神の仕業
「えっ、どうやって」
ヘングレーは驚いた表情を見せた。
「私、おじいちゃんが倒れたとき一緒にいて、それでその、神様におじいちゃんを元に戻してくださいって、お祈りして、きっとその時、間違って、サカキさんの魂がはいってしまったんだわ」
エレナは涙をにじませてごめんなさいと頭を下げた。
「それは、関係ないんじゃないかな」
俺は苦笑いした。昔から優しい子なのだ。三年前の冬、わしが風邪を引いて寝込んでいたときも、つきっきりで看病してくれた。おじいちゃんおじいちゃんと、わしの冷えた足をさすってくれて、わしは、わしは幸せじゃあああ、と思ったことをじいさんの脳が思い出した。
「あるかもしれない」
医者のヘングレーが言った。
「そんなことはないでしょう」
祈ったぐらいでどうにかなるもんではない。こいつ、わしの孫を疑う気か。俺はヘングレーをにらみつけた。
「エレナさん、そのとき何に祈ったんだい」
ヘングレーがエレナに聞いた。
「えっと、神様に祈ったけど」
「どの神に祈ったんだい」
「わからないわ。思いつく限り全部」
エレナは首をかしげた。
「神の奇跡か」
俺は、思いついた言葉を口にした。あまり詳しい知識は出てこなかったが、かなりまれなことであると言うことはわかった。
「それならつじつまがあう。神のうちの誰かが、エレナさんの願いを聞き届け、サカキ君の精神を異世界より呼び出したのかもしれません」
ヘングレーは言った。
「しかし、そんなことが簡単に起こるものか」
修行を積んだ巫女が命がけで、神に祈りを捧げ願いを叶えることができることが、まれにあると聞いたことはあるが、何で孫のエレナがそんなことをできるんだ。孫じゃないけど。
「そもそも、異世界の人間を召喚すること自体、めったに起こりません。そんなことが起こるとしたら、神の力が関わっていてもおかしくはありません」
「なるほど」
起こりえないことが起こったから、エレナの祈りが神に通じた。それは一つの可能性としてあり得る。
「でも、どうして、おじいちゃんの魂が戻らないで、サカキさんの魂がおじいちゃんに入ったの」
エレナが言った。
「その辺りは、まったくわからない。神のなさることは人間には理解できないよ。ちょっとした手違いがあったのかも」
「神のくせに手違いとは、迷惑な」
俺は言った。
「今の状況で神様の悪口はやめてくださいね。あと、サカキ君の魂がおじいちゃんの体に全部入ったわけではないと思いますよ」
「どういうことです」
「サカキ君は異世界の、自分の世界での記憶を保持しています。もし魂がすべてこちらの世界に来ていたら、記憶は徐々に薄れていき、自分が誰なのかわからなくなっていくはずです。つまり魂の一部分、意識だけがこちらに来ている可能性があります」
意識は魂の運転手、医療学者エラク・ランデスキューによると、意識は魂というエネルギー体に乗っている運転手のようなものだと言われている。記憶を保持していると言うことは、この世界と、元の世界にいる俺の体との間につながりを残しているということではないかと、じいさんの記憶が言っている。
「元の肉体との接触が切れていないということなんですね」
俺は言った。
「そう考えてもおかしくはありません」
ヘングレーは言った。
エレナは首をかしげた。
「どういうこと?」
「つまり、俺の肉体から魂が離れたわけではなく、意識のみこちらの世界に来たということだよ」
言葉が話せるのも、じいさんの言語中枢を使っているからだろう。
「ふーん、なるほど」
エレナが目をそらしながらうなずいた。よくわかっていないときの仕草だ。
「魂と意識のつながりがあるということは、そのつながりをたどっていけば、元の世界に元の肉体に帰れるかもしれない。そういうことですよね」
俺はヘングレーを見た。
「そういう風に考えることもできます」
「じゃあ、サカキさん、元の世界に帰れるってことよね。おじいちゃんも元に戻せると言うことなのね」
エレナがうれしそうに言った。なぜか知らないが少し複雑な気持ちになった。
「そうなんだけど」
ヘングレーはくちごもった。
「何が問題なんです。意識が紐付いているなら俺の意識を返せばそれで解決するのではないですか」
「通常の魔法による現象なら、その方法で解決できるはずです。この世界と異世界、君の肉体と意識のつながりが残っているわけだから、そのつながりをたどっていけばいい。難しいができないことではない。でも、ことは複雑だよ。なんせ神が関わっていることかもしれないからね。神の力に人間が干渉するのは難しい。少なくとも私ごときでは不可能だ」
「神の拒否権か」
これだけ魔法が発達した現在においても、神の力に人間は干渉ができない。上位の魔法に下位の魔法は干渉できないのと同じように、人の魔法が、上位的存在である神の魔法に干渉することはできない。と、じいさんの記憶が言っている。
「もちろん神の力が関わっているとは限らないのだが、もし神が関わっているのなら、君が元の世界に戻るためには、神の許可が必要になる」
「やっかいですね」
「エレナさん、おじいさんが倒れたときの状況を、もう少し説明してもらえないか」
「はい、えーと、お仕事の帰りにおじいちゃんと会って、一緒に帰っていたんです。おじいちゃんは図書館の帰りだったみたいです。それで、しばらく歩いているとおじいちゃんが突然、倒れたんです」
「ふむ、それで」
「たまたま道を歩いていたニルギルさんに声をかけて、先生を呼びに行ってもらったんです。その間、私は、どうしようどうしようって、神様にお願いしたんです」
その時のことを思い出したのか、エレナは泣きながら話した。
俺は、泣いているエレナの背中をさすろうとして、ひっこめた。自分が坂木洋一だったことを思い出した。
「その時、何か起きなかったかい」
ヘングレーは身を乗り出した。
「そういえば、何か光ったような、でも、泣いてたし、慌ててたから、よくわかんないです」
「光か、そのときにサカキ君の魂が入ったんだろうね」
「私が神様に頼んだのが、いけなかったんですね」
エレナは落ち込んだ表情を見せた。
「そんなことはないぞ。神様に願いをかなえてもらうとは、エレナは、すごいのう」
と、俺は言ったが、俺が言ったというよりも、じいさんの記憶がそう言わせたんだろう。
「そうかな。えへへ」
エレナは笑った。
「しかし、なぜ、テンヒルさんじゃなくて、サカキ君が入ってしまったんでしょうか」
「そうよね。私おじいちゃんを元に戻してってお願いしたんだけどね」
エレナは腕を組んで眉をひそめた。
「本当にのう。エレナの願いをちゃんと叶えられないとは、神様は、ポンコツじゃのう」
などといいながら、なぜ俺は、ときどきじいさん目線で物を言っているのだろうかと、不思議な気持ちになった。
「孫をフォローするために、神様の悪口言うのをやめてください。神様が今の会話を聞いてたっておかしくないんですよ」
ヘレクスの顔は少し引きつっていた。
「でも、なんで俺なんでしょうか。なにか、俺とテンヒルさんに共通点があるんでしょうか」
「うーん、神様がやることだからね。ダイガクセイだっけ、それはどういう仕事なんです」
「仕事ではなく、ただの、えーと、この世界の言葉で言うと学問所の生徒ですよ」
「テンヒルさんは確か、若い頃から行商で働いていたから、学問所には行っていなかったはずですが」
「ええ、そのようです」
早くに親を亡くしたので、働くしか選択肢はなかった。
「歳も確か十九だったね。サカキ君が選ばれた何らかの意味はあるとは思うのだが」
「たまたまじゃないかしら」
「そういう可能性もあるね」
必然はすべて偶然である。樹暦七百年頃にいた神学者トーマス・ムーベンの言葉である。人間が必然と思っていることは、すべて偶然のつながりに過ぎない、という意味で、この言葉は、すべての物事を神が決定しているという、当時の神学論に逆らう考え方であり、神を否定する言葉として、批判され、裁判沙汰にもなった。という、じいさんの記憶が出てきた。
「サカキ君は、ここに来る直前、何をしていたんだい」
「町の商店街が主催しているクイズ大会に出ていました」
あの後どうなったんだろうか。俺の意識がここにあると言うことは、俺の体はどうなっているんだろうか。魂が残っているから死んではいないと思うが。
「クイズ? なんなのそれ」
エレナが言った。
「クイズは、えーと、この世界で言うと、モンドだよ」
「へー、そちらの世界でも、モンドの大会があるんですね」
「あっ」
エレナが声を上げた。
「どうしたんだ」
「おじいちゃん、今度、モンド大会に出るって言ってたじゃん!」
エレナは掛け布団を両手で掴み言った。
「そういえば、出したな」
じわりと、不安感がにじみ出てきた。エディ商会主催のモンド大会が行われる。それに、応募した。
「モンドつながりか。ちょっとそれは、ますます意味がわからないな」
「ほんとね」
「まさか、テンヒルさんが出場する予定のモンド大会に、俺を出させるために神様が呼んだなんてことはないしょうね」
俺は苦笑いした。
「可能性としてないわけじゃないなぁ」
「まじですか。そんなことのために、神様が力を使いますか」
「神様のすることだから、その辺は何とも」
ヘレクスさんは困ったような表情をした。
「そういう例が、ああ、ありますね」
百年ほど前、テッサーという、足を使った球技大会で、神が異世界から人を召喚し、テッサーに参加させた。どうも、神同士で賭け事をしていたようで、そのために、異世界より似たような競技をする人間を呼んだようだ。ちなみに、異世界人が所属していたチームは負け、その後、異世界人も元の世界にかえったそうだ。
「神様は気まぐれだからね」
ヘレクスは笑った。
「神様か。神官なら、何かわかるかもしれませんね」
じいさんの記憶の中から、神官という言葉が浮き出てきた。
「確かに、神に仕える神官なら何かわかるかもしれませんね」
「知り合いに、テンヒルさんの古い知り合いに、イヌゴラさんとかいう、犬みたいな顔した。えーと、ちっこい犬みたいな人、ていうか二足歩行の犬ですね。とにかくその人なら何かわかるんじゃないでしょうか」
「ああ、ケイン族ね。なるほど、彼らは信仰心の強い種族ですからね。どこの神殿にいるのです」
「十五年前にあったときは、マキュティンの神殿にいたそうですよ」
仕事で立ち寄ったマキュティンの町で偶然会った。
「けっこう大きな神殿だね」
「じゃあ、そこに行けば何かわかるかもしれないのね」
「そうかもしれない」
その後、いろいろ話し合ったが、これといって有益な考えも出ず、暗くなったのでヘレクスさんは帰った。少々気まずい空気の中、エレナが用意してくれた食事を食べ、テンヒルさんの部屋で眠った。