王国の歴史
この王城には書庫がある。
貯蔵されているのはこの国の歴史に関する本からあらゆる学問の専門書、さらには人気女優の写真集や若者向けの流行小説など。要は何でもある、というわけだが、王女はここに入り浸るのがやたら好きだ。高級そうな重い扉を開くと、目眩がしそうなほど大量の書物が俺を出迎えてくれる。
「王女、クレモンティーヌ王女」
俺は本の海にそう呼びかけながら、王女の姿を探す。手に持つのは、勇者たちが提出したレポートの束だ。昨日、王女が命じて書かせたそれは「できるだけ詳しく書け」という指示があったからなのか、一冊一冊がやたら分厚い。おかげで右腕全体で抱えなければならないため、普段は使わない筋肉が悲鳴を上げているようだ。
「ルゥですか。勇者たちのレポートですね? こっちに持ってきてください」
声が聞こえた方向に目を向けると、読書机に積まれた大量の本の山が俺の視界に飛び込んでくる。我がプリンセスはどうやら、あの中にいるらしい。本が喋っているようなシュールな光景だが、その正体がとてつもなく面倒くさい性格の王女であるとわかっている以上はそれに従わなければならない。レポートの束を抱え直した俺は、本の山に近づいていく。
本の山の間をすり抜けるようにして、俺は目的地に辿り着く。王女は読書机の椅子に座って、何やら分厚い本に目を通していた。ほっそりとした指でときどきページをめくりながら、青い目で文字を追っていく王女。長い睫毛と絹のようなサラサラの前髪が、真珠のような肌に影を落としている。黙っていれば、この王女は本当に美少女だ。できればずっとこの大人しく綺麗な姿のままでいてほしい。そして、それを飽きることなく眺めていたい。召使いの俺がそんなことを望むのは、おこがましいことだろうか。しかし、それでも俺はそう願わずにはいられない……
「ルゥ、どうしました? もう下がっていいですよ」
いきなり声をかけられ、心臓が跳ね上がる。生粋の召使いである俺の立場としては素早く返事をし、ここから立ち去らなければならない。しかし、俺の唇は空回りするばかりだ。何度か金魚のように口をぱくぱくさせた後、飛び出てきたのはこんな質問。
「王女、一体何を調べているんですか?」
言ってしまった後になって、軽々しく王族にそんなことを聞いていいのかという疑問が頭をよぎる。だが、クレモンティーヌ王女は別に機嫌を損ねた様子も無く、当たり前のように言葉を返してきた。
「この国の歴史についてです」
「歴史、ですか?」
「そうです。我が国はもともと小さな国でしたが、周辺の集落や農村などを吸収しながら徐々にその国土面積を広げていきました。そのため建国当初は人間だけでなく魔物や獣人など、あらゆる種族から国家が形成されていたのです。その中でも特に数多く暮らしていたのが、『亜人』と呼ばれる種族でした」
「亜人?」
二回続けて王女の言葉をおうむ返しにしてしまった俺に、王女は軽く頷いてから口を開く。
「亜人とは人間に近い容姿を持ちながら、人間と異なる性質や能力を持った種族の総称です。エルフやドワーフと言えば、貴方も聞き覚えがあるでしょう? そんな亜人たちがこの国でも数多く暮らしていましたが、時が経つにつれ姿を消していき今では滅びたと言われています。それはなぜだか、わかりますか?」
王女の問いに、俺はかぶりを振る。
一応、王族に関わる立場である俺はこの国の歴史をざっくばらんに教育されている。しかしそれは本当にあらすじだけで、重要度の低いものや煩雑なものはおそらく省かれているだろう。そしてたぶん、王族にとって都合の悪いものも。解答を出せない俺の代わりに、王女は続ける。
「人間、特に王族が亜人たちを迫害したからです。王家は彼らの文化や技術を貪欲に奪い取る一方で、亜人を『人間とは違う、忌むべき存在』として扱い徹底的に差別しました。その結果、この国に住むのは私たち人間だけになってしまったのです。ここには、その歴史があります」
王女がすっ、と天を仰ぐように本の山を見回した。その動きにつられて、俺も近くにある本の背表紙に目を移す。王家の紋章が入っているものは、王家の人間のみが読むことを許された本だ。だから今、この部屋にいる人間でその中に何が記されているのかを知るのは王女のみ。亜人とその迫害の歴史が真実なのかどうか、本当にそんなことがあったのかどうか、俺は何も知らない。