いつもの朝食
朝になり、日差しが部屋を照らしていた。
不思議な感覚だった。
別の世界、別の人間、見知らぬ部屋、だというのに、ベッドの上から見る部屋の様子はどれも見覚えがあった。天井の色、窓ガラスのくすみ、部屋を埋め尽くすような本、枕の感触、何から何まで知っていた。
十年ほど、この家に住んでいる。元は息子夫婦の家だった。エレナが七歳の時、流行病で息子夫婦は二人とも逝ってしまった。
それ以降、孫娘と一緒に暮らしている。
仲の良い夫婦だった。エレナと一緒に幸せな家族だった。
目の奥から悲しみがわき上がってくる。亡くなった家族のことを連鎖するように思い出す。
ああ、違う。これは俺の記憶じゃない。
そう言い聞かせても、じくじくと心が痛んだ。
居間の扉を開け中に入ると、エレナは朝食の準備をしていた。朝ご飯はいつもエレナが用意してくれている。
「あの、おはよう」
俺が声をかけると、エレナは少し困ったような顔をしながら「おはよう」と返してくれた。
多少戸惑いながらも、いつものように、自分の席に着いた。テーブルの上には半熟の目玉焼きとトースト、サラダとスープがあった。
エレナはケトルのお湯をコーヒーの粉が入ったドリッパーに注ぎ込んだ。コーヒーと言っても、この世界では別の名前がついて、少し違うものなのだが、いちいちこの世界の言葉で、表現しているとややこしいので、似たようなものは日本の名前で理解していこうと思う。お湯を含んだコーヒーがふくれあがる音がして、少し酸味のある芳ばしい香りが漂った。
足元を見ると、黒い毛並みの猫が、皿の上で切り分けた、かために焼いた目玉焼きと、ゆでたブロッコリーを食べていた。
この猫に、この体の持ち主であるテンヒルさんの魂が憑依している。
猫は口をもごもごさせながら、こちらを見つめ、にゅわーん、と鳴いた。たぶん、朝の挨拶だろうと見当を付け、おはようございますと、返しておいた。
エレナも席に座り、俺は両手を組み豊穣の女神へ祈りを捧げた。
その様子を、エレナは不思議そうに見ていた。
「サカキさんの国でも、お祈りってあるんですか」
「似たようなものはあるけど、普段はしないかな。お祈りは、体が勝手に動いたって言うか、テンヒルさんの記憶がそうさせたんだろうね」
当然のことながら、食事の時に豊穣の女神へ祈りを捧げる風習はない。普段の習慣や体が覚えている記憶のことを手続き記憶といって、朝、手を合わせて祈りを捧げるという、テンヒルさんの普段の習慣が出たのだろう。
お酢と塩と油で作ったドレッシングをレタスとブロッコリーのサラダにかけ、フォークで刺して食べる。右の奥歯が何本かないので、左の奥歯でゆっくりと噛む。塩味が少し薄い感じがするが、新鮮なレタスの食感が良い。ブロッコリーは小さめに切られている。スープはあっさりとしたオニオンスープで、週の初めにエレナがまとめて作っている。年齢的なものだろうか、食べ物を呑み込むのに少し力がいった。
「神官の、イヌゴラさんでしたっけ、今日会いに行くんですか」
エレナは食パンに目玉焼きをのせながら言った。
「うむ、そのつもりだよ」
「私も一緒に行きますね」
「仕事は大丈夫なのかい」
エレナは近くの雑貨屋さんで働いている。
「大丈夫です。しばらく休みをもらってきたから」
「そうか、すまないね」
「サカキさんが気にすることじゃないですよ」
「そうだね」
この体は、彼女のおじいさんのものなのだ。
エレナは、つぶれた目玉焼きの黄身がたれないように、食パンを食パンを水平に保ちながら食べ進めた。
俺も、目玉焼きをトーストした食パンの上にのせて食べようかと思ったが、テンヒルさんは違うようで、フォークで切り分け、つぶれた黄身をちぎったパンでつけるようにして食べた。
「おじいちゃんみたい」
俺が食べている様子を見ながらエレナはくすりと笑った。