勝負に負けた野牛は売られる
まずはバッファローが日本に売られるまでの経緯をお送りします。
■米国ニューヨーク州 ロングアイランド
「ねぇねぇ、ここがパパの会社?」
小さな男の子がクイーンズプラザに建つ古めかしいレンガ造りのビルを指さした。
「ああ、そうだよ。とっても大きいだろう?さ、中に入ってみようか」
父親らしい男性が頷くと、男の子の手を引いてビルの中に入っていく。
そのビルはある航空会社の本社であった。男性はそこに所属するパイロットで、休暇の今日は子供を職場見学に連れてきていたのである。ビルの屋上にはその航空会社の看板が大きく掲げられている。
しかし実は今から数十年前、そこには異なる看板あった。それにちなんで今でもこのビルはこう呼ばれていた。
『ブリュースター・ビルディング』、と。
ロビーに入った男の子はすぐにある物に気づいた。
「あ!ヒコーキだ!ねぇパパ、あれ見ていい?」
「ああ、もちろんだよ。近くで見ていいよ」
父親の許しをもらった男の子は喜んでロビー奥に展示されている飛行機にパタパタと走り寄っていく。
「ねぇパパ、これは何てヒコーキ?パパもこれに乗ってるの?」
ようやく飛行機の近くに来た父親に男の子が尋ねた。それは古めかしい飛行機だった。単発のプロペラ機でずんぐりとした印象を受ける。
「これはね、『バッファロー』という名前の飛行機だよ。とっても古いから今じゃ誰も乗れないんだ」
「ふーん。じゃあどうしてここに置いてあるの?」
「ずっと昔ここは工場だったんだよ。この飛行機は昔ここで作られたんだ」
「へーそうなんだ。それじゃあパパ、あの後ろの旗はなーに?」
そう言って男の子は、今度は飛行機の背後の壁に掲げられた大きな二つの旗を指さした。一つは米国の星条旗である。そしてその横に並んで掲げられていたのは白地に赤い丸、日本の国旗だった。
「あー、あれは日本の旗だね」
「アニメと一緒だ!やっぱりアメリカと日本は昔から仲が良かったんだね!」
「あはは……そうかもしれないね……」
男の子の無邪気な言葉に、父親は何とも言えない表情で答えた。
なぜ機体の背後に日本と米国の国旗が掲げられているのか。どうしてブリュースター社は無くなってしまったのか……
それは何から何までスリッとまるっとエブリシング全部、今から数十年前のある兄弟の行動が原因だった。
■1938年(昭和十三年)4月
米国 デラウェア AAC本社 社長室
「まずい事になった」
長身の男が深刻そうに受話器を置いた。
「どうした?また女絡みの厄介事か?」
ソファにふんぞり返って昼間から酒を飲んでいる小太りの男が、ゲラゲラと笑って混ぜ返す。
長身の兄アルフレッド・J・ミランダ・Jrと、小太りの弟イグナシオ・J・ミランダの兄弟は、このAAC社(American Armament Corporation)の経営者である。
AAC社は、いわゆる「死の商人」であった。これまでも南米を中心に多数の米国製武器を売りさばき荒稼ぎをしている。
おかげで兄弟は政府から常に目を付けられていた。なにしろ今現在もチャコ戦争に関わるボリビアへの武器不正輸出の件で起訴されている身である。
そんな胡散臭い彼らが最近手掛けていたのが、ブリュースター社の新型戦闘機の米海軍への売り込み、次期艦上戦闘機の競争試作への参加であった。競合するのはグラマン社とセバスキー社である。
「海軍はブリュースターを採用しないそうだ……」
「何……だと……!?」
アルフレッドの言葉にイグナシオは手にしていたグラスを取り落とした。
実は、ミランダ兄弟はブリュースター社の社員ではない。
新興の弱小メーカーに過ぎないブリュースター社は、まともな営業部門を持っていなかった。そこに付けこんだ二人は言葉巧みに取り入り、いつの間にか代理人の席にまんまと潜り込んでいたのである。
これは二人にとって初めての、そして真っ当な大口の取引だった。もっとも詐欺師同然な彼らにまともな営業など出来る訳もない。二人は米海軍に、いつも通り嘘と誇大情報にまみれた営業トークを行っていた。
この事がブリュースター社と新型戦闘機XF2A-1の運命を決める事になる。
先ほどアルフレッドの受けた電話は、米海軍の次期艦上戦闘機コンペティションの結果を報せるものだった。
「嘘だ!」
「嘘じゃない。俺たちのブリュースターは負けたんだ。勝ったのはグラマンだ」
「そんな!奴らの機体は不具合だらけで、まともに飛べないはずだろ!」
興奮したイグナシオが机をバンバン叩いて兄の言葉を否定する。
「いいから落ち着け!」
アルフレッドのハイキックでイグナシオは吹き飛んだ。
「……まぁ聞け。確かにグラマンの機体はまともに飛ぶ事すらできない。俺たちはそう考えていた」
「そうだよ!グラマンはカスだったはずだ!」
息を吹き返したイグナシオが叫ぶ。
二人は情報収集のために、それなりの金を各所にバラまいていた。汚職にまみれた南米で商売する二人にとって賄賂は当たり前のことであった。当然今回も各所への賄賂は欠かしていない。もちろん相応のリベートを自らの懐に入れる事も忘れない。
そんな実に彼ららしい努力の結果、二人はグラマン社の機体XF4F-2の状況を正確に掴んでいた。
P&Wの新型エンジンR-1830-66はクランクシャフトを中心に問題が多かった。機体も複葉機を単葉機に無理やり改設計したもので不具合が多い。実際、社内試験でも火災や不時着事故を起こしている。
グラマンの機体は飛べない。イグナシオの言う通り、それは事実のはずだった。
「それがだな……」
アルフレッドは自らも気を落ち着かせるため葉巻に火をつけた。一息吸って煙を吐きながら事情を説明する。
「グラマンは問題のエンジンを変えて、機体の不具合も徹夜で直したらしい」
グラマン社は不具合の多かったエンジンを1世代前で安定したR-1830-45に換装した上、機体の不具合も徹夜で直して来たのだった。
「何……だと……?」
イグナシオは愕然とした。
「……結果、試験では事故どころか故障もなし。エンジンを換えたせいで性能はブリュースターより低かったそうだが、結局はグラマンの勝ちだとさ」
「なんでだ!あんな不格好な機体のどこが良いんだよ!性能だってブリュースターの方が上だったんだろ!」
「……恰好が悪いのはお互い様だろう。まぁ結局は会社の大きさ、信頼性の差だろうな……常識的に考えて」
イグナシオの言う通りグラマンXF4F-2は、後に量産されるF4F-3とは似ても似つかない不格好な機体だった。だが不格好さならブリュースターのXF2A-1も負けてない。そう思うアルフレッドであった。
「もしかしたら、俺たちはフカし過ぎたのかもな」
兄弟はこれまでの商売と同じ感覚で、米海軍に実情とはかけ離れた性能や状況を伝えていた。それを真に受けたグラマンが老舗の意地をかけて挽回してきたというのが今回の顛末のすべてだった。つまり彼らは「やり過ぎた」のだった。
「そんな……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ話を盛っただけじゃないか……」
イグナシオががっくりと肩を落とす。
「とにかく、これでブリュースター社は終わりだな。コンペに負けた機体なぞ誰も買わん。もう開発費の回収もできんだろう」
「それならブリュースターで最後にひと儲けしようぜ!」
「そうだな。そう言えば丁度いいカモが居たな……」
二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
■1938年(昭和十三年)4月 ワシントンD.C.
ポトマック川に面したホテルの一室で、ミランダ兄弟は東洋人の男達と密かに会談していた。ちょうど川縁の桜並木が咲き誇る時期であったが、カーテンが引かれた窓からは残念ながらその美しい風景を見る事はできない。
「契約なら既に済ませたはずだが……今更急に呼び出して、いったい何の用だ?」
この場で最も位の高いと思われる男が単刀直入に切り出した。不機嫌さも隠そうともしていない。彼らは背広こそ着ているが、とても只のビジネスマンには見えない。ピンと伸ばした背筋に鋭い眼光、そして鍛えられた身体はその素性を隠せていない。
彼らは日本大使館の海軍駐在武官、小林謙五大佐とその補佐官らだった。つまりここに居る東洋人らは全員が日本海軍の軍人だった。
「先日はセバスキー社とご契約いただきありがとうございました。既に商品は発送の準備に入っております。半年以内にはお届けできるでしょう」
もみ手で話すイグナシオに小林は鷹揚に頷く。そして無言で続きを促した。
昨年始まった日中戦争において、渡洋爆撃を行う九六式陸攻の敵戦闘機による損害は無視しえないものになっていた。当時の主力である九六式艦戦では十分な護衛が出来ないため、日本海軍はその穴を輸入機で賄おうとしていたのである。
「極東の島国が戦闘機を探している」
そんな噂を耳にミランダ兄弟は、ちょうどセバスキー社の海外販売代理人も務めていた。その伝手で二人はちゃっかりと日本海軍の代理人の座にも入り込み、先日セバスキー社の2PA戦闘機(複座型)20機を高値で売りつける事に成功したのだった。
ちなみにセバスキー2PAの単座型も米海軍のコンペに参加していたが、「そもそも艦上戦闘機として不適格」の最低評価で落選している。そんな事なぞ聞かれなければ答えなくてよい。つまり嘘はついていない。
「あのセバスキーも良い機体ですが、貴国の苦境は私共も聞き及んでおります。そこで今日は更に強力な商品のご提案をお持ちしました」
コンペの結果など素知らぬふりで、アルフレッドは小林の前に数枚の紙を差し出した。それは先日、米海軍のコンペに落ちたブリュースターXF2Aの資料だった。
「実はここだけの話ですが……この機体は米海軍の次期艦上戦闘機として採用予定なのです」
「なんだとっ!?」
アルフレッドの言葉に小林は改めて真剣に書類を読み始めた。仮想敵国の次期艦戦となれば諜報情報としてだけでも重要であった。
一方のミランダ兄弟はXF2Aもコンペに落ちた事などおくびにも出さない。予定は未定。彼らの常識では嘘は言っていない。
「正式採用されてしまえば、もうお売りする事はできないでしょう。だから期間限定、今だけのチャンスです。先日契約を結んで頂いたお礼に、あなただけに特別に、このお話をお持ちしました」
小林の反応に手ごたえを感じたアルフレッドは「期間限定」「あなただけ特別」という魔法のセールスワードで畳みかける。
「いくらだ?いつ頃機体は用意できる?」
落ちた。ちょろい。そう確信したミランダ兄弟は顔を見合わせてほくそ笑んだ。
「これから量産されるので、今すぐお渡しできるのは残念ながら試作機2機となりますが……」
そう言ってアルフレッドは見積書を差し出した。そこに書かれた価格に小林は目をむいた。
「なんだこの値段は!ふざけるのも大概にしろ!」
小林が怒鳴ったのも当然だろう。なにしろそこにはセバスキー20機分と変わらない価格が書かれていたからである。
「お待ちください、よくお読みください。お売りするのは機体だけでは有りません」
激高する小林をアルフレッドがなだめる。
「今回はなんと!ライセンス生産の権利を付けましょう!今なら図面や治具一式もお付けします!」
すかさずイグナシオが畳みかける。その破格と言える内容に小林は少し落ち着きを取り戻した。
「次期艦戦のライセンス生産だと?信じられんな…」
さすがに小林も話がうますぎると疑念を持つ。
「嘘ではございません。本日はこの資料と契約書を持ち帰って、よくご検討ください。しかし期間限定のサービスであることをお忘れなく……」
「……本国に確認しよう。近いうちに、こちらから連絡する」
結局、翌週に日本海軍はブリュースターと新たな契約を結ぶ事を決断した。この数か月後、XF2Aの試作機と図面・治具一式は、先に購入されたセバスキー2PAと共に船積みされ密かに日本へ送られることとなる。
なお、実際日本に送られた図面と試作機はXF2A-1そのものではなく、米海軍の要求を見越して、防漏タンク・操縦席背面装甲・主翼機銃の追加が行われた、採用後の量産を想定した仕様に近いものであった。
ミランダ兄弟は、どうせブリュースター社にはもう必要ないからと、一切合切を高値で日本に売りつけたのだった。
「いやー在庫一掃セールが出来て良かった良かった」
ミランダ兄弟はブリュースター社と海外販売の12.5%を手数料として受け取る契約をしていた。セバスキーとも同様の契約を交わしていたため、日本との一連の取引により二人の懐には大金が転がり込んでいた。
「今回はだいぶ儲けさせてもらったな。さて次は何で儲けようか」
ホクホク顔で祝杯を挙げる二人であったが、この取引が後に大変な問題を引き起こす事になるなど知る由も無かった。
Wikiでは「Brewster」を発音に近い「ブルースター」と表記してますが、おじさん世代的にはとっても気持ち悪いので、ここでは昔ながらの「ブリュースター」としています。
ミランダ兄弟とAAC社は実在しています。史実でも日本へのセバスキー2PA売却、ブリュースター社のF2A売り込み、イギリスへのF2A輸出などに関わっています。もちろん本作のような性格ではありません。たぶん。
米海軍に採用されなかったのでF2Aはフィンランドに送られません。継続戦争は一体どうなってしまうのでしょうか!?がんばれユーティライネン!カタヤイネン!