑顔で答える。「新しくドアできたって聞いたから!」
「若者の行動力はどの世界も一緒なんだなぁ」どうでもよさそうにぼやくイルマ。
「まずはー、」
金髪の少女が言いかけるのを遮って、黒髪の眼鏡少女がイルマを真っ直ぐ見て、表情を変えずに言う。
「この世界でいちばんおいしい甘いものを教えてください」
「おお良いねぇ、俺も食う食う」刺青まみれの大男が嬉しそうに顔を綻ばせる。
イルマは困惑顔の傭兵たちと顔を見合わせ、長く息を吐いた。白み始めた空を見上げ、大きく伸びをする。広い背中がバキバキと鳴る。
「ドアの向こうは欠食児童ばっかってか。はいはい、おもてなししますよ」
***
その後のおまけ。
季節限定のなんたらフラペチーノを美味そうに飲んでははしゃいだ声で感想を語りあう女子高生二人。
その対面の席でそれを眺めつつ、紙ストローでアイスコーヒーをすするイルマが、ふと尋ねる。「そのカギってのは、誰でも、俺でももらえんの?」
「お、ドアマンに興味あり?」金髪の少女が顔を上げる。
「そのうち協会の人間がくるので、ドアの前で待ってると良いです。調査隊や値付け係と一緒に、スカウトもくるはずです」と黒髪の少女。
「どっか行きてぇの?」
湯気の立つマグカップを丸ごと丸呑みした大男が、ティーバッグのタグを口の端からひらひらさせながら首を傾げる。
イルマは深くうなずく。
「何度思い出しても、あそこのフロは最高だった……」
「……お風呂?」
少女二人がきょとんとして顔を見合わせるのに、イルマは苦笑する。
「若い子にあの良さは分からんだろうね」
そんならさ、とシュガーレイズドドーナツを3個食べた大男が、ベタベタの指をイルマの眉間に突きつける。「俺の世界ならカギ待たずに行き来できるからいっぺん来る? こだわりの共同浴場、そこらじゅうにあるぜ」
二つ返事で首肯したイルマが、待望の風呂と数年越しの偶然の再会を果たすのは、この直後のこと。