にゃにこれーたのしー
というわけで、わたくしとベルトルードはアンセルミ男爵邸に来た。
猫は猫でかわいいけれど、このまま人間に戻れないのも困る。早く呪いを解かせよう。あと文句の一つも言ってこよう。
と思ったのに、いきなり門番に止められてしまった。
普通の少年が美しい猫を連れてやってきて驚いているようだ。
「いきなり来られてもここを通すことはできない」
凡庸な門番は毅然と言いながらも、落ち着きなく手をモジモジと組んだり外したりする。
「約束している方しか通せぬのだ」
ベルトルードに抱っこされたわたくしをチラチラと見る。
「そうなんですって、レア様」
わたくしは気にせずベルトルードの手から飛び降りて門番の脇を通って進んだ。
わたくしの行く手を阻むなんて、門番ごときが片腹痛いわ。
「あっ、猫ちゃん! ダメダメ!」
わたくしを勝手に触ろうとするのでシャーッ!と威嚇してやる。
門番はビクッと手をひっこめた。
「困るんだよ、勝手に屋敷にいれたら俺が怒られちまう」
「にゃにゃにゃにゃううにゃんにゃにゃにゃにゃ、なごーんなごん。みゃうんにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃっにゃなごごーん(職にあぶれたらウチに来なさい。下男として雇って差し上げますわ)」
「この方はヴィスコンティ公爵家ご令嬢だよ。職に困ったらウチに来なさいって言ってるぜ?」
「ええっ? 確かに気品あふれる猫ちゃんだけどよう」
ブツブツ言う門番にベルトルードはめんどくさそうに『暁は未だ見えず』と告げて門番の頭を指でコツンとやる。
門番は崩れ落ちるように眠ってしまった。
「行きましょーか」
「にゃん(ええ)」
それなりに広い屋敷なので、使用人を捕まえてシャロンの居場所を吐かせることにした。
「ね……猫ちゃん!? 触っていいですか……!?」
「きゃーっ! きゃわいい……!」
「わたしもわたしも!」
使用人たちが集まってきてわたくしの体をもみくちゃにしようとするので、「シャッ!」と一喝してやる。
「にゃおんにゃにゃにゃ(ひとりずつよ)」
厳かに告げると使用人たちの視線が一気にベルトルードに集まる。
「一人ずつならいいってさ」
ベルトルードが通訳すると、使用人たちは一列に並んで行儀よくわたくしをなでていった。
中にはちょっと触るのがぎこちない者もいて、わたくしはなでやすいように体を動かしてあげる。
貴き者が卑しき者を導いてあげるのは当然の行いだから。
全員が触り終わったころには皆一様にわたくしのとりこになっていた。言わずもがな。
「シャロンって人のとこに行きたいんだけど」
シャロンの部屋まで案内してくれた使用人には特別に抱っこもさせてあげたわ。
「にゃっにゃにゃん。なごなごなーご(まったく……。触られるのも疲れるわ)」
「……あんなヤツラにまで触らせてやることないのに」
ぐいーんと体を伸ばしながら愚痴ると、ベルトルードも不満げなつぶやきを漏らす。
「にゃん?にゃにゃっにゃにゃにゃにゃーんなごなご。にゃにゃにゃにゃんにゃにゃにゃみゃーごみゃーごみゃうんみゃふにゃんふふにゃんふにゃんにゃーん(あら、美しいものを愛でる心は育てて差し上げるものだわ。それに主人を裏切るのだから相応の対価を与えてあげるべきよ)」
諭してあげてもベルトルードは口をとがらせている。
美しいものを独占したいのは当然だけれど、やっぱりまだ子どもね。教育的視点が欠けているわ。
ベルトルードは何か言いたげな顔をしたけれど、結局何も言わずにノックなしにドアをバンッと乱暴に開けた。
「誰!?」
中にはシャロンがいた。
「にゃにゃん! にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃなごなごみゃうんみゃみゃうーん。フーッ!(シャロン! わたくしにかけられた呪いを解いてもらいに来たわよ! 覚悟しなさい!)」
シャロンは部屋の中だというのにピンク色の大きな帽子をかぶっている。
「カトレア・ヴィスコンティ……! やっぱりあなたのせいだったのね……!」
シャロンがわたくしを見て憎しみのこもった視線を向ける。
「ひどい! こんなのってあんまりだわ!」
「にゃうん?(なにを言っているの?)」
ヒステリックに叫ぶシャロンに、わたくしはかわいらしく小首をかしげる。
呪いはわたくしに跳ね返ってきてこのとおりなわけで、あなたは無傷じゃない。なんでわたくしがこんなこと言われてるの?
訳が分からずとりあえず前足で顔を洗っていると、ベルトルードが一歩前に出た。
「猫の言葉がわかるなんて、お前が術者か! カトレア様にかけられた呪いを解いてもらうぜ!」
「それよりわたしの呪いを早く解いて!」
「いいや! カトレア様が先だ!」
「わたしには時間がないの! 早く解きなさい! 今すぐ! 今すぐよ!」
ベルトルードに詰め入るシャロン。
「はあっ? えらっそーに誰に命令してんだ!? 俺に命令していいのはカトレア様だけだ! 『塵旋風』」
つむじ風が吹いてシャロンが壁まで吹き飛ばされる。
シャロンはずれそうになった帽子をぎゅっと手で押さえて、ベルトルードを睨みつけた。
「やるっての!? それならこっちだって! 『来たれ約束の日、開け猫世界の門!』」
シャロンが叫ぶと、どこからともなく猫が部屋の中に集まってきた。
黒猫、白猫、サバトラ、チャトラ、三毛、シャム、スフィンクス、マンチカン、ベンガル、ロシアンブルー……、様々な色柄、様々な猫種、ありとあらゆる猫で室内が満たされていく。
そのすべての猫がわたくしとベルトルードに襲い掛かる。
「にゃにゃにゃーん」
「にゃんにゃん」
「みゃうん?」
すりすりしたり体に登ってきたりやりたい放題だ。
やめて、つぶされちゃう!
「にゃうーん! にゃなななーご!(たすけて! ベルトルード!)」
でもかわいい猫ちゃんたちを傷つけるわけにはいかない。
もみくちゃにされながらベルトルードに手を伸ばす。
「レア様! 今助けます!『酔猫の夢!』」
ベルトルードがシャロンに向けて魔法を放つ。
「きゃあっ! けほっけほっ! こ……これは……!」
突然現れた茶色い煙に包まれて咳き込むシャロン。
いい匂いがしてクンクンと鼻をたくさん鳴らしていると、なんだかぼんやりいい気分になってきた。
こっちからいいにおいがするのかしら?
他の猫と共にフラフラとシャロンに近づいていく。
「レア様はこっち!」
ベルトルードに抱っこされてその胸にスリスリと顔を擦り付ける。
ふわふわ ふわふわ いい気持ち
他の猫たちは標的をわたくしたちからシャロンに変えて、ゴロゴロスリスリやりたい放題を始めた。
「キャーッ! ちょっと待って! わーっ!」
シャロンの帽子が酔っ払いの猫に奪われる。
シャロンの亜麻色の髪から白い猫の耳がぴょこんと飛び出した。
「きゃーっ! 帽子! 帽子!」
大慌てで帽子を探してアタフタとするシャロン。
ぎゅうぎゅうの猫たちの中で帽子はすでに行方不明になってしまっている。
「にゃうん? みゃみゃみゃみゃーんっ!(シャロン? 何その耳、おっかしーっ!)」
わたくしはおかしくてにゃんにゃん笑い出す。
一旦笑い出すといい気持ちも相まって笑いが止まらなくなってしまった。
「にゃにゃにゃーん!(おーほほほほほほ!)」
「笑うな笑うなーっ! これはあなたのせいなんだから!」
手で耳を必死に隠そうとしながら涙目のシャロン。
「にゃにゃにゃ? (わたくしの?)」
「そうよ! あなたたちがかけた呪いが弾ききれなくてちょっぴりだけかかっちゃたのよ! だからこんな中途半端な姿に!」
「うわ、ださ」
「みゃうみゃんみゃみゃおーん? みゃうみゃうみゃう(猫耳ってむしろあざと過ぎない? おほほほほ)」
「うるさーい! 早くなんとかしなさいよ! こんな耳としっぽじゃ殿下と結婚できないわ! ああ早くなんとかしないと! もうすぐ来てしまわれるわ……!」
しっぽ?
わたくしはすごく気になって、シャロンのところまで駆けて行ってドレスのスカートの中に潜り込む。
「きゃっ! なにすんのよっ! わっやめっ あっ!」
わたくしはスカートの中でぴょこぴょこ動く真っ白なしっぽをみつけて、ぺしぺし猫パンチをして遊ぶ。
パンチしてもひょこっと戻ってくる。
なにこれーたのしー。
「にゃにゃっにゃー。にゃんっ。にゃんっ。(ぴょこぴょこー えいっ えいっ)」
「ちょっ! レア様! 戻ってきて!」
ベルトルードがなにか言ってる。うん、わかってるよ? もどる。もどる。あと一回だけ。えいっえいっ。
「やんっ! やんっ! やんっ! きゃうっ!」
くすぐったそうに身をよじるシャロンがわたくしから逃れようとして足がもつれて転んでしまった。
その拍子にスカートがめくれ上がり、しっぽが表に露わになる。
それに白いフリルのついたなんか見えちゃだめなのとかあるような?
「げっ!」
「ふえええんっ! やめてようっやめてようっ!」
「にゃんにゃんっ(えいっえいっ)」
顔を真っ赤にして目をそらすベルトルード。
涙目でやめてと連呼するシャロン。
またたびの香りに酔っぱらって夢中でしっぽのぴょこぴょこを追い続けるわたくし。
同じく酔っ払い仲間の大量の猫たちがシャロンの上でゴロゴロと遊びだす。
そんな地獄絵図の中――
「シャロン、殿下がいらっしゃって――」
ウキウキとボールのように弾んだ様子の恰幅のいい禿げ上がったおじ様が現れて。
「シャロン! 君に会いに来たよ!」
続いて、花束を持ったご機嫌な王太子殿下が現れて――
『なんじゃこりゃーっ!』
二人そろって絶叫した。