追放者に本当の復讐を見せてやる
「本当の復讐を見せてあげましょう、お父さん」
幼さの残る少女が、背筋が冷たくなるような笑みで、横たわる男の顔を覗き込んで言った。
目覚めたばかりで、男の記憶ははっきりしない。
冷たい石の上で、寝ていた理由がわからない。
目の前の少女が誰かも覚えていない。
自分の名前が出てこない。
自分が……誰なのか……。
男は頭を抱えながら起き上がる。
「何も覚えてないんでしょ? そうだよね……。どんなひどいことをお父さんが受けたのかも、知らない……覚えてないんでしょう? ねえ、お父さん」
「いや、なんのことか……。それにキミのことも」
一方的にしゃべる少女に気圧され、男の言葉が詰まる。
「わかってる。記憶がないのね……」
少女は腰に履いた剣を、震える手で握りしめる。
恐ろしい形相と今にも剣を抜きそうな態度に、男は怯えた。
その様子を見て、誤魔化すように少女は微笑んだ。
「大丈夫よ、お父さん。私に任せて! 絶対に記憶を取り戻して、アイツに本当の復讐を見せてあげるわ」
* * *
男は名前も思い出せないまま、父と呼ぶ少女に連れられて旅を始めた。
「お父さんの名前はペイディアスよ」
名前はわかった。
ペイディアスと言うらしい。
知っているような、知らないような、とペイディアスは額を抱える。
「私の名前はヘノフィーディア。みんなからフィディって呼ばれてるわ。もちろんお父さんからも。覚えてよね、お父さん」
「ああ、わかった……」
ペイディアスは力なく答えた。
自分が誰なのかわからないので、そんな返事しかできなかった。
元気というか、気力というか、気分がはっきりしないというか。ペイディアスはフィディに言われるがまま、旅へと連れていかれる。
目的地はわからない。
馬車を乗り継ぎ、船で大河を下り、様々な街を訪れる。
どこへ行くのか、と聞いても、フィディは探しているとしか言わない。
誰を? とペイディアスが尋ねると、お父さんを苦しめたヤツ、としか言わない。
旅の先々で、そのお父さん……ペイディアスを苦しめたという人物の悪評が聞こえた。
「まったく! あのバカ王子はどこに逃げたんだろうね」
王家に最も近い湖とも呼ばれる避暑地の宿屋の女将が、苦々しげに、だがどこか痛快だという表情で、声たからかに王子をバカと称した。
これを聞いていた少女は同意するように微笑む。
「お父さんをあんな目に合わせたのに、どこかで呑気に過ごしていると思うと腹が立つわ」
「まったくねぇ。英雄であるあなたのパパ……そこのペイディアスさんを追放して、その手柄を横取りした上に放蕩三昧。バカ王子ってどころじゃないわ」
「おい、おまえ……」
悪口で盛り上がる少女と宿屋の女将に、宿屋の親父はたまらず声をかけた。
今でこそ悪事がバレて、追われる身となった王子だが、元はやんごとないお方である。
宿のオヤジが尻込みするのも理解できる。
「ああ、そうだったね。もう王子じゃないんだったわ。ただのバカね」
女将はまったく尻込みしない。なかなかの度胸である。
「あんたも大変だったわねぇ。聞いたわよぉ。あなたの功績を全部奪ったんですって? あのバカ王子」
「そ、そうらしいですね?」
記憶のないペイディアスは、あいまいにうなずいた。
その様子を隣で見ていたフィディが、目を細めて笑う」
「だから、本当の復讐を見せてあげましょう。お父さん」
* * *
男にとって当てのない旅が続く。
少女……娘には当てがあるようだが、記憶が無いせいもあって、男はただ彷徨っているだけのように感じた。
不安で不安で堪らない。
記憶が無いせいなのか、娘が何をしようとしているかわからないせいなのか、不安だけが募る。
どこへいっても娘の父を褒める声ばかりだ。
「ペイディアスは立派な方だ」
「あのような方こそ、人の上に立つべきだ」
「強いうえに人ができてる。気配りだってできたしね」
記憶がないこともあって、当初はモヤモヤしていたが、今ではその言葉が嬉しく感じる。
反して――。
ペイディアスを追放し、その功績を奪ったという王子への評価はひどいものだった。
「立派なお父さんをあんな目に合わせておきながら、英雄気取りでひどかったのよ」
「顔だって大してよくもないのに、色男を気取ってさ」
「性格も悪い、王子としての能力も皆無、腕は立っても多少できるくらい」
「王子じゃなければ、なにものにもなれないようなヤツだよ」
いい話は一つもない。
どれだけひどい王子だったのか。
徐々にペイディアスは王子に憤慨していた。
記憶はないが、そんなヤツに功績を奪われたのか。
腹立たしい。
ペイディアスは知らない相手を憎み始めていた。
だが、同時にこの旅を終わらせたい、そんな気持ちも芽生えていた。
娘フィディは旅をやめようとしない。
かならず王子を探し出すという。
痕跡などないのに。
「足取りはつかめないけど、当てはあるわよ。ここの山を越えたところに、姿形を変えるという不思議な洞窟があるの」
「そこで顔を変えて逃げた、って考えているのか? でもなんでそこへ……。別に行かなくても」
「お父さんの記憶もそこで戻るから。それに王子に復讐しないといけないでしょ?」
「そうだな……。このままってわけにもいかないか。これだけのことをしでかして、逃げ回っているなんて許せないしな」
「……そうよ、わかった!?」
娘が強く叫んだので、父親は怯んだ。
「あ、ああ……よくわかったよ」
* * *
「この古い神殿で……お父さんの記憶が戻るわ。やっと……やっと、ね」
光の満ちた神殿で、降ってくる光の粒を見上げてフィディがくるくると回る。
とても満ち足りた笑顔だ。
同じ光景を見ながら、ペイディアスは頭痛に苛まれる。
漠然とした不安を押しのけて、満ちていく明晰な記憶の数々。
王子という立場を利用し、乱暴狼藉。
部下たちを犠牲にし、彼らの功績を自らのモノに。
ついには英雄ペイディアスを亡き者とし、自らの栄達とした。
それをやったのは……自分だ!
いつの間にか、ペイディアスの髪が伸びていた。
体格も一回り小さくなっていた。
彼はもうペイディアスではない。
ペイディアスを追放して僻地で謀殺したバカな王子。
フィディがさっきまで父と呼んでいた男は、憎い仇の王子であった。
「な、なぜこんなことを! 俺はこんなやつじゃない! 違うッ! オレはペイディアス……ち、違うのか! オレはオレなのか!」
身勝手にも自分を否定する叫びが響き渡った。
あまりにも無能な自分。
受け入れられない。
今までの旅で憎悪すら覚えた存在が、自分だったなど到底受け入れられるはずがない。
王子は髪を振り乱し、フィディの行為に掴みかかるが、見事に避けられて無様に床に転がった。
そんな王子を足蹴にし、剣を引き抜いたフィディが微笑みかける。
「言ったでしょう? 本当の復讐を見せてあげるって」
サクッと2時間で書いた。
なんとなく長編で書きたいけど時間がないので。
小ネタ:
phidias ペイディアス
Henophidia ヘノフィディア ムカシヘビ上種