祖父と孫娘
「その後主人公は、崖に向かって走ったんだ。そうすると、奴らは追いかけてくるだろう」
「それでそれで」
エレナが拳を握りしめ、俺の話を真剣に聞いていた。転送装置の順番が来るまで日本で昔見た映画の話をしていた。
考えてみると、女性と二人きりで、こんなに長く話したのなんて初めてのことじゃないだろうか。まぁ、はたから見ると、孫娘とおじいちゃんが仲良くお話ししているようにしか見えないだろうが。
「ダイナマイトをだな、お、そろそろ発車時刻じゃな」
ツバブ行きの転送車両がそろそろ出るところだった。
俺はゆっくりと、ベンチから立ち上がった。
「もう、いいところなのにー」
エレナは眉をひそめた。
「続きは中で話せばいいじゃないか」
「そうだね」
転送車両の中に乗り込んだ。
床に固定された座席が六台あり、エレナと並んで座った。竹かごの中にいる黒猫のテンヒルさんは、エレナの膝の上でおとなしくしていた。
扉が閉まり、周囲の魔力が高まってきているのを感じた。ベルが鳴り、運転席にいる運転手が機械を操作した。
腹に響く音がして、窓の外が暗くなる。亜空間に入ったようだ。
亜空間は現実の空間より小さい。亜空間を移動し、浮上すれば、現実の空間では何十倍もの距離を移動したことになる。
昔の転送装置は一度、亜空間に物を落として、釣り上げるという方式を取っていたが、このやり方だと、亜空間の中で見つけられなかったり、見つけられても釣り上げに失敗する場合があった。そこで考えられたのが、ステーション方式である。亜空間内に固定された空間を作り、そこに物を送り込み、引き上げるという方式がとられた。今現在使われているのはこのやり方である。
亜空間を発見した、魔法理論学者、ロデリック・ヘデリックは、著書『世界に広がる小さな空間』において、この空間で、よっぱらって財布を落としてしまうと、地球の裏側まで取りに行かなくてはならなくなる。と書いている。
「きれいですね」
エレナが窓を見ながらつぶやいた。
黒猫のテンヒルさんも竹かごから頭を出して窓を見ている。
ガラスの窓に、亜空間を固定している青い力場線が波立ちながら流れていく。
「そうだね」
本当に異世界なんだなと、俺は思った。
転送車両の速度が低下し、窓に映る青い線がはっきりと見えるようになってきた。
車両が止まり、ドアが開いた。
「ついたついた」
エレナは、のびをした。
「よいしょ」
俺は声が出しながら立ち上がると、右の膝が少し痛んだ。エレナがそれに気づいたのか肘を支えてくれた。
「大丈夫」
エレナは心配そうにのぞき込んだ。
「気をつけないとね。体の感覚が違うからね。ときどき、自分が何者かわからなくなるよ」
老人の体と十九歳の若者の体はまるで違った。
「私には、ほとんどおじいちゃんに見えるよ」
「見た目はおじいちゃんだからな」
笑った。
「見た目だけじゃなくて、話し方や仕草だったり、話している内容とか違うんだけど、なんかおじいちゃんなんだよね」
小首をかしげた。
「テンヒルさんの体だからね。染みついてるんだろうね」
駅に着くまで、三十分ほど、様々なことを話した。自分のことや日本のこと、テンヒルさんの昔話もした。祖父と孫娘の会話に、親戚のおじさんが参加しているような感じだろうか。ちょっと違うか。
「面倒だから、もう、おじいちゃんって呼んでいい」
「かまわないよ。どう見たっておじいちゃんだし」
対外的にも、その方がいい。テンヒルさんの体に十九歳の異世界人の意識があるなんてややこしい話になる。
にゃーう、と、竹かごの中にいる黒猫のテンヒルさんが不満げに鳴いた。本物はわしじゃあ、と言っているような気がしたので、わかってますよ。と返しておいた。