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九九式B号 陸上/艦上戦闘機は、米国ブリュースター (Brewster)社が開発し、日本海軍で運用された戦闘機である。
第二次世界大戦において、鹵獲機・被占領国機でないにも関わらず、開発国の敵国でのみ生産・運用され活躍したという非常に珍しい経歴の戦闘機である。
日本での略称は”B号”。
連合国の識別コードは”BUFFALO (BUFF)”。
■概要
1938年、グラマン社のF3Fの後継となる米海軍の新型艦上戦闘機の競争試作において、ブリュースター社が提出したXF2A-1はグラマン社のXF4F-2に敗退した。
ブリュースター社は開発費を回収するため、日本へ試作機を売却すると共にライセンス生産契約を結んだ。(当時、日本は渡洋爆撃の護衛戦闘機を輸入機で賄おうとしていた。本機の他にセバスキー2PA、ハインケルHe117も購入している)
日本海軍は本機を99式B号陸上戦闘機(A9BM1)として制式化した。その運用結果が良好であったことから、エンジンを金星に換えた機体(A9BM2/A9BM3)が開発され、終戦まで生産・運用された。
■ブリュースター社における開発
試作機であるB-139は1936年6月21日に発注され、1937年12月2日に初飛行した。XF2A-1として米海軍に納入された機体は、計画最高速度が出ない問題をNACA(国立航空諮問委員会)ラングレー研究所の協力で解決した。
それ以外は大きな不具合も無かったため当初は米海軍次期艦上戦闘機への選定が見込まれていた。しかし競合するグラマン社がXF4F-2の不具合を突貫工事で修正した事で結果は逆転し、1938年4月、XF2A-1の採用は見送られる事となる。
規模の小さなブリュースター社にとって開発費の負担は大きく、少しでもそれを回収するため同社は日本に試作機を売却するとともにライセンス生産契約を締結した。
後に大きな問題となるこの一連の取引は、同社の営業と日本の代理人を務めていたAAC社(American Armament Corporation)のミランダ兄弟(アルフレッド・J・ミランダ・Jr、イグナシオ・J・ミランダ)を介して行われている。
輸出は密かにダミー会社を通して行われたが、この事実がニューヨークタイムズ紙に暴露されたことによりブリュースター社と米政府・米海軍との関係は悪化した。
ブリュースター社は、当時開発中だった新型艦上爆撃機XSB2Aをはじめ海軍関係の契約をほとんどキャンセルされてしまう。これによりブリュースター社の経営は行き詰まり、1939年に倒産する事となる。
尚、会社精算時にライセンス契約は親会社のロッキード社に移されており、戦後に日本政府から同社へライセンス料が支払われている。
■日本における開発・生産
一方、試作機とライセンス契約を得た日本海軍は、その生産を三菱重工に命じた。これは当時同社で開発中であった十二試艦上戦闘機(零式艦上戦闘機)の参考にするためだったと考えられている。
発動機は同時に輸入したセバスキー2PA(A8V1)のライトR-1820-G5を転用、機銃を九七式7.7mm機銃に変更した機体が、九九式B号陸上戦闘機一一型(A9BM1)として制式化された。このため初期生産機数はセバスキー2PAの輸入数と同数の20機に留まっている。
前線での運用結果が良好だったため追加生産が検討されたが、日本にはライトR-1820に相当する発動機が無いことが問題だった。
そこで三菱は発動機を自社の金星40型に換装する事を提案する。複列のためR-1820より直径は小さく出力が高い事が理由だった。
この提案が海軍に採用され、さらに尾翼と風防の拡大、着艦装置の追加、機首の武装を零式13mm機銃に変更、両翼下に3番(30kg)爆弾架を追加した機体が、九九式B号艦上戦闘機二二型(A9BM2)として制式化された。
戦争中盤以降も機体が頑丈で生残性の高い本機の生産は継続された。発動機を金星50型に強化するとともに、戦局的に母艦配備は見込めないため着艦装置を削除した機体が九九式B号陸上戦闘機三三型(A9BM3)として制式化され、終戦まで本土防空戦で活躍した。
■運用
1940年、初期生産型である一一型20機はすぐに漢口基地に送られ第一二航空隊に配備された。初陣は1940年1月、第一三航空隊の九六式陸上攻撃機27機の護衛として重慶爆撃作戦に参加した。
当時の中華民国空軍は戦力温存のため護衛がいると退避して迎撃に出てくることが稀だった。このため爆撃終了後に帰投すると見せかけて戦闘機隊のみ再び重慶へもどり、戻ってきた中華民国空軍戦闘機隊20機と空戦になった。
九九式B号陸上戦闘機は、従来の九六式艦上戦闘機と全く異なる操縦特性ながら、20機の敵機すべてを撃墜し自軍は損害なしという一方的な戦果をあげ、その実力を証明した。
中国での良好な運用実績から追加生産された機体は九六式艦上戦闘機を置き換える形で配備が進められ、零戦を補完する形で主に二線級の拠点に配備された。太平洋戦争開戦時も龍驤など小型空母に搭載され南方作戦に投入されている。
その後も頑丈な機体と中低空での良好な機動性から、第二一〇海軍航空隊や横須賀海軍航空隊など多くの本土防空隊に配備され、終戦まで運用されている。
尚、本機は25番(250kg)爆弾を搭載出来なかったため、特別攻撃隊に用いられる事は無かった。
■評価
本機は、九六式艦戦まで格闘戦志向が強かった海軍の搭乗員に、垂直面の機動の重要性という意識改革をもたらしたという点で非常に重要な機体である。
また、日本海軍の戦闘機開発における要求仕様に大きな影響を与えた事でも知られている。十二試艦上戦闘機(零戦)以降の翼面過重の緩和、多銃装備は明らかに本機の影響と言える。
本土防空戦では零戦、紫電改、雷電と一緒に迎撃に上がる事が多かったが、本機は主に低空で待ち受ける任務を担っていた。軽量で頑丈な機体に必要十分な武装を持ち、中低高度では運動性も非常に良好であったことから、大戦後半の連合国機に対しても、限定された条件下であれば十分対抗可能であった。
大戦後半の技量が低下した搭乗員でも扱いやすかっただけでなく、熟練搭乗員も新型機でなく敢えて本機に搭乗する事が度々あったと言われている。
連合国から見ても本機は額面性能の割に恐れられていた。特に中低空で相手にすると、たとえF6FやP-51であっても非常に面倒な相手であったために、陸海軍ともに中低空では本機との格闘戦は避けるように注意が出されている。
このため、もし本機が海軍の次期艦上戦闘機の競争試作でグラマン社のF4F-2の代わりに採用されていたら、太平洋戦争の展開は変わっていたという意見もある。
本機は、昭和二十年(1945年)1月に最重点生産機種から外されるまで、戦時中を通して各型合計2021機が生産された。
これは陸海軍あわせて戦闘機として5番目に多い生産数であり、海軍に限れば零戦に次いで2番目に多い。このことから、元が米国機であるにも関わらず、雷電や紫電改を擁する海軍が如何に本機を評価していたかが覗える。
■各型
・B-139
原型機。米海軍の次期艦上戦闘機の競争試作にブリュースター社から最初に提示された機体。
発動機:ライトR-1820-22(離昇出力 950馬力)
速度:447km/h(条件不明:軽荷相当?:米海軍計測値)
武装:ブローニング AN/M2 12.7mm 機首x1、ブローニング AN/M2 7.62mm 機首x1
・XF2A-1
B-139の空力的な問題を修正し速度も大幅に向上していたが、競争試作でグラマン社のXF4F-2に敗退。採用を見越して改修されていた機体がライセンス生産契約とともに日本へ売却された。
発動機:ライトR-1820-34(離昇出力 940馬力)
速度:489km/h(条件不明:軽荷相当?:改修前 米海軍計測値)
463km/h(全備状態・高度5000m:改修後 日本海軍計測値)
武装:ブローニング AN/M2 12.7mm 機首x1、翼内x2、ブローニング AN/M2 7.62mm 機首x1
・九九式B号 陸上戦闘機一一型(A9BM1)
渡洋爆撃の護衛に使用。購入した図面をもとに、発動機をセバスキー2PA(A8V1)から転用し、機銃を国産の九七式7.7mmに変更した上、各部の空力的な修正を行った機体。20機のみ生産。
発動機:ライトR-1820-G5(離昇出力 950馬力)
速度:477km/h(全備状態・高度5000m)
武装:九七式7.7mm機銃 機首x2 翼内x4
・九九式B号 艦上戦闘機二二型(A9BM2)
太平洋戦争開戦時の機体。発動機を金星42型に変更、機首の機銃を新開発の13mm機銃に変更、機体各部の強化、着艦装備、両翼に爆弾架を追加。小型空母や後方基地に配備された。
発動機:金星42型(離昇出力 1050馬力)
速度:522km/h(全備状態・高度5000m)
武装:零式13mm固定機銃 機首x2 九七式7.7mm機銃 翼内x4
爆装:3番(30kg)爆弾x2 (両翼下)
・九九式B号 陸上戦闘機三三型(A9BM3)
太平洋戦争中盤以降の機体。発動機を金星54型に変更。着艦装置の削除等、各部の構造を簡略化している。3番爆弾の製造中止に伴い、6番爆弾を搭載するため爆弾架の強化が行われている。最も多く生産された型であり、主に本土防空戦で使用された。
発動機:金星54型(離昇出力 1300馬力・推力式排気管)
速度:556km/h(全備状態・高度6200m)
武装:零式13mm固定機銃 機首x2 九七式7.7mm機銃 翼内x4
爆装:6番(60kg)爆弾x2 (両翼下)
■現存する機体
本機は二線級の拠点や本土防空で使用され、特別攻撃にも使用されなかったため終戦時にはかなりの数が残存していた。しかし連合国の興味を引く機体ではなかったため、ほとんどが廃棄され現存している機体は非常に少ない。
・XF2A-1(レプリカ)
米国ニューヨーク州ロングアイランドにあったブリュースター社の本社屋は、現在でもブリュースター・ビルディングとして残っている。その1Fロビーに三菱重工の資料を基に製作された実物大のレプリカが展示されている。
・九九式B号二二型(製造番号1074)
靖国神社遊就館に展示されている機体。1980年に浜名湖で発見された機体を修復したもの。
・九九式B号二二型(レプリカ)
呉の紀伊ミュージアムに展示されている機体。三菱重工の資料を基に製作された実物大のレプリカである。ちなみに本機を含め、このミュージアムの展示機は零戦を除き全てレプリカである。
・九九式B号三三型(製造番号4003)
戦後、調査のため米国に持ち帰られた機体。米プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館に展示されている。現在世界で唯一のフライアブルな機体である。
少しはWikiっぽく見えたでしょうか。
数奇な運命を辿ったF2Aのお話はこれで終わりです。