知恵の神
「じゃあ、誰が神様にお願いしたの」
エレナは指をあごに当てながらいった。
「誰といわれても」
誰がこんな結果を望むのだ。俺は七十八歳の老人の中、テンヒルさんは猫の中、誰も得をしていないじゃないか。
「サカキくん、君は何か神に願ったりはしていないのかね」
「いえ、そんなことはしていません。そもそも、本当に神様がいるとすら思っていませんでしたよ」
神頼み。クイズの世界では、最も縁の遠い認識だ。クイズというものは、どれだけ知識を蓄えてきたか、問題を読んできたか、そういったことがためされる競技だ。
「だとすると、残るのは」
イヌゴラは黒猫を見つめた。
「おじいちゃんが願ったの?」
黒猫のテンヒルさんは何を言っているのかわからないよ。というような顔で首をかしげた。
「テンヒルさんが何でそんなことを」
「わからない。だが、サカキくんじゃなければ、後はテンヒルしかいない。それに、テンヒルは神の加護を受けている」
「えっ、おじいちゃん、神の加護を受けていたの」
エレナは驚いた声を出した。
「知恵の神、ワーラの加護を受けているぞ」
イヌゴラと知り合ったのも知恵の神の加護がきっかけだ。
「へー、そうだったんだ」
「別に、信仰心を持っているわけではないぞ。知らない間に加護がついていただけだ」
「知恵の神ワーラは信仰心に、かかわらず勤勉なものを好む」
「おじいちゃん、本読んだりするの大好きだもんね」
「気になることが多いだけだよ。気になるから調べる。調べたらますます気になる。商売の傍ら、ずっとそんな生活をしてきた」
わかる。これもクイズで出るかもしれない、あれもクイズで出るかもしれないと考えると、どんどん本に手が出る。知識というものは、穴がどんどん増えていくクロスワードパズルみたいなものだ。
「どんな加護があるの」
「多少頭の回転が速くなったり、記憶力が良くなったりするだけだよ」
それで、年の割には、なんていったら失礼かもしれないけど、テンヒルさんの頭はしっかりとしているのか。
「でも、なんでおじいちゃんが神様に、こんなことをお願い事をしたのかしら」
「わからん。そもそも、神様に何かお願いした記憶がない」
「それは、テンヒルの記憶ということかね」
「ええ、何か願っていたら、テンヒルさんの記憶に残っているはずですよね。それが、ないんです」
「では、神が勝手に行ったことということか」
「何の目的があるんです」
魔王を倒すため、神が異世界から勇者を召喚した。なんて話ならわからなくはないが、十九歳の大学生の意識を異世界から呼び出し、七十八歳の老人に憑依させてなんになる。ワンパンでやられるぞ。
「おじいちゃんの体の中に、なんでサカキさんの意識を入れちゃったの、知恵の神なのに変よ」
「そうじゃのう。何か意図があるのだろうな」
「何の説明もないのもおかしいわ。こんなに迷惑をかけて、やっていることが意味不明よ。本当に知恵の神様なのかしら」
エレナはぷんすかした。
「そうじゃのう。知恵の神だなんて、勝手にそう名乗っているだけで、ワーラは、たいしたことのない神様かもしれんのう。知恵が足らんわ」
俺は笑った。
「あんた孫娘に話を合わせるために、神様の悪口を言うのをやめてくれんか」
イヌゴラが言った。
「それで、どうしてこんなことが起こったのか。なにかわからないか」
「魂が願ったことなら記憶に残らんかもしれん」
イヌゴラが言った。
「何の話です」
「テンヒルの魂の願ったことなら、記憶に残らなくてもおかしくはない」
「魂、離魂病か」
テンヒルさんは離魂病で倒れた。その間、肉体から魂が抜けた状態になる。その時に、テンヒルさんの魂が神に何かを願っていたとしたら、今の俺の体、テンヒルさんの脳には、神に何かを願ったという記憶は残らない。
「どういうこと?」
「離魂病で、魂が離れている最中に、テンヒルさんの魂が何かを願ったのではないかということだ」
「おじいちゃんの魂が、神様に何を願ったのかしら」
「わからん」
神に願うほどの何か。孫のエレナが幸せに暮らして欲しい。そのことは切に願っているし、どうせならそれをかなえて欲しいと、じいさんは思っている。だが、今の状況が、エレナにとって良い結果になっているとは思えない。魂だけになったじいさんが何を願ったのだろうか。
「必ずしも、重大な願いであるとはかぎらない。何となく浮かんだことを、神に願ってしまった可能性もある。神にとっては、重大な願いも、どうでもいい願いも、大差は無い」
「おじいちゃん、意識を失う前に、何か考えてたことがある?」
「考えていたことねぇ」
あの日、図書館に行った帰りで、仕事終わりのエレナと出会い一緒に帰っていた。雑貨屋の仕事を楽しそうに話すエレナと歩きながら、この子といるといつも楽しい、そんなことを考えていた。ふと、不安な気持ちが持ち上がってきた。
「モンド大会」
俺は思いついた言葉を出した。
「モンド大会? それがどうかしたの」
エレナは小首をかしげた。
「あの時、モンド大会のことを考えていた。その後、離魂病の発作で意識を失った」