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婚約破棄

「カトレア・ヴィスコンティ、今この時をもってそなたとの婚約を破棄する」


 目の前でそう告げたのは、わたくしの麗しい婚約者だった。

 わたくしは突然の非道な発言に目を見開いて、動けない。


 ――ここは貴族の子女が通う『学園』。

 そして、今はわたくしたちの卒業パーティーが行われていた。

 わたくし、カトレア・ヴィスコンティはこの国唯一の公爵家の長女であり、それと同時に王太子トリスターノ・パルミエリ・ウェルティア殿下の婚約者であった。今このときまでは。


 わたくしを厳しい目で睨んでいる婚約者殿の隣にいるのはシャロン・アンセルミ男爵令嬢。うつむいて申し訳なさそうな顔で黙っている。


 何が起きているの?

 わたくしが……婚約破棄?


 信じられなかった。


「ど……どうして……? どうしてですの!? なぜわたくしが!」

 

 トリスターノ様は汚らわしいものを見るような目でわたくしを見下す。

「どうしてだって? 理由はそなたが一番よくわかっているだろう!? シャロン嬢に対する数々の非道な行い、人として許されるものではない! そなたは我が妃にふさわしくない!」


「非道な……行い……?」

 何の話だろう?


「そなたはシャロン嬢を噴水に突き落とし、授業で使うノートを汚し、シャロン嬢を転ばせて皆の笑いものにし、あまつさえシャロン嬢の食事に毒を盛った! シャロン嬢の様子が最近おかしいから問い詰めてみれば……! そのような非道な行いをする者を我が妻にするわけにはいかない!」


 厳しい言葉がわたくしの心を打ちのめす。


 そんな。そんな。そんな。


 わたくしはシャロンを見つめる。

 シャロンは決してわたくしの目を見ない。


 わたくしは涙が出そうになるのをぐっと我慢する。


 泣いてはいけない。わたくしはヴィスコンティ公爵令嬢、こんなことくらいで……泣いては、いけない。

 

 とにかくきちんと説明を……。説明をすれば……。

 混乱した頭でわたくしは口を開く。


「納得……できません……! トリスターノ様お聞きください! わたくしは……!」


「黙れ! 私をこれ以上怒らせたいのか!」

 弁明を止められ、さらに激しい叱責を受けて私は口をつぐむ。

 訴えたい言葉が頭に浮かんでは消えていく。


 シャロンは何も言わない。ずっと黙ったまま。


「沙汰は追って知らせる。それまで自宅で謹慎していろ。――これは命令だ。違えることは許さんぞ!」


 トリスターノ様はそう言い捨ててマントをひるがえして去り、シャロンもその後を追った。


 へたへたと力が抜けて、わたくしはその場に座り込む。

 ざわめく会場。


 わたくしはずっと二人が去った後をぼんやりと見つめていた。




 わたくしはトリスターノ様に言われた通り、自宅へ帰った。

 話をすでに聞いていたお父様もお母様はわたくしを温かく迎えてくれた。


「私のかわいいカトレアに鬼の所業! 殿下といえども許さん! セバスチャン! 馬を曳け!」

 若い頃は戦鬼と謳われたお父様が椅子からガタッと勢いよく立ち上がる。


「旦那様、馬は今腹痛が痛いので出せません」

「くっ……! こんな時に!」

 執事に首を横に振られて悔しそうにテーブルを叩くお父様。


「ならば弓を用意なさい! カトレアの愛らしさが見えぬ腐ったまなこなど不要! わたくしが射貫いて差し上げますわ!」

 今も狩りがお得意なお母様が勢いよく立ち上がる。


「奥様、今年は暖かくて渡り鳥がなかなか来ないので矢に羽根がつけられておりません」

「きーっ……! こんな時に!」

 執事に首を横に振られて悔しそうにハンカチを噛むお母様。


 わたくしの代わりにこんなに怒ってくださって、ありがたいことだ。

 そう頭の表面では思うのに、わたくしの心は扉が閉じられてしまったように何も感じてくれない。


「……わたくし、少し疲れてしまいましたわ。部屋に戻って休みます」

 力なく言うと、お父様とお母様はわたくしを優しく抱きしめてくれた。




 部屋に戻ってごろんとベッドに横になる。

 天蓋をぼんやりと見つめる。

 金の刺繍を目で追うと、トリスターノ様の髪の色が思い出された。


 婚約破棄……。


 まさか、この身にそんなことが起こるなんて……。


 それに……非道な行い……?


 シャロンのうつむいた暗い顔が頭に浮かぶ。


 じわっと視界がゆがむ。


 どうしてこんなことに……。


 とても楽しい学生生活だったはずなのに。


 ――わたくしと王太子殿下は幼い頃からの婚約者だった。家同士の決め事だから好きとか嫌いとかは関係ない。けれど、わたくしたちはそこそこうまくやれていると思っていた。

 そんな関係が変わったのは、あの女、シャロン・アンセルミが編入してきてからだ。


 シャロン・アンセルミはアンセルミ男爵の庶子だ。旅先で手を付けた女が産んだ子どもが彼女で、庶民として暮らしていたのに母親が亡くなって男爵を頼ってきたらしい。

 シャロンは可愛らしい花のような娘だ。

 わたくしもよく大輪の花に例えられることがあるけれど、シャロンはそのへんの名もない花のような可愛らしさがある。

 殿下はそれが新鮮だったらしくて、わたくしとの会話の中でもよくシャロンの話題が出るようになっていった。

 あれ? あれれ? と言う間に、シャロンは殿下の心の隙に付け込んで行った。


 気づけば、二人で一緒にお茶をしていた。


 気づけば、二人で勉強会をしていた。


 気づけば、二人で子猫を助けていた。


 わたくしを差しおいて。


 もちろん、黙っているわたくしではない。

 彼女には「殿下の婚約者はわたくしですから、なれなれしく近づかないでくださいまし!」とビシッと言ってやった。

 それでも彼女は殿下に近づくのをやめず……、今こんなことになっている。


「ずるいわ……。卑怯よ」

 手で顔を覆う。

 もう何も見たくなかった。



 日が暮れて、夜になってもずっとそうしていた。

 夕飯も食べたくないからと断った。

 何もやる気が起こらなくて、ただぼーっとしていた。

 暗い部屋の中で明かりもつけずに眠れもせずにじっとしていた。


 これからわたくし……どうなるのかしら。


 コンコン


 窓に何かがあたる音がした。


 顔だけを窓に向けて見ると、月明かりを背に黒いローブを着た男の子が立っていた。

 ここは2階。足場などない。

 それでも不思議はない。――彼は魔法使いなのだから。


「…………ベルトルード」

 夜空のような黒い髪に月とおそろいの金色の瞳。


 懐かしい顔に思わず泣きそうになる。


 彼は、ベルトルード・カラビ。


 ――わたくしの幼馴染にして我が家がパトロンをしているこの国最年少の魔法使いだった。


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