神殿へ
ツバブは、元は漁師町だったが、貿易が盛んに行われるようになり、浅瀬の漁場は埋めてられ、貿易港として生まれ変わった。埋められた土地には倉庫街が立ち並び、その近くには工場がたくさんあった。港町というのに、潮の香りは全くしなかった。
転送施設近くにあった喫茶店に入り、エレナはパンケーキを頼んだ。パンケーキの上にクリーム、ジャムと果物がちりばめられており、エレナはおいしそうに食べた。俺は、レタスとハムのサンドイッチを頼んだ。二つほど食べたところで、胃が重たくなってきたので、残りはエレナに食べてもらった。
黒猫のテンヒルじいさんは物欲しそうに見ていたが、人間の食べ物はあまり食べさせない方がいいということで我慢してもらった。後で、猫用の食べ物を買って帰ろうという話をエレナとした。
ツバブの転送施設に行き、マキュティンに移動した。
マキュティンは四百年ほど前にベッレリとホヘナの戦いの場になった場所だ。三十万のホヘナ軍が、わずか五千のベッレリ軍を取り囲み、一ヶ月にわたって激戦が行われ最終的にホヘナ軍は引き上げた。ホヘナ凋落のきっかけになった戦いと言われている。
そんなホヘナ軍が攻めたてた斜面を魔石車で登った。若い頃行商でこのあたりを訪れたことがある。その時は、祖母から譲り受けた小さな馬車で、たづなを持ち、本を読みながら、ゆっくりと登った。ろくに前を見ずに移動していたが、不思議と目的地に着いた。頭の良い馬だったのだろう。いや、馬を変えても、いつも何となく目的地に着いていたような気がする。不思議なもんじゃわい。という、じいさんの記憶がわき出てきた。
「イヌゴラさんってどんな人なの」
魔石車の中でエレナと俺は横並びに座っていた。魔石車は魔石を熱して、その膨張したエネルギーで、車輪をまわしている。蒸気で動くバスのようなものである。
「犬だね。茶色に白が混じった毛並みの、もふもふした犬だね。目のあたりなんか毛で埋まっているよ」
テンヒルさんの記憶を探りながら答えた。俺の世界でいうと、その顔は、オールド・イングリッシュ・シープドッグが一番近い。
「かわいい感じなのかしら」
「そうだね。ソファとかに座っていると、犬のぬいぐるみが座っているように見える」
短い足をソファーに乗せ、ソファーに、もたれかかっている映像が浮かんだ。確かにかわいい。
「えー、楽しみ」
エレナは目を輝かせた。
「でも、イヌゴラはいい大人だからね。触ったりしたらだめだよ」
ケイン族の寿命は人間の半分程度しかない。人間の還暦ぐらいの年になっているはずだ。
「そうね。わんちゃんじゃないものね」
エレナは、変わりにとばかり、黒猫のテンヒルじいさんの頭をなでた。わしでよければどうぞ、という顔でなでられていた。
魔石車から降り、五分ほど歩いた場所に、大地の神、アースラを祭る神殿があった。威圧感のある石造りの壁に囲まれており、いざというときは戦争に使うことを考えて作られていると、テンヒルじいさんは聞いたことがあった。
中に入り、受付に行き、イヌゴラがここにいるのかどうか、もしいれば面会したいと話した。
イヌゴラは神官として在籍していた。しばらくそちらの方でお待ちくださいと言われたので、長いすに座って待った。
二十分ほどすると、薄茶色の作業着らしきものを着た二足歩行の白っぽい毛並みのケイン族が来た。
体が縮まり、茶色い毛並みが白っぽくなっているが、じいさんの記憶にあるイヌゴラだった。
初めて会うのだが、懐かしいと感じた。
「久しぶりだなテンヒル」
少しかすれた声だった。
「ああ、そう、だな」
違うのだが、全く違うとも言えなかった。
「そちらのお嬢さんは」
イヌゴラはエレナを見た。
「わしの孫娘のエレナじゃ」
テンヒルさんのだけどね。
「こんにちは、エレナです」
頭を下げた。この辺の文化は日本と似ている。
「ふむ、シガルとオリーヌの娘か。して、どうした。入信でもしにきたのか」
「いや、そういうことじゃなくて、ちと相談したいことがあってな、時間は大丈夫だろうか」
エレナもテンヒルさんも、特定の神への信仰心は持ってはいない。
「午後は特に予定はない。私の部屋に来てくれ」
イヌゴラに案内されるままについていった。