エピローグ
うららかな春の昼下がり、領地は桜が花盛り。
どこもかしこもピンク色に染まっている。
わたくしとベルトルードは桜の名所である公園にピクニックに来た。
今日は日曜日。たくさんの領民たちが公園でのんびりとお花見をしている。
そんな公園の一画でわたくしたちが優雅にピクニックセットを広げてお茶を楽しんでいると、愛すべきわたくしの領民たちがわたくしへの貢物を持って集まってきた。
「カトレア様、帰ってきたのかい」
「あんれま、なんだかやつれたんじゃないかい?」
「もっと食べなきゃダメよ?」
「レア様ー、これあげるー」
「レア様、ダンゴムシいたよー」
大人は食べ物を、子どもは花や虫やピカピカの泥団子を。思い思いの宝物をわたくしに捧げていく。
わたくしは、「ありがとう」「おいしそう」「素敵ね」「センスがいいわ」「大変だったでしょう?」とねぎらいの言葉をかける。
隣ではベルトルードがせっせとそれらを綺麗に並べていく。
皆が去って、
「こんなのこんなにどーするんですか?」
集まった物の無秩序さにベルトルードが苦笑した。
わたくしは一つ一つを愛おしく見つめる。
「もちろん食べ物は食べるわ。花は飾るし虫は飼うし、泥団子は部屋の棚に飾りましょう。見てこれ、手仕事で磨き上げられているのよ? 美しいわ……」
春の日差しでピカピカと輝く泥団子をうっとりとながめる。泥団子は赤・黄・青の3色のメタリックカラーに彩色されている。これは手の込んだ逸品だ。こんなに美しいものがつくれる子どもは将来きっといい職人になるでしょう。
領民たちの成長には目を見張るものがある。
「やっぱり3年もいないと色々変わるものね」
わたくしはくつろぐ領民たちを眺めながら感慨にふける。
3年前よりも大きく育った子どもたち。
わたくしが3年前に泣かせた悪ガキはつるりと頭を剃っていていっぱしの小坊主になっているし、わたくしが決闘方法を伝授してあげたいじめられっ子はすっかりチャラ男になって道行く婦女子を誘ってはぶたれている。
大人たちはといえば、しわくちゃのおばあさんがピチピチのお肌に変わっているし(魔女なの?)、ヒャッハーしていたモヒカンがトレードマークの粉屋はみごとな七三分け眼鏡に変わっていて、3年間の重みを感じずにはいられない。彼らにも色々あったのね……。
でも、みんな元気で本当に良かった。
ほんわかと温かい気持ちになって、隣に座るわたくしの魔法使いを見る。
「ベルトルードも背が伸びたわね」
3年前はわたくしが見下ろす側だったのに、今は同じ目線の高さだ。
「まだレア様をちょっと超しただけですよ。もうちょっと伸びてもらわないと困ります」
ベルトルードは肩をすくめてみせる。
「男の子はいいわよね、わたくしはもう伸びなくなってしまったわ」
人を見下すのが大好きなわたくしとしてはとても残念。
ふうっとアンニュイなため息をついて、いただいたスミレの砂糖漬けを一つ口に運ぶ。
スミレの香りとお砂糖の甘味が口に広がって、わたくしのほっぺたが落ちた。
「あらこれ美味しいわ。ベルトルードもお食べなさい」
ベルトルードの口元に砂糖漬けを指で運んであげる。
ベルトルードはちょっと眉をひそめて何秒か固まってから口を開けて砂糖漬けをもぐもぐと食べた。
「もしかして、甘いものが苦手になったの?」
昔は好きだったと思うのだけど。
「……好きですよ」
「じゃあもっとどうぞ」
瓶ごと差し出してあげる。
ベルトルードは複雑そうな顔で受け取って、また一つ摘んだ。
遠くでボール遊びを始めた子どもたちを眺めながら、お茶を飲む。
「平和ね」
「そうですね」
わーわーきゃーきゃーという楽し気な声が遠くから聞こえる。
「そういえばあなた、マタタビを出す魔法なんてよく使えたわね」
わたくしは先日の騒動の時のことを思い出す。
マタタビを出すなんて魔法、ニッチ過ぎるわ。
「あれは……、レア様が猫になってあわてて猫系の魔法について調べてるうちに見つけたんですよ」
ベルトルードがバツが悪そうな顔をする。
「本当は、呪いだってレア様が全部かぶらないようにできたはずなんです。なのに……完全に俺の力不足ですよ」
しょんぼりと肩を落とすベルトルード。
なんだかんだ真面目な子なのよね。
わたくしは嘆息して、その頭をよしよしとなでてあげた。
「! レア様……!?」
驚いた声をあげているけれど、わたくしは気にせずに柔らかい髪を優しくなで続ける。
「あなたはよくやってくれたわ、ベルトルード。まだ子どもですもの、できないことだってあります。
でもわたくしはこの通り人間に戻れて、シャロン様ともお友達になれて、ボンクラ王太子殿下と婚約破棄できて無罪放免なのだから、上出来ではなくて?
少なくとも、あなたがあの晩来てくれなければ、わたくしはずっとベッドの上で死んだ魚の目をしていたわ」
自分でクスリと笑ってしまう。
本当に、今思えば何をあんなに絶望していたのか。
心が弱っているって恐ろしいものね。
「ベルトルードはいつもタイミングがいいわよね。わたくしが困った時にはいつも助けてくれるわ」
わたくしが微笑みながら言うと、ベルトルードは視線を落としてすねたような顔をした。
「……あの晩は、本当はレア様にお別れを言いに行ったんです」
「え……?」
思わぬ言葉に息が止まった。
目を見開き、手を強く握りしめる。
「ど……どういうこと……?」
声が上ずり、鼓動が早まる。
お別れ?
ベルトルードがいなくなる?
指先が急に温度をなくし、震え出す。
「『学園』を卒業したら王太子殿下と結婚することになってたじゃないですか。だから……俺はもうここにいられないって思って……」
「何を言ってるの!」
わたくしは声を荒げてベルトルードの腕を掴んだ。
「いられないなんてどうしてそんなこと言うの……!?」
目から涙がポロポロとこぼれた。
「……っ……! なんで……っ……!」
それは次々とあふれ出して止まらない。
「ちょっ……、泣かないで、レア様」
「あなたが泣かせてるのよ……!」
ベルトルードがオタオタと拭くものを取ろうとするけれど、わたくしは腕をつかんだまま離さない。
だって、離した途端にどこかに行かれては終わりだもの。
「誰かに何か言われたの? それともあなたがいたくないの?」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「じゃあなんなの!? ねぇ、教えて。どうしたら……あなたはここにいてくれるの……?」
わたくしがすがると、ベルトルードは困ったような顔をして、それからちょっと考えてニヤッと悪い顔をした。
「そうですね、レア様がキスしてくれたらここにいてあげてもいいです、なーんて……」
「わかったわ! キスね!」
わたくしは間髪入れずにベルトルードの唇にキスをお見舞いした。
加減が分からず、ぐいぐいと唇を押し付ける。
そして息が続かなくなった頃、えいやっと離した。
「はあ……はあ……、どう……!?」
挑むようににらみつける。
ああ、唇に残った柔らかな感触と胸が詰まる感覚にどうにかなってしまいそう。
ベルトルードは目を白黒させて固まっている。
「ど……どう……って……」
顔がみるみる真っ赤になっていく。
「どうなの!? これであなたはわたくしのものになってくれたの!?」
わたくしも顔から湯気でも出そうなほど熱い。
固まっていたベルトルードが突然笑い出す。
「クハハッ! ハハハハハハハハハ!」
「何で笑うの!?」
こっちは真剣なのに!
「はいはい、なりましたなりました! 俺はレア様のものですよ!」
ベルトルードは笑いながらわたくしを抱きしめた。
でもそれはなんだかお茶らけているように聞こえて、わたくしは疑ってしまう。
「本当に?」
体をグイッと離してねめつけると、ベルトルードはニコニコしながらわたくしを見つめる。
「本当ですよ。っていうか、話は最後まで聞きましょうよ。
俺がここにいられないって言ったのは、レア様と他の男がくっつくところなんて見たくなかったからですよ。でも婚約破棄されたって言ったから、ああじゃあまだチャンスはあるなって思ったんです。だからどっか行ったりなんてしませんよ」
「え……? ええ……? そ……それじゃあ……わたくしの今の捨て身のキスは……無意味……?」
どっと疲れが押し寄せてきて、わたくしはがっくりと肩を落とした。
わ……わたくしだってこんなファーストキスをするつもりはなかったのよ?
もっとロマンチックなロケーションとシチュエーションで告白して、結ばれるのを夢見ていたのよ?
断じてこんな酔っ払いとファミリー溢れるお花見会場でじゃないわ!
でもベルトルードがいなくなるとかふざけたことを言い出すから仕方がないじゃない! 不可抗力よ!
なんだかとても悔しくなってベルトルードをにらみつけると、ベルトルードはわたくしの髪をなだめるようになで始める。
……気持ちいいわ……。猫の時も思ったけど、この子、なでるのがすごく上手なのよ……。
わたくしのささくれだった心がどんどんと癒されていく。
「無意味じゃありませんよ。俺はうれしかったし」
はずんだ声に顔がほころびかける。
「……………………」
でも、なでなでくらいでほだされないぞと、わたくしはなけなしの自制心で口をとがらせる。
「ねぇ、レア様」
ベルトルードがわたくしの耳に口を寄せる。
「もう一回しましょう? 今度はちゃんと気持ちのこもったの」
コソッと甘くささやかれて、
「……よろしくってよ」
わたくしは口をとがらせながらも頷くと、ベルトルードはわたくしをまっすぐに見つめて微笑んだ。
「レア様……愛しています」
月色の瞳にわたくしが映って優しくゆらめく。
そうしたら、わたくしの意固地はすっかりどこかへ行ってしまって、
「わたくしも……ベルトルード、あなたを愛しているわ」
瞳の中のわたくしが穏やかに微笑んで、自然とまぶたが閉じていった。
公衆の面前でキスをしていたわたくしたちは気づけば子どもたちに囲まれていた。
「ねー、何してんのー?」
「チューだチューだ!」
「わーいわーい」
わたくしは真っ赤になりながら子どもたちに向かってびしりと指をさす。
「覚えておきなさい、子どもたち! これが、愛よ!」
わたくしたちの交際は0秒で皆の知るところとなったのだったわ!
完!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
お読みいただきありがとうございました!